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善悪二刀  作者: 生姜寧也
第2章:魔窟恋路編

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第36話:美羽の生い立ち

「何か……例の魔法陣が刻まれたと思しき出来事なんかはないですか?」

 鉄心が短い沈黙を破り、静流に問いかける。

「と、言いますと?」

「まあ一番わかりやすいのは魔族との接触、特に知性のある個体ですね」

 言葉を紡ぎながら、もしかすると本人に聞いた方が早いかも知れないと思い直し、鉄心は途中から美羽に視線を合わせた。

「子供の頃とかに、ああいう、亜人みたいなのと会った記憶とか無い?」

「……ない、と思うよ。もし人間に化けれるとかだったら分からないけど」

 或いはそういう個体も居るのかも知れないが、今はそこまで可能性を広げてしまうと収拾がつかなくなりそうだ。

「あと本当にちっちゃい頃、それこそ赤ちゃんの時とかは分からない。私、貰われっ子だから」

「美羽」

 美羽は自虐的にならないよう、努めてサラリと言ったが、静流はその単語自体をあまり好いてはいないといった印象を受けるやり取りだ。だが今は親子の機微より、内容の方が大事だった。

「貰われっ子……」

「うん。魔族災害遺児なんだよ。十五年くらい前の」

 十五年前と言うと、まだ平良も盤石ではなく、しかも海外派遣も多かったせいで、国内が疎かになっていた頃、とオリビアは記憶している。

「はぐれゲートだったんですが、救助が遅れてしまって。本当の御両親は美羽を庇って……」

「そうですか。辛い事をお聞きしまして」

 オリビアが申し訳なさげに言うと、親子揃って「いえいえ」と肩のあたりで手を振る。

「私は幸せですから。ママに引き取ってもらって」

 言いながら母の肩に頭を預けて、しかし慌てて距離を取った。左胸が静流の右腕と接触しそうになったからだろう。鉄心は素直に憐れむ。アレを何とかしないと、大好きなママに甘えることすら満足に出来ない。

「……元は私がはぐれを見逃したから」

「ママ……」

 今度は先程とは逆で、美羽の方が「それは言わない約束」といった雰囲気だった。だが静流は吐き出したい気持ちもあったのか、口を噤まなかった。

「当時、私は高卒一年目のルーキーサポートでした。けど在学時から結構優秀な数値で、いきなり一区画任されて……いい気になってたのね」

 件の研究者も書いていたが、はぐれゲートの発見は難しい。それもそのハズ、国中を輪切りにして区画分けし、大勢の人員でその区画ごとの監視体制を整えたとて、それでも一日中見張っていることは出来ない。氣も尽きるし、集中力も切れる。運良く見つけられても小型ゆえ顕現までのスパンも速く、アタッカーに出動要請を掛ける前に出てしまうなんてこともザラだ。つまり体制全体の課題であり、彼女一人が自責の念に駆られる必要はない、というのは第三者である鉄心やオリビアの客観的意見でしかなく、実際に自分が見逃した所為で若い夫婦が犠牲となり、赤ん坊だけが取り残された事実の前では何らの慰めにもならないだろう。

「もちろん罪滅ぼしの為だけに引き取ったワケじゃないのよ」

「え?」

「だってモチモチで可愛かったから~」

「ええ!? そんな理由ですか?」

 鉄心は驚くが、静流はカバンから携帯電話を取り出すとパカリと開いた。データフォルダを開いて写真を見せてくる。美羽が「ちょっとやめてよ」と言葉で制そうとしているが、やはり自分の左胸が気になるのか、実力行使は出来ないでいる。その間に悠々と鉄心の手に携帯は渡った。隣からオリビアも覗き込む。

「本当だ。メッチャ可愛い」

 まんまるほっぺにスマートな鼻筋、形の良い唇と、今の美羽にも面影がある。ベビー服から覗く手足はボンレスハムのようにむっちりしている。

「このお手手でギュッと指を掴まれたから、この子は私が育てるってなったの~」

 鉄心もオリビアも今の美羽と写真をマジマジと見比べる。美羽は赤くなって俯いてしまう。状況にそぐわず和やかな空気になってしまったが、要するに魔族の接触時期として一番濃そうなのは一歳までの間、赤ん坊の頃という結論に至った。



「ところで薊さん」

「はい」

「美羽の護衛を今なお続けて下さっているそうですが、その、大変申し上げにくいのですが……」

 この静流、状況によって言葉遣いがかなり変わるタイプのようだ。いや、正確には今のような畏まった敬語が苦手なのだろう。噛みそうで危うい。

「ああ。もしかして、お金の事ですか。良いですよ、俺の矜持による所も大きいし」

 矜持というのは、美羽が布団の中で聞いた決意の事を指している。

「ママ、タダなんて悪いよ。私のお小遣い減らしても良いから、テッちゃんに謝礼して欲しい」

 お小遣いという牧歌的な響きに対面の二人は微笑む。

「あのね、美羽。平良の四位の人に専属で護衛についてもらうなんてね、一体いくら……」

 言いかけて、少し宙に視線をやり、

「えっと、実際にお支払いしようと思えば、いくらくらいになるんでしょうか?」

 とオリビアに訊ねる。ただ実を言うと彼女も知らない。

「どうでしょう。平良の上位が一人の為にというのは、前例を聞いたことが無いですから。時価としか。ただ日本円で九桁は下らないでしょうね。しかも今回はほぼ確実に十傑と再戦する事になるワケですから、もっとかも知れません」

 美羽が少し丸い手(赤子の頃よりは痩せたが)で指折り数える。そして数え終わると青い顔をした。そして鉄心に何か言おうとして、何と言って良いか分からず、最終的に押し黙るのだった。

「その……厚顔無恥を承知でお願いするなら」

 正当な対価を支払える資力は無いくせに、更に厚意に縋ろうというのだから、相手が相手なら恥知らずと罵られても可笑しくない案件だ。だがそれでも静流は乞わねばならない。親は何と思われても構わないのだ。娘の為なら。

「良いお母さんだね、美羽ちゃん」

 その優しい言い方に、美羽の瞳から知らず涙が零れる。そんな娘を母は、魔法陣に触れるのも構わず抱き締めた。美羽は自分たちさえ親子だと強く思っていれば血の繋がりなど関係ないと考えていたし、それは今も変わっていない。だが真剣に向き合ってくれる相手が、心底から自分たちを親子と言ってくれる事がこれほど嬉しいとは知らなかった。

「もちろん相手が相手だけに、絶対に守り通せる保証はありません。ですが……薊の、平良の名にかけて、死力を尽くすとお約束します」

 その真っすぐな瞳、決然とした表情。美羽が恋を自覚したあの顔だ。それをもう一度見せられ、「ああ」と間投詞のような物が美羽の口から漏れる。

(もうダメだ)

 最初で最後の恋になる。予感を超えて確信していた。



 会合の後、ちょうど夕食時ということで、件の日本人街へ赴いた。元から寒冷地のゴルフィールだが、今年は十数年に一度レベルの厳冬になる見通しらしく、秋口の今から既に寒気が押し寄せ、陽が落ちるのも早くなっている。鍋にしましょう、とオリビアが提案した時も、誰ひとり反対しなかった。

「……凄い子ね~、あの子」

 運転席の母、助手席の娘。行きと同じ組み合わせに分かれ、二台の車で向かっている。

「うん。とても私と一つ違いとは思えないよ」

「……好きなの?」

「うん」

 美羽は素直に頷いた。繕っても母相手だとバレるだろうし、そもそも恥ずかしいとか、そういう次元は超えていた。松原美羽が薊鉄心に心酔するのは、自然の摂理のようにすら思えていた。

「……正直ね、お妾さんになってしまうかも」

 実はこの世界では珍しくはない。特に大戦期から戦後などは人口減少に伴い、社会全体が暗に推奨している空気まであった。即ち平良などの優れた男が多妻をもうける、という慣習だ。優生学は差別を助長する、など言える内はまだ余裕がある証拠で、極端な話だが、国の存亡が危ぶまれる激戦の中で子を宿すなら、氣も扱えない凡夫と、類稀な戦士を多く輩出する家の男、どちらのたねが適切かなど論ずるまでもない。人権を守れても人命を守れなくては詮無いのだ。

 そして今も本質的には変わっていない。小康状態になったとは言え、未だ終戦には至っていない以上、いつ目の前にゲートが出てくるか分からない恐怖は、世界中の全人民が常に心の何処かに抱いているものだ。だが強者と番えば、その恐怖の大部分を取り除くことが出来る。つまり今なお「強さ」は一番のステータスである。その大きな傘の下に複数の女が入れるなら、という話だった。

 平和ボケした日本で育った美羽はそこまで「強さ」の価値を実感できずに過ごしていたが、こちらに来て、一等級の危険に晒され、人生観がガラリと変わってしまった。

「ライバルが居るの~? いや、居るわよね、そりゃ」

 聞いている途中で自己完結。美羽は苦笑しながら「うん」と返す。

「そうね~、ひとつだけアドバイスするなら……貰うだけではダメよ? 与えられる子にならないと」

「与えられる」

 反芻しながら今朝の料理を思った。だがそんな物では百年作り続けても足りなさそうだ。他に自分に何があるだろうかと自問する。その答えが出る前に、

「あっ!」

 と母の短い悲鳴。急制動が掛かる車と、慣性でつんのめる体。体勢を整え何事かと前を向けば、オリビアの車も止まっていた。そして暗がりの路地裏から、黒マントの男が現れる。青紫の肌に、ダークブラウンの嘴。美羽の背筋が凍った。

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