第34話:美羽の朝食
メローディアはメイクを直し、鉄心はシャワーを浴びた後、広間へやって来た。先日、立食パーティーで鉄心をもてなした大部屋だった。今は部屋の中央に長テーブルが鎮座し、その上に凝った刺繍のテーブルクロスが敷かれいている。等間隔に燭台でも置けば、いかにも貴族の屋敷の食卓テーブルといった風情が味わえそうだが、そこまでコテコテなのはメローディアが嫌う。
「あ、おはようございます。テッちゃんもおはよう」
渦中の美羽が居た。今日は野暮ったいジャージ姿などではなく、赤とベージュでツートンのチュニックワンピースに黒タイツという秋らしいコーディネートで、金のロングネックレスを胸元(というか谷間)に合わせている。ゆるめの生地で腹の上のポニョを隠しつつ、バスト部分に少し目立つ色を置く。自分の身体の長短をしっかり弁えたチョイスだった。ゆうべ飲み会の後に寮に寄り、服や小物類を含めた荷物をシャックス邸に暫定的に移したことで、オシャレに幅が生まれた結果だ。
「おはよう。何やってんの?」
鉄心の素朴な疑問。美羽は手にしゃもじを持ち、平皿に白飯をよそっていた。ちなみにテーブルの脇に物置台があり、上にジャーが置かれている。ピンクの可愛らしいデザインで、美羽の私物らしかった。
「うん? 配膳。ご飯も私が作ったんだよ」
愛嬌のある丸顔でニヘヘと笑う。鉄心がテーブルの方に目をやると、それぞれの席に皿が三枚置かれ、焼き鮭、海苔入り卵焼き、タコさんウインナーと、三種のおかずが乗っている。スープカップもあり、中はオクラの味噌汁だ。そこへ今準備している白飯の平皿を添えれば完成ということらしい。
メローディアは目を丸くする。侍従からもうじき飯の支度が終わるとだけ聞いて、鉄心を呼びに行く係を買って出たので、その朝食を美羽が用意しているなど知らなかった。「なぜ言わなかった、いやそもそもなぜ客に料理させている」と言外に非難を含んだ視線を侍従長に投げかけるが、彼女に涼しい顔で「お客様のご要望は可能な限り叶えなさいとのお言いつけでしたので」と返されては、メローディアも鼻白む。確かに昨晩そう言った。
「あの、メロディ様。私が無理言ったんです。諸々のお礼に、テッちゃんに手料理を御馳走する約束があったんですけど、その」
昨日その約束を果たすべく日本食スーパーへ向かっている最中に、オリビアから緊急の連絡が入り、学園に急行したことで有耶無耶になっていた。義理堅い彼女はそれを気に病んでいたのだ。
「まあまあメロディ様。折角の出来たてですし、皆でありがたく頂きましょう」
鉄心にまでフォローに回られては、メローディアとしても手打ちにするより他ない。これ以上細々言って嫌な女だと思われては辛い。
「それにしても美味そうだね……食材はミウミウが持ってきたヤツ?」
「うん。オクラとウインナー、鮭、卵はあったので使わせてもらいました。海苔と味噌、だしの素、白米、ジャーは持ち込みだね」
「ああ、そういや米袋担いだな」
当然ゆうべのプチ引っ越しの人足は鉄心だ。暗くて見えない物も多々あったが、分かりやすい荷は覚えていた。
(しかし本当に気立ての良い子だな。退寮手続きも終えて、行くアテも決まっていない。まだまだ十傑の脅威もどうなっていくか分からない。そんな状況でも受けた恩を忘れない)
魔法陣とゲートへの影響などを鑑み、美羽と魔族側に何か繋がりがるのではと勘繰ってしまう気持ちが鉄心の心中に一瞬たりとも芽生えなかったと言えばウソになる。だが十傑に襲われていた時、鉄心が駆けつける前から死に物狂いで抵抗していたこと、その後の憔悴がとても演技には見えなかったこと、そして何より彼女の善性を信じたい気持ちが、その疑念を払拭している状態だ。感情論も陰謀論と同じく、目を曇らせる危険性を孕んでいるのは重々承知だが、それでもこんなに優しく義理堅い子が裏でほくそ笑んでいるとは、彼にはどうしても思えないのだった。
食事を始めて割とすぐ、問題が発生した。メローディアがフォークを取り落としてしまったのだ。スープカップに味噌汁、平皿に白米という辺りで鉄心も薄々察していたのだが、このシャックス邸に純和食の準備は無い。昨夜にしてもメローディアは寿司を手で食べていたし、ガリの類にも手をつけていなかった。寿司に限って手掴みはマナー違反ではないし、ガリは酢の味が強すぎるゆえ苦手な人も多いだろうということで、彼も美羽も気に留めていなかったのだが、今ここに至って理解した。寿司が好きだという彼女の言は、箸が上手く扱えずとも不作法と咎められないという利点も含んでの物だったのだ。
「メロディ様」
鉄心はすぐさま立ち上がり、近くに落ちたフォークを拾うと、そっとテーブルの端に置いた。ちなみに侍従たちは食事が始まる前にメローディアが下がらせていた。彼女の脳内では、慣れない和食でも楚々と嗜み、真面目な話で場を仕切る、まさに公爵の面目躍如といった青写真が展開されていたのだが。それが今や出鼻を挫かれて、不貞腐れたような表情をしている。
「ちょっと待っててくださいね」
自分の席から椅子を持って来て、彼女のすぐ横につける。そして自分の箸と手で甲斐甲斐しく鮭の皮を取り、骨を取り除いてやる。いくら箸に不慣れとは言え、この作業をフォーク単体でやろうとするのは難易度が高すぎる。取り落として当然だ。
「はい。これで大丈夫ですよ」
「……」
唇がとんがっている。少し上手く行かないだけで拗ねる子供そのものだ。
「また甘えん坊ですか……しょうがないな。はい」
箸で一口大に切った身を口元に近づけてやる。美羽もオリビアもさっきから驚き通しだったが、これには思わず息を飲んだ。流石に気安すぎるのではと肝を冷やすのだが、二人は知らないだけで、所謂「あーん」は二度目である。しかして、メローディアは渋々という顔は崩さないものの、内心喜びに震えながら、鉄心の箸にかぶりついた。発声未満の短音みたいな物を上げるギャラリーの二人。特に美羽の方は状況に全く追いつけていなかった。自分が作った料理が原因で公爵に恥を掻かせてしまった咎で、お叱りが来るかもと不安になりかけた次の瞬間、鉄心が迷わず上座の横に座るという更なる不作法を働いた驚き。そこから間接キスの「あーん」という一足飛びな光景を見せられる一連の展開が急すぎて、目が回りそうだ。取り敢えず一つだけ言えるのは、
(あれ? メロディ様に結構差つけられてる?)
という彼我の立ち位置だけ。共に過ごした時間は美羽の方が少し長いのだが、そのアドバンテージを上回る濃度を持った時間を過ごしたのだろうか、と。チクリと刺すような胸の痛みに、美羽は自分が嫉妬していると気付く。見ていられず、目の前の朝食を黙々と食べていく。
「侍従の人たちを下げなければ良かったのに。箸を使えた人も居たでしょう?」
「……嫌いなのよね、一から十までって。何も出来なくなりそうで。コース料理みたいに次々皿を下げていくような形式じゃない時は、いつも一人で食べているわ。水くらい自分でつぐもの」
「なるほど」
「ただアナタに迷惑を掛けるのも本意ではないから、お箸の練習はしなくてはね。これからもウチに住むのでしょう?」
後半の質問には苦笑しか返せない鉄心。もう荷物も運びこんだし、美羽のことを考えればこの邸宅で同居するという案は決して悪くない。だが先だっての仮説が正しければ、十傑が簡単に諦めるとも思えず、最悪の場合、屋敷が戦場になる可能性も全く否定できない状態だ。この場で確答は出来かねる。
「まあフォークじゃ難しいおかずの食事補助くらい大した迷惑でもないですが……よく考えれば俺の箸で申し訳ないくらいです」
「それは全然! 全然、何の問題も無いというか。アナタのなら全然嫌じゃないというか」
「……先、戻ってます」
食事を終えた美羽は、二人(と空気みたいなオリビア)に聞こえるかどうかという声量で呟き、部屋を辞す。その覇気のない様子に鉄心は居たたまれなくなる。咄嗟に呼び止めようとしたが、ドアノブの戻るカチャンという静かな音の方が早かった。
オリビアが少し非難がましい視線を向けるが、鉄心は根本的な所を分かっていないようで、ただ単純に元気の無さそうな美羽を案じていた。体調が悪くなったのだろうか、などと割と頓珍漢なことまで考えている。
「まあ、私がお節介を焼く筋合いでもないのだがね」
と前置いて。
「せめて後でちゃんと朝食の礼や感想を言ってやることだね」
「ん? はい。それはそのつもりでしたが」
言いながら、鉄心は自分の皿の前に戻る。メローディアの鮭は切り分けたので、後はフォークでも食べられるハズ、という判断からだった。そのまま彼女に食べさせていた箸で無頓着にウインナーを摘まみ、頬張る。その箸先を少し恥ずかしそうに見る隣席からの熱っぽい視線にも気付いた様子はなく、オリビアは大きく溜息を吐くのだった。




