第31話:1章エピローグ(後編)
グランゴルフィールの南東部、ちょっとした日本人街になりつつある区画のコインパーキングに、オリビアのワゴンとメローディアのリムジンが停まった。十七時五十五分、ほとんど同時刻だった。車から降りてきた鉄心を見とめただけで、胸が高鳴るのを自覚し、メローディアも後部座席の扉を勢いよく開ける。駆け寄る途中で、鉄心の後ろから更に人が降りてくるのが見えた。同年代くらいの少女だった。白のニットセーターと赤と黒のチェックスカート。ふちの厚い眼鏡が少し野暮ったい印象を与えるが、顔の造り自体は整っている。可愛らしい子だった。
メローディアに動揺走る。気持ちに気付いたのすら数時間前のことなので、その可能性を考慮する段まで思考が回っていなかった。恋人。彼ほどの超有望株(いやもう既に大木か)を女の子が放っておくハズもない。暗澹とする。だが、もしあの少女が恋人だったとして、自分は諦められるのだろうか。光臨を授けてくれて、心に刺さったトゲまで優しく取り除いてくれた人。不甲斐ない時にはキチンと叱ってくれて、ヒーローにしてくれた人。誇りと覚悟を胸に、いかなる敵にも一歩も退かず、戦い抜く姿には、体の芯が甘く疼いた。あらゆる彼が好きだ。もうこんな人にはきっと出会えない。
(いえ、待って。まだ恋人と決まったワケでもないわ)
そう、例えば妹。日本から様子を見に来た妹の薊鉄子とか、そういう感じかも知れない。
メローディアの内心など知る由もない鉄心が少女と、そして運転席から出てきた中年女性を伴って、こちらに挨拶に来た。
「お疲れ様です。あの後、大丈夫でした?」
「ええ。教師たちは今頃オーバーワークで倒れそうになっているでしょうけど」
挨拶もどこか漫ろで、メローディアは早く少女の素性を知りたかった。その視線に気付いたのか、鉄心は振り返り、後ろの二人をそれぞれ手の平で示す。
「ああ、こっちは上司のオリビアさん。で、こっちがクラスメイトの美羽ちゃん」
美羽がペコっと頭を下げる。オリビアは慇懃に礼をし、名刺を差し出し、改めて自分でも名乗った。
「で、こちらはメローディア様ね。この国の公爵様だから」
これは美羽に言っている。便宜上だろうが、様づけが嫌だった。美羽には「ちゃん」づけで気安いのに。本当にただのクラスメイトだろうか。メローディアが思いっきり訝しんでいると、
「あの、公爵様とテッちゃんが、どうして?」
と逆に関係を問われる。その様子に、本命の余裕のようなものは感じ取れず、つまりまだ両想いの関係には至っていないと推察される。だが、一歩だけ鉄心の傍に寄って、肩が軽く触れ合う程度の距離に詰めた辺り、そういう気持ちは持っているようだ。またメローディアへの牽制の意味もありそうだ。鉄心が関係(コーチと生徒)について説明している間、ずっとその距離だった。
美羽にとっても、メローディアの出現は全くの予定外だった。鉄心は貴族クラスでは上手く行っていないような事を仄めかしていたし、彼女自身も貴族の横柄さを嫌というほど体験させられたワケで、あそこからライバルが現れるなど。
(しかも超絶美人じゃん! 勝ち目あるの? これ)
学生の分を逸脱しない程度のナチュラルメイクだが、元の素材がヤバすぎるらしく、同性の美羽ですら、部屋に飾って鑑賞したいレベルだった。
だが。だからと言って。諦められるような軽い気持ちでもなかった。一度目は貴族クラスでの自分の立ち位置が悪くなるのも構わず、二度目は強大な敵でも臆することなく、いずれも美羽のナイトとなってくれた鉄心。既に返しきれない程の恩を受けてしまった。それこそ、この身全て、例えば鉄心が遊びのつもりだったとしても、望まれれば自分の純潔を捧げる覚悟すら固まっている。
勇ましく強い背中、髪を撫でてくれた無骨だけど優しい手、誇りを語った時の凛然とした顔、誘惑に負けるのか時折、自分の胸に向ける少しスケベな目。あらゆる彼が愛おしい。もうこんな人にはきっと出会えない。
(いや、待って。そもそも私の勘違いで、公爵様がそういう感情をテッちゃんに持っているとは……)
そこまで考えた辺りで、麗人は足早に近づいてきて、美羽とは反対側に回り、鉄心の腕をグイと胸に抱え込んで、
「さあ。お店に入りましょう?」
と仕切った。
確定だった。彼の腕越しに美羽を見る目は、少し挑戦的で、だがどこか仲間意識を感じさせる。「アナタも好きなんでしょう? でも負けないわ」と語りかけられたような気さえした。
雑居ビルの三階。純和風の内装に日本人の店員。懐かしいような面映ゆいような、不思議な感慨を覚えながら、店員の後をついて歩き、座敷テーブル席へ通された。一人ならカウンターで大将と向かい合わせで食うのも醍醐味かも知れないが、大人数なら寛げる方が良いというオリビアの計らいだった。障子で間仕切りされているので、他人の目も気にしなくてよい。
上座にメローディアを座らせ、向かい側へ回ろうとした鉄心の手が引っ張られる。またもシットリとした細い指の感触に心臓が跳ねた。海外の人に上座下座もあったものではないのかと思い直し、横に失礼した。彼の勘違い、メローディアは日本の礼儀を知らないのではなく、鉄心と隣り合わせで座りたいだけだったのだが。
「美羽ちゃん」
そしてその反対隣に美羽を座らせる。特に意識したワケではないが、なるべく近くに置いておきたいという深層心理が働いたらしい。美羽がとても嬉しそうにし、メローディアは少し悔しげ。自分からは離れようとしたのに、逆に美羽は呼び寄せるのかと。メローディアの勘違い、鉄心は下心から言ったワケでもなく、昨夜から続く警戒心からの行動だったのだが。
オリビアは一瞬「私おらん方が良くね?」と思ったが、口には出さずに一人で対面に座った。経費で飲み食いできるのだから、帰る手は無い。それに考えようによっては、特等席でこの三角関係を観覧できるのも美味しい。
二人が両側から鉄心の手を握っている間、店の大将も熱心に寿司を握っていたらしく、程なくして寿司下駄に乗った各人分が運ばれてきた。大トロ、いくら軍艦、穴子、イカ、ウニ。取り敢えず五貫頼んだ鉄心は舌鼓を打ちながら次々頬張る。リスのように膨らみながら幸せ一杯な笑顔を浮かべる想い人が可愛くて可愛くて、両脇からトロンとした瞳で見つめられているのだが、気付いた風でもない。
しばらくは平和に時が過ぎていたが、オリビアが日本酒を頼んだ(帰りは運転代行を使う模様)辺りで、雲行きが怪しくなってきた。本当はダメだが、一杯ずつ貰った両脇が効果覿面だったのだ。
「テッちゃんはさあ、本当によく食べるんですよ」
「分かるわ。ウチで夕食を御馳走した時も、随分食べてくれたもの」
「……へえ、メロディ様の所でご飯食べたことあるんだ?」
鉄心の左手の甲に痛みが走る。つねられているらしい。痛い痛いと抗議の声を上げるが無視される。
「そういう美羽こそ、なんで鉄心が健啖だと知っているのかしら?」
「え、聞いちゃいます? それ。エヘヘ。今ね、一緒に住んでるんですよ」
ピシリとメローディアの表情が凍った。痛いと喚いていた鉄心が押し黙る。何故か背中に、じとりとした嫌な汗が伝うのを感じた。
「へええ? ふうん? ほーん?」
右下から顔を覗き込まれていているのをヒシヒシと感じるが、ただ背筋を伸ばし前だけ向いていた。オリビアが笑いを嚙み殺し、素知らぬ顔で手酌をしている。
(ナニコレ。つーか、ほーん? とか言う人だったっけ?)
プレッシャーに耐え切れず、オリビアに目顔で話して良いか訊ねると、むしろ彼女の方が説明を始めてくれた。
「閣下。実は二人の同棲……じゃなかった、共同生活については事情がありまして」
淀みなく説明していく。元々メローディアを抱き込む算段だったのかもしれない。実際、信用できる協力者が学内に居るのは助かる。聞き終わると、酔いが少し醒めたのか神妙な顔で、
「そう、そんなことが。大変だったわね」
メローディアが同情を口にする。
「はい。けどテッちゃんが助けてくれて」
それで惚れたワケだ、とメローディアは得心。
「分かったわ! なら二人ともウチに住みなさい!」
「え!?」
同情から協力を申し出る体で(もちろん本当に慮る気持ちも有るのだが)上手く自分もねじ込んできた。
「ほら、ウチにはシェルターもあるし、いざという時の備えも万全。屋敷のセキュリティも最新製よ」
畳み掛ける。やはりこうった手管が上手い。
「い!? いやいや。ダメですよ。若い男女が。しかも公爵様はお立場もあるのに」
美羽が反論。
「それを言ったらアナタたち二人だけで住む方が問題じゃない? ウチなら家人の目もあるわよ?」
メローディアのカウンター。
「ちょっと、オリビアさん」
鉄心が堪らず、分別が残っているだろう上司にヘルプを求める。
「ぐう」
徳利に額をつけて寝ていた。
「ああ、もう」
鉄心が天を仰ぐ。その両脇から柔らかく心地よい少女たちの体温。慈しみ守り通した存在たち。
騒がしい夜が更けていく。こうして、薊鉄心のゴルフィールでの最初の任務は成功裏に終わった。十傑の脅威や、ハゲ呪術の更なる進化、二人の少女との関係、未来はまだまだ茫洋としているが、ひとまずは、勝利の美酒に酔うのだった。
第1章はここまでとなります。ここまでお読み下さり、ありがとうございました。




