第29話:遅れてきたヒーロー(後編)
メローディアを見送った後、改めて校庭のアビスゲートを眺めた鉄心は、予報の内容を思い出す。
(時間にズレはあったが、十層の量はまあ、想定内くらいか。問題は……)
ゲートからヌッと現れたのは、真っ青な体色に、筋骨隆々の大男。体長は鉄心の二倍ほどあろうか。手には棍棒を持っている。そして顔を見やれば、大きな一つ目と裂けた口。創作物で見るサイクロップスの特徴そのままだった。
鉄心は怪訝な表情を見せる。サイクロップスはすぐには向かって来ず、周囲の様子を油断なく観察している。鉄心の武器、風体、そして校舎の前に散乱した十層の死体たち。観察を終えると、小さく横歩きして道を譲るようにした。その後ろから、もう一体の魔族が現れる。ライオンの胴に人面。通称、マンティコア。そこでゲートが半分ほど閉じた。魔界側のゲート近くには、もう魔族は居ないというサインである。後はこの魔族たちが殺した人間の死体を吸い込むために、ここに残る。つまり打ち止め。それでも二体。予定外も予定外だ。先程のサイクロップスは第七層の魔族である。エリダ・シャックス、クリス・ゼーベントの両公爵で以って相討った強敵。予報の示した第六層ではなく、第七層。鉄心が怪訝な顔をした訳である。だが予報が全くの的外れだったワケでは、断じてない。後から現れたマンティコアこそ第六層魔族なのだ。つまり、本来の予報にプラスでサイクロップスもついてきた形である。
「大盤振る舞いだね、こりゃ」
鉄心の口調は軽かったが、目は笑っていなかった。抜いたままだった聖刀にジャブジャブと氣を注ぐ。刀から漏れ出た外送氣はそのまま、メローディアが駆け込んだであろう保健室と三階1ー3の教室を重点的に、校舎へ匣を張る。残った氣は聖刀の基本概念たる祝の力を具備させ、体へと循環させる。先の十傑との戦いでも見せた、身体強化の技である。
それを合図にしたワケではないだろうが、マンティコアが風のように駆けた。腐敗狼の何倍か速い。片足を上げ、振り下ろした。一撃でコモン武器が砕けたという報告もある、恐ろしく硬い爪。鉄心は受けない選択。横に大きく飛び、躱す。マンティコアは足を振り下ろしたと同時、すぐさま下半身を横に振り、長い尾に遠心力を乗せて鞭のように打った。先端に針がついており、やはり猛毒を持っている。しかもこちらは狼の物とは違って、未だ特効薬の開発が進んでいない。つまり刺されると、奇跡でも起こらない限りは絶命。そんな凶悪な尾ゆえに鉄心は匣を三重にして備えたが、一枚たりとも破られることなく、尾を弾くことに成功した。先の十傑・メノウも同じような鞭をぶつけてきたが、それの三分の一にも満たない威力だ。血走った目とフシューフシューと荒い呼吸に知性の欠片は見られず、今のが全力だったと推察される。そもそも五層以下の脳味噌は獣と大した差はなく、相手の油断を誘うためにわざと力の強弱や緩急をつける戦いをするものは殆ど居ない。
予想外に硬いシールドに阻まれたことで、少し体が浮きかけ、体勢が不安定になったマンティコアに、追撃の鎌鼬を放とうとした所で、
「ぐおおおお」
と地鳴りのような雄叫びが聞こえ、赤く光ったサイクロップスの目から熱光線が放たれた。慌てて飛び退くと、鉄心が踏み込もうとしていた辺りの地面が焦げ、そのまま十数メートルほどグラウンドに黒いラインを引いた。サイクロップスの特長としては、この熱光線、硬く攻撃が通りにくい肉体、巨大棍棒の威力が挙げられる。逆に弱点としては、動きが鈍重である事と、熱光線は連射がきかず、再充填にそれなりの時間が掛かる事。つまり撃った後の今こそ、遠距離レンジにおいては一方的な的となる。
好機に鎌鼬を放とうとして、しかし横合いからマンティコアに飛びかかられ、渋々シールドに転用。ならばマンティコアの後ろに檻を用意し、閉じ込めた所をこのまま盾で押し込んでやろうと目論むが、俊敏な動きで距離を取られる。檻匣は不発。知能が高いワケではないか、野生動物の危機察知能力は全く侮れない。先の狼のように、相手が他所事(シールド破壊)に集中し、規則的な動きをしている、かつ鉄心も落ち着いて術を展開できる状態、が揃ってこそ、あそこまで上手くハマる大技だ。サリー先生のシールドの恩恵が無い状況で、俊敏に動き回る相手を捉えるのは至難の業だった。ノロマのサイクロップスなら捉えられる公算は高いが、展開する間の隙をマンティコアが見逃してくれそうにない。
(檻匣はキツイな)
見切りをつけた鉄心は素早く邪刀も引き抜き、二刀流の構え。そのまま背走し、マンティコアから距離を取る。尾を切り離し飛ばすことも出来る敵だが、余程の事が無い限りやりたがらない習性がある。飛ばしても痛覚は繋がっているらしく、破壊されると激痛を伴うからだ。一応また生えてくるという目撃報告もあるのだが。
少し距離を稼げた所で、鉄心は邪刀の刃に親指を押し当て、自傷する。指から伝う赤い玉が、刀身を下へ下へ流れ、全体に行き渡った。準備の一が完了だ。機動性を重視し、聖刀の方は納め、今度はサイクロップス目掛けて全速力で走る。一つ目が爛々と輝く。緩やかな動作(ヤツとしては最速だが)で棍棒を振り上げ、片足まで持ち上げ、体重を乗せ、思いっきり地面に叩きつけた。寸前で横っ飛びに躱した鉄心。その鉄心を背中から猛追していたマンティコアは、逆に地震かと錯覚するほどの衝撃と、立ち昇る砂煙に巻かれた。
邪刀・霞。自身の血を媒介に自身に呪いを掛けるという荒業。効果は認識阻害、視覚阻害。ちょうどメノウが使った物に似ているが、対象が場所ではなく自分という点で異なる。ちなみにかつて校長室でラインズに見せたのもコレである。
目元に小型の匣を張りつけ、ゴーグルのように利用し、口元の頭巾を少し引き上げ、砂煙を無効化していた。加えて姿の認識阻害。鉄心とは対照的に、完全に視界を塞がれた両魔族に成す術はなかった。
流れるように聖刀も抜き放ち、再び両手に刀。そのままマンティコアの横っ腹に邪刀で斬りつける。邪刀が黒光りする。術が発動した。邪刀・侵。人同士の異型輸血で起こるような強烈な拒否反応を起こす呪い。条件も異型輸血に倣い、不適合な血を流し込み、それを媒介とする。人と魔族、まず適合するハズはなく、激烈な反応を示す。そこへ更に聖刀・祝を叩き込む。呪いの循環を活発化させてやる。聖も邪も別なく振るえる鉄心だからこそ、使える手法だ。鉄心から言わせれば、分けて考えることこそナンセンスなのだが。呪術師も祈祷師も、勝手に後から邪だ聖だとラベルを貼られているだけで、想念で人や物をどうにかしようという輩、何の違いがあろうか、と。
死の呪いを帯びた血を打ち込まれ、促進されたマンティコアは前足をバタつかせ、口からは大量に吐瀉し、下半身は痙攣していた。鉄心はそれには構わず、足音を殺しつつ、しかし速やかにサイクロップスの背後へ。分厚い筋肉に覆われた体の中でも柔らかい部分、臀部へ邪聖の順に斬りつけた。マンティコアと同じく異物に対する拒絶反応で大きな体をのたうち回らせる。鉄心は巻き込まれないよう、大きく距離を取った。
徐々に砂煙が晴れると、折り重なるように倒れ伏した大型の魔族が二体。そこから少し離れた場所で、二刀についた血を振り払う忍の姿が一つ。恐ろしい光景のハズなのに、鉄心が振るった銀の軌跡ふたつが見る者の脳裏に深く焼きつけられた。誰も何の反応も出来なかった。助かったという感慨さえ遠く、ただただ純粋な「力」に見惚れた。平良一門が序列4位、薊鉄心の独壇場はこうして幕を閉じた。
たっぷり一分近く経って、ようやく認識が追い付いてきた観衆がポツポツと喜びの声を上げ始めた。「勝ったんだ」とか「やったんだよね」とか、最初は噛み締めるような囁きが主体だったが、やがて誰かが鉄心に向けて「ありがとう」と大声で叫んだ辺りで決壊した。拍手と黄色い声と、雄叫びのような大音声と、校舎は騒然とし、各階の窓ガラスが余りの喧騒にビリビリと震えた。
その様子を耳で聞きながら、屋上に居るサリー・マクダウェルは静かに座り込んだ。力が抜けただけかと思えば、腰まで抜けているようだった。
「はは……はははは」
人間は理解不能な事態に直面すると笑うしかなくなるのだと知った。公爵ふたりで相討った七層魔族と更に上の六層魔族を二体同時に相手して無傷(実際は親指を自傷しているが)で殲滅してしまうなんて。どう考えても人間業ではなかった。魔族よりも余程バケモノである。
そしてこのバケモノを、最低でもあと一月ほどお世話させてもらえるという連絡を今朝方に頂戴したばかりなのを彼女は思い出した。胃の腑から酸っぱい物がこみ上げてくる。ただ同時に、悔しい事に、自分ですら、あの強さに魅入られていることにも気付いていた。突出しているということは、それだけで理屈を超えて人を惹きつける。ただ今は、
「ああ……もう何も考えたくない」
生徒たちの無事を喜びながら、未来の苦難は未来の自分がどうにかすると信じて、サリー先生は屋上の床へ大の字に横たわった。




