第27話:意地
何かの断末魔のような金切り声を上げながら、ゆっくりと巨大な門扉が開いていく。高さは校舎と同じくらいあるだろうか。周囲は騒然とした。悲鳴を上げながら、北の裏門を目指して走る者が殺到し、渡り廊下へ繋がる扉の前では折り重なるように生徒が倒れる。嘆かわしい事に貴族クラスの生徒が大半だった。混乱が混乱を呼び、阿鼻叫喚。各階では教員たちが懸命に統率を取ろうとしているが、成果は上がっていない。
(一体なぜ? 鉄心から聞いていた予定日より四日以上早い)
呆けるメローディアの背に人がぶつかって、謝りもせず、走り去っていく。メローディアはその人波に逆らうように進み、貴賓室へと体を滑り込ませた。特別に家宝を安置させてもらっているのがこの部屋なのだ。布の結び目を解き、現れた箱の蓋を上げ、名槍グラン・クロスを手に取った。手が震えていた。膝もガクガクと笑っている。取り落とさなかったのは、昨晩遅くまで振るって手に馴染んでいたからだろう。つまり、体が覚えていて、振るえてしまう、と思う。
(いきなり……そんな。本当に? 本当にやるの?)
誰に聞いているのか。鉄心か、亡き母か、或いはこの学園の教師陣か。そうだ、教師の中には戦場経験がある人も居るハズ。そこまで思い浮かんだ所で、ピンポンパンと今の状況では間抜け極まりないアナウンスが響き、こう続いた。
「生徒の皆さん。サリー・マクダウェルです。お気づきの通り、現在校庭に巨大なアビスゲートが出現しています。避難が間に合う方はそのまま学外へ退避してください。二階、三階の生徒たちは校舎内に残ってください。今から私の方でシールドを展開します。増援が来るまで持ちこたえます」
最後の一言は、言い切る事で自分を奮い立たせているような声音だった。メローディアは少しだけ安堵する。自分が戦わなくても大丈夫。そこまで考え、情けなさに涙が出そうになる。鉄心との決闘前には、自分も戦うなどと啖呵を切っておきながら、いざゲートを目の当たりにすると、こうも容易く勇気の灯が揺らめくものか。
が、そこで。メローディアは聞いてしまった。校庭の方から助けを呼ばう声。懸命の大声。窓越しに見ると、車椅子の生徒と付き添いの生徒。どうやら車輪が石でも噛んだのか、車椅子が動かないようだ。平民クラスの二年に足が不自由な子が居るとはメローディアも聞いたことがあったが、まさに最悪の巡り合わせだ。と、そこでまた信じられない事が起こった。渡り廊下への扉前の混雑に見切りをつけたのだろうロレンゾが校舎正面玄関を抜け、校庭の隅を走っていた。絶対に聞こえたハズだし、見えたハズなのに、ロレンゾは彼女らの事など一顧だにせず、いとも簡単に見捨てた。走り去り、北へ、裏門へ向かったのだ。
(あのクズ……!)
今に始まったことではないが。そしてメローディアは気付く。気付いてしまう。自分も何ら変わらないじゃないかと。ただこの場所から眺めているだけの自分も、見捨てて逃げたロレンゾも、彼女らからすると、どれほどの違いがあるだろう。そう思った時、弾かれたように彼女の体が動いた。従兄弟の醜態で目が覚めた心地だ。アレと同じには成り下がりたくない。意地の一念だった。奇しくも初めてロレンゾが想い人の役に立った瞬間だった。
サリー・マクダウェルは放送を切った後、直ちに屋上へ駆けあがった。乱暴に鉄扉を開け放ち、まっすぐに柵へ向かう。そこから校庭を見下ろし、氣を練る。一階の花壇の地中に埋めた一つ、二階の窓の外枠にガムテープでガチガチに張り付けた一つ。彼女の装身具はネックレスなのだが、黒い大粒の珠を繋ぎ合わせた形状(日本の数珠と見た目は近い)をしている。その珠を二つ外して、それぞれ上記の場所へ隠しておいた。そしてそれらの珠に毎日、氣を注ぎ溜め込んでおいた。予報を知ったその日から、今日まで。
(まあ四日以上前倒しになってしまったので全然弱いんですが)
それでも補助の役割はしてくれる。
サリー先生が作ろうとしているのは、屋上から一階まで、校舎の前面を覆う巨大な氣の壁である。彼女の人生で、これほど大掛かりなシールドを展開した経験はない。練り上げながら、出来るだろうかという不安は絶え間なく彼女を襲った。だがその度それを跳ねのけるのは、なけなしの意地だ。シールダーの装身具は魔導具という扱いではない。魔鋼鉄を何とか加工しようとして削れた破片、屑を含有した素材だが、アタッカーたちが持つ魔導具と比べると純度が雲泥の差で、外送氣のデバイス程度にしか使えない。ゆえに石コロと揶揄され、悔し涙で枕を濡らした夜も一度や二度ではない。だが今、そのシールドの一世一代の晴れ舞台である。やってやる。これは意地だ。
加えて、教師が出来ないはナシである。禁句だ。まして今さっきの放送で「持ちこたえる」と彼女は学校中に宣言した。教師が堂々と約束を違えるワケにはいかない。これも意地であり、そして矜持だ。
「出来る! やれる!」
練氣がピークに達する。過不足なく、淀みなく、三点を伝うように巨大な膜が張られる。乳白に色づいた壁になっていく。大理石ほど濃い白にしたかったし、強度もそれを倣いたかったが、これが今のサリー先生の限界である。だが十分だ。大きさも強度も並のシールダーには真似できない代物を築き上げた。彼女の氣の総量から言って、全てを覆うには少し足りない計算だが、それを補った何かがあった。その何かに名前を付けるなら……意地だ。
掃き溜めに鶴。ゴルフィール王立第六高校に生徒を芯から慮れる教師が一人でも居た事は、救いであった。
メローディアが校庭へ躍り出たのと同時、アビスゲートからも獣が飛び出してきた。一見すると大型犬。ちょうどメローディアと同じくらいの体長だろうか。しかし可愛らしいものではない。浅黒い体色に、充血した目、犬より更に発達した犬歯は口内に収まりきらず、剥き出しになっている。その歯を伝った涎が絶えず糸を引いて地面へと落ちていく。十層の魔族。通称は腐敗狼。個体の強さは大したことはない。厄介なのは、あの歯で噛まれた相手は猛毒に冒されるという点だ。加えて、群れでの狩りが得意とくれば、一体だけなら噛まれずに捌けても、集団で襲われれば熟練のアタッカーですら毒殺される。決して気を抜けない敵なのだ。なのに多くのアタッカー養成学校の卒業試験はこの十層魔族を一人で討伐することを課す。もちろん本物を用意するワケではなく、動きをトレースしたシミュレータ相手。毒も無いので緊張感も無い、貴族様でもお気楽にクリアできる前提の代物で、鉄心から言わせると、学生たちに無駄に十層の敵を侮らせる愚策。腐敗貴族用にあつらえた腐敗狼。
そして案の定、この与し易しの風説が、メローディアの警戒を一瞬だけ緩めさせた。初陣で、そんな余裕などあるハズも無いのに。
グルルと唸り声を上げて様子を窺っていた腐敗狼は、その致命的な隙を見逃さず、飛びかかった。ただし、メローディアにではなく、その背に庇われた車椅子の少女と補助役の生徒へと。後ろから追い縋るが、獣の牙は車椅子の少女へ真っすぐ突き立てられる……寸前で覆いかぶさった補助役の生徒の肩に食い込んだ。
そこからメローディアは無我夢中だった。技術もへったくれもなく、ただ槍を振り回し、狼の横っ面を切りつけ、飛び退いたその背に更に突き込む。空気を裂く悲鳴のような鬨の声がメローディアの耳朶を打った。それが自分の声だと遅れて気付くのと同時、狼の肉に槍の穂先が食い込む感触が手に伝わった。
「あああああ」
今度は野太い声が勝手に彼女の喉を震わせていた。槍はどんどん深く食い込み、狼はのたうったが、逃がさないよう更に力を込めて突き刺した。五秒、十秒。やがて臓器に致命的なダメージを与えたのか、口から血混じりの泡を吹いて、狼は動かなくなった。倒したという実感が湧く前に、
「後ろ!」
車椅子の少女が発した声に意識を引き戻される。反応できたのは奇跡だった。振り返りざまに槍の柄を体の前で構え、そこに突進してきたもう一体の腐敗狼のサーベルのような歯がガチンとぶつかった。柄と歯で鍔迫り合いのような格好になるが、体勢が悪く、獣の力強さにも押され、メローディアの方が尻餅をついてしまう。再び溜めを作って、狼の脚の筋肉が収縮し、弾丸のように飛びかかってくる姿が、スローモーションのように映った。
そして獣が飛び上がった分、視界が開けた。そこに絶望的な光景が広がっていた。今まさに自分の命を刈り取らんとする獣と同じモノたちが十体以上、ゲートから出てくるではないか。
(ああ…………最後にもう一度会いたかった)
彼と過ごした僅かな時間がコマ送りのように脳裏を巡る。これが走馬灯か、とやけに静かな心境で考えた。狼の牙はもう自分の頭上、あと数十センチか。目を凝らせば喉仏でも拝めるかもしれない。
――そして次の瞬間。
その牙が、顔が、グシャリと何もない空間で潰れた。見えない壁にでもぶつかったようだった。瞬時に悟った。昨日見せてもらった彼の十八番。
「来て……くれた」
求めてやまなかった人。叫ぶように名を呼んだ。
「鉄心!」




