第26話:尚早なる凶事
生活必需品を調達してきてくれたオリビアは今度こそ事務所へ帰って行った。美羽に母親の連絡先を訊ねていたので、これから交渉に入る予定らしい。ただ、事実の内の不都合な部分、愛娘が寮を抜けて何処の馬の骨とも知れぬ男の所に転がり込むという点は強烈だ。美羽自身の説得も必要になるかも知れない。
鉄心たちも出かけることにした。二人とも昨晩からスキンシップを繰り返し、悶々とした空気が漂うあの部屋に籠るのは危険だと本能が告げていた。美羽は一瞬、屋内と外の危険度を比較検討したが、屋内に籠っていれば大丈夫とも言い難いと考えた。というより、昼日中の街の方が人目もあるし安全かも知れない。
美羽が外出の支度をしている間隙を縫い、鉄心はようやく呪術を行う事に成功した。そして、そこで再び自分の身に例の確変状態が起こっていることに気付いた。前回のリグスの時は術後一時間と待たず髪が旅立ったが、今回も同じくらいの時間、効力だろうか。鉄心としては確かめたい気持ちはあったが、欠席の連絡を入れている自分が、まさか「そろそろハゲましたか?」と顔を出すわけにもいかないだろう。後でオリビアに頼んで、学内に配置した監視カメラの映像を確認させてもらうのが得策か。それに考えようによっては、これで鉄心にアリバイが出来るとも捉えられる。彼が休みの日に事が起こったとなれば、今後万一にも人為的な加害が疑われても、容疑者から外れるハズだ。なので堂々とハゲしめ続けることが出来る。当初の予定より滞在が長引く可能性が高くなった今、奪毛試験場のサステナビリティが保たれる事は鉄心にとって非常に喜ばしい。
準備を済ませると、二人で外へ出る。日が照ってきて少し暖かい。鉄心は作務衣風の和装。胸元へ御高祖頭巾を畳んで仕舞うところを、美羽が目敏く見とめた。頭巾には彼岸花をあしらった家紋が刺繍されていた。
「それ……平良の」
「ああ。一応、平良一門の末席なんだよね、薊家って」
「道理でメチャクチャ強いわけだ」
また少し安心材料が出来たらしく、美羽はあからさまにホッとした表情をしている。安心と不安の狭間で顔を赤くしたり青くしたり。
「薊は頭巾だね。忍者の末裔だし」
人目がある場所で戦う時、大体の実力者は顔を隠す。既に述べたように、情報は武器である。本当は人目につかない所で始末できるのが一番だが、どうしても衆人に戦闘を晒さざるを得ないとしても、せめて顔と結び付けられないように、という戦略上の善後策だ。従って本当は家紋の刺繍も入れない方が良いのだが。
「に、忍者! テッちゃん、忍者なの!?」
「末裔ね。昔は暗部や諜報をやってたらしいよ。忍者……好きなの?」
「うん。大好き!」
「……」
「あ! テッちゃんの事が大好きってことじゃなくて……いや、嫌いじゃないし、むしろ、ゆうべなんか! あー、いや、その」
てんやわんやである。あまりこの話題を続けていると、折角部屋を出たのに、昨夜の空気感を引き摺りそうだ。
「ははは。まあもう忍者って時代でもないからさ……さあ、そろそろ行こうか」
少し強引だが切り上げる。美羽も鉄心も、備えをした意味そのものに言及することは無かった。念のため、念のためである。あの十傑が仕事熱心でないことを祈りながら、二人はマンションの階段を下った。
魔界。人間たちが第三層と呼ぶ、その場所。だだっ広い荒野に、ぽつねんと古びた洋館が建っている。その洋館の一室、二人(二体と数えるのが正確か)の魔族が居た。執務机に両肘をついて、指を組んでいるのは、鳥と人を混ぜたような亜人。先に鉄心と一戦交えた者である。
「また随分とやられたじゃねえか。メノウ?」
その鳥型亜人に声を掛ける者は、部屋の中央に置かれたソファーにどっかと座り、からかうような口調だ。サメを思わせる、尖った鼻とギザギザの歯。体色も黒に近い青の背中側と、白色の腹側に分かれている。メノウと呼ばれた鳥型亜人は、特に感情を揺らすでもなく、
「ああ、強かったぞ。平良は」
とだけ答える。
「で? 落胤のお嬢ちゃんの様子は?」
「……託宣の通り、封が開きかかっているらしいな。魔力……人間風に言うと氣か? 垂れ流しのようだった」
「あれま」
「ゲートに吸われている分に加え、例の平良の小僧が使ったようだな。我々の魔術とも親和性の高い、呪術というものを使う人間もいると聞く。恐らくはヤツがそうだろう。サファイア、分析は出来るか?」
サファイアと呼ばれたサメ型亜人の魔族は、しばし瞑目する。数秒経ってから、ゆっくりと目を開き、大きく息を吐いた。
「ダメだな、遠すぎる。ただ直近でも、もう一度使ったらしい。強い想念を感じた。かなり高度な呪術だろう」
「どういった類の効果かまでは分からんか。だが私をすぐに見つけ出した点を鑑みても、恐らく探査網のようなものを町全体に張り巡らせているとか、そういった類ではないだろうか」
二人が話しているのは鉄心が確変と呼ぶ状態で使用した呪術の事である。その確変の源は美羽から渡った魔力(氣)だ。
状況が幸いした。鉄心が美羽のピンチに駆けつけられたのは全くの偶然だが、二人の十傑たちから見ると、メノウが言ったような推測が妥当だろう。まさか美羽の氣まで使って(授受について鉄心も美羽も無自覚だが)行った呪術が人をハゲしめるだけのクッソくだらない代物だとは夢にも思わない。ただ結果として、二人の十傑は大いに警戒し、第二の矢を撃てずにいる。平良の増援を呼ばれ、探知も万全で待ち構えられ、人間界へ渡った瞬間、殲滅されるというのが考えられる最悪のシナリオだ。
「どうすんだ、メノウ」
「……まあ、このままゲートが育ちすぎても、四年前のような大惨事にはならないだろう。良くも悪くも平良が居るのだから」
実は彼らは十傑の中では穏健派である。人間の乱獲には厳に反対で、ちょうど鉄心が貴族たちの髪の事を考えるのと同じように、持続可能な狩りというものを標榜していた。従って、ゲートのイレギュラーは避けたい意図で現地へ飛んだが、鉄心に阻まれた。だがそうならそうで、当の鉄心にイレギュラーを起こしたゲートを始末して貰えばいいという発想だ。
それは果たして吉と出るか凶と出るか……いずれにせよ、
「来たな。ゲートが開くぞ」
賽は投げられた。
メローディア・シャックスは一限目の終わりに、三階まで上がり、平民クラスを訪れた。知らず駆け足になっていて、すれ違った一年の平民生徒は何事かと目を見開いた。だがメローディアの目には1ー3のプレートしか映っておらず、そこに辿り着くや、すぐさま窓から中を覗き込む。
(鉄心。鉄心。鉄心)
理由は自分でも分からない。だが、昨夜から彼の事ばかり考えていた。彼が帰った後も、ひたすらに光臨の練習を積んだ。最初は今までのスランプの鬱憤を晴らすつもりだったのだが、どうも途中から彼女の中で目的が変わっていた。鉄心の気遣わしげな声、優しく微笑む顔、包まれた逞しい肉体、そういったものばかりが思い起こされ、ただもう一度、それらを耳で、目で、体で感じたい、その一心で練習に励んだ。丸きり、ご主人様に褒めて欲しくて懸命に芸を覚える愛玩犬のようだと心のどこかで自覚していたが、止めようもなかった。
目を皿のようにして探す。果たして……鉄心は居なかった。ならばトイレかと思ったが、男子トイレは一階にしかない。階段を上がってきた間にすれ違わなかったのだから、その線は無い。
と、そこでメローディアは自分がクラス中の視線を集めているのに気が付いた。日本からの留学生はその美貌に驚き、次いで釘付けとなる。同性ですら見惚れてしまうようだ。また本国の生徒は彼女が誰か知っているので、場違いすぎて驚きを以て見つめてしまう。
「あのー。公爵閣下。ご、ご機嫌、う、うるわしゅー」
お調子者の怖いもの知らずで通るエミールが行った。同グループの数名と、田中グループたちも遠巻きながら近づいてくる。
「ええ、おはよう」
普通の挨拶を返され、エミールは何とも言えない表情になった。距離感も言葉遣いも、どうしていいか分からなくなったようだ。
「そのぅ、本日はどういったご用件で?」
それでも急に黙ると失礼かと思い、何とか言葉を紡ぐ。メローディアはそんな葛藤など気付いた風でもない。
「鉄心。薊鉄心に会いに来たのだけど。彼は居ないのかしら?」
「え!? テッちゃん!?」
思わず遠巻きの田中組が声を上げてしまう。慌てて手で口を塞ぐが、それもメローディアの眼中になかった。
「テッシンなら、今日は休みです」
「何故だか聞いているかしら」
「さあ。お家の用事とだけ」
「そう……」
明らかに肩を落とすメローディア。礼だけ残し、教室を後にする。残されたクラスメイト達は驚きのあまり動けずにいた。もし自分たちの勘違いでなければ、
(テッちゃん、何やったの!? あんな弩級美人、どうやって落としたの!?)
という事になるのだから。
トボトボと階段を下りていくメローディア。一階まで戻って来たその耳に、グラウンドから校舎へ駆け込んでくる女生徒たちの悲鳴が届き、何事かとそちらを見やる。
グラウンドの中央、巨大な門が今にも口を開かんとしていた。




