第24話:白銀の恋
結局、寮母には美羽からも電話を入れたのだが、「あっそ、無事なら良いわ」という感じだったそうだ。つまり自分の監督責任が問われないなら、後の事は興味が無いということだろう。あまり仕事熱心でも情が深いタイプでもなさそうだ。まあ日本人じゃあるまいし、時間外に電話対応してくれただけでも御の字と思う方が精神衛生上よろしい。
少し早いが、就寝することにした。順番にシャワーを浴び、美羽は鉄心のスウェットを借りて寝間着とした。丈が合わずブカブカだったが、それ以上に、彼女にとっては会って二日程度の異性の服を借りて一緒に寝ようとしている状況の方こそ据わりが悪かった。そう、同衾の運びとなったのだ。鉄心のマンションは、日本人向けということで座椅子や座布団などはあるが、所詮は単身用ゆえベッドは一つのみで、残念ながら客用布団までは用意されていなかった。そこで鉄心はベッドを美羽に譲り、自身は床で寝るつもりだったのだが、美羽からすると(軽微とは言え)ケガまでしている命の恩人かつ家主を床で寝させるなど有り得ないことだった。そのあたりで一悶着あったが、結局は二人仲良く同じベッドで眠ることで落着した。
果たして今。保安灯の薄オレンジがベッドの上の二人を優しく照らしていた。つかず離れずの微妙な距離を保ちながら、二人とも天井を見つめている。落ち着くと、美羽には強烈な羞恥が襲い掛かっていた。数分前の自分、あそこまで強硬に同衾を言い張る自分を、鉄心はどう思ったかが気になって仕方がない。軽い女だと思われていないことを願いながらも、同時に、そのような行為を全く望んでいないかと聞かれると、とてもではないが頷けない自分が居た。
(本当に生理中で良かった)
でなかったら、もしかしたら今ごろ秘所から流れる血は破瓜のそれだったかも知れない。それくらい、危なっかしいほど依存している自覚が彼女にもあった。
「多少は落ち着いたね」
少し首を傾け、優しい笑顔を向ける鉄心。何の衒いもない、ただただ純粋に美羽を案じる表情に、彼女の心臓が跳ねた。暗がりの下で助かった、と美羽は思う。色白の彼女は赤面するとすぐに分かってしまうから。
「全部……全部テッちゃんのおかげ。今そばに居てくれなかったら、まだ怯えて震えてると思う。間違いなく。本当に、テッちゃんのおかげ」
繰り返してしまうのは、そうとしか言いようが無い、動かしがたい事実だからだ。今現在、彼女が世界で一番、信じ頼りに出来る人。その人が隣に居てくれるからこそ、得られる安らぎは絶大だった。
「……今晩また襲ってくる可能性は相当低いと思う。十傑の奴らは慎重だからね。それに一応は部屋に匣……結界のようなものも張ってあるから、破られたらすぐ気付くよ」
鉄心はそう言いながら腕を振って天井から壁まで示す。
「それでもキミが連れ去られるときは、俺もぶっ殺されている時だから、ごめん、その時は諦めて」
冗談めかして笑う。振っていた腕を下ろし、そのまま美羽の頭をそっと撫でた。またも彼女の鼓動がトクンと乱れる。
「……どうしてそこまで。それは命懸けってことでしょう? 怖くないの? どうしてそこまで出来るの?」
思わず言い募った美羽を見返す鉄心の顔からは笑みが消えていた。鳥肌が立つほど真剣な表情だった。
「優しい人たちを守りたくて、この道を選んだんだし、事実そうしてきた。その積み重ねた誇りを捨てるくらいなら抱えて死んだ方がマシだからだよ」
(ああ……)
カッコイイ人だ。言葉に偽りがないことも美羽は知っている。先の十傑とやらも、未知の相手だったワケで、当然自分の方が殺されてしまう可能性もあったのだ。それでも逡巡すら無く、飛び込んできた。自然すぎて思い至らなかったが、冷静に考えれば凄まじい勇気だ。そうまでして、自分を助けてくれたのだ。言い表せないほどの感謝で美羽は目頭が熱くなる。
「……もう寝ようか」
だが鉄心は先のセリフ、自分では言葉にするのは野暮だと思ったらしく、誤魔化すように美羽に背を向けて言った。一瞬、虚を衝かれて、すぐに美羽の胸の内には愛おしさが溢れる。今さっきまで練達の戦士の凛とした覚悟を見せていたと思えば、いきなり歳相応の可愛い照れ屋な男の子になってしまった。
美羽はその背に向けて手を伸ばしかけて、結局は引っ込めてしまう。今の自分では貰うばかりで、彼に何かを返せる自信が無かった。
(ほらやっぱり……追いかける恋になるよ)
ただ、もう、気付かなかったフリも、蓋することも出来そうになかった。「恋はするのものではなく、落ちるもの」と誰かが言った、そんな言葉が思い起こされる。自分はきっと既に落ちていたのだ。抵抗しても拒否しても無駄だった。理不尽な話だ。思えば入学してから理不尽続きだったが、しかしこの理不尽だけは憎む気には全くなれなかった。
(……ああ、何か包まれてるような気がする)
揺籃の中で微睡む赤子に戻ったようだ。すぐ近くに自分を守る大きな存在を感じながら眠る夜の、何と甘美なことだろう。瞑った瞼の裏に、先に見た美しく光る白い闘氣と銀に輝く剣閃を幻視する。
(テッちゃん……好きだよ)
美羽はそのまま意識を手放した。
翌朝は、アラームの前にオリビアの電話で起こされた。今後の方針を含めて一度、会っておきたいという話だった。ちなみに学校に関しては二人とも欠席の連絡を既に入れたらしい。鉄心は正直、汗を使って呪ったジーンの経過観察がしたかったのだが、そうも言っていられない状況なのも理解していた。
八時過ぎに、スーツに身を包んだ女上司が部屋のチャイムを鳴らした。手土産に持って来てくれた菓子パンやサンドウィッチには助かった。一瞬、まだ美羽には食欲がないかと心配したが、チョコクリームたっぷりのコロネを幸せそうに頬張る様子を見て、鉄心もオリビアも杞憂と知った。
食後の珈琲もそこそこに、オリビアが切り出す。
「さて、改めて昨夜は大変だったね。美羽くん……と呼んで良いかな?」
「はい」
「ありがとう。私のこともオリビアで構わない。鉄心から聞いていると思うが、彼の上司に当たる人間だ。よろしく頼む」
二人、軽く握手など交わす。最近深くなってきた目尻の皺を少し寄せ、オリビアはなるべく優しく笑った。
「まだ思い出すのは辛いかもしれないが、すまない。情報を共有して欲しい」
美羽の方はコクンと頷く。隣に座る鉄心が気遣わしげな視線を投げるが、小さく笑って「大丈夫」と告げた。
「……とは言え、私にも何が何だか分からないんですけどね。急に路地裏に気配を感じたと思ったら、大男がヌッと現れて、腕を掴まれて、引っ張られて……」
左腕を右手でさする。実際に掴まれた箇所だろう。
「何か言ってなかったかい?」
「うーん。こっちに来なさいとか、必要なことだとか、ラクインに何かあったら、とか」
「思ったより話してますね」
鉄心がオリビアの顔を見る。彼女も同感のようで訝しげに眉根を寄せた。
「あ、でも、咄嗟の事だったし、全部完璧に聞き取れたワケじゃないと思うし」
二人の様子に、自信が無くなる美羽。だが二人は、気にかかる単語の意味を考えるのに意識を集中させていた。
「ラクイン……烙印でしょうかね。何かの印をつけたかった?」
「或いは既にそういう印がある者を魔界へご招待とか」
ご招待の後、どういった処遇が待っているのかは全く分からない。そのことが空恐ろしい。
「いずれにせよ、人間の選別をしているのでしょうか? それなら十傑がわざわざ出張った理由として納得できます」
昨晩立てた仮説、偶然つれてくる一人ではなく、選別された一人が必要なら、という話だ。
そこで、鉄心の腕を縋るように掴む感触。指が震えている。慌てて顔を向けると、美羽の瞳に涙が溜まっていた。
「それって……それって、私が選ばれたってこと? 生贄とか、実験体とかにされるの?」
「あ、いや」
「これからも狙われるって事なの? しかも十傑とか言う、メチャクチャ強い相手に?」
咄嗟にどうすべきか分からず固まってしまう鉄心。完全にしくじった。オリビアも己の愚かさに、頭痛がしそうだった。気丈に、普段通りに振舞ってくれていたが、まだ本調子とは言えない本人の前で、何を話しているんだ? 何年この仕事をやっているんだ、と。
プロ二人が動けない間に、美羽がとんでもない行動を起こす。何といきなりスウェットの上を脱いでしまったのだ。当然、ブラジャーだけになり、鉄心の方が悲鳴をあげそうになる。オリビアも全く意味が分からず、声も出せない。
「烙印って、これ? これじゃないの?」
豊かな胸をタプンと揺らし、膝立ちになって鉄心の顔の前に持ってくる。反射的に目線を外しかけた鉄心だが、目の端で奇妙な物を捉え、視線を戻してしまう。
彼女の左胸には、黒い模様があった。二重丸で囲まれた五芒星の中心に半開きの一つ目が描かれた、気味の悪い模様が。




