第23話:人心地
気付けば、美羽は鉄心の腕の中でウトウトしていた。鉄心としては、正直に言うと寝てくれた方が用事がしやすい。
(まずはハゲ呪術。そして美羽ちゃんの件をオリビアさんに報告。寮の方にも連絡入れないとマズいのか。どうしたもんか。オリビアさんに丸投げするかな)
そこまで考え、そっと美羽の体を座椅子に預け、立ち上がろうとした所で、鉄心の膝がカクンと落ちる。シャツの裾を引っ張られていた。
「どこ行くの?」
幼子のような声音。
「ちょっと、上司と話して、今回の件の事後処理と言うか」
「じょうし?」
美羽は眠気が抜けきっていないのもあるのか、ひどく頼りない発声だ。可愛いので鉄心は頭を撫でる。
「テッちゃんは、やっぱり普通の学生じゃないの?」
「うーん。まあ」
もはや隠しようもないだろう。聖刀まで抜いて、強力な魔族を撃退している所を見られたのだ。
「刀」
「うん?」
「刀みたいだなっておもってたの。まえ、シールドだしたときも」
イマイチ要領を得ないが、鉄心が頭を撫で続けていると、また目がトロンとしてきた。極度の精神的緊張から解放された事に加え、さっき服用した生理痛の薬が眠気を誘うのかも知れない。だが完全には安らげず、特に自分を守ってくれる鉄心の気配には恐ろしく敏感になっているようだった。
「もうお休み。このまま俺が座椅子になっとくから」
言葉通り、美羽の小さな寝息が聞こえてくるまで、まんじりとも動かずに居た。
やはりオリビアはツーコールきっかりで電話を取った。
「もしもし。公爵閣下に粗相をしていないだろうな!?」
「激しい、激しい。いきなり粗相前提はやめてください」
信用というものが、全くない。
「メロディ様とは、それなりに良好な関係を築けましたよ。軽くコーチの真似事もして、ご飯まで御馳走になりましたから」
「……本当か?」
信頼というものが、全くない。
「つーか、それどころじゃないんすよ」
「一国の大貴族との関係をそれどころって……」
「魔族が出たんです。しかも十傑」
「は!?」
「超小型のゲートを使っていたようなので、和奏の網にも引っかからなかった、というか、完全にイレギュラーでしょうね」
和奏というのは平良のサポート部に居る、鉄心の友人だ。平良和奏。非常に優秀で、ゲート予報の確度向上に大いに寄与している。その彼女の捜査網を掻い潜ったということ。
「人語も解していましたし、鳥の亜人でした」
いずれも十傑の特徴だ。人間と変わらないレベルの知能を有した亜人型の体躯。ちなみに魔界十傑とは、第四層から第一層までの魔族を指す。この層の魔族たちは汎用量産型の者はおらず、層の数と同じ個体数で構成される。四層は四体、三層は三体、二層は二体、そして一層は魔王のみ。合計すると十体。だから十傑。数は少ないが、それぞれが尋常ではない強さを誇る。並のアタッカーでは間違いなく瞬殺されるのだが……
「ケガは?」
「指と掌に火傷を少々。特に問題はありませんが」
「流石だね」
「それでですね。実はクラスメイトの女の子が狙われていまして」
「ん?」
「偶然居合わせたから、ということでしょうかね。ただ現場に駆けつける時に耳鳴りがしたんですよね」
上位魔族だけが扱う、再現不能の技術、魔術は幾つかあるが、その内の一つ。特定の箇所に特殊な音波のようなものを流す。その音波は当該箇所に踏み入った人間の方向感覚を狂わせたり、認識阻害のような効果まで及ぼす。実際に遭遇した中では耳鳴りを訴える者が多いので、三半規管にも何らかの作用を与えているのではと考えられている。美羽が相当大きな声で助けを呼んだにも関わらず、実際に現場まで辿り着けた人間が鉄心以外いなかったのは、この為である。他の者たちは、聞き間違いと錯覚させられていたり、或いは聞こえた方向を上手く割り出せないようにされていたり。ただ鉄心の呪と似た性質で、術者と実力差が少ない相手には掛かりが弱いし、純然な格上相手ならそもそも通用しない。
「それは確か弱い相手を寄せ付けない結界のような物だったかな。そんなものを張ってまで、秘密裏にしたかったことか」
「もちろん聞いてはみましたが、答える義理はないとのことでした」
「そりゃそうだ」
「いつものように人間の死体が欲しいなら、わざわざ十傑が出張る必要は無いわけで」
「つまり、別の目的があった?」
「気のせいじゃなければ、美羽ちゃん、そのクラスメイトの女子なんですが、その子を連れ去ろうとしていたようにも感じられたんですよね」
彼女には特に目立った外傷も無く、引っ張られていただけだった。
「考えられるのは、何かの実験に生きた人間を秘密裏に調達する必要があった、とか?」
それは十傑が自ら出なくてはいけない程の事だろうか。確かに五層以下の魔族は知能が低いため、確実を期すなら、という話だが。十体くらいに命じて、一体でも生け捕りのまま持って来ればオーケーという作戦でも事足りそうだ。
「或いは、美羽ちゃん自体に何らかの価値があるのか」
それなら説明はつく。無作為の一体で事足りるとかではなく、美羽本人が間違いなく要る。下級の者を派遣して、万一にも殺されては困るという状況。これなら十傑が出張る意味は分かる。だが問題は、
「その少女に、十傑が固執するほどの何かがあるとはチョット思えないけどね。普通の学生さんだろう?」
オリビアの言う通り、そこである。二人、黙って考え込んでしまう。
「その少女からヒアリングは……」
「まだ無理ですね。今はうたた寝しています」
「ん? キミのマンションに居るのか?」
「ええ。俺と離れたがらなかったので」
「完全に色男のセリフだな」
「あ、いや、そういうヤツじゃないですよ」
苦笑してしまう鉄心。確かにセリフだけ聞けば、どこぞのナルシストの発言かと。
「分かってる。さぞ怖かったんだろうな。特に日本は平良が優秀過ぎて、暴力も命の危険も、遠い」
平和ボケなんて揶揄されることもある。そんな日本から他国へやって来くれば、暴力も命も何倍も軽く感じることだろう。
「まあ、取り敢えず敵の思惑は現状では分かりません。あ、そうそう、トンファーを使っていましたね。トンファー使いの鳥亜人。一応は情報がないか洗っといて下さい」
「わかった。だが、期待はしないで欲しい」
「はい。あと、美羽ちゃんは女子寮に住んでるんですが……」
「あー。警察と連携してどうにかする。暴漢に襲われそうになっていた所を救助、今夜は安全のため保護する、といった筋書きか」
それでも確認のため寮母から美羽の携帯に連絡があるかもしれない。後で口裏合わせをお願いすることになる。
三十分ほどすると、美羽がムクリと体を起こした。眠りが浅いようだ。体勢も少し窮屈だった。
「……うん。テッちゃん」
目を瞬かせながら、立ち上がろうとしてバランスを崩し、再び鉄心の上に落ちてくる。支えようとして失敗した手が豊かな胸を思いっきり鷲掴んでしまうが、美羽は意識が半覚醒なのか、特に何の反応も示さなかった。家具に当たったと勘違いしているのかも知れない。本当に無防備で困る。
美羽はもう一度、鉄心の肩を手摺にして起き上がる。キョロキョロと室内を見回し、テーブルの上に置かれた眼鏡を取った。かけたまま寝落ちするものだから、鉄心が外してあげたのだった。
「あはは、なんか色々恥ずかしい」
視界と同時に意識もハッキリしたようだ。
「また助けられちゃったし、甘えちゃった。ごめんね」
鉄心を気遣う余裕が出来たというより、彼への申し訳なさで無理に理性を取り戻したような雰囲気がある。まだ万全の精神状態とは言い難い。とはいえ、事件から一時間強で、ここまで戻って来てくれただけでも幸いだった。もちろん一概には言えないが、こういった理不尽への打たれ強さは女性の方が備わっているように鉄心は思う。今も彼女は経血を流しているハズだし、言ってみれば月に一度、理由もなく女性にしかない苦労を強いられる分、男性よりも我慢強さが育まれやすいのかも知れない、と。とてもデリケートな話題なので、彼も人に話してみたことはないが。
「気にしないで。前も言ったけど、頼ってくれていいから」
「それで、その、今晩なんだけどね」
少し冷静に考えられるようになった今となっては、一人暮らしの鉄心の部屋に泊めて欲しいなどと直截に言うのは美羽としても憚られるのだ。
「まだ一人にするのは怖いね。ウチに泊まって行って。流石に昨日初めて会ったばかりの男を信用しろってのは難しいかも知れないけど……」
「そ、そんなことない! 大丈夫だよ、信じられる」
「ていうか、そもそも……美羽ちゃんって今、あの、えっと」
そう、生理中だ。美羽が自分でバラしてしまった。真っ赤な顔で頷く。
「あー、その、替えのナプキンとかある?」
鉄心も出来るだけ話題にはしたくないが、泊まる以上、どうしたって必要な物は必要だ。
「予備はあるけど、夜用じゃないから……補強と言うか。キッチンペーパーとか最悪トイレットペーパーでも頂ければ」
耳まで赤くしながら、やはり彼女も必要なので答える。
(女の子には優しくしよう)
そんな今更なことを思う鉄心だった。




