第22話:急襲の夜
公爵邸から徒歩で辞した鉄心だったが、マンションまで意外と距離があり、やはり車で送って貰えば良かったかと後悔した。ただあの寡黙な運転手と二人で夜のドライブというのも、それはそれで厳しいものがあったのだ。
ゴルフィールの首都、グランゴルフィールの北側は丘陵となっており、その一番高い場所に王城が鎮座し、周辺に貴族街が広がる。そこから鉄心は下り坂を辿って南下している状態だ。まだ九月だが、ゴルフィールは意外に寒い。ジョギングを兼ねての帰り道だ。
しばらく下ると、かすかに見覚えのある建物が見えた。学園の女子寮だ。暗くて最初はハッキリ分からなかったが、美羽に案内された正門まで来るとシナプスが繋がった。つまり鉄心の自宅マンションも、そう遠くない。
ふう、と軽く人心地つきかけた所で突然、女性の悲鳴が聞こえた。続いて「誰か助けて」という必死の大音声。一瞬で緊張が走り、鉄心は声の聞こえた方へ駆ける。途中、ピインと耳鳴りがしたが構わず現場へ突っ込む。
大男が女性の片腕を掴んで、どこかへ連れ去ろうとしていた。女性は両足で踏ん張り、必死に抵抗している状態だ。
「おい! 何やってんだ!」
鉄心の怒声に男がこちらを見る。全身にローブを纏っているが、フードの下から顔の一部が見えた。肌は血色が悪い、を通り越して青紫。口の部分に鳥の嘴のようなものが付いている。中世のペストマスクを一瞬思わせたが、すぐに正体に思い至った。
「やっぱり魔族か」
聖刀を抜き放ち、瞬時に匣を展開。刀を横凪に払うと、不可視の錐が男へ殺到する。聖刀・鎌鼬。鉄心の十八番である。男が慌てて女性から手を離すも、その指先を掠め、鮮血が舞った。人間のものより幾らか黒が強い、魔族の血。軽い舌打ち(あの口でどうやって鳴らしたのか)が聞こえ、男は更に跳び退く。よく見れば背に小さな羽も生えているようだ。
「そちらの方、今のうちにこっちへ!」
這うように女性が近づいてくる。その背へ追い縋ろうとする魔族の男へと鉄心は突進し、逆袈裟に斬り上げる。キンと金属同士がぶつかり合う甲高い音が鳴る。男がローブの重ねから腕を突き出していた。どうやら鉄心の剣戟を握り込んだトンファーの腹で受けたらしい。
「っらあああ」
気合一閃、鍔迫り合いから押し込んだのは鉄心だった。全身が白みがかった氣で薄く発光している。聖刀・祝。全身に巡らせた氣に祝福を与え、身体能力を一時的に高める技だ。後の反作用がしんどいので積極的に使いたくはないが、そうも言っていられない相手だった。
後退した敵のトンファーが溶けるように形を変え、伸びていく。倍速再生のヘビ花火のようで端的に言っておぞましかった。伸びきると器用に振り上げ、そのまま鞭のようにしならせて、遠心力の乗った打ち込みを放つ。鉄心の肩を捉えた。匣を三重に張っていたが、二つ破壊される。遠心力に加え、相当に魔力が篭っているようだ。敵に僅かな動揺。今ので決められる算段だったらしい。
「捕まえた」
その一瞬の隙を見逃す鉄心ではない。鞭状の得物を掴み(ユニークの拒絶反応を浴び、掌に火傷が出来るが構わない)、そのまま斜め下に思いっきり引っ張った。たたらを踏んで前にバランスを崩した相手の脳天に思いっきり鎌鼬を振るう。ニ本走ったうち、反対の手に持ったトンファーで頭に向かってきた方は防いだようだが、残りの一本が男の肩口を大きく切り裂いた。ぐうと呻き声が上げるが、そのまま追撃を避けるように地面を転がって射線を外れる。回転の勢いを利用して俊敏に立ち上がり、油断なくトンファーを構え直す。互いに幾つか手の内を見せ合ったが、優勢は完全に鉄心だった。
「……この強さ。平良の上位序列者か」
「そういうお前は、魔界十傑の内の誰だ? こんな住宅街で何をしている?」
男は嘴の口角を少し上げ、「答える義理は無いな」と吐き捨てる。そしてそのまま、じわりじわりと後退していく。鉄心も摺り足で開いた分だけ距離を詰めていく。が、そこで男の背後に唐突に扉が現れた。しゃれこうべがビッシリと並んで意匠となっている白枠に観音開きの戸板。その戸が開くと、生き物の断末魔のような金切り声が鳴る。開いた先の景色は何もない荒野。魔界へ通じるアビスゲート。しまったと思った時には、男は背中から飛び込んでいた。
「今回は退かせてもらう。いずれまた」
そんな捨て台詞と共に、ゲートは蜃気楼のように揺らぎ薄れ、やがて消えた。
周囲を警戒していた鉄心だったが、伏兵などは無いらしく、ゲートが消え数十秒してようやく納刀した。そして振り返り、人影に気付いた。とっくに逃げたと思っていた女性が、少し離れた所に座り込んでいたのだ。どこかケガをして遠くまで歩けなかったのか、と心配して小走りに駆け寄り……驚きのあまり息が止まるかと思った。街灯に照らされ、ようやくハッキリ視認した顔には見覚えがありすぎた。
「み、美羽ちゃん?」
涙で濡れた顔が、コクコクと揺れる。
「テッちゃん、テッちゃん、なんだよね?」
震える指先が鉄心の服の袖口を掴む。
「私……助かったの?」
美羽は何でも良いから知っている物の感触を確かめ、生を実感したいと言うように、鉄心の袖口を手繰るように引っ張り、近づいた胸板に縋りついた。かと思えばすぐさま体を起こし、両手で鉄心の顔をペタペタと触ってくる。触りながら何度も鉄心の名前を呼び、本物か確かめている。日常に回帰できたのだと、体に染み込ませているようだった。
「怖かった……殺されるかと思って……もうダメだって。でも男の人が来て、怒鳴ったら化物が勝手に離れて行って……」
鉄心が軽く体を抱き締めてやると、美羽はその何倍もの力で抱き返してくる。たわわな胸が両者の体の間で潰れる。
「男の人はテッちゃんで、凄い強くて、私には何が起きてるか分かんなかったけど、化物が居なくなって……でもテッちゃんは刀持ってたから、本当にテッちゃんか分からなかったから、ここに隠れてて」
「大丈夫、無理に喋らなくても、もう大丈夫だから。助かったんだよ。また明日も学校に行ける。田中さんたちとお喋りしながらお昼を食べよう。大丈夫なんだ、もう」
日常の話をして、安心を重ねてあげる。美羽はもう何も話さず、鉄心に抱き着いて泣きじゃくるだけだった。
一時間ほど前にメローディアの涙でグショ濡れになったシャツが、ようやく乾いたと思えば、今度は美羽の涙を吸って重たくなっていく。
(すげえ一日だ)
役得なのか厄日なのかサッパリわからない。
取り敢えず寮に送ろうとしたが、美羽が怖がるので断念した。鉄心の目が無くなると、またあの魔族が襲ってくるのではないかという懸念が拭えなかったらしい。鉄心の予想では、傷を癒さないまま再来とはならない気がするが、所詮は勘、絶対の保証は出来ない以上、彼女の希望に沿うことにした。つまり鉄心のマンションに連れてきた。正直、弱り切った女の子のガードの緩さというものを、メローディアに散々勉強させてもらった鉄心としては、一人暮らしの部屋に連れ込むのは極力避けたかったのだが。特に今は戦闘後ということもあって、生存本能が高まっている状態なのも非常によろしくない。
「座椅子、使っちゃって」
ウィークリーマンションの備え付け家具らしく、座り心地も安普請のそれではあるが、ないよりはマシだろう。美羽は英字プリントの入った濃紺のトレーナーに黒のジャージパンツという服装だった。コンビニに行っていたと言う。手提げカバンも持っていた。夜の九時近い時間に女の子ひとりで不用心だとは鉄心も思ったが、カバンから出てきた商品を見て黙ってしまった。生理痛を和らげる市販薬だった。門限過ぎての外出許可を取りつけ、そそくさと買って帰る途中、魔族に襲われたということらしい。
「普段はそんな重くないんだよ。けど、今回は環境が変わった直後だし、あの貴族の件とかもストレスになったのかな」
あの貴族というのはイザベラのことだろう。
「あー、いや、うん」
男はこういう話題には、とことん弱い。美羽にも恥じらいは当然あるのだから、平常であれば異性の鉄心には伏せる内容だろうが、今の精神状態で性差に配慮して、過たず話す内容を吟味せよという注文は酷に過ぎるというもの。
「なんで私ばっかり。運が悪いのかな」
後半は涙声になってしまう。すかさず鉄心が肩をさすり落ち着かせる。確かに恨み節の一つも言いたくなるだろう。相互前方不注意でぶつかった相手に一方的に罵倒され、そのストレスで生理痛が酷くなり、薬を買いに行けば今度は魔族に襲われる。理不尽な話だった。
「可哀想にな」
落ち着いては、また思い出し、心が乱れ、慰められて、落ち着いて。暫くはこんな調子かも知れない。




