第20話:黄金の恋
「さて、まずはグラン・クロスを拝見させてください」
家人にも触らせなかった様子から、渋るかと思われたが、実にすんなりと鉄心の手に渡した。恐らく鉄心は自分で考えている以上にメローディアの信用を勝ち得ていた。
「うーん。やはり美しいですね」
その言葉を聞いて、メローディアはまたも輝くような笑顔を見せた。
「そうでしょう! そうでしょう!」
一部の貴族連中が陰で汚い骨董品扱いしていることを彼女は知っている。忸怩たる思いだった。
「何も分かっていない連中は、こんなことを言うのよ。もっとアナタには華美な装飾が似合います。お任せ下されば、腕の良い職人に金の意匠を施させます、なんて」
「ありゃりゃ」
鉄心が残念そうな顔で首を横に振る。
「何も持っていない人間ほど金ピカに拘るのは万国共通ですね。こんな鈍色になるまで敵を屠って人を守った、その誇りが千金に値するのに。この無骨で静謐な光、それでいて一度牙を剥けば、獰猛に輝く、この名槍の美しさが分からないなんて……」
永く一線で戦い続けた武器特有の使い込まれた金属の美しさが鉄心は大好きだった。
「というか、こういう武器たちが未来を切り開いてくれたからこそ、いま俺たちは生きていられるのに……って、何ですか? ど、どうしたんですか?」
いつの間にか感極まったメローディアが鉄心の横身に抱き着いていた。今にも泣き出しそうなほど潤んだ瞳で見上げてくる。実際、涙が出るほど嬉しかったのだ。ゲンナリするような見え透いた下心で自分の容姿を美しいと言う者はいくらも居る。だがシャックスの誇りをこれほど真っすぐに心底から美しいと褒めてくれた人は、メローディアの人生で初めてだった。そして鉄心の方は対応に困った。泣きそうになっている異性への接し方なんて分からない。なので、クラスの女子たちのノリを使わせてもらう。
「おー、よしよし。泣かないで、泣かないで」
後ろ髪をポンポンと叩いてみる。やってみてすぐ「これは無いわ」と思った。女の子同士だから許されるというか。まして友達でもないどころか、今日会ったばかりの大貴族だ。身分を鼻にかける人ではないのは、鉄心もこれまでのやり取りで分かっているが、それでも限度というものがあるだろう。怒らせたかもしれない、と不安になりかけた所で、メローディアは一層強く鉄心の胸に顔を擦りつけて甘えてくる。だから鉄心も一度離しかけた掌を再び彼女の頭にやると、今度はゆっくりと梳かすように髪を撫でつけた。鳥の雛でも撫でるような、優しい優しい手つきだった。
(色んな悪意と戦っているんだろう。ひとりで。財産運用や家の事もある。極めつけは母の遺志を継げない自分。応えてくれない家宝。侮られるのは、自分が十分に使いこなせていない所為もある、ってのも痛い程わかってるんだろう)
やはり出来る限りはしてあげたい。鉄心は改めてそう思った。
鉄心の慣れない慰めに可笑しくなって笑いそうになったハズなのに、気が付くとメローディアは泣いてしまっていた。そして一度泣き始めると、止まらなくなった。緊張の糸が切れたのだ。母を亡くして四年、いつも気を張っていた。信の置ける配下は居るが、上の立場として軽々に弱さを見せるワケにもいかなかった。外に出れば公爵としての立ち振る舞いが求められ、隙を見せていないかと常に内心でビクビクしていた。いつしか彼女は人に助けを求めることも、頼ることも出来なくなっていた。
だからメローディアにとって薊鉄心は得難い、いや、出会えたこと自体が奇跡のような人だった。地位に全く興味を示さず、女を求めてくることもなく、金にも必要以上の執着は見せず、義理や情によって動く。信用できる、信頼できると直感した。そしてそんな人が彼女が最も欲しい物、強さへの道標を示してくれる。
四年ぶりに得た安堵、自分は大丈夫だという確信。逞しく頼り甲斐のある胸板と、交わした体温の心地よさが、どうしようもなく涙腺を緩めた。ちなみに、この時から彼女、メローディア・シャックスの初恋は始まったのだが、本人がそれに気付くのは、もう少し後のことである。
「落ち着きましたか?」
囁くような優しい声音だった。腰に手を回し、もう片方の手でずっと後頭部の辺りを撫でていた鉄心だが、正直手が疲れてきていた。コクリと頷いたのを見て、ようやく手を離せる。メローディアが「あ」と残念そうな声を出したが流石にもう御勘弁をといった所だ。それに、このまま悠長に抱き合っていて、飯の支度を終えた家人が呼びに来て鉢合わせても気まずい。
「……それじゃあ構えて下さい」
ノロノロとではあるが、グラン・クロスを両手で持ち、メローディアは基本の構えを取った。まだ少し鼻を鳴らしているが、目には力が戻って来ていた。
「では失礼して」
その背中に鉄心が覆いかぶさる。メローディアの心臓が小さく跳ね、何事かと振り返った。
「今からメロディ様の手を通してグラン・クロスに俺の氣を流し込みます。感覚を掴んでください」
言われたワケでもないが、メローディアは目を閉じて、鉄心から流れ込んでくる氣の流れを感じ取る。飛び上がるほどではないが、温いを通り越して熱い。
ゆっくりと掌を通り、槍の柄を流れていく。槍穂に辿り着いた辺りで、十字の横手へと一気に流れ込んだ。そしてその勢いのまま刃を飛び越えた感触。目を開けてみると、横手から伸びた光の帯がキラキラと瞬いていた。
「これ……これ……」
大袈裟でも何でもなく、夢にまで見た。光臨槍だ。亡き母のそれを見た以来の。言葉にならない。
「エリダ様は結構パワープレイでやってた節があって、全体に氣を巡らせ、自然と溢れるまで注いでいた感じでした。吹きこぼれた形の光臨だったんですよね」
解説があるが、メローディアの耳にはあまり入って来ていない。興奮で頭が沸騰しかかっていた。
「ただメロディ様は氣の循環は優秀ですが、総量がまだエリダ様ほどは無い様子だったので、なら上手くコントロールして効率よく一点に送るのがベストかなと」
感冒のようにポウとした顔で、斜め後ろの鉄心を仰ぎ見るメローディア。彼はただただ真っすぐに槍穂を見つめていた。更に両手に熱が流れ込む感覚でハタと我に返り、槍に目を戻すと、何と十字の横手から伸びていた光の帯がスルリと柄の上をスライドし、手元側に向かってくる。更に光の帯は槍本体の長さと全く同じ長さまで調整されていく。完成形は巨大な菱形手裏剣のようである。
「あー、やっぱこういうのも出来るよね」
鉄心は当然グラン・クロスを触るのは初めてなので、実験ついでの部分はどうしてもある。魔鋼鉄。以前にも軽く触れたが、魔界の金属はブラックボックスである。便宜上、鋼鉄とは呼んでいるが、人界のそれらとは全く異なる。
「外送氣のデバイスとなる横手部分も一緒に移動している。融解して再び凝固したとか、そういうプロセスを踏んではいないんだけど。ホント一体どういう構造なんだろうな」
既に鉄心はプラモデルを弄る男の子の顔だった。動いてきた横手部分に触れようとして、体を更に傾けるものだから、完全にメローディアを抱きかかえる形になったが、全く気にした様子もない。メローディアの体を抱き締めたいと考える男は沢山居ようが、(父を除けば)初めてそれをする異性が、こんな雑に、むしろ若干邪魔そうに行うなど、メローディアは予想した事もなかった。自分ばかりがドキドキして阿呆のようだ、とも思うが、この二心の無い様こそが彼女にとって居心地良いというアンビバレンス。
「痛って」
伸ばした指先が触れたらしいが、バチリと音がして弾かれた。平時は触れるが、今は臨戦態勢、気が立っているということらしい。例外もあるが、原則、ユニークは使う人間を選ぶ。持ち主の精神性なども含めた個性も選考基準なのではないかと言われている。鉄心の邪正一如などは平時ですら結構な確率で他人を拒否する。いまメローディアに見せているような慈愛に満ちた父性と、人を苦しめる術(ハゲ呪術など)へのサイコパス的執着が無理なく併存できないといけないのかも知れない。
「ははは。やっぱ光臨状態を触ると嫌がりますね」
「……鉄心の氣を流し込んでるのに」
「まあ、今のはメロディ様の手にも刺激を与えているような状態ですから、自然とアナタの氣も混じっていたハズで……言うなら二人の子供みたいな」
「子供!?」
「あ、いや、ちょっと例えが悪かったですかね」
言いながら鉄心は体を離す。光臨も掻き消えてしまった。十字の横手は元あった場所に戻っていた。夢の時間は終わりとばかりに、メローディアの思考も正常に動き出す。動き出したが、処理しきれない。光臨槍が見れた、しかも自分もそれに携われたという絶大な喜びからも覚めやらぬのに、母の現役時代でも見たことがなかった手裏剣のような変形体への驚愕。色んな事を考え、感覚を忘れないうちに自分の中に消化しないといけないのに、気が付けば、この卓越した技術を持つコーチの横顔へ視線が吸い寄せられて仕方が無いのだった。顔立ちは平凡ながら、強者にして求道者だけが持ち得る凛々しさが漂う横顔。
「美しい」
メローディアは誰にも聞こえないよう小さく呟いた。




