第18話:決闘の後に
再び時間は戻り、鉄心とメローディア。
それぞれ位置について正対した。鉄心は結局二刀を出していない。メローディアの方は、大布を取り払い、ギターケースよりも大きな箱を開け、十字槍を手にする。幾度も魔族の血を吸ってきた槍穂は、光沢こそ鈍いがよく手入れされているらしく、刃には歴戦の鋭さが宿っている。例えるなら中世から受け継いできた格調高い銀食器。
「携帯のアラームを一分後にセットしました。それを開始の合図としましょう」
携帯は二人から少し離れた木陰に置いた。
両者、相手を見据える。メローディアは二メートル近い槍の柄を両手で持ち、中腰の姿勢を取る。鉄心は自然体でただ立っているだけ。念のため、左手の裾中に小型化した聖刀を隠し持ってはいるが、邪刀の方は背中側のベルトに差したままである。
40秒経過、50秒経過……メローディアは膝が震えそうな自分を自覚していた。隙がない。隙だらけのような立ち方なのに、突けば柳、斬れば水、捉えられるビジョンが一ミリも見えてこない。唾を飲む。喉がカラカラだった。
ピピピピピピ。電子音が鳴り響く。
瞬間動いたのは、まさかの鉄心の方だった。睨み合いで消耗させることも、シールダーお得意のカウンターを狙うこともなく、電光石火のように駆けた。意表を突かれたメローディアだったが、懐に入られる前に、槍の柄を手繰り、リーチを短く調整、突きあげるように鉄心の胸を狙った。サイドに逃げても十字槍の特性上、横の穂先が斬りつける。盾を展開し受けるしかないハズ。
(そこで彼の突進は一度止まる!)
だがそうはならなかった。突き出した槍が捉える前に鉄心の身がカクンと沈む。左腕を頭の上に掲げ、匣を展開、そのまま槍の穂先はその天面を滑り、遙か斜め上を突いた。体が浮き上がるような感覚と、跳ね上げられるのに釣られて視線まで上がり、真っ赤な太陽が見えた時に、メローディアは否応なく敗北を悟った。
慌てて彼女が視線を下げた時には、その一瞬の間に、鉄心の顔は目の前にあった。槍は跳ね上げられたまま、柄の中ほどを掴まれ、そこより先の柄部分が彼の左肩に乗って固定されていた。そして右手の人差し指と中指を束ねた二本を手刀のようにしてメローディアの首筋に当てられている。彼女が両手で持っている槍は、彼の左手一本で制されピクリとも動かせない。
「……参りました」
その言葉を聞くと、鉄心は力を緩め、大きく数歩下がり「ありがとうございました」と頭を下げた。慌ててメローディアもそれに倣う。地面を見ながら考える。悔しさは殆どなかった。自分の得意な間合いから始めさせてもらって、彼は実質左腕だけで戦い、開始10秒ともたなかった。清々しいほどの完敗だった。
それではまた明日、と挨拶もそこそこに去ろうとする鉄心だったが、追い縋るのはメローディア。鉄心の腕に絡みつくようにして、引き留める。淑女の振る舞いだとか、そういった事は頭から抜け落ちていた。必死だった。慎ましやかな胸の膨らみを腕に感じながら、鉄心は、
(この二日だけで何人の女の子の胸を堪能できたんだろう。高校って凄いな)
などと益体の無いことを考えながら、更なる面倒を頼まれそうな現実から逃避していた。
「何か、気付いたこと。何でもいいの。お願い」
鬼気迫る。彼という灯台を逃せば、再び地図のないまま暗い大海原へ、ひとりで漕ぎ出さなくてはいけない。もう限界だ。心が折れてしまう。
「わ、わかりました。わかりましたから。ただ今日はもう遅い。お家の人も心配されるでしょう」
「問題ないわ。私が当主なのだから。良くも悪くも自由に出来てしまうの」
心配してくれる親はもう居ない。年配の侍女の中には娘のように大切にしてくれる者も居るが、それでも最終的にあらゆる事を決めるのはメローディアである。彼女がどうしても必要な用事で遅くなったと言えば、誰も何も言えない。
「ちょ、ちょっと落ち着いて下さい。そろそろ完全下校時刻でしょ。明日にしましょう」
もはや二人は抱き合うようになっている。ただ鉄心も既におっぱいがどうとか言っていられるような心境ではなく、地獄に垂らされた蜘蛛の糸を掴んだ者に更にしがみつく餓者のようで、恐ろしさが勝った。病みかけているとさえ感じた。
「何か用事でもあるの?」
「ハゲ……あ、いや、何も無いですけど」
「良かった。だったらウチへ招待するわ。そらなら時間を気にする必要も無いでしょう?」
メローディアはそれだけ捲し立てると、カバンから携帯を取り出し、どこかへとコールする。鉄心の返事も、気持ちも聞いていない。実際に矛を交えてハイになっているというのも幾らかあるのだろうが、やはり焦燥感に衝き動かされている印象だ。
(母親が死んで四年、もしかすると誰にも師事できなかったのか)
まだ中学生の少女が莫大な遺産や地位を受け継いだ。取り入ろうとする者、良いように操ろうとする者、そういう連中は後を絶たなかった。信の置ける侍従が追い払ったものの、人格的にも能力的にも「これは」と思えるような人はついぞ現れなかった。いや、居ることは居たが、そういう人たちは賢いのだ。詳しくもない他家のユニークについて軽々に指導できますなどと名乗り出るワケがない。結果できませんでしたなんて事になったら家名に傷がつくのに、わざわざそんなリスクを取る意義が皆無だからだ。つまりどこの家の誰それが指導に就いたとすぐに分かってしまう貴族社会の人間に頼るのは難しい。外の人間が適役なのだが、そうすると先に述べた良からぬ企みを抱いた有象無象にもチャンスを与えてしまいかねない。八方塞がりの状況に現れたのが、他国の超武闘派集団、平良の兵が一人、薊鉄心だったというワケだ。
そこら辺の事情を、メローディアが呼んだ迎えの車の後部座席に座りながら(結局逃げ切れず拉致されたのだ)彼女自らが話してくれる。
「ごめんなさい。アナタには関係のないことだったのに、無理を言ってしまって」
「無理言うとか、そういうレベルでもなかったですけどね。拒否権無い感じでしたよ」
「……ごめんなさい」
蜘蛛の糸、なんて鉄心の直感は、割と大袈裟でもなかった。彼女の事情を詳しく聞けば、なおのことそう思う。
「でも……アナタにはあまり時間も無いのでしょう?」
チラリと運転席の方に視線をやってから、メローディアが言う。鉄心にはゲート出現までしか自由な時間は無く、その後は次の任地へ旅立ってしまうという事情がある。それをボカして、運転手に悟らせないような配慮が出来るくらいには冷静さを取り戻したようだ。鉄心の拉致に成功したからこそだろうが。
「一日も無駄に出来ない。吸収できるものは何でも、ということですか」
「……ごめんなさい」
またも謝罪。当然ながら、それはメローディア側の勝手な事情だからだ。
「もちろん、講師を受けて頂けるのなら十分な謝礼をお支払いするわ」
財産家のシャックス家の謝礼となれば、かなりの額が見込めそうだが、鉄心にはイマイチ響いていないようだった。明言を避けたまま、「取り敢えずお宅に着いてから話しましょう」とだけ答えた。
そのお宅は、意外にも近代建築そのものだった。RC造の二階建て。陸屋根の平べったい、しかし軒の長さが敷地面積の大きさを物語る、長方形の家屋だ。白を基調とした壁色だが、ガラス張りの大窓が幾つもあり、そこからオレンジの光が漏れて、秋の夜に浮かぶランタンのようだった。
(ロココだとかバロックだとか、もっと歴史のある様式かと思えば)
顔に出ていたらしく、クスリと微笑んで、メローディアが先んじて疑問に答えてくれる。
「驚いたでしょう。古い、歴史ある邸宅は、国に寄贈してしまったの。多分アナタが想像したようなのは、あっちね。こちらは母を亡くした後に建てたものよ」
「なるほど。そういう事情だったんですか」
「……思い出のある館だったから、そのまま住むことも考えたんだけど、そこかしこに母の面影が見えるようで、逆に辛くて」
広い前庭を歩くメローディア。その背中についていく鉄心からは彼女の表情は窺えない。
やがて玄関口が見えた。黒のメイド服に白いエプロンを着けた女性が四人ほど、並んで待ち構えていた。近代建築には少しそぐわない。ちなみに洋館を手放すときに侍従の服も替えようとしたのだが、代替案のユニフォームが「可愛くない」との反対を受け、少しの紛糾の後、据え置きとなった経緯がある。
「お帰りなさいませ」
侍従たちは声を揃えて挨拶をすると、小さく頭を下げ、主を迎え入れる。メローディアは手近の一人にカバンだけ預け(グラン・クロスは家人であっても触らせないのだろう)後ろから来る鉄心を振り返った。それに呼応するように侍従たちも鉄心を見とめ、主にするのと同じように頭を下げた。
「コーチのアザミ様ですね。ようこそお越し下さいました」
年配の侍従長らしき女性が挨拶をすると、それに続いて他の者たちも「ようこそ」と復唱した。
(……なんか既にコーチにされてるんだが)
もはや苦笑も出てこないが、ここまで来て帰るわけにもいかず、案内に従って鉄心はシャックス邸に足を踏み入れた。




