第17話:決闘の前に
「何て言うか、創作物で見るヤツはもっとベチーンってやりません?」
「嫌いな相手なら、そうなるかも知れないわね。でも私は別にアナタのこと嫌いではないし、むしろうちのクラスでは一番良い印象よ」
それは貴族クラスの評価が低いのか、鉄心の評価が高いのか、判断に窮する所だ。
「なら決闘自体思い直していただきたいのですが」
「ダメよ。決闘という体裁はないと、教職員に見つかったら罰せられるわ」
学園では許可なき魔導具の使用は原則禁止である。許可が下りるのは、授業での使用、正当な決闘手順を踏んでの使用、そして正当防衛時の使用のみである。つまり昨日のイザベラと鉄心の一件は、イザベラが決闘手順を踏んでいれば、魔導具の無断使用を咎められることはなかったのだが、今は割愛。
「そういうことじゃないんですが……本気なんですね」
首肯するメローディア。「強くなりたいの」と掠れるような小さな声だったが、鉄心の耳にも届いた。裏庭の樹に立てかけてあった、大きな布に包まれた得物を取りに行く。グラン・クロスだろう。聞けば模擬戦ではフェア精神から使わず、学園の個人ロッカーに入れていたらしい。相棒であると共に貴重な品でもあるが、毎日持って来ているらしい。鉄心は「常在戦場。良い心がけです」と自然に褒めてしまい、流石に偉そうだったかと思ったが、まるで幼い少女のようにはにかんで笑ったのが印象的だった。武の道で先達に褒められるという経験が極端に少ないのかも知れない。
(いきなり可愛くなるのはズルでしょ)
クール系の超絶美人だが、あどけなく笑うと途端に可愛らしくなる。美人は三日で飽きるとかいう格言があるが、アレは嘘だと鉄心は今ハッキリ理解した。残念ながらあと三日くらいしか見られないのも事実だが。
何にせよ、この鉄心に何のメリットもない手合わせを、熱意と美貌に屈する形で、承諾する。だが始める前に……
「出歯亀を片付けますか」
「え?」
鉄心が天を仰ぐ。つられてメローディアも首を曲げる。すると三階の窓から下を覗いていた何者かが、慌てて身を引っ込めるのが視界の端で捉えられた。たちまちメローディアが渋面を作る。
「あまり仲がよろしくないので?」
「……ええ。しつこく言い寄ってくるのよね。立場も弁えず」
ハッキリと顔にも声にも嫌悪が滲んでいる。
「クーパー伯爵って言うと」
「ええ。父の実家よ。アレは父の弟の三男。つまり従兄弟に当たるわね」
そう言われてみれば、両者はかなり似ている。美しいブロンドの髪に、非常に整った目鼻立ち。
「どうするつもり?」
「うーん。二階くらいだと気付かれると思って三階まで上がったんでしょうが、かなり距離もありますし、小声で話していたことも考慮すると、聞こえていた可能性はかなり低いでしょうね」
現に身を乗り出し、耳の後ろに庇を作るようにしていたのも、何とか少しでも音が拾えないかという悪足掻きからだろう。
まあそれでも本当は今すぐ口封じに殺しておくのが正解だろうとは鉄心も思うのだが、目の前の少女にそれを知られたら、どう動くかが未知数だった。
(なんか潔癖そうだもんな。そんな簡単に命を奪ってはいけません、とかそういう通り一遍なこと平気で言いそう。それに口ではああ言っても、従兄弟の情はあるかもしれない)
邪魔をされたり、警察に通報されたら厄介極まりない。一度大きく溜息を吐いて、
「放っておきましょう。一目散に逃げて行きましたし、流石にもう覗きに戻っては来ないでしょう」
と締めくくった。
時は少し遡って、放課から十分経った頃。ロレンゾ・クーパーは屋上に居た。着替えもまだのようで、体操着姿のままだった。万が一にも鉄心とメローディアの会合を見逃すワケにはいかず、教室に戻らず直接屋上に来たためだ。目を皿のようにして、一階の正面玄関口から吐き出されてくる生徒たちを見ていた。メローディアなら後ろ姿でもすぐに分かる自信がある。何度も何度も見つめてきた背中だ。
もうそろそろ十五分ほどになる。ロレンゾの頭に不安がよぎる。まさか空き教室などを使って密会しているのではないか。今すぐ校舎に戻り、探すべきか。だがまだ三階の平民クラスは帰りのホームルームをしている頃合。見咎められるとマズイ。
「クソ! また平民か」
そう吐き捨てながら、彼が思い浮かべるのは薊鉄心の顔だ。平均的な東洋人の顔立ち。取るに足らないシールダー。クラスのサンドバッグとして招かれる平民身分。何一つとして、ロレンゾが気に掛ける要素など無かったハズなのに。今や悔しさのあまり噛んだ唇から出血せん勢いだ。
<パパやママに泣きつく時に同情アピールしやすいってことかな?>
先程、嘲笑を含みながら言われた侮辱の言葉を思い出す。頭の中に唐辛子でもブチ込まれたのかと思うほどの熱が体中を支配する。この年頃の少年にとって、親の力に頼りきりという事実を愚弄されることは自尊心を酷く傷つける。貴族であってもそういう機微は変わらないらしい。
と、そこで。屋上の鉄柵越しに、金色の美しい髪を見つけた。夕日に照らされ、ラメでも入っているかのようにキラキラと輝いている。ああ、とロレンゾの口から感嘆の声が漏れる。自分と同じ高貴なる黄金。やはり自分に釣り合う相手は、あの麗しき従姉妹を置いて他に居ない。もちろん髪だけじゃない。顔の造形も、溜息が出るほどの美しさだ。自分と彼女、高貴な血を引く者たちの中でも、とりわけ美しい二人は神が手ずから作られたのだろうとさえ、本気で思っていた。ならばその二人で番となり、神の寵愛を連綿繋いでいくのが使命だろうと。更に彼女は強さも兼ね備えている。英雄エリダの一人娘にして、彼女のユニークも受け継いだ才媛。ユニーク自体は古ぼけていて小汚いので彼としては審美眼に合わないのだが、他の貴族たちが褒めそやすので、それも我が事のように誇らしく感じていた。
「僕の……僕の妻になる人だ」
ジットリとした視線を上から送られているなどとは気付かずに、メローディアは校舎を半周し、やがて裏庭に辿り着いた。華のような彼女にはとても似つかわしくない場所だ。目を凝らせば近くに黒い煤の塊のような物まで散らばっていた。一体どこの愚か者が廃棄したのか。
「薊。来たのか」
公爵閣下を待たせているというのに、悪びれた様子もなく、のんびりと歩いている。この一事を以て万死に値する不敬である。ロレンゾは咄嗟に屋上を見回してしまう。植木鉢でもあったなら、上から落として脳天をカチ割ってやろうかと、半ば本気で考えたのだ。生憎と屋上には何も無かったが。
少しの間、話し込み、不意にメローディアが笑った。月下美人の蕾が花開いたようだった。またもロレンゾの頭の中が沸騰する。
(あんな楽しそうな笑顔、僕は見たことがないぞ)
それはそうだろう。何せ、ロレンゾ含めた腐敗貴族の陰口で盛り上がっているのだから。だがそんなこと知る由もない彼は、嫉妬で気が狂いそうだった。
「何を、何を話しているんだ?」
屋上の鉄扉を開け、フラフラと三階へ下りる。平民クラスのホームルームも終わり、既に全員下校した後だった。だが今の茹った頭ではそんな事を考えている余裕もなく、ただシンと静まり返る廊下を好都合に思い、窓際まで寄った。窓を開けると秋風が吹き込んだ。だがそれでもロレンゾの頭は冷えず、貴族にあるまじき下世話な行為を始めてしまう。即ち盗み聞き。だが距離があって中々聞こえてこない。
そのうち、ヒートアップしたのはメローディアの方で(これほど感情を乱されている彼女を見るのも初めてで、それがまた彼の嫉妬を掻き立てた)、どことなく面倒そうな表情が鉄心の方だった。メローディアとロレンゾが話している時とは真逆である。嫉妬の炎は延焼に延焼を重ね、今や胸の内は大火事だった。
しかし、気付けばメローディアはカバンに手を入れ、鉄心へ手袋を投げつけているではないか。
(はは。馬鹿が。怒らせやがった)
ロレンゾがこんなに遠くから見ているだけでも分かるほど無礼な態度、いくら温厚なメローディアでも堪忍袋の緒が切れるというもの。
(ギタギタにされてしまえ)
と昏い期待を抱いたところで、様子がおかしいことに気付く。決闘のハズが、どうも両者和やかに話している。どうなっている。どうにか聞こえないものか。更に身を乗り出そうかとした所で、鉄心の顔が上を向き、ロレンゾを捉えた。ついでメローディアとも一瞬目が合った気がするが、確認する前に体ごと窓枠から飛びのいた。
(マズイ。こんな真似していたのがバレたら、メローディア様に嫌われてしまう)
階段を駆け下り、一目散に校門の外まで逃げていた。待たせていた送迎車の後部座席に転がり込むと、すぐに発進するよう運転手へ告げた。
やがて学校が見えなくなるほど離れた所で、ロレンゾは深く息を吐いた。
同時に、御しがたい怒りが湧いてきた。コソ泥のような真似をさせられた屈辱。模擬戦での目論見を破られた屈辱。そして何より自分の想い人からの、自分が何年もかけて積み上げてきた好感(ただの彼の思い込みでそんな物はハナから無いのだが)をたった一日で上回られた屈辱。
「あざみぃ……」
ミラー越しに一瞬目が合った運転手が、その鬼の形相に慌てて視線を逸らすのだった。




