第161話:英雄の覚悟
その男性はずっと外に出して欲しいと訴えていた。娘が持病の発作を起こしたと言うのだ。彼の他にも出してくれと叫ぶ者は沢山居たが、自分本位ではない彼の悲痛な声が、美羽には一等堪えていたのだ。出して病院に連れて行った方が良いのか。だが自分がここを離れるワケにはいかない。代わりに付き添える人員もいない。彼女の迷いと葛藤はずっと、澱のように心の奥底に蓄積されていたのだ。出すべきかも知れない。そう一片でも思っていた箇所から、綻んでしまったのだろう。技とは畢竟、心である。
「メロディ様!」
「ええ!」
皆まで言わずとも、以心伝心。メローディアは風のように駆ける。この場に動くものは彼女と、飛び出した親子のみ。チーターたちも本能に従い、敵わないメローディアではなく、親子の方に照準を合わせている。
「させない!」
一、二、三と。槍を繰り出すたび、屍が増えていく。
(あと五体!)
後ろから挟み撃ちをされないよう、周囲の気配にも神経を尖らせているが、ここに更に寄ってくる個体は居ない様子。これ幸い、とメローディアが槍を持つ手に改めて力を込めた、その時。
「た、助けてくれ!!」
微かに聞こえた声に、反射的にそちらを向く。そこには、貴賓席の窓ガラスに体当たりを繰り返すチーターの一団。そして大きなヒビが入った窓の向こう、小太りの斑ハゲ。腰が抜けているのか、絨毯の上に尻餅をついて、震える両手を何とか後ろに突っ張った体勢でいる。
(ウィリー王弟!)
もうあのガラスは一分ともたないだろう。メローディアの動きが一瞬止まる。恐らく距離的に、彼と親子、どちらかしか助けられない。命の選択をしなくてはならない。
大きな音を立て、ガラスが割れた。メローディアの葛藤を、魔族は待ってくれない。王弟を見て、次いで親子を見て……
「メローディア! 私だ! 私を助けろ!! 国民の替わりなどいくらでも居る!」
ウィリーの叫び声が耳に届いた。それで、彼女の心は決まった。全速力で駆ける。
「メローディア!?」
親子の傍にいる残り五体に向かって。一直線に脇目も振らず。
「はああああ!!」
金の槍は秋晴れの太陽を受け、燦然と輝く。その美しい槍身は、持ち主の裂帛の気合を乗せ、次々と超高速の突きを繰り出す。成す術もなく骸へと変えられていく十三層魔族たち。
瞬く間に殲滅を終え、メローディアは親子を振り返った。父親は娘を抱き締めたまま、覆い被さるようにして、その場にしゃがみこんでいた。
「もう大丈夫よ」
メローディアは、父親の腕の中から不安げに見つめる小さな二つの瞳を見つめ返して優しく笑った。
「アナタのお父さんはヒーローね」
言葉を続けながら、メローディアは一瞬だけ、在りし日の父と自分を幻視した。或いは一月前なら、僅かに嫉妬が混じったかも知れない。ヒーローにはなってくれなかった亡父を思って。だが今は心の底から、この勇気ある父親に守られている少女を祝福できた。その幸せが幾久しく続けば良いと。鉄心に出会い、自らも幸せを掴んだことで、知らない間に過去とも折り合いがついていたようだ。
「……お姉ちゃんもヒーローだ。金ピカのヒーロー。すっごくキレイ……」
少女はややグッタリしている。熱があるのかも知れない。だがそれでも、その瞳には眩い金が焼き付いているのだろう。メローディアは、ふっと笑った。あの日、焦がれたヒーローは現れなかったが、今、彼女自身がヒーローになっているのだ。
「ここは危ないから席に戻っておいでなさい。もう少しだから、耐えて頂戴。もうすぐ……最強のヒーローが全部やっつけてくれるから」
「そうなの? お姉ちゃんよりも強いの?」
「ええ、もちろん。私の最強の夫ですもの」
メローディアは歯を見せて二カッと笑う。彼女にしては非常に珍しい、淑女らしからぬ笑みだった。
ウィリーはまず肩口に噛みつかれた時点で半狂乱となって、手足を無茶苦茶にバタつかせた。その拍子に絨毯の上で滑り、仰向けに倒れてしまう。そこからはとても子供に見せられる光景ではなく、メローディアは足早に二人を自席へと戻した。美羽がすぐさま匣を張り直す。声も幾らかは届きにくくなっていることを願うばかりだ。
「うわああ! あ! ああ! やめ! たすけ! ああああ!」
見捨てたメローディアへの恨み言すら吐く余裕がないのだろう。顔を、腹を、手足を食い破られていく。思わず耳を塞ぎかけたメローディアだったが、敢えてそうはしなかった。見捨てたのは自分なのだから、最後まで見届けるべきだと。
「……」
そう時間はかからなかった。10体以上からなる魔族に群がられ、貪られ、一分ほどもすれば声は聞こえなくなった。メローディアはそこで前を向き直した。きっとどんなヒーローも捨てる選択だってしているのだろう。鉄心ほどのバケモノですら、そうなのだ。メローディアは彼ほど冷酷にはなれないが、少しだけ現実と理想の狭間を抜けたような気がする。かつて九層の洞窟で鉄心から言われた、アタッカーとしての心構え、のようなものか。何かを捨ててでも何かを拾えるか。全部を拾えないのだから、必然そうなるのは頭では分かっていたが、実際にやってみて一皮むけた。有体に言えば、そういうことだろう。
「ふう」
最初に捨てるのがクズで良かった、とメローディアは思う。思ったよりは心が痛まない。ただ鉄心や、先程まで行動を共にしていた平良の二人などは、きっと善良な市民二人のうちから一人を選んで捨て、もう片方を拾うという十字架を背負いながら戦場を駆け抜けてきたハズだ。
(それは……重たすぎるわね)
やはりメローディアはそこまでの修羅にはなれそうにないと自分で思う。つまり自分は、ここら辺どまりだろうな、と。以前なら悔しくあっただろうが、今は不思議と心が凪いでいる。ただ。それでも。
「オマエは倒すわよ。お母様の仇だけは取らないと。それがケジメ」
大きな足音を立てながら徘徊するサイクロップスの眼前。宣言した。七層魔族の一つ目が彼女を捉える。おおお、と地響きのように吼えた。メローディアは一つ、美羽を見た。激励の頷きが返ってくる。少しだけ後ろを振り返り、今なお戦い続ける夫の勇姿を見た。そして彼女は、一つ大きな息を吐く。ハゲしメタルを展開し、広い輪で自分とサイクロップスを囲んだ。十三層が入らないようにする、コロシアムの用途だ。実際に戦うのはグラン・クロスの一本で。
「ゴルフィール王国、伯爵が一人、メローディア・シャックス! 亡き母エリダの四年前の無念を晴らさせてもらう!」
もちろん、エリダを討った個体とは別ではあるが、そんな野暮な指摘に意味はない。これは本人も言うようにケジメだ。或いは敵討ちであると同時に、母を超えるイニシエーションでもある。
「……ふっ!」
メローディアの体が沈む。そのまま低い姿勢で駆け出す。迎え撃つサイクロップスは、瞳に光を集め、
「速い!?」
もう撃ってきた。メローディアは転がるようにサイドステップ。間一髪躱す。美羽の匣が張られ、闘技場のステージまで伸びないように食い止めた。
「金色! 気を付けるっス! ソイツも変異種っス! ビームの予備動作がチョー短いうえ、連射が利くっス!」
ドラゴンとの交戦の合間、ローズクォーツが助言を飛ばす。
「そういうのは、もっと早くに言いなさい!」
二射目を撃たれ、またも転がりながら悪態をつく。まあメローディアがこの七層変異種を引き付けてくれたからこそ、ローズクォーツとメノウはツインヘッドドラゴンに集中でき、助言する余力が生まれたのだが。
(……近づけない。だったら)
光臨が一際の輝きを放つ。十字槍の横手が光の帯のように伸びていく。かつて、鉄心に教わった光臨の使い方。ふふ、と可憐な唇から笑いが漏れる。思えば、あの日、鉄心を家に招いてから全ては始まったのだ。光臨も恋も、母を追う道程も。懐古している場合でもないというのに、メローディアは不思議とやめられなかった。他所事を考えながら戦いに臨むなど言語道断、だろうか。横目に見ているメノウにはそうは思えなかった。教わった感覚をトレースするあまり、愛おしい記憶まで鮮明に蘇っていると捉えれば、寧ろこの上なく集中している状態かも知れない。
「ふっ」
メローディアが駆ける。猪突猛進と言われた彼女の気質そのままに。レーザーが放たれる。美羽は一瞬、匣を張るべきかと思ったが、メローディアがハゲしメタルすら使わずに戦うことを決断したその意味を考えれば、出来ようハズもなかった。愚直に、最短最速に走る。光臨の外送氣と、レーザーの衝突。メローディアの足が止まる。食いしばった奥歯がギチリと鳴った。負けるものか。その一心だった。次第に押し込み、足が前へ出る。サイクロップスの表情が驚きへと変わる。そして、
「はあああああああ!」
レーザーを切り裂いて、メローディアが敵の巨体の目前へと到達した。




