第150話:踊る噂
はあ、はあと荒い息を整えながら、鉄心はゆっくりとベッドサイドに腰掛けた。一人あたり10回の吐精。つまり20回の絶頂を果たし、一日目のノルマを終えたのだ。時刻は夜の11時15分。彼は実に半日以上、妻二人とまぐわっていた計算になる。
「干物になるな、これ」
昼食も夕食も、たっぷり摂り、タンパク質も補給した。精力増強の栄養ドリンクも二本ほど空けた。それでもなお、体の中から色んなものが抜け出て行った感覚がする鉄心。
「これをあと二日するのね……」
メローディアも息が整わないまま。全裸でベッドの上、仰向けになっている。一足先にノルマを終えた美羽(魔力譲渡の関係上、必ず美羽→メローディアの順で抱かなくてはならない)が、鉄心の下腹をウェットティッシュで拭いてやる。裸の乳房が彼の肩に触れているが、鉄芯の硬度は上がらない。打ち止めであった。
休憩中に美羽が例の本を読み進めたところ、具体的な数字が出てきたので、それを指針とした。一日10回、三日間。もう一人とも分ける場合は、その女性にも10×3で成功したという記述もあった。
「テッちゃんは干物で、私たちは胃下垂みたいになるかも」
美羽にしては品のないジョークだ、とメローディアは思ったが……実際に今しがた夫の遺伝子を注ぎ込まれた下腹に手を当てると、何となく膨らんでいるような気がしてくるのだった。しかし胃下垂というより、普通に妊婦になりそうである。
「体拭こうか……」
鉄心が洗面器と水を用意する。家中にあるペットボトルを搔き集め、大量に水を詰めて運び込んだが、三日後までもつだろうか、と一抹の不安を抱きながら。
それから30分ほどかけて、全員が自分の体を拭き終えた。濡れたタオルは椅子や机に掛け、加湿器の代わりとして再利用。やっと人心地ついた頃には、日付が変わっていた。鉄心はPCを立ち上げ、メールを確認する。メノウからは敵方に動きなしとの報告。鉄心たちが儀式をしている間は、彼が護衛として目を光らせている。まあ勿論、鉄心自身も完全に色欲に飲まれて警戒をゼロにすることはないが。また静流からのメールでは、まだダイヤモンドの巨大ゲートは探知されていないという報告。彼女にしたお願いというのが、この内部情報の漏洩なワケだが、苦悶の表情で血を吐くかのように了承してくれたという経緯がある。それほどまでに仕事に誇りを持ち、高い職業倫理観を持つ彼女に、いくら娘の将来のためとは言え、守秘義務を破らせるのは鉄心としても心苦しかった。事が終われば、自ら罪を告白し処罰を受けるつもりではないか、とは美羽の推測だが、恐らく正鵠だろう。鉄心としては、何とかして説得する所存だが。まあそこは覇権を勝ち取った後なら、いくらでも融通も利くだろう。
「あとは……オリビアさんからか」
メールを開き、文面に目を通す。最後まで読み終えると、小さく笑った。鉄心としても正直な所、オリビアを派遣しておいて何だが、請けてもらえる公算は低いと見ていた。だが……結局、最後は人の縁である。それを痛感していた。
「ありがとう。父さん。蝶ねえ」
ジーンとしている鉄心が珍しいのか、妻二人も左右からPCの画面を覗き込んでくる。全てが終わったら、彼女たちにも、自分の家族をキチンと紹介しようと、鉄心はそんな事を思うのだった。
魔界二層。再びカーマイン宅にターコイズが招かれていた。家主の本日の食事は人間の目玉を煎じてドロドロに溶かしたスープだった。ターコイズにも供されたが、一切口をつけていない。
「女王は学園の再開を決めたらしいね」
「はい。こちらにとっては好都合ですが……」
「そうだね。これで対抗戦をゴリ押し開催する大義名分が立つ」
なにせ女王自らが平常への回帰を急いでいるのだから。ならこの時期に開催される大型イベントを平常通り執り行うことで、それをサポートするという建前が通りやすくなる。
「ですがどうにも、こちらに風が吹きすぎているという気もしまして」
ウィリーが対抗戦を開き、そしてそこを暴露&糾弾の場にしようという青写真、まるでこれをアシストするかのような。
「ああ、それなんだが……どうも噂が流れているらしいんだ」
カーマインがスープ椀に口をつけ、ズズズと啜る。続きを勿体つけられているようで、ターコイズは僅かにテーブルの上に身を乗り出した。
「噂とは?」
「……ああ。なんでも女王は勇退を考えていると」
「え?」
「自分の治世で腐敗貴族の一掃が完了し、新しくクリーンな時代が来ると印象付け、対抗戦の場で自分の息子に位を譲ると発表するのではないか、と」
「そんな……どこからの情報ですか?」
「王城内で囁かれているみたいだよ。僕は王城勤めの兵士の顔を使って聞いたんだが……当然ウィリーの耳にも入っていると思う。明日にも、呼び出されるだろうね」
兵士の顔とは即ち、リードにしたのと同じやり方で盗んだ物だろう。このカーマイン、色んな顔を奪っているらしい。
「一兵卒の耳にも入るくらいの噂ということは」
「うん、かなり広まっているみたいだね」
人間のことわざに火のない所に煙は立たない、というものがあるのを二人も知っている。つまりは、そういう事であろう、と。そしてそれは半分ほど正しくて、半分ほど間違っている。鉄心がノエルにしたお願い(というか命令)は、この噂を流すことだった。あまりにウィリー側の望む通りに動くと怪しまれるだろうと考え、一計を案じたのだ。コツとしては、完全に嘘にはしないこと。即ち、ノエルは確かに対抗戦の場で退位を考えているが、王冠を譲る相手が違うのだ。
不思議なことに、こうして半分くらいファクトが混ざっている方が、噂は信憑性を持って広まりやすい。そして、
「なるほど。向こうも晴れの舞台を利用したい魂胆でしたか」
と、このように相手陣営の思考を誘導できたワケである。
「王族というのは、どいつもこいつも、見栄が大好きなんだねえ」
キキッと猿の鳴き声そのままに笑うカーマイン。
「しかしこうなると、ウチのハゲ豚さんも息巻いてるだろうから、ちょっと面倒くさそうだよね」
「……はあ」
ウィリーのお守は大抵がターコイズの仕事である。本当はローズクォーツに任せたかったのだが、彼が思う以上に彼女はポンコツ(というより人間に興味を持たなさすぎる)なようで、話でもさせた日には、恐らく秒で王弟を怒らせて余計に面倒が降りかかるだろうことは想像に難くなく。結局、ブラックオニキス同様、彼女も戦闘要員としての頭数以外には役に立ちそうにないのだった。
(もう少し賢ければ、カーマイン殿の猿真似に頼らずとも諜報活動をさせられるんだが)
そちらも望み薄。良い能力なのに、実に勿体無い、とターコイズは内心で歯噛みする。まあ彼は知らぬ事だが、おバカはおバカなりに、大好きな飼い主のためなら、諜報活動も頑張ってこなすのだが。
「それで……あの巨大なゲートは、ダイヤモンド殿の仕業ですか?」
前回、カーマインが訪れた時には無かった物だが、まさに一夜城の如く、本日それは在った。
「ああ、なんでも二十年ものらしいよ?」
ワインの寸評のような調子だ。まあ実際、長く醸成したそのゲートで、より多くの旨味を味わえるのだろうから、彼らにとってのワイン蔵のような物なのかも知れない。
「しかし、あんなに巨大では、対抗戦までに間に合わないのでは?」
実際、ゲートとは大きければ良いというものではないのだ。大きければ大きいほど移動に時間がかかるのも、小回りが利かないのも道理。さしずめ魔族を載せた運搬トラックといったところか。加えて、人間に早期探知されやすいため、全勢力をぶつけられ、コテンパンにされるケースも過去にはあった。特に七~五層あたりの魔物は、一個体ずつが強力なため、発生にも維持にも多くの想念を食う。大型ゲートがチンタラ出る頃には平良の殆どが都合をつけて集結、個体数の少ない五層のドラゴンが狩り尽くされるなんて事になれば、困るのは十傑の方である。
そういった諸々の事情を鑑みると。後からゲートの位相移動のスピードを速めたり、載せる魔族を増やしたりといった離れ業が出来る松原美羽が、やはり欲しいのだ。ちなみに、そうして利用されるのが嫌だから、先代魔王は信の置けるメノウ・サファイア以外とは没交渉を貫いたという事情があったりするが。
「まあでも。ゲートブースターの少女とまではいかずとも、ダイヤモンドもゲートのスペシャリスト。彼が二十年かけた技術の結晶。そこら辺の問題は解決できるみたいだよ」
カーマインはマグカップを指先でトントンと四度叩いた。
「四日後には間に合うそうだ。そしてその少し前にしか探知できないとも言っていたよ」
昨夜、ダイヤモンドは珍しくカーマインの住居を訪ねたかと思えば、一方的にゲートを作ったと告げたのだ。猿魔人の方が食い下がって詳しく聞いたところ、こういった情報を話したという顛末。
「なるほど……流石は二層魔族、ということですね」
ターコイズは感心するが、実際は三層サファイアによって看破されている。鉄心たちも乱獲派の能力を知らないが、彼らもまた穏健派と鉄心の力を知らない。状況は五分。未だ天秤はフラフラと揺れている。




