第149話:薊善治
「人間界の位相と重なるのは今から約四日後の対抗戦当日。恐らくは、あと二日もすれば人間の目敏いヤツにも見つけられるだろう、とサファイアは言っています」
湯呑に口をつけ、一度唇を潤して、オリビアは続ける。
「そして……はぐれゲートも約10門」
「な!? 流石にそれは……」
ガセだろうと言いかけて、善治は口をつぐむ。はぐれゲートの探知は不可能。それが定説である。が、それは人間レベルでの話ということ。あの千里眼なら、可能だ。そう鉄心をして信じさせる、卓越した能力である。
「街中に出没するだろうとの事で、平良一門に応援を要請したいのは、その対処となります」
実は、鉄心がオリビアにお願いした段階(昨日の夜)では、その予定ではなかった。平良には後詰めとしての役割を要請しようと考えていたのだ。だが今朝になり、サファイアからの報告を受け、事情が大きく変わった。
「なるほどな……だが残念ながら、今から調整して向かってもギリギリのラインじゃねえかと思う。仮に間に合っても時差ボケの頭で七層以上を相手にするのは……」
言いかけた善治を、オリビアが首を左右に振って止める。心配無用、と。そして、
「今から私が何をしても驚かないで下さい。善治さんを信頼してお見せいたしますから」
そんな前置きをした。当然、訝しむ善治の前で、オリビアはすっくと立ち上がる。スーツのポケットに手を突っ込み、中から真鍮のノブを取り出した。そしてそれを畳の上にそっと置くと。
「なっ!?」
ノブが融解したかのように、変幻自在に形を変えていく。この世のものとも思えない光景に、歴戦の古兵が瞠目する。やがてノブは扉に変わり……
「は、はぐれゲート!!」
もう長年の習慣だろう。善治は座ったまま捻転するかのように腕を振った。袖口に仕込まれている暗器、彼のユニークである幻想苦無が飛んだ。真っすぐにゲートの向こう、三層の洋館内へ。間の悪いことに、ちょうどサファイアが様子を見ようとあちらのドア口に立ったところだった。
――ブスッ!
「いてえ!?」
サメの一番弱い箇所、土手っ腹にクナイが刺さった。
「なっ!? 半魚人か!?」
善治が更にもう一本、袖口のクナイを飛ばそうかというところで、
「ストップ! ストップです! 善治さん!」
オリビアが制止にかかる。善治もそこで一旦、落ち着いた。見れば半魚人というより、サメ人間のような風体の異形。
「そのサメが三層、サファイア。鉄心と共同戦線を張っている一派のうちの一人です」
「いててて。ユニークか、これ」
引っこ抜いた幻想苦無を、しげしげ眺めるサファイア。拒絶反応があるのもお構いなし。そして前を向き直すと、
「おい、オッサン! いきなりご挨拶だな!」
プリプリと怒り出す。まあ当然ではある。ダイヤモンドの巨大ゲートの探知にオリビアの転送と、朝から八面六臂の活躍にも関わらず、褒美どころかクナイを打ち込まれているワケで。
「ああ、いや、悪い……?」
善治としても魔族に文句を言われたのも、謝ったのも初めての経験で、割と戸惑っているようだ。オリビアが軽く咳払いして、サファイアに目配せする。
「説明の一環で使ったんだ。すまなかったね。迎えはもう少し後でお願いするよ」
「なんだよ……しょうがねえな」
クナイをポンと放って返してやるサファイア。既に腹の傷は塞がりかけていた。実は腐敗貴族の子女の死体から大量に想念と肉の概念を頂いたおかげで、栄養が有り余っている状態。普段とは比べ物にならない回復速度だった。もちろん善治と彼の間に実力的な隔たりがあるというのも一因だが。
「じゃあな。あ、おい、オッサン。中々やるようだから、祭には来いよ」
それだけ言い残し、ゲートは立ち消えた。
「……三層、サファイア」
「思っていたより遙かに寛容ですよ。少なくとも三層の二人と鉄心についた四層の一人は」
オリビアも鉄心たちも、彼らを匹や体ではなく人という単位で数える。姿形は違えど、感情と知能(ローズクォーツはだいぶおバカだが)は人して見られる水準だと考えているからだ。
「なるほど……そうだな」
出会い頭にクナイを打ち込んだ相手を、怒鳴るだけで許したのだから、下手をすると人間より理性的やも知れない。
「まあそれでも、いきなり信用しろというのは難しいでしょうし、かく言う私も100%ではありません。ここは一つ、どうでしょう? 派兵の準備だけしておいて頂いて、二日経ってもサファイアの言う巨大ゲートの兆候が確認できなかった時は、賠償という形で……」
「いや、息子も絡んでいるワケだから、賠償も何もないが」
「……お請け頂けませんか?」
ちなみに報酬も当然、莫大な額を用意している(というより、鉄心がノエルに用意させている)のだが……
「俺は一線を退いた身だからな。現役の奴等に頼むことになるが……生憎と上位はほとんどが出払っている状態でね」
「それは……」
「序列の中位くらいの連中なら手の空いてる者も居るだろうが。恐らくアイツがわざわざ頼むということは、そのレベルの者達の手に負える案件ではないということだろうからな」
実際のところは、ダイヤモンドがどの層の魔族を何体呼ぶのかは不明である。蓋を開けてみるまで分からないという悪条件。これもキチンと伝えろと、鉄心から言い含められているため、オリビアはそうするが、聞かされた善治は明らかに顔が曇る。息子のことは当然、可愛く思ってはいるが、さりとて計算が全く立たない戦場に一門の者を派遣するのは承服しかねる。
「やはり厳しいでしょうか?」
「……散ったとて損害のない兵。それ以外は選択肢としては取れないだろうな」
そんな命が、この平良にあるとはオリビアには思えない。諦観に目を伏せた。湯呑の底に溜まった小さな茶葉の塊が、まんじりとも動かず、彼女を見つめ返してくる。
駄目だった場合の対処も聞いている。総力戦の戦力から一枚削るのだ。具体的にはメノウ。彼をはぐれゲート対応にあてる。常に冷静沈着で状況判断も的確、実力も申し分ないとくれば、削るのは痛手だが、やむなし。それでも、あまりに戦況不利となれば彼を戦線に戻すオプションは常に持っておく、とも。その場合は、市民にも痛みを飲んでもらうしかないワケだが……この関が原で鉄心陣営が敗北すれば、乱獲派の天下となるのだから、世界のための小さな犠牲と割り切るより他ない。
「わかりまし」
「だから、俺が行こう」
「え!?」
了承を伝えかけたオリビアに、被せるように善治が言い放った。
「しかし善治さんは、もう……」
次男坊を喪って急激に老いたと、常々周囲に言っているのは他ならぬ本人である。体はピンシャンしているものの、気力が枯れたのだと、鉄心も言っていた。そして実戦からは四年近く離れている状態。トレーニングは継続しているようだが、実戦勘というものは如何ともしがたいハズ。無茶だ、と言いかけたオリビアは、しかし彼の目を見て口をつぐんだ。ゾッとするほどに鉄心そっくりだった。任務の前に見せる瞳、そのものだった。
「……」
超一流のアタッカーとは、かくも頑強なのか、と。まるで神木のようではないか、と。オリビアは総毛立つ。
「仕方ないだろう。子供がやりてえって言うんだから、親が座ってられるかよ」
習い事でも許すような口ぶりだが、その珠の三男坊のやりてえ事はスケールが違うのだ。だがそのスケールに目の前の善治もついていっている。世界を獲る、その手助けを仕方なしでやってやるそうだ。
(知ってはいたが、子が子なら親も十分にバケモノだな)
枯れたとは何だったのか。爛々と輝く瞳は、オリビアの会社の若いアタッカー連中全員を束ねても、足元にも及ばないほどの気力を感じさせるものだった。
と、そこで。
「善治さん……お一人で行かれるつもりですか?」
突然、襖の向こうから声が掛かった。オリビアは勿論、善治も驚いて肩を跳ねさせていた。話に夢中だったとは言え、彼ですら気配を感じ取れないほどの実力者。ただ善治は声で気付いたらしく、
「蝶蘭……起きていて良いのか?」
気遣わしげに眉をハの字にする。
「ええ。ここ数日、すこぶる良いのです」
声の主は、ススッと襖を開け、三つ指をついて平伏した。その所作には気品があった。
「まずはケーヒル様。盗み聞きのような形になってしまい、申し訳ありませんでした」
「え、あ、いえ」
顔を上げた蝶蘭。淡雪のように白い、いや白すぎる肌に、少し血色の悪い唇。頬もこけており、全体的な風貌は、病人のそれだった。健康的な肉付きになれば美人であろうとは思われるが。
平良蝶蘭。序列八位に位置する女性、とオリビアの脳内データにもある。鉄心すら師事したという天賦の才と、ガラスの躰。彼女を評する時、病さえなければ、とは誰もが口を揃えていう言葉だ。
「失礼ついでに、厚顔を承知でお願い申し上げます。ケーヒル様。ワタクシもお祭に参加したく存じます」
「な、ならん! キミの体では……」
善治が慌てて止める。だが蝶蘭は意に介した様子もなく。
「善治さん? ワタクシとて可愛いテツの大一番というのですから、姉として力を貸してやりたいのです」
「いや、しかし」
「沙織さんに言いつけますよ?」
「ぐっ!」
そのような事になれば小言では済まない。引退の折に、二度と戦場に立たないと誓約書まで書かされているのだ。いかに息子のためとはいえ、落雷は免れない。
「……」
「決まりですね」
蝶蘭はニッコリ笑った。




