第148話:オリビアと平良
儀式を行う部屋は、あえて誰の部屋でもない空き室とした。そこへ鉄心が中サイズの冷凍庫を運び込み、三人分の冷凍ミールと鶏もも肉を詰め込んだ。メローディアは清拭用のタオルや水桶、ペットボトルなどを運び込んでくる。また美羽は持ち込んだ書籍(先代の家から帯出している)のうち、一冊を開き、最終確認。儀式の場として機能するよう、部屋を作り替えるのだ。と言っても大仰なことではなく、ドア、窓といった出口になるような箇所に呪いを施すだけ。小さな果物ナイフで指先を切ると、自らの血で目玉を描いていく。奇しくも美羽自身の魔力を封じ込めていた、あの胸の印に酷似している。ドアの木板、更にドア枠の四隅、窓ガラスの上、そして窓枠の四隅。次々と描いていく。全ての目玉は、部屋の中央、キングサイズのベッドを見つめるように。気味が悪いとメローディアは思ったが、妹分の血なので、口に出すことはなかった。
「……儀式を始めたら、三日三晩出られないって事だったよね?」
「うん。密室で、魔力の漏洩も起こさないように、封じをして」
ドアと窓を順に指さす美羽。
「あとは電子レンジと……救急箱と」
「救急箱はもう持って来てますよ。美羽ちゃんの手当てをしてあげないと」
「あ、そうだったわね。そっちは私がやっておくわ。鉄心はレンジをお願い」
「あと蓋つきのゴミ箱とゴミ袋も。虫が湧いたりしたら嫌だから」
てんやわんやの準備不足。まあ急な話だったので仕方ない。
「タイマーも持ってこようか。九層の洞窟に潜った時のが、まだあるよ」
あー、と妻二人。なんだか遠い昔のようにすら感じられるが、実際は先週くらいの話である。そう言えば、とメローディア。
「……あの時の感じにも似てるわね。暗中模索、時間の制限もある中、全員で荷造りして泊まり込み」
「あはは。そう言われれば。さしずめ俺たちだけの修学旅行ってところですか」
「ええ? 嫌だよ、そんな物騒な修学旅行。今から第二回が始まるけどさ」
三人で苦笑を交わし合う。
「ただあの時と違うのは……」
「私たちの恋は実って……三人、あの頃と比じゃないくらい強い絆がある」
そして、それを永遠にするために。倒さなくてはならない相手を迎え撃つ。
「必ず勝って、帰ったら式を挙げよう。ゴルフィールと日本で」
二人の妻と二回の式。或いはそれは戴冠式と同時となるかも知れない。もはや、この戦いの勝者は魔界と人間界、両方を手にすることになるのだから。
オリビア・ケーヒルが平良の屋敷に入って十五分。通された応接間。座布団の上に座り、来客用の緑茶に軽く口をつけ、ただひたすら待っていた。時差は約八時間半。ゴルフィールの10時は、日本の18時30分である。
「ふう」
さしものオリビアも、世界最高戦力を抱える一門の総本山に一人で居るのは落ち着かないようだ。腕時計を見たり、座布団の位置を調整してみたり。そんな事をしているうち、障子の向こうから声が掛かった。
「ケーヒル女史。入ってもよろしいか?」
低く太い声。オリビアも知っている相手だった。少しだけ肩の力が抜け、どうぞと返す。障子を開いて姿を現したのは年嵩の男。短く整えられた髪に、息子と同じく、どこか人の印象に残りにくい薄めの顔立ち。それでいて筋骨隆々の体はスーツを中から押し上げるよう。
「善治さん……ご無沙汰しております」
オリビアが立ち上がり、深くお辞儀をした。頭を下げられた薊善治は好々爺然とした笑みを浮かべ、
「一年ぶり、くらいかな。いつも息子がご迷惑をおかけして申し訳ない」
こちらも頭を下げ、オリビアの対面に着席する。
「あ、いえ。そんな……」
そんなことはない、と言いたかったが、どう考えても無理があった。まあ掛けられる迷惑<圧倒的なアウトプットとなっているので、目をつぶるしかないワケだが。
「して……本日は?」
「まずはアポイント無しでのご訪問、ご無礼いたしました」
そう、時間的猶予がなく、ぶっつけで来訪したのだった。本当は事前に話を通して、頭領の平良清澄と会うのが筋だったが、やむなしである。生憎、先約があり、そちらで会食中とのこと。無礼者をあしらう方便か、ファクトかは分からないが。
「構わないよ。アイツから十傑と争っているとは聞いているからね。これだけ急な訪問となると、その関連だろう?」
「はい……」
話が早くて助かる。だが。
オリビアは障子と襖に囲まれた純和風の室内を見回す。その意図を正しく察した善治は苦笑。
「流石に平良の本丸に忍び込んで盗聴器を仕掛けられるような手練れは居ない。安心して話して欲しい」
それもそうだ、とオリビアも気を取り直す。そして切り出した。
「実は、ご子息、鉄心なのですが……現在、十傑同士の抗争の中心にいます」
「ふむ……」
一体討ったとは聞いているが、そこまで矢面に立った状態なのか、と。
「仲間内の抗争ということか?」
オリビアは一つ首肯して、詳しい説明を始めた。十傑は一枚岩とは程遠く、互いに顔すら知らないのがデフォルト。鉄心が娶った少女は十傑にとって冠に等しく、手にした勢力が魔界を、いやひいては人間界を含めた全てを統べると同義であること。そして抗争は最終段階に入っており、およそ四日後に控えるゴルフィール全王立高校対抗戦において両陣営が激突すること。そこまでを一気に話し終えた。余人ならば妄想か何かかと一笑に付すような内容だが、善治はアゴに手を当てたまま内容の消化に努めていた。退いたとはいえ、かつての平良の上位序列者。嗅覚は衰えていないのだろう。全て真実であると飲み込んでいた。しかもその上で、
「なぜ魔族が人間の大会に干渉できる? そもそもそんな情報をどうして知り得た? 内通者でも居るのか?」
オリビアが話さなかった部分にも切り込んでくる。元より出し惜しみするつもりもなかった女史だが、善治の流石の冷静さに内心で舌を巻く。
「中心、と言ったな? もしかして鉄心が抗争を主導しているのか?」
当たらずとも遠からず。オリビアは両手を耳の辺りまで挙げて、降参のポーズ。全てお伝えしますという意思表示だ。
「まずは内通者という話ですが……内通と言うより、片側の陣営と鉄心は現在、同盟関係にあるのです」
今度は流石の善治も驚き、口を半開きにしてしまった。彼も大戦期に四層と相まみえたことがあるし、先代頭領などは、一体退けている。つまり平良は連中の知能レベルも多少なり知っているが、同盟など組めたものだろうか、と。顔に出ていたようで、オリビアが微苦笑。
「鉄心……並びに私たちの陣営は三層の二人と組んでいるんです。知能レベルで言えば、もはや我々と変わりませんよ。とても建設的な話し合いが出来ます」
善治は胡乱げな瞳になるが、それでも頭ごなしに有り得ないと否定することはなかった。
「……三層、か。一体討ったと聞いているが?」
「はい。その一体、アメジストは鉄心が討伐しましたが、残りの二人とは袂を分かっていたようなのです」
「……」
それもその残存の二体がテキトーを言っている可能性もあるのでは、と言いたげな様子の善治。まあ確かに、彼らと実際に話したことがなければ、当然の警戒ではある。オリビアは一つ、すうっと息を吸った。脳裏に美羽の笑顔が浮かぶ。
「実は……こちらは魔王を押さえているのです」
更に踏み込んだ話をする。そこからは海千山千の薊善治をして、圧倒されっぱなしの内容だった。息子の花嫁が魔王であること。彼女を守るために残りの敵対派の十傑を皆殺しにしようと計画していること。そのついでに世界を獲ってしまいそうなこと。自分の耳か、オリビアの正気を疑ってしまいそうになるのを、善治は理性の力で何とか抑えつけて最後まで聞いたのだった。
「いやはや。俺もこの道かなり長いが……何も知らなかったに等しいな」
「それは、私も全く同感です。魔王とはもっと恐ろしい者だと信じて疑うこともありませんでしたから」
然りと頷いた善治は、急須を傾け、自分とオリビアの分の茶を注ぎ足した。
「……それで、この平良にアイツは何を望んで、アナタを派遣したのか」
「はい。実は……対抗戦の日、ゴルフィールに史上最大のゲートが現れるのです」
「な……そんな報告は和奏からも入っていないが」
平良和奏。一門の史上最高とまで言われる探知能力を有する少女だ。その彼女が、そんな大きなゲートを見逃すハズがない。
「いえ、確かに現れます。魔界二層より、人間界の位相までのルート軌道に今朝の八時頃に乗っています」
日本時間だと16時半頃の出来事だ。そして現在が18時半過ぎ。二時間経って和奏が探知できないとは、善治には信じがたい。が、
「恐らく二層魔族のうち、一体が手ずから作ったゲートなのでしょう。並の、いえ人間レベルではまだ観測できないとのことです」
「人間レベル……」
それが意味するところは、即ち。
「三層魔族サファイアが感知したものです」
「なるほど……そのサファイアとやらはケーヒルさんから見て、信用できるのか?」
善治は、サファイアと二層が共謀して撹乱している可能性もあるのではないか、と危惧しているようだ。
「……鉄心が気に入っていますね」
「ああ、なら大丈夫か。了解だ」
親バカなどではなく、鉄心の戦士としての嗅覚を信頼しての判断だった。




