第146話:サイコパス郵便
サリー・マクダウェル教諭はPCの画面を見て、数瞬固まってしまった。教員用の連絡網を通じて、二日後から学園を再開する旨の通達が届いていたのだ。
「早過ぎる……」
まだ生徒たちのショックは癒えていないハズだ。もちろん腐敗貴族の子女が好かれていたとは思えないが、それでも同じ教室で机を並べ授業を聞いていたクラスメイトが二十人から居なくなったのだから、動揺は少なくないに決まっている。また六高のみに留まらず、他の高校に通う彼らの兄弟姉妹も、親の逮捕や家の没落で学校どころではない状況。時期尚早としか言いようがない。それがサリーの第一感であった。
「……」
そして彼女自身も未だ、生徒の大量失踪(否、鉄心の様子からいって大量死)に関して、心の整理がついていない。二日後、大量の空席のある貴族クラスの教室を、教壇の上から見たとき、自分の胸に去来する感情は何だろうか。それすら想像できない。鉄心からすると、「あのような者達」なのだが、サリーからすると、「あのようであっても生徒」なのだ。戦場あがりのアタッカーと同じような早い見切りは出来ない。先生おはよう、と笑いかけてくれた女子生徒もいて、その笑顔は今も思い出せる。
だが同時に、鉄心に関しても血も涙もない悪魔とまでは思っていない。血も涙もある悪魔だからこそ、一等ヤバいとも言えるが。怪我をした田中たちをお見舞いした際、聞かされた事情。自由恋愛の末に結ばれたメローディアと鉄心、それが気に入らないとして罠を巡らせ、か弱いサポートクラスの生徒たちまで傷つけた。それは断じて許される行為ではなく、根底にあるのは選民思想だ。美しく高貴なメローディアが平民と恋に落ちるなど、あってはならない、と。また美羽に対してもお門違いな私怨を募らせ、非道を行おうとしていたのも、彼女を同じ人間として認識していないからこそで。鉄心の逆鱗に触れるのは必定だった。だから、
「私がどこかでセーブをかけてあげなくちゃいけなかった……」
彼が超弩級の危険人物だと自分は知っていたのだから。とはいえ、鉄心の正体を明かさないまま、注意喚起したところで、彼らはサリーの言う事を聞かなかっただろう。そもそも、自分たちの子飼のアタッカーを担任として捻じ込んでサリーを締め出してしまった時点で、彼女がどうこう出来る範疇ではなくなっていた。だから、もうああなるのは宿命だったのだ。割り切らなくてはいけない。
「はあ……二日後か」
その日には、立ち直っておかなくては。今のような辛気臭い顔を生徒に見せるワケにはいかない。そうして、小さく拳を握った時だった。
――カタン
アパートの部屋のドアの内側。郵便受けに何かが投函された音がした。サリーは思わずPCの時計を見た。夜の八時半過ぎ。
「こんな時間まで配達なんてやってたかな?」
訝しみながら立ち上がる。ドアに備え付けられた郵便受けの蓋を開け、中を覗いた。白い封筒。手紙のようだ。手に取って宛名を見ると「サリー・マクダウェル先生」とあった。住所は書いていない。裏を見る。差出人は……「薊鉄心」とある。ちょうど考えていた相手、ということもあるが、彼に住所を知られているというのも驚き(と若干の恐怖)だった。リビングに戻り、ペーパーナイフで封を切る。封筒を逆さにすると、中から一枚の手紙が出てきた。読み始める。挨拶から始まり……核心部分に入ったそこで、サリーは息を飲む。
「薊さん……本気ですか?」
知らず、彼女の手はテーブルの上を這っていた。胃薬を探しているらしかった。
翌朝。ラインズ校長は忙殺されていた。昨晩のうちに、サリー同様、鉄心からの指示書が届いていたのだ。ラインズはサリーと違い、何かあった際の恫喝用にと、PCのメールアドレスなども鉄心に控えられているが、機密性を考慮して、同じく手紙での通達となったようだ。こういう時は結局アナログが強い。
「ええ、はい。明日より再開となりますので……いえ、私どもではなく、国からの通達となります」
保護者への連絡。国営放送でも明日から学校再開の旨は報じられているが、改めて彼からも、ということだった。まあ保護者全員がそのニュースを見ているとは限らないので、やらざるを得ない仕事だ。腐敗貴族が居なくなった分、精神衛生上は楽になるかと思われたが……実は寄付が減る分、相対的に学費収入の比重が大きくなっており。つまり今まで塩対応気味だったサポートクラスの生徒の保護者(平民)も、大口顧客として扱わざるを得なくなった為、非常に気を遣う。鉄心の手紙には『塩対応され返されても自業自得。今までの行いを反省する機会とせよ。どうせストレスでハゲる髪もないのだから』という辛辣な言葉が綴られていた。
「ふう」
塩対応の意趣返しは意外にも少なかったが、サポートクラスの設備や待遇の改善を要求する声が多かった。その流れで、北側の食堂は閉鎖を確約させられてしまった。まあ腐敗貴族の子女が居なくなったのだから、どうせ利益ゼロで存続はできない代物だったが。
「しかし……失踪して数日だというのに、もう帰ってこないと誰もが察しているような空気だな」
冷静に考えれば、貴族の子供たちがクラスメイト同士で黙ってバカンスや家出をしてみたという可能性だってゼロではハズなのだ。普段から素行の悪い者たちばかりなのだし。だが世間の殆どは、もう生きては戻って来ないという見方をしているようにラインズには見受けられるのだ。哄笑面の死神、女王の素早い対応、腐敗貴族の根絶、フィオット商会の主力も壊滅したという噂。力が無いなりに、人々も敏感に感じ取っているのだ。今この国には、未曽有の暴風が渦巻いていて、それはやがて全てを巻き込む血の大嵐へと発達する。今回の件など、先走りのつむじ風のようなものだろう、と。
「これからゴルフィールはどうなるんだ。俺は……」
長い物に巻かれてきた人生。今度も巻き取ってもらうしかない。好感度は低いが、ただちに殺されるほどでもない。その強大な龍のトグロの端っこで良い。巻き取るというより引っかかる程度でも良い。リードとほぼ同じ精神性だが、両者の明暗を分けたのは偏に巡り合わせの妙だった。そう、ラインズには、先に龍に出会っていたという幸運があった。
連絡帳を閉じる。彼の分のタスクは終わった。他の教員はまだ事務机にかじりついて、受話器を握っているが、一足先にお暇となる。これで晴れて余暇……ではなく、ラインズには次に行くところがあった。校舎を出ると、駐車場へ真っすぐ向かう。鉄心にブラックマンバで後輪を撃ち抜かれた車は廃車になったので、新調した物に乗り込む。そのまま西へ。訪れたのは西区の貿易会社。件の、リードが捜査した倉庫を保持するフロント企業ではないが、そことも繋がりがあった会社。所謂グレーゾーンの経営をしているところだった。腐敗貴族の所有だったが、(美羽の表現を借りるなら)戦後賠償に伴う割譲でシャックス家の管轄となり、それを更に委託される形でラインズが管理することで話がついている。メローディアが一社任せると言っていたのはここの事である。素性や素行の怪しい者は全て解雇したが、まだまだ経営の健全化は途上。
「ああ、ラインズ社長。ご無沙汰しております」
エレベーターでテナントの階まで上がり、ドアが開くと、早速受付の女性が来客のハゲ頭に気付いた。ラインズは片手を挙げて挨拶とする。社長という響きに、先ほどまでの電話対応の疲労が癒されるらしく、ご満悦の表情。
「副社長は?」
「はい、既に会議室で社長をお待ちです」
「うむ、ありがとう」
彼も少し、下の者への対応が丸くなった。17の小僧にアゴで使われる日々で、角が取れたのだろう。
会議室へ入ると、副社長が彼を出迎えた。五十絡みの男だが、黒々とした毛量の多い頭。ラインズは対面に座り、挨拶もそこそこに、鉄心からの指示を伝える。そう、ここに来たのも指示書に従っての事だった。内容を聞いた副社長は、少しの間、吟味するような表情を浮かべ、やがて、
「ウィッグの輸入……ですか」
絞り出すように言った。対面のラインズの頭部を見ないように、机の上に視線を落としたまま。それは優しさからくる行動だったが、逆効果でもあった。
「……他の傘下の者たちは増毛や薄毛治療の企業に、需要高騰への準備を促しているそうだ」
ラインズは敢えて淡々と告げる。
「そ、それは。えっと。どういったエビデンスに基づく展望なのでしょうか?」
チラリと目だけ上げて、副社長はついラインズの頭部を一瞥してしまった。まさか私情を優先してでまかせを言っているのではないかと。その雄弁な視線にラインズは顔をしかめるが、気を取り直して、カバンから書状を引っ張り出す。
「これを」
シャックスの印が入った業務指示書も携えていたのだ。髪の毛欲しさの職権乱用を疑われるのではないかと、メローディア会長が用意してやったものだった。
「な、なるほど……」
「理由は私も知らないが、近々、本当に特需が起こると会長はお考えのようだ」
「わ、分かりました。すぐに手配します」
慌ただしく会議室を出ていく副会長の背を見送りながら、ラインズは溜息をついた。本当にこの国は、どうなるのだろうか、と。




