第143話:老兵
両脇に三層、膝の上に四層(改めて見ると凄い絵面だ)の鉄心が、ふうんと溜息とも間投詞ともつかない声を出した。
「何ともはや……即座に捜査資料を公表されると思っていたんだが」
彼の戸惑いは尤もだが、それに対しノエルが静かに首を横に振った。
「アレは派手好きなのです。中身が何もないからガワの煌びやかさにこだわる」
辛辣だが事実なのだろう。嫌な所を知り尽くしている、というのが声に滲んでいた。鉄心が勝てば弟は十中八九、殺害という運びになるだろうが、ノエルは眉一つ動かしていない。どうも姉弟仲は冷え切っているようだ。
「恐らくワタクシを大観衆の前で糾弾し、華々しく勝利、国民の圧倒的支持を得て王位奪取というのが青写真なのでしょうね」
「なるほど。そりゃこっちとしても助かるな。途中で気が変わってリークってことはなさそうだ」
鉄心としては、あまり理解できない名誉欲の発露だが、まあ好都合である。更にローズクォーツの話では、王弟は乱獲派に総力戦を指示したらしいので、取りこぼす心配もなくなった。
「連中が勝てば、王位を獲られ、俺は殺され、美羽ちゃんが奪われる」
不敵に笑いながら自分の首を親指で掻き切る仕草をした。
「逆に俺たちが勝てば、もはや世界に敵は居なくなる。それ即ち……頂だ」
今度は指を一本立てて、高く掲げた。鉄心に政治的野心はないが、最強や究極という物には興味が大いにある。獲ろう、と。目が爛々と輝いている。恐ろしく獰猛で、しかし同時に妖しく蠱惑的だったものだから、妻二人はおろか、あれだけ脅しつけられたハズのノエルですら見惚れそうになる。
そんな女性陣の様子は意にも介さず、鉄心は両隣の十傑と話を進める。
「ちなみに対抗戦ってのは五日後だったか」
「ああ、でも今年は六高を始め、腐敗貴族の家が総崩れだからな。開催自体が危ぶまれていると聞く」
多くの腐敗貴族が子供を失い、家自体も存亡の危機という状況。それで大会の質が下がる、という話ではない。鉄心のクラスメイトたち(故)も、その兄弟姉妹も大した実力者は居ない(所詮は腐敗貴族である)ので、出なくなったところで大した影響はない。問題は、自分の子供が(家の力で)出場するということで腐敗貴族家から寄付がなされ、それで運営費を賄っていた従来の形が取れないことだ。そしてその金をアテに出来ないなら、基本的には国費での開催となるが……そうなると、自分たちの税金を遊興に使うなと、一部国民からの反発も予想される。
「だが、ウィリーがその気なら、無理にでも開くだろうな」
というより開催前提の口振りだったことから、押し通す気満々とみて間違いないだろう。
「……そうでしょうね。国内で開かれるエンタメ系の催しに関しては、アレの管轄ですから」
居住まいを正したノエルが補足の情報を入れる。つまりイベントの私物化も、やろうと思えば出来てしまう立場のようだ。政治的な物か、戦闘に影響を及ぼすような物か、或いは両方か、いずれにせよ罠を警戒しておくべきだろう。
「にしても……そもそも最初から公費100%でやっておけよ。どうせアンタの弟も噛んで贈収賄の見本市だったんだろう? そんなんだから、ゴルフィールのアタッカーは育たねえんだよ。カネとコネで選ばれたヤツが……まあいいや」
今言ったところで仕方がない、と鉄心も思い直したようだ。ノエルも沈痛といった表情で顔を伏せた。重々分かっているが、色々と利権争いがあっての結果なのだろう。
「やっぱり最後は暴力だな。政敵もなにも捻じ伏せられる、何にも負けないのは暴力」
ゆえに自分は頂を目指すのだ、と。ノエルも内心では同意だが、それは望んでも手に入らなかったものだ。エリダ・クリスの両公爵が存命であっても、全てを蹂躙するほどの力は無理だった。だがもし、この天を喰らわんばかりの昇り龍が、自分を支えてくれていたならと夢想せずにはいられない。
(きっとゴルフィールは最強の国になっていたでしょう)
本当に詮無い妄想である。時代がズレている。下らない夫を宛がわれる前に出会わなくてはならなかった男だったのに……歳が離れすぎている。ああ、そうか、とノエルは気付いた。その辿れなかった道を、成せなかった富国を、捧げたかった純潔を……メローディアが……
(ならきっと、ワタクシの役目はもう終わりに近づいているのでしょうね)
新たな気高き王と、それを支える不世出の魔人。彼らに道を譲ることこそが、最後の役目となるだろう、と。
「…………明日よりワタクシの名において、事件以来、休校としていた第一から第六の王立高校の全面再開を告げます。恐らくそれを受けて、弟は対抗戦開催を発表するでしょう。それで……後はアナタ達に委ねます。この国の未来を。世界の行く末を」
凛然とした眼差しで正面の鉄心を見つめながら一言一句を噛み締めるように言葉を紡いだ。その瞳には、ようやく王の威厳が戻っていた。
魔界二層。黄金のたてがみを風になびかせ、一体の魔人が獣の口を大きく開いて、呵々と笑っている。子供の掌ほどもある犬歯の先を涎が滴り、サバンナの草地に落ちた。顔の造形は百獣の王ライオンそのもの。だが体は人のものに近く、鉄の如く厚い胸板を反らすように二本足で立っている。二層魔族・ダイヤモンド。未だ鉄心陣営からは立場が明確でない最後の十傑だ。
「ハハハハ」
その巨体の持ち主は何が可笑しいのか、ずっと笑っている。
「何年ぶりだ? いや、何十年か? 人のいう年月というのはワシには意味のないものだが」
人間の群れたいという意識、そしてその群れの優秀なリーダーを望む(ないし優秀なリーダーになりたい)意識。そういったものを根源とする彼は、ほとんど不滅と言って差し支えない。故に人の世の暦などハナから興味はないのだ。
「ようやく……ようやくカオスが来る。ワシの愛する混迷が」
ダイヤモンドは端的に言って、飽きていた。悠久に続く生の中で、いつしか平穏に気が狂いそうになっていたのだ。彼から言わせれば、カーマインやターコイズはまだしも健全である。食の追及や自己価値の向上などと若々しい感性が羨ましくさえある。彼にはそんなものは既に無い。技術など、とうの昔に極めてしまった。人から何か吸収できる性質も備えていない。ダイヤモンドに残されたのは名の通り不滅の体と、死ぬほどの退屈だった。
「だがそれも……」
あと少しの辛抱でカーニバルが始まる。ゴルフィール王国の国体が揺らぐほどの擾乱。稀代のアタッカーと自分をも含めた十傑の大戦争。賞品はゲートブースターの少女と魔界のクラウン。平良も王族も十傑も。様々な思惑と暴力が入り乱れる混迷。
「ハハッ」
口を閉じてもなお、湧き上がる笑みを抑えきれない。走り出す。サバンナを一陣の風となり、瞬く間に数百メートルの距離をゼロにし……それでも止まらない。胸の内の衝動が、体を動かして仕方がない。楽しい。嬉しい。今なら誰かに「まるきり人間の子供のようだ」とバカにされても、「違いない」と大笑いできる自信がある。このまま天まで駆け上がれそうな気さえしてくるが……
「っとと。そうだった、そうだった」
慌てて方向転換。とある岩場まで全速力で駆けていく。辿り着くと、一つ大きな岩(上部が平らな椅子のように均されている)の上に、ドカッと座り込む。彼が長い長い年月、このように座り込んで瞑想を行い、魔力を注ぎ続けてきた特別な岩。石や岩には超常の力が宿りやすい。日本の御影石の信仰を例に出すまでもなく、そもそも十傑の彼らが石の名を冠していることからも窺い知れよう。
「……ふう」
ダイヤモンドはいつもと同じように瞑想するが、今日は魔力の貯蓄ではない。その逆、引き出しである。来たる日のためにプールし続けていたそれを、今こそ解き放つ時だった。
「……」
瞑想は続く。すると次第に彼が座る岩の正面、数メートル離れた先に大きな扉が現れ始める。いや、大きいどころの騒ぎではない。縦横ともに百メートル以上ある。白い扉の枠にはビッシリと人の頭蓋骨がくっついて意匠を成している。観測史上最大となるのは間違いないであろうアビスゲート。一体どれほどの魔族が通過できるか見当もつかないレベルである。
「百鬼夜行」
ダイヤモンドの望むカオスに、更に彩りを与える一手。百獣の王の異名は伊達ではなく、彼をリーダーとして戴きに、夥しい数の魔族が集結すると予想される。その軍団は、ゲートが人間界の位相と重なる時、一気に解き放たれるのだ。彼の言うように、さながら百鬼夜行。対抗戦を楽しみに訪れた観客を巻き込んだ阿鼻叫喚のカオスを、より一層(彼にとって)エキサイティングなものにするだろう。
「ああ……」
ダイヤモンドの口から涎が滴り、巌の上に黒い斑点を作った。と、同時。中型のアビスゲートも次々と浮き上がってくる。岩を中心にあちこち無秩序に林立するそれらは、人間界に現れる時は「はぐれゲート」と呼ばれる分類のもの。これらがランダムに現れるとすれば、ゴルフィール王国はどうなってしまうのか。
「待ちきれぬ。ああ、早く、早く来い」
獅子の瞳が中空を泳ぐ。彼の理想の世界がすぐそこまで来ていた。




