第141話:世界会議(後編)
「まずは事の発端、そこに居る松原美羽という少女の話をしなくちゃならない」
事前に美羽からコンセンサスは得ているが……鉄心はチラリとその顔を見た。当の彼女は敢えて鉄心ともメローディアとも離れて、母の隣に座り、その手を握り続けている。もし拒絶されるなら、いの一番に振り払われてしまう、と考えればとても恐ろしいハズだ。だけどきっと。信じているのだ。それが出来るほどの強さを、彼女は手に入れたのだろう。
「彼女の胸の奥にある無尽蔵の魔力……それは魔王の持つもの」
鉄心の言葉に、静流は目を見開いた。そのまま隣に座る我が子を見る。美羽は、目を逸らしたい衝動を必死に抑えつけ、真っ直ぐに母を見つめ返した。本当なの? と目で問われ、重く、決然と首肯した。
「……」
静流は思わず視線を彷徨わせ、オリビア(首を横に振る様子から彼女も知らされていなかった様子)、メローディアと順に見て、対面の鉄心に遣った。そしてその隣、メノウを見た。
「以前……餓魔草を下さったのは」
鳥の魔人は頭を下げるかのように頷いた。
「ミウ様を主として戴くために」
「……」
「言い訳みたいで悪いけどよ。転生体として生を受けた以上、逃れられない宿命なんだよ。魔王様の魔力を手放すことは出来ないからな」
厳密には美羽の命が尽きれば、また新たな宿主を探して転生するのだが。それをたった一人の親に告げるほどサファイアも無神経ではなかった。
「この子は……この子はどうなるんですか? 魔王になるっていうことは、アナタたちのように……」
いつかの鉄心たちと同じ反応。即ち、美羽のことを突き放すどころか、本気で心配している証左だ。
「信じてくれるの? こんな話……それに……心配してくれるの?」
静流が再び娘に視線を戻した。その瞳には一抹の迷いもなかった。
「信じるに決まってるでしょ。美羽がああいう目で頷く時、嘘だったことなんてないもの。何年アナタの親やってると思ってるの? 心配だってするに決まってるでしょう。何年……アナタの親やってると思ってるの……」
最後は涙混じりの声になっていた。つられて美羽も、目の端に雫を溜める。お互い、それ以上の言葉はないまま、力強く抱き合った。鉄心とメローディアは目配せし合い、そっと微笑む。やはり信じた通り、親子の絆は揺らがなかった。
(まあ前もって餓魔草で魔力の封印うんぬんの騒動があったからな。もしかすると魔王とまでは言わずとも、魔界側の存在である可能性も静流さんの頭の片隅にはあったのかもな)
鉄心は小さく笑みを浮かべたまま、
「静流さん。心配しなくても美羽ちゃんが魔族の見た目になることはないし、健康被害もないみたいですよ。俺たちも真相を聞かされた時、彼らに散々確認しましたから」
隣のサファイアの白い腹をポンと小さく叩く。
「やめろ。俺の腹は太鼓じゃねえぞ」
それで静流の緊張も緩む。娘の恩人の言葉でお墨付きをもらった上、どうも三層の魔族たちも本当に敵対の意思はなさそうだと感じ取れたからだろう。
「でも魔王……ですか。娘も薊さんも言っているのだから信じますけど。実感は全く湧かないです」
それはまあ、そうだろうな、とメローディアも思う。ずっと寝食を共にしていた自分ですら、匣の完コピなどという離れ業を見て、ようやく実感してきたところなのだから。まあキスで氣をもらっている鉄心はもう少し強い実感を抱いているのかも知れないが。
「まあそこは追々でお願いしたい。今はその前提でこれからの話を聞いてもらえればと思う」
メノウが話を進めにかかる。まだベッタリとくっついている親子を見れば、二人だけの時間を与えてやりたい、という気持ちはあるが。あまり悠長に構えていられるほど現状に余裕は無い。
「その美羽の魔力を狙っている乱獲派、これは静流も知っていたわよね。兎に角その連中の動きが活発化している事を受けて、こうして利害関係者全員を集めた会合を開こうという運びになったの」
メローディアが先陣を切る。そこにすかさずオリビアが小さく手を挙げた。
「まずはご挨拶が遅れました。女王陛下、公爵閣下におかれましては」
「オリビアさん。そういうのは良いんですよ。今この場では礼儀より実益。第一、メロディ様はともかく、そこの女王はそこまで敬われるべき賢君とは言えない」
紋切り型の挨拶を始めようとした上司だが、部下の方がバッサリ切ってしまう。そして当の女王が不敬を咎めないまま俯いているのを見て、また公爵として王を擁する立場のメローディアも夫をたしなめないのを見て、オリビアは自分が来る前に何かあったことを察する。そして上司がいくら礼儀に気を遣っても、部下がタメ口では何にもならないと諦めをつけた。
そこから会議は進む。まずはメノウが鉄心たちにした魔王とその転生についての説明を、この場でも改めて行った。静流は美羽の腰を抱いたまま、それを静かに聞いていた。美羽もまた母を信頼しきった顔で座っており、反対隣のノエルは気まずそうに顔を伏せていた。鉄心が「真に尊き親子とはこうだぞ」とでも言いたげな視線を送っていたからだ。
そして引き継ぐ形でメローディアが敵の現状勢力(四層の三体)を明かし、その内の一体、ローズクォーツを鉄心が懐柔し味方につけたと話す。夫の功績に鼻高々な様子だったが、あれは懐柔というより、勝手に懐いてきたと表現すべきではないかと、美羽としては思うのだ。
「……という事は、現状は鉄心という巨大戦力に三層二人と四層一人がついているワケか。四層二人くらい優に倒せる計算だと思うが……」
オリビアの指摘は尤もだが。
「それがなあ。厄介なパトロンがついてやがってよ」
サファイアが白い喉を反らして天井を見る。魔界の層がただちに縦構造なのかは分からないが、四層が上の階だとすると、そこを睨んでいるのだろうか。
「厄介なパトロン……」
ノエルがオウム返しをすると、鉄心が皮肉げに口角を上げた。そしてチラリと斜め隣のオリビアに視線をやる。そして、
「アンタの身内だ。今度は愚弟というヤツか」
軽い調子でパトロンの正体を告げた。
「え!?!?」
驚愕に固まる女王。先程、ウィリーの名前を出した際、本題とも関わるとは聞いていたが、まさか十傑と結託しているとまでは予想していなかったのだろう。或いは元より知っていた(もしくは女王自身も通じている)可能性も考え、鉄心はオリビアと共に様子をつぶさに観察していたのだが……
「……」
フルフルと首を横に振ったオリビア。もちろん彼女とて無謬の顔色判定機ではないが、王侯貴族とのビジネスを数多くこなしてきた人間である。このカミングアウトの場にいて観察眼を発揮して欲しいと事前に頼んであったのだ。その彼女がシロと言うからには、女王と王弟が裏で繋がっている可能性は無いものとして話を進める。
「……そんな。ウィリーが、そこまで……」
うわ言のように呟くノエル。口振りからして、そこまでとは思わずとも、不良因子であることは重々承知していたようだ。
「俺たちは、その王弟の庇護を掻い潜って、四層の二匹を同時に始末したい」
鉄心が二本立てた指を、もう片方の手でガシッと握ってみせる。
「同時じゃなくてはいけない理由は?」
静流が恐る恐る訊ねる。
「ローズクォーツの話によれば、魔界の四層はジャングルのような有様だということです。取り逃がして、そこに駆けこまれたら……まさにゲリラ戦。さりとて美羽ちゃんをいつ何時狙ってくるか分からないヤツを生かしてはおけない」
故に、人間界のフィールドで確実に二体とも始末したい。ここら辺は鉄心やその妻たちにはおさらいの内容になるが、改めて認識を共有して頷き合った。
「そして当然、四層の連中に手を貸すアナタの弟にも野望があるのだろう」
メノウが女王の方に視線を向ける。彼女も流石にもう慣れたらしく、目を合わせても動揺したりはしなかった。が、その発言内容には顔をしかめている。
「王位、でしょうね」
「ウィリー王弟は権勢欲が強いのか?」
鉄心の質問に、女王は少し考えて首を横に振った。
「ただワタクシに勝ちたいという、それだけが原動力なのでしょう」
答えを聞いても、ちょっと鉄心は要領を得ない。メローディアに視線を向ける。
「……口さがない人は陰でよく言っていたわ。幼い頃から優秀な姉に何一つ勝てず、比較されて育った不出来な弟」
「そ、そんな子供が拗ねたみたいな理由で就いていい席だとは思えないですけど」
思わず口に出してしまったという感じの美羽だったが、ハッとして口をつぐむ。自分の真横に座る女性の家庭問題だと、言ってから気付いたのだ。
「構わないわ。全くアナタの言う通り。お恥ずかしい限り。薊さんに怒られて当然の、メロディにも呆れられて当然の、身内の醜態まみれ」
深い溜息を吐いて、
「ワタクシにも当然、監督不行き届きの責任があります。彼の言う通り、敬われるべき賢君とは程遠いわね」
自嘲を口にした。
と、その時だった。
「ん? メノウ……オマエさんのアパートの前に誰か来てるぞ」
「は?」
唐突なサファイアの言葉に、場の全員が固まった。




