第140話:世界会議(前編)
鉄心の発言を受けての静寂。妻二人(特に何も聞かされていなかったにも関わらず第一当事者のメローディア)は呆気に取られて口をポカンと開けていた。対照的に、ようやく政治取引という自分のフィールドの話になったことで、ノエルの瞳に僅かに力が戻る。
「…………仮に、アナタの言う通りにするとして。ワタクシと息子が引き下がっても……王位継承権2位の、我が愚弟がおります。アレは納得しないでしょう」
必ず何か仕掛けてくるだろう、と。そう言いたいのだろうが、そもそも鉄心たちはそのウィリーとの政争を見越して呼んだワケで。
「分かってるよ。そこで本題とも絡んでくるワケだが……まあ禅譲の件もその本題を聞けば、否が応にもそれ以外の選択肢が無いことを知るだろうさ」
鉄心はニヒルに笑ってそう言うと、
「メノウ、サファイア。悪いな、待たせた。もう入ってきて良いぞ」
別室の魔人たちを呼んだ。硬い木製の扉を開き、中に入ってきた二人を見て、ノエルは卒倒しそうになる。口をパクパクさせて、ソファーの上を後ろ向きにズルズル這っていく。連れ去られてきて以降、良いところ無しだが……ある意味、タガが外れてしまっているのだろう。為政者の地位も威厳も、この魔界ではチリ紙ほども役に立たないと思い知ったが故に。腕力で言えば美羽と同等レベルのプニプニおばさん。無形のヴェールが意味を成さない以上、彼女の現状はそれだった。
「だ、大丈夫ですよ。テッちゃんほど怖い人たちじゃないですから」
プニプニ仲間の美羽が保証する。
「で、でも。あんな……鳥? サメ?」
混乱する頭で見たままを告げる女王に、メローディアが嘆息する。
「おば様。以前に映像でお見せした蛇女、アメジストと同じ三層の連中です」
そんな、とノエルが小さく呟く。四層は大戦期に上位アタッカーたちが戦ったという記録は幾つもあるが、三層以上となると人類は誰一人として見たことのない超レア魔族だ。それが一気に二体も。そしてアメジストの戦闘能力を思えば、今この瞬間にも襲い掛かられたりすれば秒殺だろう。またも震えそうになる手を、美羽が隣に座ってそっと握ってやる。その慈悲深さ、優しさにノエルは感銘を受けた。王としての威厳の失墜、四年前の身内の不始末、それらを聞いていたにも関わらずノエル・ディゴール本人を慮ってくれている。天使のよう、とさえ感じた。
だが、
「その子は魔王……即ちコイツらの主なワケだから、その子が守ってくれている間は絶対に手出しはされない。安心して話を聞け」
などと聞かされる。ノエルが瞠目して隣のふくふく顔を見ると、少しバツが悪そうに、しかしハッキリと頷いた。とても信じられない。天使ではなく魔王だなんて、どこをどう見たって、そんな要素はない。対面の薊鉄心こそ魔王としか評しようのない男で、明らかに逆だろう、と。そんな内心を汲んだのか、メローディアが鼻を鳴らす。
「彼こそ魔王に見えるのなら、それは陛下のご家族のせいですわ。彼は相手を映す鏡。絶対悪にするも救世主にするも、それは相手次第ですの」
いくらか突き放したような声音。まだ女王を見限ったワケではないが、今は優しくすることは出来そうになかった。ノエルは美羽の手を握り返した。王城で初めて会った時は「守ってあげなくては」と考えていた相手だったが、今は丸きり立場が逆転している。
「……やれやれ。黙って聞いていれば、我々が理性なく襲い掛かるケダモノのような扱いだ」
メノウが首を竦めながら不満を口にする。
「しゃ、しゃべった!?」
動画の中でアメジストが喋っていたことから推測くらいは(平素の彼女なら)出来ようものだが。やはり今はマトモな精神状態にないことが、こういうところからも窺い知れる。
「はは。俺はサメ! ケダモノだぜ! アンタなんて、その気になりゃひと呑みだ」
ノエルは喉の奥で「ひ」と小さな悲鳴を押し殺す。
「こら! ダメだよ。女王様を脅したら」
だが隣から子供を叱るような声で美羽がたしなめると、サファイアは大人しくなる。
「それにサファイアさんはケダモノじゃなくて魚類でしょ?」
そして少しズレた注意も続けるあたり、美羽は美羽だった。鉄心が毒気を抜かれたように微笑み、三層魔族二人も参ったとばかり諸手を小さく挙げている。四年前の真実を聞いて以来、硬くなっていたメローディアですら「もう」と笑った。そして当の美羽は、周囲の様子にキョトンとしている。魔王というのは未だ信じられないノエルだが、これで美羽が中心人物なのは間違いないと認識を改めた。
「……さて。一段落したところで、もう少し人を招きたい」
鉄心が仕切り直しといった口調で告げる。残りの役者、オリビアと静流のことだった。両者とも予め休みを取ってもらっており、一緒に待機している。どうも例の九層攻略の際に飲み明かして以来、細々と親交が続いているらしかった。お互い守秘義務の多い職業同士、気持ちが分かるのかも知れないとは愛娘・美羽の談。
サファイアが軽く瞑目し、虚空に手をかざした。その途端、空間が不自然に揺らぎ、次の瞬間には小型のアビスゲートが現れる。先程ノエルを拉致した際に通ったのと同じ大きさだった。今度もメローディアが迎えに行く。無造作に飛び込む姪の姿に、本当に使い慣れている様子が窺え、途端に彼女が遠く感じられるノエル。その姪は二分ほどで戻ってきた。後ろには妙齢の女性二人を伴って。
「美羽! これは……あ! アナタは以前も見た三層の鳥の……味方とは聞いてるけど……サメさんも居るの!?」
ノエルとは違った狼狽の仕方だが、大変うるさい。美羽は母の様子に羞恥を覚えるらしく、顔が赤くなっていた。だが鉄心とメローディアからすれば、血が繋がっていないハズなのに似た者親子だなといった所感だ。かなりの場面に遭遇しているのに、微妙に牧歌的な空気が消えない辺り。
「ママ!」
美羽が母を手招きして、自分の隣に座らせる。このソファーは美羽を真ん中にノエル女王、静流が挟む形で固まった。
「オリビアさん」
鉄心が掌を差し向けたのは、対面同士のソファーの両脇に向かい合うように置かれた一人掛けソファー。
「鉄心。私もまだ色々と整理がつかないのだが……」
「それも含めて今から話しますから」
肩をすくめた部下に、無言のまま鼻を鳴らすオリビア。本当にこの少年には、毎度毎度もうこれ以上はないだろうという程に驚かされてしまう。そしてそれに何だかんだで付き合ってしまうのだから、自分も相当な変わり者だと、上司は内心で自嘲する。指定された席に着くと、対面の一人掛けにはメローディアが座った。
最後に鉄心が三人掛けソファーの真ん中に座り、美羽と正対。その脇をメノウ、サファイアが固める。絵面がもはや魔王軍である。
「さて」
鉄心が全員を改めて見回し、
「じゃあ始めようか」
世界の命運を左右する会議の、その口火を切った。
その頃。乱獲派でも会議が開かれていた。いや、カーマイン・ターコイズ・ウィリー王弟の三者による鼎談といった方がより正確か。そう、ローズクォーツ・ブラックオニキスの二人は呼ばれず、ダイヤモンドも我関せずといった構え。乱獲派の会と言えば、概ねターコイズと王弟、そこに時折カーマインが混じるという構成でずっとやってきた。だが本日は特別ゲスト、極限まで気配を殺したローズクォーツが部屋の外に潜んでいることを彼らは知らない。
「それで……いつにしましょうか」
「なに、焦るな。人間社会では重大発表をする場合は、そのための場というものが必要なのだ」
防音の応接室。その中で交わされる会話の声量は極少で、ローズクォーツの卓越した聴力をして、かなり集中していなければ聞き逃してしまいそうだった。蝶番の辺りにピタリと耳をつけて、金具の僅かな隙間から音を拾っている。
「……面倒くさいなあ、人間は。まあそれが面白いんだけどさ」
カラカラと笑うカーマインの声。王弟が鼻を鳴らした。
「それでその場だが、今月末に全王立高校参加のアタッカー対抗戦がある」
「子供の遊戯ですか?」
明らかに馬鹿にした声音はターコイズだ。
「いやいや、これが中々どうして注目度が高い。民衆がアタッカーという存在を身近に見られる、唯一と言っていい催しだからな」
現役戦士となれば、そんなショービジネスをやっている暇があるなら研鑽に励まなくてはならない。現場に出るのだから生き死にが懸かっている。なのでそんな催しが出来るのは、せいぜいが学生の間くらい。だがジュニア部門とはいえ、若くして頭角を現す者も少なくないのがアタッカー界隈。エリダ・シャックスやクリス・ゼーベントも、この大会のかつての優勝者である。
「その、国中の注目が集まっているイベントで、女王と哄笑面の死神の蜜月を暴く。揺るがぬ証拠資料も、貴様らが集めてくれたからな。これで言い逃れの余地は……ない!」
ウィリーの語気が荒くなった。勝利を目前に、気持ちが抑えきれないのだろう。
「王位はもう、すぐ手の届くところにあるが、くれぐれも油断するなよ? 当日は総力戦で当たれ」
「……」
「……」
十傑の二人は何も言わず、粛々と言葉を頂戴するかのような演技をしていた。




