第135話:千里眼
リード刑事を見送った後、鉄心はすぐさま防音室へ行き、ゲートを開く。メノウから貰ったドアノブも少なくなってきたな、と他所事を一瞬だけ考え、しかしすぐに頭を切り替えた。美羽とメローディアを伴い、門をくぐる。開いた先は三層、メノウとサファイアが住む洋館の、すぐ近くの荒野だった。ゲートの気配を感じたのか、二階の窓からメノウとサファイアが顔を出した。隣同士の部屋に住んでいるらしい。
「どうした~?」
大声を出して訊ねるサファイア。窓枠は彼の長い顔に合わせて、縦長に設計されていた。誰が建てたんだろう、と美羽は内心で疑問符を浮かべた。
「今からそっちに行く! 頼みたい事があるんだ!」
鉄心も声を張り上げて答える。
「分かった! 鍵を開けておく!」
メノウも同じく声を張っている。メローディアと美羽は絶妙に滑稽な三人に頬が綻んだ。これが史上最強のアタッカーと三層魔族二人のやり取りだなどと、余人に語ってもまず信じないだろうな、と。
「というか、二人しかいない三層で鍵を掛ける意味……」
「まあ人間界にもアパートがあるらしいですし……鍵かけるクセつけとくのは悪い事じゃない……のかな」
フォローしながら美羽も自信なさげである。
全員で屋敷に入ると、応接室のような部屋に通された。石造りの建物特有のヒンヤリした空気に、美羽は両手を小さく擦り合わせる。
「お嬢、毛布だ。金色とアザミも」
くたびれたソファーに座った三人にサファイアが毛布を投げてくれる。
「アナタ、これ魚臭いわよ?」
「我慢しろい」
憤慨気味のサメ魔人を見て、鉄心は黙って毛布を体に巻き付けて暖を取った。脳裏では、かつて善治と遊びに行った魚河岸を思い出していた。
「今度、ソファーも毛布も買ってあげるわ」
「かたじけない」
メローディアの提案にメノウが食いついた。彼も内心では魚臭いと思いながら我慢して使っていたのかも知れない。
「って、そんな話をしに来たんじゃないんだよ」
「おお、そうだったな。頼み事があるとか」
首肯した鉄心は、ポケットから小さなポリ袋を取り出す。ハゲ呪術用品の使い回しだ。中にはガーゼが入っていた。その表面には小さな赤い点がポツンと一つ。メイドがゴミ箱に捨てたところを回収してきた物で、即ちこの赤い点はリードの血液である。
「悪いんだけど、この血の持ち主も張っておいてくれないか?」
「ん?」
「とある刑事の血だ。さっき不逞にもシャックス邸に乗り込んできやがってな。学園で使ったブラックマンバの痕跡と、例の倉庫内で使った痕跡が一致したところから辿られてしまったらしい」
鉄心としてはベックス殺害という私事から端を発したことなので、結構真剣に悪いなと思っている様子。ただ災い転じてではないが、もしかするとリードから逆に、ウィリーの警察癒着まで辿れたなら、今度は政争の際のカードになる。そういう話も付け加えた。
「人間の王族を崩すのは面倒くさいものだな」
メノウが腕を組んだまま、小さく溜息をついた。
「実際、崩すだけなら難しくはないんだけどな。俺なら暗殺できるし。ただそれをしてしまうと、先も確認したように、四層の連中が魔界に逃げ込んでしまう可能性もある。そこでゲリラ戦線を張られたら厄介な事この上ない」
付け加えると、四層に手こずっている間に、二層が動いて挟み撃ちなんてことになれば、最悪の事態である。魔界に逃げ込んだ四層を放置するという手もあるが、それはそれで美羽が一生、奇襲の警戒をしながら過ごす羽目になってしまうので辛い。
「つまり崩すなら一網打尽にしないと、という事よね」
まあ最悪は四層の二体を討って、ノーガードとなったウィリーを暗殺という手は使えるワケだから、最優先は魔族たちだが。ただ今は、色んな可能性を考慮して手札を増やしておきたい。そのための警察情報である。
「頼む」
鉄心はガーゼを取り出し、対面に座るサファイアに渡した。彼はそれを自分の鼻、ロレンチーニに近づける。目を閉じると同時、体全体が淡く光った。その光が収まり、
「ふむ」
サファイアは目を開ける。
「もう終わったのか……」
鉄心の声には驚嘆が含まれていた。自分では逆立ちしても出来ない絶技。そういうものに対しては、非常に素直に心動かされる少年でもあるのだ。
「アザミ」
「……今は警察署だろ? 流石に」
あれだけ凄んでやった後に寄り道する気力があるとも思えない。或いは本当にウィリーに繋がっているのなら首尾を報告しに行くだろうか。ならば今度はローズクォーツの出番か、と鉄心が思案を始めたところで、
「いねえぞ」
サファイアの簡潔な言葉。
「え?」
「警察署どころか、人間界にはいねえ」
「はあ?」
「いや待て。僅かに血が残ってるな。これは……」
サファイアがギュッと強く目を細める。近視の人間が裸眼で物を見ようとする時の仕草に似ていた。全員が固唾を飲んで見守る。
「これは、ゴルフィールの貴族街手前の坂……を過ぎて、クリス通りを曲がった先。レンガ造りの家の壁」
おいおい、と鉄心。クリス通りと言えば、四年前の惨事で散った故ゼーベント公爵の英霊に敬意を表して、その名を戴くストリートだ。勿論、鉄心たちも何度となく通っている場所。そんなシャックス邸の目と鼻の先で、民家の壁に血が飛ぶほどの何かがあった。距離、時間を考慮しても、屋敷からの帰り道だろう。
「もしかして、テッちゃんの逮捕をしくじったから、王弟さんに……」
美羽が青ざめた顔で推測を口にするが、
「いえ、それだったら死体も残ってないというのはおかしいわ」
メローディアに否定された。あ、確かに、と美羽も気付く。そんな少女たちのやり取りを余所に、サファイアは更に目を凝らす。傍目には虚空を見ているだけとしか思えないが、彼にはキチンと何かが見えているのだろう。
「…………コイツは、恐らく四層。行ったことがねえから、正確には探知できないが、位置的には四層だ」
「え?」
「たぶん死体になってんだろうけど、それが四層にある」
それなら人間界に死体すら残っていないのも説明がつくが。
「四層魔族に殺されたってことか」
「ほぼ100%な。こんな白昼堂々、しかもそれなりに人通りもあるストリートで殺人なんざ」
サファイアは部屋の中を歩き回りながら考えを整理する。
「……人除けを流してたんだろうな」
その言葉に鉄心と美羽は顔を見合わせる。メノウに襲撃されたあの夜、更に彼が餓魔草を渡しにやってきた夜、その二回のことを思い出していた。メローディアだけがどちらも居合わせなかった為、顔中に疑問符。美羽がサクッと説明すると、「アナタたち多芸ね」と少しズレた感想を対面に投げていた。
一つ咳払いしたメノウが、説明を引き継ぐ。
「つまり状況的に見て、十傑が下手人と見てほぼ間違いない。そして今、人間界に出張っているのは四層の三体のみ」
「その内、ローズクォーツは除外するとして、ターコイズかブラックオニキス。まあそれはどっちでも良いんだけどな」
些事だ。鉄心を嗅ぎ回っていた刑事が四層魔族に殺された。この事実をどう受け止めるべきか、である。美羽の言うように使えないという判断が下され、情報が漏洩する前に口封じされたということだろうか。とはいえ、鉄心はそんなに甘い男ではない。接触した時点でかなりの情報を抜かれていると考えるべきで。そこの判断を誤ったか、或いは捜査情報以上に知られるとマズイ情報があるのか。
「もしくは私たちも根本的に勘違いしてて……王弟は鉄心=腐敗貴族失踪事件の重要参考人という情報を掴んでない可能性もあるわ」
メローディアの発言に全員が唸る。
「つまり王弟は警察から情報を仕入れ出来ておらず、独自に動いた結果、疑わしき行動をする警官を見つけ、殺してみた、と?」
それは中々、行き当たりばったりな印象を受ける。
「いや、そう考えるとやっぱり無理があるわね……恐らく、鉄心を疑ってはいたのだけど、自分たちでは確たる証拠を見つけられない。そこに意気揚々と屋敷へ乗り込んだ刑事が居たので殺して資料を奪った」
「ああ、そっちの方がシックリきますね」
鉄心以外のところへ行った警官も皆殺しに遭っているのなら兎も角、鉄心に会いに来たリードだけが殺されているのなら、最初から疑われていた線は濃い。
「まあアレだけ大立ち回りしてりゃ、アホのターコイズでも気付くか」
サファイアが小馬鹿にしたような調子で言う。
「王弟と同盟を組んでるなら、そっち経由で俺が平良の上位序列者で、任務後も不自然に国内へ留まっているって情報も入ったのかもな」
具体的にどのタイミングで疑われたかまでは分からないが、これも些事だ。現状、鉄心に嫌疑がかかり、そこから恐らくは美羽も辿られていると推察される。それを受けて、どうするかという話。また更に付け加えるなら、向こう側へ「鉄心=腐敗貴族失踪事件の重要参考人」と裏付ける資料が渡ってしまっている状態。ノエルの客分が大罪人であると発表されれば、政争で後れを取るのは必至だ。
「どうしよう?」
不安げな美羽。その頭を優しく撫でた鉄心は、一つ息をついて、
「メロディ様……ノエル女王のアポを取ってください」
次なる一手を打つことにした。




