第132話:史上最凶のホシ
それで解散の運びとなり、メノウ&サファイアはゲートを通じ三層へ帰って行った。ローズクォーツは当然ウィリー王弟の屋敷へ戻るのだが……その足取りは重く。
「これからまた退屈なケーゴっス……」
正確には表向きは警護、裏では情報収集のスパイ活動だが。露骨に寂しそうな顔をするので、
「……近いうち、オマエの剣技を見る場を作ってやるから」
鉄心が飴の追加。途端にローズクォーツの顔が輝き、何度も約束だと繰り返すものだから、鉄心も「わかった、わかった」と子供をあやすような表情になっていた。
「絶対っスよ!」
最後にもう一度、念押しをしてから。ローズクォーツは来た時と同じ窓から庭に身を投げ出し、去って行った。
「やれやれ、ね」
「ええ? 可愛いじゃないですか」
「美羽には懐いてるから、そうなんでしょうけど」
メローディアが口を尖らせる。結局、あの仔虎状態のローズクォーツも、彼女だけ少ししか触れなかった。とはいえ、撫でられている時の仔虎は満更でもなさそうだったので、本格的に相性が悪いという事でもないのだろう。喧嘩友達のような間柄になりそうだ、と美羽は睨んでいた。
と、その時だった。
開け放ったままの窓の向こう、かすかに来客を告げるチャイムが聞こえた。ちなみにシャックス邸のインターホンは使用人のいるエリアまでしか音が届かない。なので来客にはまず家人が応対し、相手の素性と用向きを聞く。それからメローディアに取り次ぐべきか否か判断し、応となれば、それでようやく彼女の耳に入る。まあ平素はシャックス所有の会社の人間などが主な来客であるため(そもそも事前アポを取ってから来る)、家人が追い返すような事態はそうそうないのだが。
「また性懲りもなくマスコミかしらね」
腐敗貴族大量失踪事件から数日、いまだ近辺を嗅ぎ回っている彼らのせいで、家人らも余計な仕事が増えている状態だ。
「さっきは殆ど居ませんでしたけどね」
「昼時と重なってたからでしょうね。まだ諦めて帰ったワケではないと思うわ」
ローズクォーツとの待ち合わせが11時、そこから話し込んで帰って来る頃は確かに丁度それくらいだった。
「まあ前代未聞の事件だし、そう簡単には沈静化しないか」
「嫌ってる人たちのニュースなんて、国民の皆も見なけりゃ良いのにね」
美羽が呆れ気味に言うが、メローディアが首を横に振る。
「嫌いな連中の不幸だからこそ、むしろ、こぞって見るのよ」
嫌悪という感情は即ち強烈な興味を意味する。もしかすると好きより強いかもしれない。人の業とは海溝よりも深いものなのだ。
「……というか俺たちも昼飯にしようか。今気付いたけど、だいぶ腹減ってるよ」
シリアスな話に集中していたせいで、その間は空腹も意識せずに済んでいたが、終われば揺り戻しのように。美羽の腹が返事をするように「くう」と鳴った。
「もう、美羽ったら」
メローディアが愛おしげに笑い、美羽は照れていた。
「食堂に行こうか」
鉄心も優しく笑い、二人の先を歩きだす。そうして三人が部屋を出た、その時だった。廊下の先からパタパタとスリッパの音がする。何事かと視線を向けると、侍従長が走ってくるのが見えた。彼女はやがて三人の前まで来ると、少しだけ息を整える間を置いて、
「アザミ様。警察の方がお見えです」
そんなことを告げた。
「警察? 心当たりがないな。一体俺に何の用でしょう?」
顔中に疑問符を浮かべた鉄心。演技でとぼけているワケではないのが、この少年の恐ろしいところである。
「ワタクシにもそこまでは……とにかく話を聞きたいとだけ」
侍従長も詳しくは聞いていないようだ。或いは捜査機密云々で話してもらえなかったのかも知れない。
「その警察は本物かしら?」
「はい。確かに手帳の紋は本物でした」
侍従長が即答。美羽と鉄心が訝しげな顔をした。それを見てメローディアが補足を入れる。
「ウチの、というか、大体の貴族の屋敷で使用人の長を勤める人間は、この国の公的機関の徽章の類は細かいところまで正確に覚えているの。侍従長になる際にそういう試験があるのよ」
なるほど、と得心する二人。つまり間違いなく本物の警官がやって来た、ということらしい。その手帳が盗品などでなければ。
「……応接室にでも待たせておいてもらえますか? 俺たち、腹減ってるんで」
美羽は心底から感嘆する。20人を拉致殺害しておいて、捜査に来た警察を待たせて腹ごしらえと洒落こむなど、とても尋常な精神とは思えない。彼女も多少なり力(匣の再現)を得て理解したことだが、強者になるために本当に必要なのは小手先の技術ではなく、きっとこのような胆力なのだ。
「美羽ちゃん? 早く行こうぜ。今日はビーフシチューらしいよ」
屈託なく笑う夫に、美羽は返す言葉が見つからなかった。
アレックス・リード刑事は爪を噛みながら、ソファーの上で貧乏ゆすりをしていた。侍従長に邸内禁煙を言い渡されたせいで、ニコチン欠乏が甚だしく、しかもそのまま1時間以上待たされている状況に焦れていた。相手が貴人であるメローディアというなら分かるのだが、いくら平良と言えど平民同士。しかも17かそこらのガキに、仮にも大ベテラン刑事の自分が、こうも下に見られている。リードの堪忍袋はそろそろ弾けんばかりに膨らんでいた。
と、ようやく部屋の扉がノックされた。
「お待たせしました。アザミテッシン様をお連れしました」
侍従長の硬い声。そのまま戸が開く。彼女と、その後ろに少年、脇に少女二人が居た。イヤミの一つでも言ってやろうと、リードが少年の顔を見やり、目が合ったその瞬間だった。
「っ!?」
喉元に匕首でも突き付けられたような、背筋が凍るような心地を味わった。目だ。その双眸、そこに怜悧な殺意が宿っていた。いや、違う。まだ殺意を抱かれてすらいない。ただリードを観察しているだけの状態だ。だというのに。少年の視線が彼の顔から爪先まで這うと、さながら妖刀の刃が全身を撫でていくような戦慄を覚える。
「……っ!」
体が無意識に仰け反っていた。恐らくソファーに座っていなければ、尻餅をついていただろう。
(これは……人間か……?)
比喩でも誇張でもなく、目の前の少年は、自分を瞬きの間に殺せる存在だと。リードは、視線の一合で理解してしまった。自分と同じ人間という枠組みに収まっているとは到底思えない。完全な上位存在、捕食者。
「……刑事さん、と聞いてますけど」
対面のソファーにドカッと座った鉄心。その両脇に見目麗しい少女が二人、彼を挟み込む形で腰掛ける。美羽はともかく、メローディアはこの国の王位継承権3位の公爵である。その彼女がまるで彼の付属品であるかのように侍っている状況は、この国生まれ、この国育ちのリードからすると、信じがたいものであった。ただ同時に、納得もしていた。いま自分の正面に座るこの少年は、シャックス家の全てを賭けても釣り合わないクラスの者なのだと。
「俺に何の用でしょう?」
少年の促すような声音。言葉遣いこそ慇懃だが、それがかえって空恐ろしかった。リードは慌てて背広の内ポケットに手を入れ、名刺入れを掴もうとして……二度、三度、ポケットの中で泳がせてしまう。そこでようやく、自分の指先が小刻みに震えていることに気付いた。ようやく掴んだ名刺入れから中身を取り出し(その手つきも怪しいもので、数枚まとめて出てきてしまった中から、どうにか一枚だけ摘まんで)テーブルの上に置いた。
「アレックス・リード刑事、か」
鉄心の冷めた声を聞いて、名前を憶えられたことにショックを受ける中年刑事。
(名刺を出すんじゃなかった。いや、でも、任意の捜査では被疑者に渡すのは通例で。通例? 通例を守って、命を危険に晒すのか? いや、落ち着け。それを言い出したら、顔を見られた時点で)
刑事の思考は千々に乱れていた。この稼業に就いて初めてのヤマでも、ここまで無様に取り乱したりはしなかったというのに。
「……で?」
詰めるような鉄心の単音。取り調べを受けているのは、一体どちらなのか。
「ほ、本日は捜査へのご協力のお願いに参りました」
鉄心ではなく、隣のメローディアに視線を合わせて、リードは用向きを告げた。初対面の権力者というのも大概恐ろしいものだが、鉄心と比べれば、女神にしか見えなかった。
「……なんの捜査かしら?」
「えっと……先日起きました、クーパー伯爵家以下、貴族家子女の集団失踪事件について」
声が掠れそうになって、リードは誤魔化すように軽い咳払いをした。
「事件現場に残っていた、こちら……えっと」
カバンを漁り、クリアファイルを取り出す。メローディアとの受け答えに集中したおかげか、中年刑事は少しだけ平常心を取り戻せていた。
(落ち着け。落ち着くんだ。俺は誰だ。何十年と修羅場を掻いくぐってきた歴戦の刑事だろう)
サイコパスと呼ばれる類の犯罪者も、生育環境から歪んでしまった乱暴者も、不意に魔が差した突発的犯罪者も、練りに練られた計画殺人犯も……全て御してきたではないか、と。
「ふう」
一つ、息を吐いて。
クリアファイルから資料を一枚抜いて、テーブルの上を軽く滑らせた。




