第130話:魔王の片鱗
四本足を巧みに繰り、タタンタタンと器用にアスファルトを走るローズクォーツに、美羽はパチパチと拍手を送る。車に負けない走行速度で、窓から顔を出している魔王様に笑みを向ける余力まである。
「しかし、本当に見咎められないんだな」
骨格が変わり、手足も人型の時よりコンパクトになり、ハッキリ言って異形度合いは更に増した姿(人面犬ならぬ人面虎の様相)をしている。いや、異形の度合いは問題ではないのかも知れない。対向車や歩行者は、そもそも彼女を認識していない様子だ。
「この状態でも撥ねられたら、流石に気付かれるのかしら?」
メローディアの疑問に、ローズクォーツは頬を膨らませてみせる。走りながら実に器用である。
「そんな鈍くさくないっス! 金色とは違うっス!」
「何ですって!?」
仲が悪いハズなのに、妙に息の合った二人のやりとり。
鉄心が嘆息するのと同時、車はゆっくりと貴族街の登坂車線に乗る。その徐行に合わせ、虎娘も足を緩めた。
「……ローズクォーツ、オマエがいる屋敷はどれだ?」
鉄心が慎重に訊ねる。会合の途中で学校を出たのは、一にも二にも、この確認が先決だったからだ。虎娘はわずかに首を伸ばし、前方を見やる。果たして……
「この奥、突き当たりを北っス。多分ここらで一番デカイ屋敷っスよ」
その答えを聞き、メローディアが膝の上でグッと拳を握った。美羽が目顔で訊ねると、一つ頷き、
「確定ね。ウィリー殿下と四層魔族は繋がってる」
言明した。
「……それを前提で動くなら」
鉄心が言いかけて、すぐに頭を振った。車内で話すことでもないな、と。
「ローズクォーツ。当然、シャックス邸の場所も知ってるな?」
「しゃくれ邸?」
「ナメられてるわね……!」
柳眉を逆立てたメローディアを、美羽がどうどうと宥めた。
「俺たち三人が住んでる家だよ」
「ああ! 知ってるっス! たまに覗いてたっスから」
余計な情報までペラペラ喋る。やはりこの魔族にスパイや美人局など勤まるとは到底思えない鉄心。ただ美羽とメローディアの方は全く違う心配をしているようで、
「あ、アナタ。し、寝室なんかは覗いていないわよね?」
「家の中までは流石に入ってないよね?」
夫婦の夜の営みをデバガメされたのではないかと焦っていた。
「んん? デンカの屋敷の屋根の上から覗いてたから、あんまり中は見えなかったっス」
ローズクォーツの返答に二人は胸を撫で下ろす。
「すげえな。結構な距離があるだろうに」
「余裕っスよ!」
鉄心に褒められて鼻高々といった様子のローズクォーツ。
「まあいい。それなら、俺たちが帰宅して少ししたら、こっそり庭から入ってきてくれ。窓を開けて呼ぶから」
まだ完全に信用できていない相手を根城に招き入れるのは抵抗もあるが、どの道、所在地は知られているのだから、隠しても意味はないという判断だった。
「了解っス!!」
心底嬉しそうに返事し、ローズクォーツは大きく跳躍した。どこかの貴族の屋敷の塀に乗り、更にもう一つジャンプ。屋根の上に着地すると、そこから飛び石を踏むような軽やかさで、隣の家の屋根、更にその隣の屋根へと移っていく。
「すごい。20メートルくらい跳んでない?」
「多分あれもヤツの固有能力だろうね。強力な保護色効果と、人間界の虎を更に上回る身体能力といったところか」
メノウやサファイアのように応用の利く能力ではないが、こと戦闘においては、ああいったシンプルな膂力が結局は一番物を言ったりする、とは鉄心の考え。
「……良かったの? 鉄心」
メローディアが三人だけとなったところで、徐に聞いた。
「まあ現状は信用というより、メリットの大きさゆえ、といったところでしょうか」
それに、そういった事を言い出せば、メノウ・サファイア組とて100%の信頼を置いているワケではない。彼らが65%とすれば、ローズクォーツは40%くらい。そういう話を聞かせた鉄心は、
「まあ結局は程度の話にはなってくるんですよね」
と総括する。
魔王に忠誠を誓うという三層組。鉄心に熱を上げているローズクォーツ。一度は敵対と誘拐を試みた三層組。現状は敵勢力の一派に組み込まれているローズクォーツ。まあ、どっこいどっこいじゃないか、と。繰り返しになるが、ローズクォーツも三層組と同じく、裏切らずに積み重ねていけば、両者の間の信頼度の格差は埋まっていくだろう。
「まあそれは人間同士の付き合いでも殆ど一緒ですけどね」
人間同士なら裏切られても、そこまで深刻な事態にはならないので、ある程度簡単に信用する(魔族はみだりに信用しすぎて裏切られると命に関わる)というだけの話かもしれない。
「なのでヤツに関しては、今の所は有益な情報源。メノウの作る首輪を受け入れてくれれば、信頼度をもう少し上げるという感じでしょうか」
「なんかそれって、こっちだけ情報を搾取してるようで……」
人の良い美羽の眉が曇る。
「……まあ、本当に害意なしと判断できたら、剣を教えるくらいはするさ」
鉄心の勘ではあるが、そうなる確率の方が高いのではないかと。あの虎娘の話にも態度にも嘘はないように思えたゆえに。
「っと。着いたわね」
シャックス邸に戻ってきた。
「メノウさんたちは、もう先に防音室に戻ってるんだよね」
美羽の言葉に、家主であるメローディアが渋面を作った。
「冷静に考えれば、三層の魔族たちに我が家のフリーパスを与えてるって状況も中々よね」
「そうですね。65%なんて言いましたが、実態としてはもっと高い信頼度を置いてるかも知れません」
例えば、今まさに彼らが裏切り、屋敷の使用人を人質に取れば、鉄心を御せるかも知れない。彼とてメイドたちには多少なり情も湧いているため、あっさりとは見捨てられないだろう。本丸に招き入れるというのは、そういうことだ。
「人間、近くの者を疑い続けるって、しんどいことなんでしょうね。知らず、まあ大丈夫だろう、の方に流れてしまう」
気を張って過ごせる時間は、そう長くはないということ。
「じゃあ、ローズちゃんもそう遠くない将来、室内で飼えるかも知れないね」
美羽の、のほほんとした総括に二人は苦笑するしかない。
「十傑をペット扱いの美羽が一番大物かも知れないわね」
メローディアの感想に、鉄心も頷いた。
シャックスの家に戻り、車庫から庭に出る。と、そこで。小さな猫を見つけた一行。黄色と黒の体色に……
「って、アレもしかして」
仔猫もとい仔虎は、後ろ足でペタンと地面に座り、前足を片方スッと上げた。挨拶のつもりだろう。
「か」
「か?」
「可愛いー!!」
美羽が大喜びで近付いていく。
「なっ!? 美羽ちゃん!」
鉄心は咄嗟に美羽と仔虎との間に匣を展開。だが、
「え」
美羽が薙ぐように匣に手を振ると、それは一瞬で消失した。壊されたワケではない。ただ純粋に消え去ったのだ。あたかも、鉄心本人が術を解いたかのように、ごく自然に。氣に戻された、と表現してもいい。
美羽はそのまま仔虎の傍にしゃがみこむと、その小さな頭を優しく撫でた。
「みゃ~」
猫そっくりな声で鳴き、気持ち良さそうに目を細める仔虎。
「ちょ、ちょっと美羽! 大丈夫なの!?」
メローディアが心配とも怒りともつかない声音で叫んだ。美羽は仔虎をその豊満な胸の谷間に抱き入れたまま立ち上がる。振り向くと、だらしない表情で笑っていた。生来、動物好きなのだろう。幸せそうである。
「…………オマエ、ローズクォーツなのか?」
鉄心の胸中では未だ匣を掻き消された衝撃が駆け巡っているものの、状況把握を優先させる判断を下したようだ。
「みゃ~ん!」
美羽の乳房に挟まれながら、小動物はご機嫌に鳴いた。それは返事をしたようにしか見えず、
「なんとまあ」
メローディアも目を丸くしている。と、そこで。
「美羽ちゃん……まだローズクォーツを信頼できる仲間として迎えたワケじゃない。勝手なことはしないでくれ」
珍しく鉄心が美羽に対して怒りを見せた。至極尤もな内容ゆえ、美羽もシュンとしてローズクォーツを地面にそっと置いた。
「みゃ~?」
小首を傾げてみせる様子は大変愛らしく、
「くっ。卑怯な」
メローディアにまで効いた。美羽も叱られた直後だというのに、手をワキワキしてしまう。はあ、という鉄心の溜め息が聞こえてきたので、実行には移さないが。
「当初の予定通り、俺たちが家に入った後、中から窓を開けて呼ぶから、それまで待機だ」
仔虎に対して釘刺すように言い放ち、妻二人を中に入れ、自分も玄関扉をくぐった。
「テッちゃん、ごめんなさい」
「……まあ過ぎたことは仕方がない」
「うん、ごめん。なんかね……メノウさんやサファイアさんもそうなんだけど、妙に親近感というか、仲間意識というか。そういうのを抱きやすくなってる気がするんだ」
家人の出迎えに軽く会釈をして通り過ぎ、廊下を歩きながら。
「……私、やっぱりそうなんだなあって」
先程の匣の件にしても然り。もっと言うと昨日のトレーニングの際、かなりの再現度で匣を構築できた時点で、天才・鬼才の域を軽く凌駕していた。
魔王。
その力が、その存在の特性が、本格的に目覚め始めているのだろう。
ただ美羽の表情には恐怖の色は殆どなく、静かに受け入れているような雰囲気を鉄心は感じ取っていた。




