第13話:ハゲ呪術
五限、六限と受け持ちの授業がなかったサリー・マクダウェル先生は職員室で、1-3の帰りのホームルームで話す内容を整理していた。配るプリントに誤字が無いかなどをチェックし終え、顔を上げて掛け時計を見やると、そろそろ六限も終わろうかという時間を指していた。六限の始まり辺りに鉄心が扉を蹴っているのを見た時には、色々と覚悟していたが、どうやらその後は抑えてくれたのだろう。
ほっと一息。マグカップに淹れた珈琲をチビチビとやる。どうかこのまま。
「サリー先生! 大変! 大変だよ!」
ああ、ダメだったか。教諭は意外にも静かに受け入れる事が出来た。願いながらも、そう上手く行くはずないという予感はあったのかもしれない。
職員室のドアを乱暴に開け放った生徒は貴族クラスの女子だったが、サリー先生と同じく名ばかり貴族(男爵家の四女だとか)で、あまり堅苦しい礼儀作法は嫌っている節がある。
「何があったんです?」
全力疾走してきたのだろう女子生徒は、膝に掌をついて息を整えてから、顔を上げ、一気に捲し立てた。
「例の薊くんが子爵のボンボンたちを三人まとめてボコボコにしたショックでリグス先生がハゲたの!」
「ちょっと何言ってるか分かんない……」
逃げ出した鉄心は自分の方へ誰も来ていないことを確認し、校舎の裏側までやって来た。そこで立ち止まり、もう一度周囲を確認してから、ズボンのポケットから小袋を取り出し、先程シリウスから引きちぎった毛髪を入れておく。そしてブレザーの内ポケットに入れたままの藁人形と小瓶を取り出した。念のため一組だけ忍ばせておいたのだ。
「まさかこんな短期間に更に二つも手に入るとは」
取り敢えずは、乾いてしまうと効果が薄くなるかもしれない汗の方を試そうと考える。実際に汗を媒介にして呪を使った事がないので、媒体に有効期限のようなものがあるのかは鉄心自身知らない。性質上、味方や知人で実験するワケにもいかず、存分に呪を試せる環境というのは今回が初めてだった。
故にまた鉄心は罪を重ねる。先程と同じ手順を済ませ、邪刀で人形を庭木に磔にした。しばらく氣を流し込むと、やはり黒い炭となって風に乗って散った。
「うーん」
今回はもう氣の充実を感じない。というより、先程の模擬戦あたりから、もういつも通りに戻っていたらしい。何だったのだろうと首を捻る鉄心。確変期間中に打ったハゲ呪術は通常より早く、そして甚大な効果があった。あそこまで禿げたのは初めてだ。リグスは今やパキケファロサウルスのような頭になっている。
(今しがた行った呪いは確変後なワケだし、発動は明日以降かな。効果も小さいかも)
実験サンプルとしてデータは欲しいが、少し望み薄かも知れない。そもそも汗が媒体だったら、多少の発汗異常あたりの、外から見て判別がつかない効果しか出ない可能性もある。咄嗟の思いつきだったので、鉄心もそこまで考えが至らなかった。
「しくったかなあ。まあ……バランス取るためにやったと思えば」
鉄心は報復措置だけを目的として邪刀の力を揮ったワケではなかった。彼のユニーク、邪正一如は非常に強力な魔導具だが、ノーリスクで使える代物ではないのだ。聖刀と邪刀、二つの使用バランスを極力1:1に保っている必要がある。バランスが崩れると、使用が著しく少なかった方の刀の力が暴走を起こす。鉄心自身を傷つける可能性もあるし、周囲の人間を巻き込む可能性もある。なので、邪も聖も別なく自然に揮える精神性が必要不可欠なユニークなのだ。逆に言うと、そういう人間でないと刀の方が飼い主として選ばない。鉄心にとって、悪意の発露は息を吸う行為、善意の発露は息を吐く行為。それくらい自然にひとセットになっている。
ぐるりと回り、鉄心がグラウンド側へと戻ってくると、サリー先生の指揮下で事態は収拾へと向かっているようだった。シリウス、ジーンの両名は学園の車で病院へと運ばれた後のようである。一度逃げた生徒たちもサリー先生の指示の下、再びグラウンドへ集結している。彼らから随分と離れた所に、リグスは膝を立てて三角座りし、ガックリと項垂れていた。背広を羽織のようにして被り頭部を隠している。犯罪を犯し連行される人間がテレビカメラのフラッシュを避けるための格好に似ていた。まあ現状だとフラッシュするのは彼の方だが。
「あ! 薊くん! どこ行ってたの?」
サリー先生が駆け寄ってくる。
「いや、リグス先生のアレが空気感染とかするタイプのだったら嫌だったので」
今も鉄心はわざとらしく匣を発動させて、顔の前に展開している。左手で光るブレスレットを掲げて見せた。それを見て、サリー先生はやや引きつった顔でリグスを振り返る。指を少し舐めて空にかざし、風下でないことも確認した。他の生徒たちも何人かは同じようにしていた。
別段、鉄心は演技力に長けるワケではないが、無駄に堂々としているため、彼の関与を疑う者はいないようだった。まあ、そもそもシールダーで通っている彼が、人間の髪を脱毛させられると考えるのは荒唐無稽に過ぎた。
だが残念なことに、生徒たちの怪我に関しては、濡れ衣を着せられているらしかった。いわくシリウスに敵わないとみた鉄心が、近くに居たジーン・ライド組を巻き込んでケガをさせたという苦しい筋書きのようだった。
「この証言について……何かある?」
鉄心の実力を知っているサリー先生の内心では色んな感情が渦巻いているらしく、複雑な表情をしていた。貴族生徒たちの真っ赤な嘘なのは分かっているが、正面きって貴方たち嘘ついているでしょう、とは言えない。さりとて鉄心に濡れ衣を着せるのもあまりに理不尽だとも考えている。加えて言うと、冤罪を被りそうな鉄心がどう動くか恐ろしい。彼女にはそろそろ胃薬の準備が必要になってくるかもしれない。
「あー、そういう事になってんの」
笑い混じりの鉄心の返答。
「仮に彼らの言う通り、俺が乱戦に持ち込んだんだとしても、結局3対1でボコボコに負けてんのは変わんない気がするんだけど……まあパパやママに泣きつく時に同情アピールしやすいってことかな?」
完全にバカにした声音で、生徒たちを見回す。筋書きを書いた人間はすぐに見つかった。非常に顔立ちの整った男子生徒が鉄心をじっと睨み返している。他の生徒たちは鉄心と目が合うと、みなスッと視線を外す(どうやらガチで危ない奴だと認識されたらしい)中、その生徒、ロレンゾ・クーパーだけは未だ瞳に力があった。
「……まあ、それで良いんじゃないですか? どうせ平民が何言ったって変わらないだろうし。何か処分はあるんですか? 学校として」
「いえ、今のところは、何とも言えないです。一度持ち帰ってラインズ校長とも協議します」
サリー先生は生徒の前だと言うのに鉄心に敬語を使ってしまっていた。半分怯えるような声音と言い、これでは教師と生徒というより、新米テイマーと猛獣だ。小声で注意しようか迷ったが、冷静になるまでもなく、鉄心は自分に原因の100%近くがあることを自覚して、やめた。
「とりあえず、今日はチャイムも鳴っていますし……貴族クラスはホームルームなしで、これで下校してください」
生徒たちは少しだけ固まっていたが、その言葉を合図にやがて校舎へと歩き出す。
(あいつらが失せてから行くか)
鉄心も着替えの必要はないが、カバンを1-3に置きっぱなしだ。だが、あの集団に混ざって歩いても、お互い気まずすぎる。
と、そこで流れに逆らうように鉄心の側へ歩いてくる生徒が居た。それに気づいた集団にもどよめきが起こる。しかし、そんな周囲の反応など、どこ吹く風といった態度で、その生徒は歩みを止めない。
やがて鉄心の目の前で立ち止まった。遠くからでも凄かったが、近くで見ると、息を呑むような美しさだ。卵型の小顔に、彫りの深い鼻立ち、二重まぶたに大きな瞳、唇も小さいながら瑞々しく、全てのパーツを神が手ずから作ったと言われても信じてしまいそうだった。
一同が固唾を飲んで見守る中、その小さく形の良い唇から言葉が紡がれる。
「薊くん、少し時間を貰えないかしら」




