第127話:ローズクォーツ(前編)
にわかに緊張感が増してきた館内。美羽は昨日一日で何とかモノにした匣のイメージトレーニングを脳内で繰り返している。メローディアは足手まといになると分かっていても、いざとなればせめて一太刀、という気概を漲らせていた。またメノウとサファイアは、すぐにでもゲートを出して人間界へ行けるよう、三層で待機している。
「ふうう」
鉄心が一つ息を吐いた、その時だった。突然、館の扉が開いた。ガーッと、それはもう勢いよく。そして入って来たのは異形の女。鼻と唇は人間のそれだが、髪(というより頭を覆う体毛か)は黄色と黒の斑。その上に虎の耳が二つピョコンと立っている。人間の耳があるべき場所には何もない。Tシャツを着ているが、袖から覗く腕には髪と同じ色合いの体毛がびっしりと生えている。下半身はスカートだが、そこから伸びる両足も同様。丸きり獣の手足だった。
その異形の生物が、
「ああ! てっしーん!!」
猛烈な勢いで飛び込んでくる。
「てっしへぶっ!?」
そして途中で見えない壁にぶつかった。もちろん鉄心が張った匣(三重にしてある)である。流石の反応速度ではあったが、鉄心の表情自体は驚きに固まっていた。まさかゲートではなく、扉から入ってくるとは想定外もいいところだった。
「もう。この壁、邪魔っスよ!」
腕を突き出して、グッグと押すが、ビクともしないので、魔人は頬を膨らませた。人間っぽい仕草ではあるが、間近の鉄心はその鋭い歯と、猫科特有の縦に細長い黒目を見た。
「てっしーん。これを解いて欲しいっス」
「聞けない相談だな。まずはこの状態のまま、話を聞かせてもらおう」
強硬な声音に、虎娘も渋々だが従う。
「最初に確認だが……オマエが件のローズクォーツか?」
「そうっス!」
やたら元気な返事に、鉄心は顔をしかめる。どうも地声が大きい、というより咆哮のようですらあって、近くで聞くと鼓膜に響きすぎる模様。数歩下がってから、
「なんか手紙と微妙にキャラが違う気がするな。本当に本人か?」
文中の言葉遣いは半端な敬語だった気がする、と鉄心。
「手紙ではおしとやかに。やまとなでしこ。良いインショーを与えておいて、会えばこっちのもんス。これぞ作戦勝ち。マンガで読んだっス」
中々すごい情報が飛び出した。マンガを読む十傑。どんな作品を読んだのかは知らないが、だいぶ偏った知識だな、と鉄心は内心で苦笑する。そこに美羽が口を挟んだ。
「そういうのはバラしたらダメなんじゃないかな?」
ローズクォーツはその言葉に、初めて鉄心の後ろを見た。美羽と目が合う。
「おお、魔王様っス」
「うぐ。魔王」
美羽も頭では分かっているが、実際にメノウたち三層以外の魔族にもそう呼ばれると中々にクるようだ。
「で、なんで言っちゃダメなんスか?」
「駆け引きっていうか……そもそもあの手紙は別にお淑やかではなかったよ?」
「そ、そうなんスか!?」
心底驚いた、といった感じのローズクォーツ。美羽はフフフと優しく笑って。
「今度、もっとお淑やかの見本になりそうなキャラクターが出てくるマンガ貸してあげるよ」
「本当っスか!? 流石は魔王様っス!」
魔王は関係ないが。
「……」
「……」
何故かあっという間に仲良くなった二人に、鉄心とメローディアは口を半開きにしたまま固まっていた。スピード展開すぎて完全に置き去りにされていた。
「ローズクォーツ。アナタ、鉄心の番になるとか書いていたけど」
それでもメローディアが話を進める。が、セリフを言い終わる前に。
「そ、そうだったっス! てっしん、僕と番になるっス!」
バカでかい声に掻き消されてしまった。求婚を受けた鉄心は、首をフルフルと左右に振った。
「生憎と、俺はソールドアウトだ。そっちの魔王様と、こっちの公爵様の共同出資で買い取られたんだよ」
悪いが他を当たってくれと手をヒラヒラさせるが、ローズクォーツはイマイチ分かっていないようで、小首を傾げた。売り切れだとか、出資だとか、魔族には馴染みのない言葉なのでは、と美羽が注釈を入れようと口を開く。が、その前に。
「僕はてっしんに剣を習って、可愛がってもらえば、それで良いっス。他に番がいても良いっス」
ローズクォーツがとても動物的なことを言う。結婚の概念を、人間と同じ理解度で捉えていないのかも知れない。だが美羽もメローディアも言葉を紡げずにいる。自分たちがやっている事も実際、大差ないからだ。強いオスに囲われ、庇護を受けて愛情を返す。
「……可愛がるってのは、性的なことか? それとも犬猫のように膝に乗っけて、頭でも撫でれば良いのか?」
「それっス! 頭やお腹をなでて欲しいっス! それで十分っス。他の番もなでて良いっス!」
性的に可愛がるという意味は分からないようだった。そして所望するのはペットのようなグルーミング。妻二人はホッとする。正直、美羽の方は三人目もやむなしかと考え始めていたが、もっと牧歌的な形で決着してくれるなら、それに越したことはないのだった。
「まあ……性自認はともかく、生殖機能がないのは変わらないんだから、そういう欲求も無いんかもな」
鉄心が顎に手を当てながら。どちらかと言うと内弟子(スキンシップあり)といったところか。恐らくだが家に押しかけ、寝食を共にし、それが男女(彼女は自分を女性と認識しているため)となれば、人間のする結婚という制度が一番近いと、そういう思考プロセスを辿ったのだろう。今回はズレてしまったが、書物から学習できるだけ、鉄心の体感としてはゴシュナイトより知能は高いのではないかと思われた。
「まあそういう事なら、私たちとしても共存は不可能ではないわ」
メローディアが余裕アリの笑みを浮かべる。だがそれが気に食わなかったのか、
「金色! オマエ、偉そうっス! 弱いくせにハツ、発電権はないっス!」
「な!?」
鉄心は勿論、美羽にも友好的だったため、メローディアも油断していた。強さでランクを付けているということは、鉄心が一番上、次いで自分、同じく無尽蔵の魔力というポテンシャルを秘めた美羽、最下位にメローディアという形になるのだ。
「アナタ、私と取って代わるつもりね!? この泥棒猫!」
激するメローディア。
(すごい。リアルで泥棒猫って言う人、初めて見たよ)
変な感心をする美羽。
そこで鉄心がパンパンと手を打ち合わせた。
「ローズクォーツ。剣を教えてやっても良いが、条件がある」
話の行方を実益のラインに引き戻した鉄心。メローディアも冷静さを取り戻し、黙って夫に任せた。
「条件?」
「情報を寄越せ。オマエの知ってることは全部、聞かせてもらう」
「良いっスよ」
軽い。
「あとそっちの子は俺の妻だ。普通に発言するし質問もする。オマエも俺や美羽ちゃんと同じ位置付けで接しろ」
「……」
「納得がいかんか? 彼女は人間の中では普通に強い部類だし、何よりも人間界では単純な暴力だけが強さの指標じゃないんだ」
つい最近、家の力を振り回す連中に、美羽やクラスメイトを傷つけられるという汗顔モノの失態を犯したばかりの鉄心の言葉には実感がこもっていた。
「まあおいおい分かる。そういうのも教えてやる」
勿論ローズクォーツが信用に足ると判断できれば、の話ではあるが。それは今からの尋問にかかっている。ここで信に足らずとなれば、内弟子どころか、骸を晒してもうらう事になるのだから。
「わ、分かったっス! 金色も殺さないでおくっス!」
イマイチ分かったのかどうか。青筋を立てるメローディア。今にも拳を握りそうなその腕を、美羽が胸に抱き入れて落ち着かせていた。
鉄心が指をパチンと鳴らす。それを合図に小型のゲートが館内に現れた。中からメノウ、サファイアの二人が顔を出す。匣の向こうのローズクォーツの姿を確認し、それから美羽たちの隣に控えた。まるきり鉄心の従者のような立ち位置で、虎娘の方から見ると、まさに一団は魔王軍のようだった。本物の魔王が後ろで、人間が先頭に立っているのは不思議な話だが。
「さて。全員揃ったことだし、始めようか。まずは、そうだな。オマエは俺とゴシュナイトの戦闘を覗いていたんだな?」
「そうっス。バカ犬が単独行動してるって聞いて、上から物を落としてイタズラしようと待機してたっス」
ロクでもねえな、とサファイアがツッコミ。
「つまり、あの洞窟の穴開いてる天井の方に居たってことかな?」
「そうっス。いきなりアイツの鉄球が飛んでくるからビックリしたっス」
「当たらなくて良かったね」
「はいっス」
美羽との絡みでは本当に素直である。二人、相性がかなり良いようだ。
「まあとにかく、これはタダゴトじゃないと思って、様子を見てたっス。そしたら、とんでもない剣士の姿を見たっス」
それが鉄心。
「それでこの人こそ、僕の番だ! と思ったっス。でも飛び出して行ったら殺されそうだったから、一球を案じることにしたっス」
「一計ね」
「むう」
逆にメローディアとの絡みでは不快げだ。片眉(これもよく見れば黄と黒の斑だった)を下げた。
「その際に、オマエの友達、残りの二匹に俺のことは話したか?」
「話してないっス。あと、友達でもないっス。というかアイツらは嫌いっス」
メローディアに対する時よりも更に嫌そうな声と顔。ウソを言っている様子には見えない。というより、スラスラと嘘をつける悪知恵はなさそうである。オーケーと、鉄心が頷く。
取り敢えず、内弟子審査の第一関門クリアといったところだ。




