第118話:公爵の立ち回り
美羽とメローディアの二人は王城にいた。メローディアの顔パスで美羽も簡単に入れたが、メノウは流石に連れては行けなかった。いつでもゲートを出せるように構えて、三層で待機させている。鉄心としては、未だメノウたちが鬼の居ぬ間に主を魔界に連れ去る可能性は捨てきっていなかったので、この配置は都合が良かった。もちろん彼はメノウに口頭でも言い含めたのだが、
「先に裏切った人間が、何故そうもエラそうに……」
と呆れ返っていた。また、
「心配せずとも、ミウ様が望まぬことはせんよ」
という言質もあって、鉄心は単独行動に踏み切ったのだった。
そんな経緯がありつつ。
美羽は今、メローディアに連れられ、城の廊下を歩いてるのだが……
「うぅ」
フカフカの絨毯を土足で踏むことに、凄まじい罪悪感を覚えるらしく、一歩一歩が雪上を進むようだ。
「早く歩きなさい。陛下がお待ちよ」
「うぅ」
それも分かっているのだが、そもそもその女王陛下に会うというのが、これまた彼女の胃を痛くする原因だった。
「……」
鉄心が単独行動を決定した際、メローディアが真っ先に提案したのが、美羽と二人での登城だった。狙いは三つ。一つはまず安全確保の為。シャックス邸にチンピラ連中が突っ込んでくるとは思えないが、念には念をという格好だ。そして鉄心のみならず、メローディアもまたメノウを完全には信じきれていない。対等な口こそ聞いているが、本来は実力に大きな隔たりのある相手。鉄心という枷がなければ、極論、何をされても止められないのだ。つまり、フィオットの手の者にせよ、メノウにせよ、おいそれと手出しできない場所、それが王城だったのだ。
二つ目は美羽の面通し。これから何かと問題に巻き込まれる可能性のある妹分を思えば、この国の最高権力者とのパイプはあって困ることはない。また国王からしても、後々活きてくる人脈となるだろう。互いに利がある。
そして最後の三つ目。鉄心から国王を守る為だ。どうも鉄心はこの国の女王にあまり良い感情を持っていなさそう(先の九層探訪の際の言動などを鑑みれば)なのが透けており、いざとなった時、どうなるか未知数である。そして鉄心に聖域など期待するだけ無駄。となると、美羽と親交を温め、有事の際はなるべく便宜を図るという約束を取り付けるのが吉だろう。鉄心は美羽には滅法甘いので、その彼女に利するなら、という寸法だ。
(腐敗貴族は助からないけど、せめておば様は……)
そこまで考えてメローディアは眉間を揉んだ。ここまでの根回し……これが魔族や国賊からではなく、自分の夫から守るという話なのだから、割ととんでもない。
(はあ……あんまりこういう裏工作じみたのは好きではないのだけど)
好きではないが、それでもサラッとこなせる辺り、流石は公爵。伊達に貴族社会で生きてきたワケではない。
と。廊下の先から、護衛と侍女を引き連れた、恰幅の良い男が歩いてくるのが見えた。金髪は所々薄くなっており(鉄心の分類だとマダラハゲという感じだろうか)、顔にもシミが目立つ。かなり上等なタキシードを着ているが、それが逆に浮いてアンマッチな印象だ。
やがて男は、互いに声が届く距離までやってきた。
「……これは王弟殿下。ご機嫌よう」
メローディアがドレスの端をつまんで、優雅に淑女の礼をする。美羽は慌ててその二歩ほど後ろに下がり、ペコリと頭を下げ、そのままの姿勢を維持する。平民の挨拶がこれだ。道の端に寄り、貴人が通り過ぎるまで頭を垂れ続ける。作法を教わった時、まるきり大名行列を見送る町人だ、と美羽はカルチャーショックを受けたものだった。
「うむ。変わりないようだな」
「はい。お陰様で」
高貴な身分の二人が簡単な挨拶を交わす。王弟はそれ以上は何もないようで、先んじてメローディアとすれ違う。公爵もそれを見送り……その途中で彼が頭を垂れたままの美羽の胸に無遠慮な視線を送ったのを見て、不快げに眉を寄せた。
(好色ハゲデブ親父)
メローディアの彼に対する率直な評価が、それである。本当に、あんな男の第二夫人などと……考えただけでメローディアは寒気がする。
(昔はもっと大人しかったハズだけど)
良くも悪くも、あまり印象に残らない男だった。それがアックアの大虐殺を境に、本性を現すようになった。姉であるノエル女王の求心力低下が背景だろう。ルウメイ人の夫の公金横流し、しかも送金先が裏切者たるルウメイ皇家と知れ、国民のバッシングは凄まじいものがあった。当時はノエルの退位を求める署名活動まで、街のあちこちで起こったものだ。だが、災害復興の手並み(日本との強固な同盟も含め)が評価され、何とか沈静化。だが未だ支持率は低空飛行気味なのも事実だ。それを見込んでの増長、ということだろう。
(或いは、あわよくばという権勢欲もあるのかしら)
そこまで考えて、メローディアは目を閉じ、大きく息を吐いて気持ちを切り替えた。今は取り敢えず美羽を女王と謁見させることが優先だ。
下卑た視線から守るように、美羽の手を引き、軽く腰を抱くようにして歩き始めたメローディア。王城では無作法な振る舞いだが、知ったことではなかった。可愛い妹分と下らない礼儀作法、どちらが大事かなど論ずるまでもない。
急かすように歩き続け、やがて廊下の突き当たり、謁見の間へ。その大扉の横手側には小さな扉がある。そこをメローディアはカードキーで開けた。そこから更に廊下が続く。謁見の間の長い全長に沿うように伸びたそこを進むと、やがてコの字の角を曲がって、間の裏側までやってくる。ほぼ城の最奥、女王の私室の扉が見えた。廊下の向かい側の扉は、ちょうど玉座のすぐ後ろに繋がっているらしく、部屋から廊下に出てすぐにそのまま謁見の間へも行ける造りになっているようだ。
「うぅ」
「そのうーうー言うのをやめなさい」
いよいよ対面という段で、美羽が再び怖じ気づく。私室の扉を左右から挟むように仁王立ちする近衛兵の二人がチラリと目玉だけ動かして美羽を確認した。公爵が客人を連れて訪ねるという通達は、当然彼らも事前に聞いてあるが。それにしても変哲のない平民にしか見えない美羽を、一体何者だろうかと訝しむのも無理はない。それを窘めることもせず、メローディアは扉をコンコンと控え目にノックした。
「おば様、参りました」
「はい。少し待って頂戴」
中から涼やかな声が返ってきた。そしてすぐにカチャンと錠の回る音がする。メローディアの方からノブを捻り、ドアを開けた。美羽もそこに続く。くぐる時、不意に気付いたのは、扉が魔鋼鉄製だということ。一目で見抜いてしまった。なにか、自身の魔王としての才が開花しかかっているように思え、複雑な感情を抱く。と、
「よく来てくれたわね。さあ、紅茶の準備も出来てるわ」
先ほどの清冽な声が間近に聞こえ、美羽は今の状況を思い出す。途端にドッドと心臓が早鐘を打ち始めた。一国の王と対面するなど、入学前の自分に言ったら鼻で笑うだろうな、などと現実逃避気味なことを考えた、次の瞬間。ヒョコッとメローディアの後ろを覗き込んできた美しい女性の顔と真正面から見つめ合った美羽。悲鳴を上げなかっただけ、彼女にしては上出来だ。
「こんにちは」
気さくな笑顔で声をかけてくる女王。
「あ、こ、こ、こんに、こんにちは。じょ、女王、陛下におかれましては」
しどろもどろ。言葉を発する度に脳が痺れるかのような錯覚まで抱く始末。メローディアもノエルも頬を緩める。そのもちもちボディも相俟って、
「確かに、聞いていた通り、可愛らしい子ね」
と、女王からの第一印象は上々のようだ。美羽は恐縮して、消え入るような声で礼を言った。
「そんなに硬くならないで。ほら、二人とも入ってちょうだい」
ノエルが先を歩いて、室内へ。するとすぐに内扉に出迎えられる。この先はもう本当の本当に、女王本人か、その家族(即ち一人息子の王子)くらいしか入ることのない場所だ。完全な防音仕様。その上、女王自らが毎日、探知機を使って盗聴機の類が無いことを確認している部屋だ。そしてその内扉もまた魔鋼鉄で出来ていた。貴重な金属をこれ程ふんだんに使用できるのは、正に国家元首といったところか。
「さ、どうぞ」
促されて中に入る(ここで靴は脱ぐ)と、意外に簡素な部屋の造りで、美羽は驚く。机は黒檀の上質な素材だが、過度な装飾などもなく、至ってシンプル。椅子も同じ素材の、頑丈だが無骨な造り。ベッドに敷いた厚いマットレスは良い物なのだろうが、創作物などで有りがちな、豪華な天蓋などはない。部屋のカーペットの上、白いオシャレなテーブルだけが唯一、実用性よりデザイン性を重視した家具のようだ。そこを掌でさして、
「さ、お掛けになって」
ノエル女王が柔和な笑みで誘った。メローディアが先んじて座ったので、美羽はどうしたものか狼狽えたが、対面の女王に更に手振りで着席を促され、恐縮しながら椅子に腰かけた。
「ふふ、そんなに畏まらないで頂戴。この部屋の中では、ただのノエルと決めているのよ」
軽くウィンクする様子が可愛らしく、美羽もようやく少し笑った。




