第117話:疑似餌
メローディアの携帯が鳴ったのは、病院で三人(上原だけは無傷だが)を医者に診せ、人心地ついた頃だった。鉄心からの報告で、無事に敵方の人間を捕らえることに成功した、という内容だった。ついては、メローディアは先に自宅へ戻っていて欲しいとのこと。
「アナタも美羽も免許は無いでしょう? メノウは鳥だし」
「ああ、大丈夫ですよ。ゲートで何とかなるみたいですから」
メノウいわく、一度魔界に戻り、また任意の場所にゲートを開くという芸当が出来るらしい。まあ言われてみれば、彼らは神出鬼没、縦横無尽に人間界を脅かしているのだから、それくらい朝飯前、という事か。その理屈を解明できれば、人間社会に大変革が起こりそうだが、いま論じるトピックでもなかった。
「分かったわ。すぐに戻る。けど田中さんたちは本当に病院に任せて大丈夫なのね?」
更なる襲撃がないか、と危惧するメローディア。
「はい。敵方の人間から狙いは美羽ちゃん一人だったと証言を得ています。その子達に関しては、単純に邪魔だから暴行を受けたということです」
鉄心は敢えて淡々と話したが、聞くメローディアの内心は腸が煮えくり返りそうだった。
「……今は抑えて下さい。必ず報いは受けさせますから」
正直な所、クラスメイトは勿論、美羽まで傷つけられた事で、鉄心の中では呪復活という目的よりも遥かに復讐の色合いの方が強くなっている。静かに燃える憎悪の炎を、メローディアも感じ取ったようで、あとは何も言わず、指示に従うことにした。
そうして、車を飛ばすこと二十分ほど。彼女が自宅に戻ると、既に鉄心たち三人は揃っていた。ちなみにジェームスは魔界にて拘束中、黒髪男の遺体はサファイアのオヤツとなっている。
「美羽……!」
足に包帯(公園での転倒後、消毒と手当てをしてある)を巻き、鼻も擦り傷があるのか、小さな傷テープを貼っていた。抱き着いて良いものか判断つかないメローディアを美羽の方から抱き締めた。
「ああ、可哀想に」
抱き返して頭を撫でるメローディア。美羽は嬉しいやら、くすぐったいやらで目を細めて笑う。その様子を鉄心とメノウは、静かに見守っていた。
ロレンゾ・クーパーは自身のパソコンがメールの受信を告げた瞬間、目にも止まらぬ速さでマウスを走らせた。足がつかないよう秘匿性を万全にしてある回線だという父の言通り、このメール自体は誰にも覗かれていない。もっとも送り主が書いた時点で何者かの検閲が入っていたら、お手上げな話でもあるが。
カチカチとクリックを繰り返すロレンゾの頬がだらしなく緩む。涎すら垂れそうな勢いである。メールにはこう書かれていた。
『対象を捕獲しました。またその対象を人質とし、件のアタッカーと思しき少年の捕縛にも成功しました。添付の画像をご確認ください』
言われた通り、添付画像を開くと……縄で縛られた松原美羽(これはジェームスをおびき出すのに使った写真の使い回し)、そして同じように縛られた薊鉄心の姿が映し出されていた。脳内麻薬がドパドパと溢れ、ロレンゾの脳内を水浸しにする。
「ああ……ああ! なんという! なんという!」
語彙を失ってしまったようだ。今ならジェームスに10倍の報酬を要求されても喜んで払ってしまいそうである。爪が食い込むほどに強く両拳を握り、何度もグッグと胸の前で振った。
「そ、そうだ。イザベラ達にも連絡しないと!」
急転直下で、しかし圧倒的に好転した事態に浮足立っていたが、チーム内で共有すべき事項と思い出し、携帯を掴む。興奮で取り落としそうになったが、何とかメールを……いや、それすらまどろっこしいのか、電話をかけた。
「も、もし、もしもし!」
興奮はまだ冷めきっていないようで、舌が上手く回らない。
「ど、どうされました?」
電話口のイザベラは若干ヒキ気味である。だが続くロレンゾの言葉に、彼女もまた息を飲んだ。
「松原と薊を捕まえた!」
上擦った声で、短く告げる。
「やったんだ。僕たちの勝利だ」
そう言いながら、自分で放った勝利という言葉に、ロレンゾは勝手に悦に入っていた。こんなに上手くいくとは正直な所、思っていなかったのだ。首尾よく美羽を拉致できれば御の字。ダメでも自分を辿られないように父のルートは使わなかった。まずは布石を打ち、尻尾は掴ませないまま、じわりじわりと追い詰めてやる。そういう作戦だった。それが棚から牡丹餅のように完全勝利が舞い込んできたのだ。認識の方が追いついていないのも無理はないのかも知れない。
「全員集合だ! 祝勝パーティーといこうじゃないか。もちろん肴に、松原と薊を嬲りながらな」
ニタリと獰猛な笑みを浮かべるロレンゾ。イザベラも電話口で全く同じような顔をしていた。
「どうだろう? シリウスのヤツも。髪がアレなら帽子やバンダナでも着けてくれば良い。なにせ薊を好きなだけ殴れるんだ。自分で仇討ち出来る絶好の機会じゃないか」
「良いですね! 説得してみます!」
ハツラツとした声が返って来て、ロレンゾも胸が空くような思いだ。友人の仇討ちにも手を貸せる。こんなに素晴らしい事はないだろう、と。
「では私は他の者達にもグループメールを送信します。ロレンゾ様は使った者に詳しい場所などを訊いておいて下さい」
「ああ! 忙しくなるな、これは」
尤も、こんなに嬉しい雑用は他にない。通話を切り、二人とも各々メールの準備をする。ロレンゾは手つきからも喜びが溢れるようで、文面が完成すると、エンターキーを踊るように叩いた。
それから僅か一時間後。ロレンゾ派閥の全ての学生が集結した。廃人に近いジーン・ダグラスを除けば、全員。そう、シリウスもやって来た。バンダナの上に帽子という完全防備だが、笑う者は居なかった。集まった全員が一応はローブを羽織るなりで正体を隠しているので、あまり目立たなかったというのもある。車を傍のパーキングに止め、全員で連れ立って取引の指定場所へ向かう。西区の外れ、倉庫街となっている一帯。その倉庫の一つは表向きは貿易会社の所有だが、実際はその会社はフロント企業で、フィオット商会とズブズブである。その関係で時に違法な用途で使われているのだ。
「お待ちしていました」
倉庫の鉄扉の前でジェームスが待っていた。鼻を固定するようなバンドをしており、顔のあちこちに絆創膏も貼られていた。その上からサングラスをかけているのだが、どうにも締まらない。
「……ああ、出迎え御苦労。しかしその傷は」
「ええ。まあ抵抗もありまして。人質の女を見せたら大人しくなりましたがね」
なるほど。鉄心と争った跡か、と納得する一同。
そのままジェームスは鎖の上から二重に掛けられた南京錠を順に外した。鎖をどけ、取っ手を持つと、勢いよく倉庫の扉を開ける。中へ進んでいくその背に、ロレンゾたちも続いた。そして裸電球に照らされた一角に、鉄心を発見する。手錠を掛けられ、足にも枷を嵌められている。一同に「わあ」という歓声が起こった。本当に、本当にあの薊鉄心を捕らえている。いつもの余裕は鳴りをひそめ、険しい表情。しかし間違いなく、本人だった。
「よくやってくれた! 報酬は弾むぞ」
「俺からも出してやろう」
「私も。素晴らしい仕事だよ」
口々にジェームスへの賛辞を述べる一派。ロレンゾがその中から歩み出て、
「女の方は?」
訊ねた。ジェームスは鉄心の隣、こんもりと盛り上がった毛布を指した。
「ウチの実動部隊が無茶苦茶しましてね。服も無い状態で。ショックで出てこれないようです」
そう言うと、
「ぎゃははははは!!」
イザベラが大笑いする。
「だっせえ。あんだけイキッてて、目の前で女ヤラれてんじゃねえか!」
取り巻きたちも釣られてクスクスと笑った。
「なにが超高校級シールダーだよ」
「ね。チンピラごときに寝取られた負け犬だよ」
「なんで生きてるんだろう。恥ずかしくないのかな」
「おー怖っ! 睨んでるぜ!」
「あははははは!」
「隣の女はもうテメエじゃねえ男の種で妊娠してるかも知れないんだぜ? それでも律義に守っちゃってんのか? ん?」
口々に囃し立てる面々。少しでも注意深い者が居れば、後ろに控えるジェームスが青い顔をしているのに気付けたかも知れないが。
「おい、どいてくれ」
シリウスが歩み出てくる。ツカツカと進むと、思いっきり鉄心の腹を蹴り上げた。が、そこには透明の壁。
「おい! どうなってんだ! シールドが出せるなんて聞いてないぞ!?」
怒り任せに叫ぶが、ジェームスは既に場を去ろうと背を向けていた。そして、
「ねえねえ。犯されまくってグチャグチャの豚の顔、拝んでやろうよ?」
シリウスの脇を抜けて近付いてきた取り巻きBが鉄心の隣、毛布に手を掛ける。
「あははは。良いねえ。御開帳といこうぜ。そこの役立たずのゴミ男なんか庇うから、そんな目に遭うんだよ。本当に豚並みの知能しかねえのな!」
イザベラも嘲笑を浮かべながら同意。そしてBが毛布を勢いよく剥いだ。が……
「は?」
毛布の下にはマネキンが手足を折り曲げた状態で横たわっているだけだった。と、同時。扉から出ようとしていたジェームスの首が吹き飛ぶ。ブシャっという音と、次いで体が倒れる音。
薊鉄心が、殺意に据わった目で貴族たちを捉えていた。




