第116話:わらしべ長者
黒髪男が運転するバンは、ゆっくりと公園の外周に止まった。片足が満足に動かない状態だが、それでも事故を起こさないように必死に運転したのだが……その努力は、果たして実を結ぶことはなかった。運賃代わりにブラックマンバのレーザーを後頭部に受け、一瞬で絶命させられたのだ。
「……」
美羽は何も言わなかった。茶髪男を殺めた時もそうだったが、グッと堪えるように唇を引き結んだまま。約束を違えた鉄心の非情に思うところがないワケではないのだろうが、それを咎める権利が自分にはないと理解しているのだ。それに、あそこまで諸々と知られてしまった相手を帰す事は出来ないし、何より仲間を傷つけられた落とし前はつけなくてはならない。そういう事情を思えば、寧ろ一瞬で殺してやったのは、せめてもの慈悲だったのだろう、と。
「さてと」
鉄心が外套を羽織る。男の遺品だ。フードを目深に被れば、遠目には偽者と気付かれないハズだ。少しだけタッパが足りない(男は200センチ、鉄心は185程度)のが心許ないが。
「行こう」
美羽を伴って、鉄心が車を降りる。メノウも助手席から出て、すうっと藪の中へ。翼も広げていないが、フワリと舞うような動きだった。鉄心たちは外周を周り、藪の途切れた小路から公園内に入る。ここを真っすぐ進めば、ロレンゾが訪れた公衆トイレの傍に出る。
(なるほど。小路は偶然できたものじゃないな)
社会の裏側の住人が日常的に使っているのだろう。
(恐らく警察も裏で繋がってる、か)
流石にタレコミの一つも入っていないというのは考えにくい。事実上の黙認、黙殺の対応だろう。
「……バレないかな?」
美羽が不安げに訊ねた。
「まあ最悪バレても、相手を捕まえることが出来れば、こっちの勝ちだからね」
あとは何とでも、と言外に。先程の二人組への尋問の様子を見れば、美羽としても納得だった。倫理的な話は置いておくとして。
藪を進み、やがて少し開けた場所へ。朽ちかけた公衆トイレが見えた。軽いアンモニア臭に、かすかに混じる嗅いだことのない匂い。美羽は鼻を鳴らすが、鉄心にやめておけと小声で注意される。どうも、あまり体に良くない薬物のソレらしい。
「……いた」
背広姿にサングラスとマスク。体格は中肉中背。黒髪男から聞いていた特徴と合致する。ジェームス、だろう。鉄心がもう一歩、踏み出そうとした、その瞬間。
「アザミ! 撃ってくるぞ!」
藪の奥から鋭い声。メノウだった。鉄心は素早く反応。聖刀を抜き放ち、四方に匣を展開する。その直後、ダダダダと重たい音が幾重にも響く。鉄心が周囲を確認すると、低木の葉の隙間から黒い筒が幾つも覗いている。重火器を携えた、ガタイの良い男が何人も潜んでいたようだ。鉄心も当然、気配は感じていたが、いきなり撃ってくるとは想定していなかった。
「ひゃああ!?」
驚いたのか、匣の中で美羽が転倒する。その際、下生えに紛れていた枯れ枝で足を切ったらしく、腿の辺りから出血している。それを見た鉄心は怒りに目尻を吊り上げた。
「ナメくさりやがって……!」
匣に小さく隙間を開け、そこからハゲしメタルを伸ばす。四方に枝のように伸びたそれが、男たちに迫る。その異様な物体に、
「なんだ!?」
「う、撃て、撃て!」
恐慌に陥った男たちが銃口を向け、発砲した。しかしそれは悪手も甚だしく。人間界の金属を余さず弾くハゲしメタルの餌食となる。撃つ端から跳ね返ってくる弾丸が降り注ぎ……やがて完全なる静寂が訪れた。
と。
「ぐあっ!」
少し離れた場所で、男の短い悲鳴。少しあって、メノウが無力化させたジェームスの体を引き摺って戻ってくるのが見えた。
「やっぱ人手があるのは良いな」
鉄心も正直、対象の捕縛まで一人でやるのは骨だ、と考えていたところだったのだ。以心伝心、やるべき事を心得た実力者と共闘できる有り難さは、久しく味わっていなかったが。ただただ純粋に楽だなと、しみじみ感じるワケだ。
「さてと。ジェームスさん、だったかな?」
鉄心の前まで連れて来られた背広の男。顔を強く殴られたのか、頬が徐々に腫れ上がってきていた。サングラスも弦が折れ、用を成さないまま、中途半端に耳に引っ掛かっている。
「まずは、なぜ俺が偽者だと分かったのか、教えてもらえるか?」
ジェームスは座ったまま、鉄心を見上げる。悪人相で凄まれると、カタギの人間は怯むのかも知れないが、鉄心にとっては単純に不快なだけだった。
瞬く間にブラックマンバを抜き、両肩を撃った。鮮血が舞い、苦悶の声を漏らしかけた男の顔面をサッカーボールのように蹴り上げる。悲鳴が立ち消え、折れた歯が数本、口の中に刺さったようだ。
「立場が分かってないみたいだな。俺はお願いしてるんじゃないんだ。命令してるんだよ」
柔和な笑みを浮かべながら、しかし目だけは全く笑っていない鉄心。
「……答えろ」
ドスの利いた低い声に、ジェームスが慌てて首を縦に振った。面倒くさい、と鉄心は思う。毎度毎度、この手の輩は行動パターンが同じだ。子供相手とナメてかかって、手痛い反撃を受けて。それでもまだワンチャンス探して、更に痛めつけられて。そこでようやくゲームオーバーを悟る。鉄心からすると、相手が代わる度に、このルーティンをやらされるワケだから、いい加減、飽きもくるというもの。
「ふ、符号がある。メールの最後に、合言葉を入れるように指示してあった」
焦っているのか、ジェームスの話は微妙に分かりにくい。要するに、その符号が文末になかったから、怪しんで重火器隊を配備していた、ということだろう。最初から疑念を持たれていたのなら、なるほど、身長の違いや歩き方のクセ等の小さな差異でも十分な判定材料となる。
「これは一杯食わされたか」
メノウが嘆息。黒髪男の狡い立ち回りに、鉄心も呆れ返る。恐らく鉄心とジェームスの両者がぶつかり合っているドサクサに紛れて逃げる気だったのだろう。とは言え、実際はこの取引の場まで生かしておいてはもらえなかったので、作戦は水泡と帰したが。まあいずれにせよ、鉄心の「助けてやる」という言葉を鵜呑みにするほどバカではなかったらしい。
「あんなに楽に殺してやるんじゃなかったか」
不快げに眉根を寄せた鉄心は、バンが停まっている辺りを振り返る。既に遺体は魔界へ送った後だが。
「……まあ、今は些事だろう」
メノウが宥め、そのままジェームスを見下ろした。
「で……オマエはどこの所属だ?」
包帯でグルグル巻きになった顔から、目だけギョロリと動かした。
「……」
逡巡。言えば組織の人間に殺されるのかも知れない。だが、
「ハキハキ喋れば、楽に殺してやるぞ」
喋らなければ今度は苦痛にまみれた死が待っているだけである。ならせめて少しでも苦しみが少ない方法で旅立つ為か。或いは一秒でも長く生き永らえたいという本能ゆえか。やがてジェームスは観念した。
「フィオット商会の下部組織で飼われてる」
やはりその名が出たか、と鉄心。とは言え、相当大きな反社会的組織のようなので、ただちにベックス、ロレンゾの系列とも断定できない。
「オマエに仕事を依頼したのは誰だ?」
「分からない。一見さんだ」
「なに?」
とぼけているなら承知しない、と凄んでみせるが、男は慌てて顔の前で両手を振る。
「ホントだ! 金払いが良いから、特別に……その、組織には内緒で」
語尾はゴニョゴニョと掻き消えそうな声量だったが。
「なるほど。それでこんなことがバレたら殺されるワケだ」
鉄心が指摘すると、ジェームスはガックリと項垂れた。
「しかしこれは……」
フィオット商会の関係者にコンタクトが取れている時点で、普段から関わりのある人物なのは間違いないのだろうが、如何せん容疑者が多すぎる。鉄心も職業柄、裏社会の法則は多少なり知っているつもりなのだが、大抵の場合、その国で一番大手の組織は、驚くほど関係者が多い。権力とも結びついているケースが殆どだ。つまり腐敗貴族の大部分は(依存度の差こそあれ)顧客と見て間違いないだろう。その中で美羽を狙う意義のある人間となると更に絞られるが、いずれにせよ確証が出てこない。
「オマエに依頼した相手の特徴は?」
「Rと名乗っていたが……マントとフードで風体は分からなかった。男の声だとは思うが、仮面もつけていたから、くぐもっていて」
つまりほぼほぼ何の情報もないということだ。
「Rねえ」
ロレンゾのイニシャルはRかⅬか。いや、ファミリーネームの可能性もあるし、そもそもテキトーにアルファベットを使っただけかも知れない。それどころか代理で来た人間のイニシャルや思いつき、まで考慮すると、とてもじゃないが使える情報ではない。
「……」
黙考する鉄心。顎に手を当てたまま、軽く虚空を見やり、数秒。ふう、と小さな息を吐いた。結論が出たようだ。美羽が思わず喉を鳴らした。
「まあ仮にロレンゾじゃなかったとしても、そいつの地獄行きは確定なワケだしな。呼び寄せるか」
平坦な声で告げた鉄心だったが、据わった目に慈悲の光は一片もなかった。




