第114話:大噴火
ハゲしメタルで足を雁字搦めにされた状態でもがいている黒髪男の方へ素早く近づくと、鉄心はブラックマンバでもう片方の足を撃ち抜いた。
「ぐああああ! がっ……はっ!」
うるさいので、後頭部に匣を落とす。アスファルトにキスしたまま、ミシミシと男の頭蓋の軋む音がする。
「やべで……だずげ」
まだうるさいので、鉄心はその上から思い切り踏みつけた。ゴキッと鈍い音が響く。鼻骨か、前歯が折れたか。
「……」
「……」
田中、浜垣の両者は絶句。遅れて戻ってきた上原(車の鉄心たちを先に行かせた)も、その光景を見て、口をポカンと開けていた。
「……」
怒りに震え、槍でハチの巣にしてやらないと気が済まないと思っていたメローディアも、鉄心の鮮やか且つ苛烈な暴力を目の当たりにし、いつの間にか溜飲が下がっていた。冷静になると、家宝を下衆の血で汚すのも躊躇われる。
「テッちゃん……」
無傷かと思われた美羽も、よく見れば鼻血を出していた。後頭部を殴られた時、抱え込んでいた膝頭に鼻を打ち付けてしまったようだ。それを見て、鉄心は意識混濁中の茶髪男の方にも、もう一発、怒り任せの蹴りを入れた。それで頭がハッキリしたのか、苦悶の声を上げるので、相方と同じように、顔の上に匣を落として声が出せないようにする。
「……」
鉄心の目は、瞳孔が開ききっていた。殺してしまう。この場にいる全員がそう思った。なのに恐ろしくて誰も制止できずにいた。だが、予想に反して鉄心の暴力はそこで一旦止まった。クルリと振り返り、浜垣たちの怪我の状態を見る。「ひっ」と短い悲鳴が上がる。彼女らの目はとても同級生の男子を見るそれではなかった。
「メロディ様、この子たちを病院に」
「え? あ、ええ」
呆けていたメローディアが声を掛けられ、やるべき事を認識する。運転手に合図し、車を幅寄させた。うずくまる田中を、鉄心が抱き上げようと近づく。
「あっ」
「怖い?」
「あ、えっと」
「信じてほしい。俺がキミを傷つけることはないよ。むしろ……」
鉄心としてはボコボコに殴って欲しいくらいであった。慢心、油断、軽視。四層にはバレていないという確度の高い推測が成った時点で安心してしまっていた。矮小な学生の児戯など考慮に入れていなかった。「まさかここまでするなんて思わなかった」は言い訳でしかない。そういった小さな可能性を全て潰してこそのガード。プロの仕事というものだ。
「本当にすまない。治療費は全額、こちらで持たせて欲しい。見舞金も必ず」
「鉄心、それは私の役目よ」
メローディアとしても悔恨の極み。仮にも自分の従兄弟の仕業(である可能性が高い)、責任を感じるなというのは無理だった。下手人たちの成敗も結局は鉄心任せにしてしまった事だし、尚更、自分に出来るのは金を出す事だけだと。その意図を汲んだのか、今はこんな些事で言い争っている場合ではないと判断したのか、とにかく鉄心はコクンと頷いた。
その後、鉄心が丁重に二人を抱え上げ、車の後部座席に乗せた。その頃には彼も平常に戻っており、田中も浜垣も素直に身を委ねた。
「メロディ様、もし何かありましたら」
「分かってるわ。すぐに連絡する」
病院へ向かう怪我人たち(&上原)とメローディアの班。そして鉄心と美羽の班。二手に別れる事とした。
十中八九、チンピラたちの雇い主はロレンゾの一派だろう、ということ。ならば更に上位の貴族のメローディアがついていれば迂闊なことは出来ないだろうという推測。仮にそれでも襲ってきたとして、流石に街のチンピラ程度ならメローディアが負ける道理はない、ということ。以上をもって、彼女に田中たちを任せる決断を下した。
(本当は念のため俺もついて行きたいんだがな……体が二つ欲しい)
実際のところ、美羽を狙っていた以上、まだ四層連中の差し金という可能性を完全には排しきれない。奴等が人間と手を組むとは考えにくいが、例えば人心を操る能力を持った個体がいるやも知れない。或いは家族でも人質に取って言うことを聞かせた可能性もある。一体、頭の切れる個体が居るとの情報もあり、そいつが様子見に人間を斥候として利用したという線は……
「いや。考え出したらキリがねえな」
鉄心は頭を振って、思考の海から浮上する。シャックス家の車が曲がり角を曲がっていくのを見送って。鉄心は振り返る。所在なさげな美羽と、その向こう、未だ拘束されたままの大男二人。
「て、テッちゃん。これからどうするの?」
美羽がハンカチを鼻に当てたまま話す。まだ血が止まっていないらしい。
「裏にいる人間について訊ねるよ、彼らに」
そう言うが早いか、鉄心は聖刀を抜き放ち、氣を送り込む。男たちを取り囲むように、匣を四面に展開。それらは乳白色をしており、視線を遮る壁となる。鉄心は美羽を伴って自分もその囲いの中に入ると、
「さて、と」
通学カバンから、ドアノブを一つ取り出した。
「それ……」
「うん。ここじゃチョットね。積もる話もあるからさ」
この場合、積もっているのは憤怒や憎悪の類だろうが。
鉄心がノブを地面に軽く放る。そこに氣を込めると、ノブが例の動きを始め、変形していく。
「よし。ちゃんと俺でも作動するみたいだな」
そう頼んだのだから、当然と言えば当然ではあるが。まだ鉄心の中でメノウに対する完全な信用が構築されているワケではないので、半信半疑の所はあったのだ。
「三層に」
繋がるのか、と美羽が聞き終わる前に、ノブが扉の形を取り、その向こうの景色が露になった。乾いた土の上に岩がゴロゴロと転がっている、殺風景な荒野のようだった。鉄心は茶髪男の足を掴み、引き摺っていく。アスファルトに顔が擦れるのか、フゴフゴと豚のような喚き声。そしてそのまま、鉄心は男をゲートの向こうへ投げ入れた。
「ぐあっ!? こ、ここは!?」
何とか顔を上げた茶髪男は、あまりの景色の違いに唖然とする。足から流れる血がジワジワと土の上に広がっていく。鉄心は男の質問に答えることもなく、踵を返した。残る黒髪男を見据える。
「ひっ! や、やめてくれ! 俺たちは」
言葉が終わる前に匣が飛び、男の鼻に思い切りぶつかる。ドゴッとまた鈍い音。鼻柱はいよいよ曲がってはいけない角度になっていた。鉄心は男の苦悶の声を無視し、こちらも足を抱えて、引き摺っていく。そして先と全く同じように放り込んだ。
と、そこで、サファイアが近づいてくるのが見えた。嬉しそうに目を輝かせている。ケーキを見付けた時の美羽そっくりだ、と鉄心は思ったが口に出す愚は犯さない。ただでさえ先代魔王と似てる似てないで一悶着あったというのに、今度はサメが比較対象ではあまりに無体だ。
「飯か!?」
「ひいいい!! なんだコイツ!?」
「うわああ!! く、来るな!」
サファイアの接近に、男たちは怪我の痛みも忘れて、声を張り上げる。弾かれたように半身を起こし、尻餅をついたまま後退りする。片足は相変わらず動かないが、そんな事も失念するほどの恐怖だった。人語を話す二足歩行のサメが、自分たちを捕食しようと突進してくるのだから。
「おい、誰が下がって良いって言ったよ?」
そこに鉄心の冷たい声。次の瞬間、男たちの背中と尻に電撃が走る。不可視の壁のようなものにぶつかって、そこから痛みを与えられたようだ。邪刀・檻。万全ではないが、この程度のチンピラを痛めつけるには十分な威力である。
前門のサメ、後門の平良。自分たちが生き残る道が皆無に近いことを、そろそろ認識し始めた二人組だが、それで大人しく観念とはならない。
「た、助けてくれ!」
「俺たちは頼まれただけなんだ!」
「も、もう手を引く!」
「警察にも言わないから!」
代わる代わる。必死に言い募る相手は……厚顔にも美羽だった。まあこの場で一番情のある相手なのは間違いないが。
「……」
そろそろ鼻血は止まったようだが、赤くなったハンカチが痛々しい美羽の姿。その事に謝罪すらないのだから、鉄心は呆れて物も言えない。いや、もはや自分たちが殴った事すら頭から抜け落ちているのかも知れない。
鉄心はそっと美羽を見た。この優しい少女が、どう出るのか純粋に興味があった。果たして美羽は、
「……ないで下さい」
小さな、傍の鉄心ですら聞き取れないような声を出した。
「え?」
男たちの顔に微かな希望。もう彼女しか縋れる相手が居ない、その状況で反応が返ってきたのだ。否が応にも期待するだろう。だが、その希望は儚く砕け散る。
「ふざけないで下さい!! 自分たちは頼まれただけ!? 万智たちを殴ったのは自分たちの意思でしょう!! そもそもそんな依頼を請けたのだって自分たちの意思!! 私たちがやめてって言った時、アンタたちはやめた!? 更に殴ったよね!! なら同じことされたって文句なんか言えないハズでしょ!! 自分、自分、自分!! 自分は他人に何してもよくて、自分がされそうになったらやめてくれ!? 何様のつもりなの!!」
爆発。ここ最近の不条理に対する溜まりに溜まった不満まで込めたような、美羽の人生史上、最大の噴火だった。




