第11話:互いの策謀
教室の男子たちがゾロゾロと出て行く。どうやら男子更衣室へ行くようだ。ここら辺は女子が多い学校ならではというか、当然多数派が強い。全員が出て行った後、鉄心がはたと気付いて周囲を見回すと、「いつまで居るんだよ」という視線が彼に突き刺さっていた。しかし直接文句を言われないのは、先程の教師との一悶着が効いたと見える。やはり暴力。暴力こそが(以下略)。
カバンを持ち教室を出るも、男子更衣室の場所が分からない。辛うじて最後尾あたりを歩いていた男子生徒の後を追うが、先に更衣室に入った後、内側から施錠するカチャリという無機質な音が響いた。試しにドアを引いてみるが開かない。
「もしも~し、開けてください」
ガチャガチャとやってみるが、室内から反応は無かった。先程までなら嘲笑が聞こえてきそうな場面だが、今はじっと息を殺している気配がある。明らかに潮目が変わった事を示していた。遊びながら狩れる圧倒的強者の油断から、もしかしたら食われるのは自分たちなのではないかという警戒への移行。
「チッ」
最後に鉄心はドアを強く蹴る。金属扉がゴウンという音を廊下に響かせ、サリー先生が慌てて職員室を飛び出した。大股で歩き去って行く鉄心の背中が見えたが、彼女は何も見なかったことにした。
「メチャクチャしやがるな。あの平民」
貴族クラスにおける男子のリーダー格、伯爵家三男のロレンゾ・クーパーは吐き捨てるように言った。実際、鉄心はメチャクチャだった。初日に子爵家の娘を病院送りにし、校長を恐喝し(これは生徒たちは知らない事だが)、二日目は大遅刻してきて、教師相手に示威行為。一周回って、彼が秘密の使命を帯びているなどとは誰も思わないだろう大立ち回りだった。
「如何しましょう」
子爵家次男シリウス・キーンがお伺いを立てる。
「そう言えばキミの妹御がケガをさせられたんだったな」
シリウスはイザベラの年子の実兄である。面長の顔が良く似ている。
「行けるかい?」
「愚妹も先程の教諭も侮りすぎたということでしょう。悔しいが……アレが強力なシールダーであることは認めざるを得ない。だが、所詮シールダーはシールダー」
そこまで言って不敵に笑う。
「二人つけて下さい。多方向から攻撃を入れてやれば、鈍亀のように縮こまる無様を晒すでしょう。焦れて前に出れば袋叩きです」
「ああ、そいつは良い。ジーン、ライド! シリウスをサポートしろ」
ドア近くで着替えていた二人の学生が神妙に頷く。痩せて背の高い方がジーン、青い瞳とソバカスが特徴的なのがライドだ。二人とも本音の所はそこまで選民意識が強い方ではないのだが、ロレンゾに逆らう愚は犯せず、またそのストレスを更に身分の低い者へぶつけてストレスを発散するという循環に陥っている。生贄を前提としたクラス構成は既に完成されているのだった。
男子トイレの個室に籠り、鉄心は体操着カバンとは別の大きなバッグを漁る。着替える気は失せた。どうせ制服のまま動いた所で、彼らの攻撃が鉄心に当たることなど万に一つも無い。ルールだから着替えようとしたまでで、向こうがそのルールを守らせる気が無いのなら、彼としても別に守る必要も義理も無い。
「よし」
バッグから取り出したのは、両端をゴムバンドで留めた二つの藁の束だった。縦にした束の下側のゴムを外し、藁の間に挟むようにして横向きの束を差し込んでいく。二つの束が十字に交差した。
「メッチャ久しぶりだな、これ作んの」
縦の束の下側の藁を二股に分けていく。上手く二等分した後は、それぞれゴムバンドで結束した。完成だ。古式ゆかしい藁人形である。続いてバッグから小瓶を取り出すと、中身を手で掬い人形に塗り付けていく。あっという間に藁は赤黒く変色していく。魔族の血だ。満遍なく行き渡った所で、小さなジップ袋から先程回収した毛髪を取り出す。それを人形の頭の部分に、藁を掻き分け差し込んだ。
小刀サイズに調整した邪刀を鞘から抜き放ち、人形を個室の壁に抑え付け、頭めがけて躊躇なく刺した。板張りの壁は豆腐に包丁を入れたように、スルリと刀身を受け入れた。
「邪刀・呪」
小さく呟き、刺した刀に氣を送る。五秒、十秒、十五秒……たっぷり一分以上は経っただろうか。ゆっくりと手を離す。刀を抜き、人形を手に収めると、真っ黒に変色していた。いや、炭化しかけている。便座の蓋を上げ、それを水の中に放り込んだ時には、ボロボロと崩れ、黒い粉になっていた。掌同士を打ち合わせ、手についていた粉も払った。パンパンという音が柏手のようだった。「呪いがよく効きますようにってか」と鉄心は内心で苦笑いするも、あながち的外れではないとも思う。本家の丑の刻参りだって、神社の境内の樹を使う。聖か邪かなど関係なく、捧げる想念が強ければ強い程、純粋な願いと言えるのかもしれない。
オリビアは鉄心のコレを「ハゲ呪術」と呼んでいる。正確には呪いたい対象の髪の毛や体液、血液などを媒介にして行う呪術なのだが、必然的に最も採取しやすい髪の毛を使うケースが多くなる。そしてまた、発動箇所も媒体に引きずられる事が多い。必然この呪術の後、対象に現れる呪いの効果は脱毛が多くなる。ちなみに初日の朝に二人が話していた、鉄心を面罵したクライアントというのも、この呪術によって側頭部から持っていかれた。
「それにしても……」
練氣の充溢を感じる。先程の鎌鼬と檻も非常にキレがあった。ならば今回の呪も、いつも以上の効果があるかも知れない。メッチャ禿げるかもしれない。
更衣室が使えない以上カバンを置いておく場所も無いので、鉄心は仕方なく三階まで上がり、1-3の教室に置かせてもらうことにした。クラスの皆は彼から事情を聞き(ハゲ呪術のこと等は言わず、更衣室を締め出されたことだけ伝えた)我が事のように憤ってくれた。美羽などは罪悪感や同情が高じて、危うくまた鉄心を胸に掻き抱きそうになった。何も出来ないけど愚痴くらい聞くからね、とクラス中が口々に言ってくれ、鉄心は心から癒されるのだった。
少し自クラスで時間を取り過ぎたらしく、鉄心がグラウンドに姿を現した頃には始業から六分経過していた。二時限連続の遅刻に加え、制服から着替えておらず、教師(五限と同じ人だった)は怒り心頭といった表情だった。
(まだ楯突く気概があるのか)
やはりラインズのように濃厚な死の気配を浴びせなくては駄目だろうか。
「キミね、やる気が無いんなら、もう帰って良いよ」
「はーい」
そのままUターンして来た道を帰っていく鉄心。慌てたのはロレンゾとシリウスだった。計画が台無しになる。
「リグス先生! ま、待ってください」
「ナメた一年生を教育するのも勤めではないですか」
教師(リグスと言うらしい)は渋面を作る。考えあぐねていたが、ロレンゾの腹案ありげな目配せを見て、結論を出したようだ。
「薊くん、戻りなさい」
だが無視して歩いていく鉄心。
「薊くん! 聞こえないのか!」
うるさそうに振り返る。目顔で「何の用だ」と聞く。
「戻って来なさい。授業を続ける」
「アンタが帰って良いって言ったから、帰るんだけど?」
「……それは」
「自分が間違っていました。やる気なくても良いんで残って下さいって言うのが先では?」
「貴様……」
リグス教諭の顔が憤怒に歪んだ。控えるクラスメイト達も敵意を露わにし、剣呑な空気が場を支配する。鉄心はチラリと女子の集団、そこから一歩外れた位置にいるメローディアを見た。目が合ったが、それだけだった。
(やはり動きなしか)
現状、援護も対立もしてこない。どういった思想、立場なのか判然としない状態だ。
リグスが何か言い募ろうとした所で、馬面の青年が歩み出てきた。
「先生、コイツは俺と組みます」
言外に、任せて下さいというニュアンスだった。シリウス・キーンの瞳には憎悪の光が宿っていた。




