第107話:悪魔でも英雄でも
「ねえ、あの人……」
「うん。例の……」
廊下を歩く鉄心の後ろから、女子生徒たちのヒソヒソとした話し声が聞こえてくる。あれから二日、すっかりこれが鉄心の日常になってしまった。
さぞロレンゾたちは喜んでいるのだろう、と思いきや。実はそうでもなかった。と言うのも、彼らが目論んだ方向性とは幾らか毛色の違う敬遠のされ方をしているのだ。
「新任のユニーク持ちの教師を圧勝で倒したって」
「倒したっていうか、殺しちゃったんでしょ? ヤバくない?」
人の口に戸は立てられない。鉄心とベックスの正式決闘、ならびにその結末まで、瞬く間に学園中に広がってしまったのだ。そのせいで、衣服泥棒の件より遥かに大きな話題を作ってしまった。もしかしたら、薊鉄心はあの学園防衛の時の平良、その張本人ではないか、という以前からの噂にも信憑性が増した。恐ろしい殺人者か、はたまた学園の英雄か。邪か正か。分からぬまま、しかし強烈に人を惹き付けてしまうのが、強さというものなのかも知れない。
(ぶっちゃけ……どっちでも同じだけどな)
その強さを、鉄心は正しい方向にも誤った方向にも振るう。正誤は後から暇な学者にでも論じさせておけばいい。それが彼の言い分だ。自分はただガムシャラに強くなり、気に入らない相手は、どんな立場や地位だろうと殺し、気に入った相手は万難を排してでも生かす。
人は所詮、善意だけでも悪意だけでも生きてはいけない。正しいことだけしなくちゃいけない。常に正しくなくてはいけない。そんな事は微塵も思わないし、出来るとも思えない。鉄心にとって正義とは、その程度のものだった。
「おはよー」
今日はサポートクラス、1―3組で午前の授業を受ける。
「おはよー!」
「おーっす!」
この組の少女たちは、衣服泥棒の嫌疑に関しては、貴族連中の嫌がらせと正しく看破していた。というより、事件直後、美羽がいち早く説明し、全員がそれに納得したのだった。
「テッちゃんや。またお手紙が大量だよ」
田中らが、鉄心の机の上に積まれた手紙の束を見ながらニヤニヤする。
ラブレターである。このクラスの生徒たち同様、彼の冤罪を信じている者……というより、先も述べたように純粋な強さに憧れ、恋心をしたためるようだ。この世界では戦闘力はステータス、である。しかし強者は粗暴者、というケースも少なくないのだが、何故かこういった男に惚れる女は、自分にだけは優しくしてくれると勘違いでもするのか、盲目的な好意を口にする。
まあしかし鉄心はゴリゴリのトップアタッカーでありながら、身内には非常に優しいので、彼女らの理想なのかも知れないが……そういう優良物件には既に買い手がついているのが、世の常でもあって。
(今更モテてもなあ……)
彼は女には困っていないのだ。昨夜も美羽の乳房を頬張りながら、メローディア相手に飽きるほど放ったばかりで、もはや下半身に少しの倦怠感すら残るほどである。
「テッちゃん……」
隣の席の美羽が少し心配そうな顔をしていた。鉄心は大丈夫、と微笑む。彼の中では、共に苦難を乗り越え、運命共同体となった二人の少女、彼女らを差し置いて他の有象無象の女に走るつもりは毛頭なかった。
「ねえ、やっぱ二人ってさ……」
美羽のグループの一人、上原が鉄心たちを見比べた。言いたいことは概ね察せられる。二人、以前より少しだけ互いの立ち位置が近い。時々さりげなくボディータッチがある。何か通じあったようなアイコンタクトを交わしたりもする。鉄心以外、女子だけのクラスにあっては、こういった所から容易に読み取られてしまうようだ。
「……」
「……」
ただ二人とも明言はしていなかった。というのも今の鉄心は良くも悪くも火中の栗。新たに恋人発覚となれば、美羽まで延焼しかねない状況だ。ただでさえ、メローディアを落としたのでは、という噂も飛び交っているのに、重婚の事実をバカ正直に話すなど、焼身自殺に等しい。
ということで、現状は二人とも、のらりくらり追及は躱している状態。登校時も、美羽は校門から徒歩一分ほど(その一分間も鉄心としては心配の種なのだが)の場所で、シャックス家のリムジンを降りるようにしている。
「まあでも……テッシンは全然アリだよね」
「うん。守ってもらって、養ってくれて」
都合の良いことを言っているクラスメイトのエミールたち。美羽が少しムッとした表情をした。おんぶに抱っこの状況を何とか少しでも改善しようとしている彼女としては、それに胡座をかくような女(勿論エミールたちも冗談半分だろうが)に負けるものか、という気概もあるのかも知れない。
(大丈夫だってのに)
そんなに漁色家にでも見えるのだろうか、と鉄心は自分の頬に軽く触れる。
と。教室の前側の扉が開き、サリー教諭が入ってきた。朝の挨拶を交わし合う教諭と生徒たち。その内の一人、このクラス唯一の男子生徒と目が合うと、サリーの笑顔がぎこちないものになる。
(やれやれ)
取って食うワケでもないんだがな、と嘆息する鉄心は、机の上のラブレターを全てカバンとは別のビニール袋に放り込んだ。
ロレンゾ・クーパーは痛みを堪えるかのように、眉間に何本もの皺を寄せていた。対面に座るイザベラも、今にも歯軋りせんばかりの表情を浮かべている。取り巻き二人も明らかに面白くなさそうな雰囲気。
昼休み。貴族御用達、学園北側の食堂で四人は作戦会議を開いているのだった。
「半分くらい、と言ったところか」
軽蔑半分、恐怖半分。嫌悪半分、魅了半分。四面楚歌、村八分とまで目論んでいたのに、全くアテが外れた。まあ確かに鉄心の犯行を信じている者も多い。明らかに気持ち悪い物を見る目で彼を見ている女子生徒を、彼らもその目で確認した。だが、正面切ってその目を本人には向けられないでいる。精々がすれ違った後、後ろから背中に向けて、という程度。まあ当然だろう。ユニーク持ちのアタッカーすら無傷で殺せる相手に、サポートの平民たちが堂々と喧嘩を売れるハズもない。
ちなみにベックスの件の拡散は避けようがなかった。実際、赴任してきたばかりの教員が死んだのは事実で、その前に訓練場へ入っていくのを何人もの生徒が目撃している。加えて、メローディアが正式決闘で鉄心が破ったのだと普通に話しているのも大きい。
そう、メローディアだ。結局、彼女はロレンゾの予想に反し、ノータイムで鉄心の側についた。今のフィフティ・フィフティの状況を見越して、ということではなく、仮に鉄心がロレンゾたちの目論見通りに学園中の嫌われ者となっていたとしても、彼女は彼の味方だっただろう。そういう強い意思を誰もが感じていた。
「公爵閣下、もしかして本当に」
取り巻きBが紡ぎかけた言葉を飲み込む。ロレンゾに鬼のような形相で睨まれたからである。
「あるハズがない。ないだろう」
既にあの二人が恋仲であるなどという愚物どもの噂など。そう目で制する。女子三人はそれで黙ったが、正直なところ、メローディアの鉄心へのスキンシップ、胸などが触れるのも全く気にした様子もない状況から、手遅れではないかと推測しているが、口に出すほど愚かでもなかった。
「でも実際、公爵閣下の影響力は軽視できません」
メローディアはこの学校では決して社交的なタイプではないが、家柄、容姿、そしてアタッカーとしての実力、救国の英雄の娘という立場……どうしたって一目もニ目も置かれる存在である。
「ええ。あの方が向こうについて、平然と仲良くしている様子から、薊に嫌疑を向けきれない層もあるようです」
取り巻きBが悔しげに。
「自クラスも彼の居場所になっているようですね。仲の良い生徒が、事件後、即座に釈明をしたとのこと」
Aも苦々しい顔で、続けた。
「松原……美羽、ね」
イザベラは取り巻き二人より遙かに醜悪な感情を、声と表情に滲ませている。逆恨みもいいところだが、例の渡り廊下での公開処刑の発端となった相手、ということで悪感情を熟成させているようだ。
「ど、どういたしましょう。ロレンゾ様」
取り巻きたちがハモるように、同時に訊ねる。だが、すぐには返事がない。彼もまた、次なる一手を考えあぐねているようだった。
「学園自体に働きかけてはいる」
女子生徒の衣類を盗んだ嫌疑だ。これがファクトであれば、学園側が何の処罰もナシとはいかないハズだ。だが現状は証拠不十分ということで、ラインズに突っぱねられている状態だ。それどころか、ベックスなどという不逞の輩を学園にねじ込んだ任命責任にまで言及される始末だった。
「ラインズのヤツも、あっち側についたって事、でしょうか?」
まだ風見鶏をやっている雰囲気もあるが、恐らくは7対3くらいで、鉄心側に傾いているようにも見受けられる。と言うより、ロレンゾには、彼が明らかに薊鉄心を処罰すること自体に恐れをなしているように感じられるのだ。
(もしかして本当に、あの平良なのか? いや。そんなハズはない。以前も全員で確認したじゃないか。残るメリットがない。得物も違う)
ロレンゾは今一度、迷いを振り払うように首を左右に振り、
「とにかく、今は署名を集めよう」
今も懸命に一派の者たちが平民たちから署名を集めているが、更にその動きを活発化させる必要がありそうだ。
(負けない。絶対に)
ロレンゾは愛しの公爵の顔を思い浮かべ、拳を握った。




