第105話:理外
最後にせめて一矢報いたかったのか。或いは鉄心本人に敵わないなら、せめてもの道連れに、彼が多少なり交流を持っている相手を殺してやろう、という意図だろうか。
「ゲスの考えそうな事だ。まあそれが分かる俺も似たようなモンだけどな」
乾坤一擲の鉈は……サリーに届く前に、鉄心の張った匣に突き刺さり、止まっていた。刺さった箇所にはヒビが入っている。ベックスの最後っ屁が強力だったワケではない。単純に鉄心の匣の強度が低いのだ。それには勿論、狙いがあって。
(ちょっと試してみるかな)
ある意味、匣によって捕まえられている状態の斬金鉈。そのユニークの周りを取り囲むように更に三面の匣が展開された。そしてその隙間から、蛇が這うように内部に入り込んでいくハゲしメタル。
「な、なんだ? なにを」
困惑の声を上げたラインズ。ベックスはその間にコソコソと這うように、この場を後にしようとして、鉄心がホルダーから抜いたレーザー銃に胸を貫かれた。雑に、虫を潰すように。サリーがヒッと悲鳴を飲み込んだ。
鉄心はその後は、ベックスには一瞥もくれないまま、ジワリジワリと匣の中へハゲしメタルを送り込み続ける。やがて刺さっていた匣からスポンと外れた鉈。その反発の動きは、しかし反対側の匣内部を這っているハゲしメタルにぶつかる寸前で軌道を変える。
「な、何なの、あれ」
サリーは、いつの間にか自身の体を両手で抱いていた。極彩色の糸は意思を持つように、ひたすら内部を埋め尽くしていく。
「……」
より集中力を高めた鉄心。徐々に徐々に匣の包囲を狭めていく。鉈はどこにも行かれないせいで、プルプルと中空で激しく振動する。サリーはテレビゲームのバグを思い出していた。プレイヤーが操作するキャラが、変な箇所に挟まって身動きが取れないまま、四方から圧がかかったかのように、小刻みに揺れ動く現象。あれと酷似していた。即ちプログラム上、想定されていない動き。ただこの世界はゲームではないので、つまり物理法則に穴を開けるような……
そこまで考えて、サリーは更に身震いし、体を抱く手に力が籠る。この世のものとは思えない光景。上下左右から迫る謎の物質に中空で追い詰められるユニーク武器。ギシギシと世界が軋む音さえ聞こえる気がする。意識が遠くなり、吐き気を催してきたサリー。チラリと隣を窺うと、ラインズが鼻水を垂らしていた。歯の根が合わないのか、ガチガチと小さな音も口元から鳴っている。見ているだけで気が狂いそうになっているのは、自分だけではないと知れて、彼女は少しだけ持ち直せた。
「壊れるかなあ、と思ったけど……」
鉄心の残念そうな声。理科の実験を見守る小学生のような純真さが籠っており、教師二人はその異常さに、悪寒が止まらない。だが同時に、この信じられない現象の行き着く先を見てみたいという本能にも逆らえずにいる。好奇心、猫を殺すという日本の諺を彼らは知らない。
「ん?」
と、そこで。もう一段、包囲を狭めた鉄心が異変に気付く。どこにも向かえない運動エネルギーの果て。自壊、破裂、そういった運命を辿ると思われていたが……正解はどれでもなかった。
「闇」
ハージュと出会った部屋が呑み込まれた、あの闇が、匣の包囲の中、ぽっかりと口を開けている。
「ブラックホール……」
サリーの呟いた単語に鉄心はストンと腑に落ちるものがあった。なるほど、良い形容だ、と。この世にあってはならないもの、あの時はハージュの部屋、今はハゲしメタルが生む反発力の競合。いずれも、この第三の金属に関連している。さながら、この闇は世界の法則から外れた物を呑み込む役割のような。
三人が見守る中、闇はベックスのユニーク、斬金鉈をゆっくり吸い込んで、徐々に小さくなって消滅した。
「……」
「……」
「……」
誰も何も話さなかった。いや、鉄心以外は話せない、といった方が正しい。
「サリー先生、映像、撮れてますか?」
不意に鉄心に声をかけられ、サリーは心臓が跳ね回った。改めて。自分は化物中の化物と知己なのだな、と。頭の片隅で恐怖とも高揚ともつかない、謎の感情が沸き上がっている。が、それは今は後回し。鉄心に言われたように、カメラのライトを確認し、撮影中であることを告げる。切って良いと返されたので、そのようにした。
「わ」
鉄心が近付いてきて、つい後退りしてしまうサリー。隣のラインズも倣う。元アタッカーの名折れと言われようが、怖いものは怖いのだった。
「カメラ、ください」
言われるまま、カメラを床に置いて、下がるサリー。ドラマなどでよく見る、人質と身代金の交換のような光景に鉄心は苦笑する。
拾い上げ、中のデータを確認。幾度か頷いて、首から下げた。
「さてと。で、そこの死体の処理はどうすれば良いんだ?」
ラインズに向き直った鉄心は、地面に倒れ伏すベックスの遺体(?)を顎でしゃくる。
「え?」
「警察に任せれば良いのか?」
「あ、ああ。誓約書の筆跡鑑定と、血判のDNA鑑定が済めば、罪に問われることはない」
警察も正直な所、アタッカー同士の戦いなど介入も出来ないし、なるべく関わり合いたくないのだろう。特に今より幾らも世界が不安定だった大戦期、アタッカーたちは戦場では人々の守り手だったが、戦が終わり日常に回帰すると、大抵はならず者だった。勿論、歴史は勝利(実際は小康状態だが)を美しく仕立て上げるものだから、こういった英雄たちの闇の部分は大々的に描かれることはなかったが。
だが、現場(特に警察や軍)としては、ならず者同士の決闘など止める義務も必要もないという見解は長らく持っていて、それは現在でも脈々と続いていた。今回の二人にしても、街のチンピラとサイコパスの殺し合いだ。勝手にしてくれ、というのが本音だろう。
と。そのチンピラの方が、かすかに動いた。サイコパスの方が顔をしかめる。いまだブラックマンバの習熟は遠いようだ。ゴシュナイトの大きな足を至近距離からなら撃ち抜けたが、少し離れた場所の人間の心臓をピンポイントで撃つコントロールはまだまだ身に着いていない、ということ。
「た、たすけて……」
虫の息状態のベックスが、どこへともなく片腕を伸ばす。鉄心は面倒くさそうな顔をしながら、近寄っていく。
「平良の……四位……なんて、聞いてない……ぞ」
「うーん、意外と元気だなあ。心臓にかすってもないか」
ひどく落胆した声が後ろから聞こえ、ベックスが恐怖に顔を歪める。朦朧としていた意識も戻ったようだ。
「ひい! た、助けて! 降参、降参しますから! 先生方、止めてください!」
「……」
サリーの冷めた目。先程、そのサリーへの攻撃を囮にして逃げ出そうとした事、もう忘れたのだろうか。いや、無我夢中で気が回っていないと見るべきか。
「野良犬は生き意地が汚いな」
鉄心が再び銃を構える。もはや聞きたいことも聞き出せたし、実験も出来たし、口は臭いし、生かしておく意味など鉄心には微塵も感じられない。
「こ、降参後の攻撃で死んだら、殺人罪が適用された例もあると聞いたこと……がっ!?」
最後まで言いきる前に、鉄心の強烈な踵落としが後頭部に落ちる。ゴムマットの上で鈍い音が響く。鼻の骨が折れたかも知れない。
「残念だが……もうカメラは止めてある。立会人にしても……オマエが先に御法度をやってしまったからな。弁護は望み薄じゃないか?」
そもそも鉄心に不利になる証言など、恐ろしすぎてサリーには不可能だが。
「ま、待ってくれ! 待ってください! そうだ! フィオット商会に取り次いであげますよ! 権力の中枢にも食い込めるかも知れません! それだけのお力があるなら次は……」
台詞の途中でベックスの後頭部に穴が開いた。聞くに耐えない、といったところか。鉄心は無感情な目で、一秒だけ死体を見下ろしていたが、すぐに踵を返した。
ロレンゾ・クーパーとイザベラ・キーン、その取り巻き二名。計四名の首謀者たちは、裏庭に出た瞬間、会心の笑みを浮かべた。途中、少しのイレギュラーはあったが、概ねは予定通りに事が運んだからだ。
ロレンゾとしては、メローディアが鉄心側に回っているのは、歯噛みする思いではあるが。だがまあ、今後、学校中から性犯罪者として白眼視される鉄心の傍に居続けることは彼女でも出来ないだろう、と気を取り直す。自分ならば確実に切り捨てる状況ゆえの推量だが、メローディアは彼のように薄情な人間ではないという点を考慮できていなかった。人はどうしても自分の物差しで事象を測りがちである。
「明日から更に追い込みかけるよ。アンタらも使える平民は総動員しなよ」
イザベラが取り巻きたちに指示を出す。二人もヘラヘラと軽薄な笑いを浮かべながら、委細承知といった様子だ。
「ふふ。まあその前に、ベックスの奴に焼き入れられて、情けない姿で帰ってきそうだけどね」
ロレンゾも底意地の悪い笑み。彼としてはその無様な鉄心の姿に、メローディアが幻滅することも期待していた。
だが。
「ロレンゾ様、イザベラ様!」
裏庭に駆けこんでくる女子生徒の姿。もちろん腐敗貴族の一派の人間で、決闘の話を聞きつけ、その舞台である訓練場に偵察に向かわせていた者だった。
「どうした? 薊が整形外科送りにでもされたか?」
ロレンゾの嘲笑混じりの声に、しかし少女は首を横に大きく振った。




