第104話:正式決闘
時刻は午前11時15分。
アーチ型の屋根に打ちっぱなしのコンクリートの外壁。簡素ではあるが、実用的な造りの訓練場、その扉を鉄心が開け放ち、サリー、ラインズの二人が続いた。ゴムマットの敷かれた床を踏みしめ、歩を進めると、先に入って待ち構えていたベックスが、彼らを見て鼻を鳴らす。
「逃げずに来たことだけは褒めてやろう。あと……本当に罠の類を仕掛けていなかったこともな」
面倒くさそうに肩をすくめた鉄心は、もはや言葉を返す価値もないとでも言いたげだった。その態度がまたベックスの癪にさわる。
「……始めるぞ」
そう言いながら、クリアファイルをサリーに手渡す。彼女が中を検めると、件の同意書&誓約書だった。この場合、地獄行きの片道切符とも言う。
鉄心も同じ物をサリーに渡す。こちらも検めたサリーが小さく頷いた。
「双方の正式決闘への同意書および誓約書を確認いたしました。これにて両者の正式決闘はゴルフィール王立第六高等学園の名において、認可されます」
それは即ち、王立の名を冠している故に、王の名の下に認可されたのと同義。しかしまあ、と鉄心が皮肉げに笑う。
(伝統ある貴族の正式決闘を、平民同士がやるってのもな。しかも片方は外国人ときたもんだ)
そんな彼の内心を他所に、
「立会人は私、サリー・マクダウェルが勤めます。双方、構え」
サリーが形式に則った文言を唱えた。ベックスが背中に着けていたホルダーから、鉈を抜いた。
「始め!」
サリーの合図と共に、ベックスが突進してくる。鉈を振りかぶり、鉄心の頭上に渾身の力で落とす……その途中で何かに弾かれた。鉄心の十八番、聖刀・匣。その透明の壁に阻まれたのだった。
「なるほどな。強力なシールダーとは聞いていたが」
自身の初撃が不発に終わったにしては冷静なベックス。言葉の内容から察するに、予めターゲットの能力についても聞いていたようだ。鉄心の方には罠を仕掛けているのではないかと吹っ掛けておいて、自分は相手の能力を教えてもらっていたということ。アンフェアは自分の方だというのに図々しいにも程がある、とサリーは眉をひそめた。
「どれ。そのシールドがいつまで保つか、試してやるか。この斬金鉈でな」
どうやらこの鉈はユニークらしい。その鈍く光る刃渡りを斜めにして、ベックスは自身の汚い口髭を映す。
「口は臭いわ、髭は汚いわ、学はないわ、最悪だなオマエ」
不意に鉄心の三連ストレートが炸裂。これ以上の挑発にあまり意味はなく、つまり純粋な感想というヤツだった。サリーが少しだけ噴き出す。
「テメエ……楽に死ねると思うなよ?」
そこからはベックスの連打、連打、連打。滅多打ちといった様相だ。だが、鉄心の匣は一ミリのヒビすら入らず、匣の向こうの鉄心本人は欠伸までかます余裕ぶり。
「クソッ! どうなってんだ、これ!? 俺の鉈が入りやしねえ!」
少しずつ顔に焦燥が浮かんでくる。事ここに至って、ようやくベックスは危機感を覚えていた。軍属の頃に、何度か出会ったことがある、絶対に勝てない相手。例えば、故クリス・ゼーベント公爵。直接指導を受けたワケではないが、同じ隊の人間がボコボコにされているのを見て、彼まで伸びた鼻をへし折られたような気持ちになったのを覚えている。その時の感覚に近い物を嗅ぎとってしまったのだ。
「て、てめえ、何者だ」
ようやく。ようやく、鉄心をただの獲物ではなく、敵として認識したらしい。だが何もかも遅い。鉄心は淡々と、
「平良一門が序列四位、薊鉄心」
冥土の土産に自分の正体を教えてやった。
「な! 平良……世界最強の一族! フカシこいてんじゃねえぞ!」
反射的にベックスは対峙する少年の言葉を否定する。内容がにわかには信じられないのも勿論だが、何よりもそんな化物(ゼーベント前公爵ですら赤子扱いのハズだ)を本当に相手取っているなら、自分の生還確率など、ロトの一等を連続で当てるくらいのレベル、ということになってしまう。
「んなワケねえ! こんな所に、こんな学校なんぞに、そんな」
最後まで言えなかった。右足に激痛。ももの辺りに自身の鉈が深々と刺さっていた。血が噴き出すのと同時、
「ぐ、がああああ!!」
苦悶の声を上げ、右半身から倒れ込んだベックス。匣に激突し、頬骨を強打するが、そんなものより遥かに甚大な痛みが右足を苛み続けていた。
「な、何が!? ぐ、あ、あああ」
混乱の極致といった様相だ。彼の側からすると、持っていた自身のユニーク武器が突然暴れるように、或いは何かに反発したかのように、スポンと手から抜けたのだ。そしてそれがそのまま、自身の足に突き刺さった。というところまでは、ようよう理解が及んできたが、何故そうなったかが全く分からない。分からないが。
「……」
この透明な壁の向こうにいる少年が何かをしたのだろう、ということだけは分かる。
「ふむ。人間が持つユニークにも反発は起こせる、か」
まるで実験動物を見るかのような無感情な目で自分を観察する鉄心に、ベックスは総毛立った。これは、マズイ。降参の二文字が脳裏をよぎった、その瞬間。
ブシュッとおかしな音を彼の耳が拾った。それと同時に今度は背中側から足に激痛。匣に手をついて、何とか振り返ると、伸びた糸のような物が束になって、腿の裏に突き刺さっていた。先程の異音は、これが彼の皮膚を裂き肉に食い込んだ時に鳴ったものらしい。
「あ……ぐ、あ、あ」
大きな悲鳴は出なかった。脳内麻薬の量が増えたのだろうか。
「人は弱いな、やはり。魔族なら反発で済むところを、普通に刺さってしまう」
まあ、魔族は魔鋼鉄でしか傷つけられないだけで、人間は普通の金属でも魔鋼鉄でも傷つくのだから、第三の金属相手でもレジスト出来る道理もないか、と鉄心は胸中で勝手に納得。
「いつの間に……」
荒い息の合間に、ベックスが独り言のように呟く。
種明かしとしてはこうだ。ベックスが鉈の連打を放っている間、鉄心はさりげなく匣の透明度を下げ(即ち乳白色の部分を敢えて作り出し)、それを目くらましとして指輪から糸を展開。するすると蛇のように進んだそれが、横合いから近づき、鉈を反発させ、更に刃側が反転するように別角度からも分けた束を接近させる。回転しながら手中を脱したそれは持ち主に牙を剥いた。そしてその後、ハゲしメタルの束は一つに集結し、鋭い剣先のように尖り、背後から男の太ももを突いた。これが全容だった。
(注意深く見ていれば、一部の匣が不自然に色を帯びたのが分かったハズだし、その向こう側で何かをしているのかも知れないと警戒できたんだが)
連打を繰り出していれば、そのうちシールドを突破できる。相手を侮り、そんな短絡的な思考に囚われたまま、注意を怠った結果がこれだ。戦場では、気付けなかった者に待つ運命は「死」をおいて他にない。
「ま、待ってくれ! こ、こうさ」
へつらうような笑みを浮かべ、降参を告げようとしたベックスだったが、唐突にその体を支えていた壁が消えた。ゴシュナイトの時と同じく、顔の右側から床に挨拶する羽目になり、突き刺さったままの鉈が更に傷口に食い込む。血がドプッと塊のように飛び出した。
鉄心は委細構わず、男の後頭部を踏みつけ、
「一つ聞きたいことがある」
尋問を開始した。ベックスは降参の言葉すら、痛みで出てこないようだった。
「オマエは普段は街のゴロツキのような存在らしいが、そんな男とクーパー伯爵家、どういう経緯で繋がったんだ?」
鉄心としては、二者を繋いだ存在があると見ている。権力者と裏の暴力組織が蜜月にあることは別段、珍しい事象ではない。
「その……たまたま。お、俺の能力を買ってくれて」
「それを触れ込んだ組織のことを聞いてるんだよ」
ベックスの悪足掻きを、鉄心は乱雑に遮る。
「……えっと」
言い淀んだ瞬間、今度はハゲしメタルの糸が、無傷だった左足の膝裏に突き刺さる。再び苦悶の呻き声。
「粘っても良いが、蜂の巣になるぞ?」
何の呵責も感じられない、機械のように平淡な声音に、ベックスは手心に期待するのは止める。
「フィ、フィオット商会だ。時々、仕事を回してもらっていた組織だ。そこが今回、伯爵家を紹介してくれたんだ」
「ほう」
「ほ、ホントだ。これ以前に面識はねえよ!」
必死の形相で嘘ではないと言い募るベックス。鉄心はチラリと顔を横に向け、サリーとラインズの様子を窺った。どちらも青ざめたような顔をしているが……
「二人とも、そのフィオット商会というのは知ってるのか?」
鉄心が訊ねると、コクコクと首を縦に振った。どうやら一般人でも知っているレベルのようだ。日本の広域指定暴力団のような物だろうか。
「オッケー。大体わかったよ。オマエはただの駒、か」
或いはキチンとした構成員だったならば、報復にそのフィオット商会なる組織が動き出す可能性はあったが。話を聞く限り、使い捨てのようだ。
「……っ!!」
と、その時。鉄心の意識が僅かに横に逸れた隙を突いて、足に刺さった鉈を抜き取ったベックス。そしてそれを、残った力の全てを注ぎ込んで投げた。ただしそれは、正面の鉄心ではなく、審判役のサリー・マクダウェルに向けて、だった。




