第103話:ここ掘れワンワン
あの後、窃盗の容疑者として校長室に連れてこられた鉄心は、ラインズ校長、サリー教諭、そして新任の男性教諭(ベックスと名乗った)の三人と対峙していた。
知己の二人は顔面蒼白で今にも気絶しそうだが、この新任教諭は事の重大さを全く理解していないのか、ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべて、対面の鉄心を見ていた。
「それで……こちらの薊くんが、二年生のサポート科の女子生徒のシャツとスカートを盗んだという嫌疑が……あるワケですね?」
サリー教諭は、恐々と話すが、その内容を彼女はもちろん信じているワケもなかった。この化物じみた平良の四番目が、そんなチンケな犯罪などするハズもないだろう、と。それはラインズも同感のようで、サリーが状況を話す間、瞑目しているだけだった。
「嫌疑などと……私の受け持つクラスの全員が目撃していたのですよ? 確定です、確定!」
ベックスは鼻息も荒く、サリーの方に身を乗り出す。独特の口臭がして、彼女は僅かに顔をしかめた。
「ですが、生徒の一人、シャックス公爵は、彼と同じ時刻に登校し、犯行の時間など無かったと証言されています」
ベックスの息の届かない範囲まで仰け反りながら、サリーは努めて冷静に言った。だが、そんな彼女に対し、これ見よがしな溜め息をついた教諭は、
「なるほど。辺境伯、でしたか。時勢を読むのがあまり得意ではいらっしゃらないようだ」
無礼で返した。嘲笑を隠そうともせず、サリーを見下している。
現状を鑑みれば……物的証拠もあり、目撃者も多数。加えて子爵、伯爵とそうそうたる上位貴族が糾弾側に回っている状況だ。比して、鉄心のフォローは公爵だが、いかな彼女とて分が悪い。そもそも彼女は公務で登校が遅れた(ということになっている)のだが、その彼女と同じ時間に教室に来ている時点で、それまでどこで何をやっていたのか。そこを突っ込まれれば、彼女も答えに窮するだろう、と。まあ実際は、屋敷で一緒に起床してそのまま同じ車で登校したという確かなアリバイがあるのだが。
「ふう」
鉄心はやれやれといった表情で、息をついた。その余裕の態度がベックスは鼻につく。思えば連行されてきた時から、全く動じていない様子だったが、事ここに至っても、平然としたものだった。
「おい、そこの変態くん。オマエの話をしているんだぞ? 分かってるのか? 性犯罪などするような人間は状況も理解できんのか?」
ベックスが不機嫌をそのままに、暴言を吐いた。ラインズがストレスでコメカミの辺りをピクピクとさせる。だが当の鉄心にはさして響いた様子もなく、それどころか彼は、
「……なあ、新任。そんなに俺が気に入らないなら、ここは一つ決闘でもしてみないか?」
獰猛な笑みを浮かべて、そんな提案を返した。
「オマエの飼い主も俺がギタギタにされてるのを見れば、更に評価を上げてくれるぞ?」
片眉を上げ、挑発するように。
「媚びを売るしか能のない駄犬なんだから、ここが稼ぎ時じゃねえのか? なあ?」
クスクスと心底バカにした笑み。やはりこの少年、相手の神経を逆撫でするのが異様に上手い。
「て、てめえ……っ!」
ベックスとしても走狗のような自分も自覚しているのだろう。そしてそれが世間一般で言えば情けない立場に分類されることも。
「どうした? 駄犬。ほら、ワンワン鳴いて、飼い主様にご褒美貰いに行かねえと」
言いながら、鉄心はつくづく駄犬の躾に縁があるな、と内心で苦笑する。腐敗狼に始まり、一昨日のゴシュナイト、そして今日は貴族小飼の犬。
「良いだろう……っ! ただし、本式決闘としろ!」
本式決闘。大昔の貴族がやっていたとされる、相手方を殺してしまっても罪に問われない、というルールの下、行われる決闘を指す。
(あーあ)
サリーは小さく首を振った。墓穴を掘る、とはまさにこの事である。
「良いぜ。ただし場所はこっちで決めさせてもらう。学生たちに殺人現場を見せるのも忍びねえからな。ラインズ、訓練場を使わせろ」
「……わ、分かった」
鉄心とラインズ、まるで立場が逆のようなやり取りに、一瞬、ベックスが困惑気味の表情をする。もう少し考える時間があれば、ただ事ではないと警戒も出来たのだろうが、鉄心がそれをさせない。
「何だ? こっち指定の場所だと罠でもあるかとビビってんのか? 安心しろよ、小汚い犬一匹狩るのにトラバサミでも仕掛けてちゃ、かえって赤字だ」
侮辱のセリフには、本当によく舌が回る。怒髪天の様相となったベックスは、
「良いだろう。よくもそこまで吠えやがった。テメエの首を報償金アップの交渉材料にしてくれる」
更に墓穴を掘って、自ら雇われだと自白したようなものだが……それすら気付いているのやら、いないのやら。完全に頭に血が上って、周りが見えなくなっていた。あまり頭脳労働には向かないタイプのようだ。
「15分後、訓練場だ。立会人は任せる」
サリーに告げ、ベックスは勢いよく立ち上がると、最後に鉄心を睨みつけ、憤然と部屋を出て行った。
「…………あれは? どいつの子飼だ?」
少し間をおいて、鉄心はラインズに水を向ける。
「いや、その」
「責める気はねえよ。こういった罠を仕掛けてくるとは俺も予想できなかったからな」
鉄心は、勘違いされがちだが、別に暴君というワケではない。自分も見抜けなかった物を他人の責にしたりはしない。
ラインズはホッとした表情で、軽く頷いた。
「クーパー伯爵家から推薦があった。リグス教諭が復帰するまでの繋ぎでどうか? と」
「なるほど」
まあ誰もが予想できる名前だ。
「昔は軍のアタッカー部隊にいた男だ。実力は折り紙つきだが、素行が悪く、放逐処分同然だったと噂されている。今はゴロツキのような生活を送っている、とも」
鉄心が顎を撫でる。
「貴族とかではないんだな?」
「あ、ああ。平民だ」
「殺した場合、報復にきそうな人脈とかはあるのか?」
「いや、そこまでは……すまんが知らない」
「そうか……」
ラインズもサリーも少し意外そうな顔をした。この化物が、雑魚の報復を恐れるというのは、いかにもらしくない。
或いは美羽やメローディアに類が及ぶのを嫌がっているのか、とも思うが……どこか残念そうな顔をしているのを見て、いよいよ謎が深まった。
まあ二人は知らぬことだが、鉄心には邪刀復活の第一段階の時点で大量の生贄が必要なのだ。殺しても社会が何ら困らないような、クズどもが。その候補として、あの男の仲間なら、と期待を寄せていたのだった。
「まあ仕方ない。実験動物にするか」
不穏な単語は聞かなかったことにする二人。長生きの秘訣だ。
「あとは、刑法の話だが……本当に殺しても罪には問われないんだな?」
「あ、ああ。アタッカー同士という条件と、本式決闘への同意書、誓約書が必要だが。あとは立会人か」
ラインズがチラリとサリーに目をやる。彼女は苦悩に満ちた表情で瞑目した。
「先生。撮影係も含めてお願いできませんか? 報酬も出させて頂きますから」
鉄心がご機嫌を伺うように言った。本当に不思議な男だ、とラインズは内心で思う。彼のような立場のある人間や、ベックスのような力のある者には横柄な態度なのに、ただの担任教師には優しく、丁寧に接する。
だが、その不思議にも少しずつ法則を見いだしていた。
(鏡、のようなものか)
不誠実には不誠実を。誠意には誠意を。そこには社会的地位も実力の有無も関係ない。そういった要素は一切考慮しないのだ。
ならば。自分を人間扱いしない相手に、どのように接するかは、自ずと知れようもの。
「うう。分かりました。引き受けますよ。でも、クーパー家に何と説明したら良いんだろう」
サリーの愚痴に鉄心が柔らかく笑った。
「大丈夫ですよ。すぐにクーパー伯爵家なんてものは、この世から消滅しますので」
「え?」
「は?」
教師二人が耳を疑う。鉄心はそんな二人の様子を尻目に、ゆっくりと立ち上がった。
「さあ、そろそろ移動しましょうか。サリー先生、カメラを取ってきて下さい。一応、警察に何か言われた時に証拠の映像として使いたいので」
サリーにそれだけ言い残し、鉄心も部屋を退出した。残された二人は、生気のない顔。
「……校長、私の給料上がりませんか? 他のクラスと同じ担任手当では割に合いません」
「考慮しよう」
間髪入れず色好い返事が出るくらいには、サリーの陳情はラインズにも尤もな事と思われた。
鉄心が校長室から出てくると、メローディアと美羽が廊下で待っていた。
「テッちゃん、どうしよう。一部の生徒がテッちゃんの退学処分嘆願の署名を集めだしてる」
「本当に卑劣なやり方よね。アナタが止めなければ、引っ叩いてやったのに」
顔面蒼白な美羽と、悔しさに唇を噛むメローディア。心底から夫を思い遣る二人に鉄心は柔らかく笑んで、
「ありがとう……けど二人とも今のところは堪えて欲しい」
心配してくれる事には感謝しつつ、状況を変える行動は控えるように指示する。渋々ながら頷く二人の頭をそっと撫でてから。
「じゃあ、行ってくるよ」
歩き出す。どこへ? という顔をする二人に、
「掃除。まあ罰みたいなもんだね」
簡潔に答える。可哀想にと二人は同情するが、鉄心は罰を下す側なのだった。




