第102話:低俗
そして教員は続けて、
「あー、今から名前を呼ぶ人は、魔力量と循環の測定を行いますので、私について来て下さい」
そんなことを言い出した。幾つかの訝しむ視線。それもそのハズ、各種測定など新学期の始めに既に行っている。こんな短期間で二度も? と思うのは至極当然だろう。
「えー、特に優秀な生徒たちの中から、迫る対抗戦に出場する者を選出すべくですね。改めて精査の意味で……えっと、そういう形ですね」
苦しい言い訳。だがまあ、一応は理屈は通っている。
そしてそのまま、名前が呼ばれていく。全部で五名。物の見事に偏った人選。全員、メローディア派とはいかないまでも、ロレンゾたちとは上手く距離を取っている者たちだった。当然レベッカも、いの一番に呼ばれている。彼女は昨年も選手として対抗戦に出場しており、先の発言とも矛盾はない。他の四名にしても、腐敗貴族とつるんでいない時点で察せようものだが、このクラスの中では実力者に分類される者たちであるため、やはり矛盾はない。
ただ、それでも作為的なものを感じざるを得ないレベッカは顔に出さないように努めながらも、教室を出る前にチラリと振り返る。二つの空席の主たちは未だ現れない。彼女は小さく嘆息して、自分の嫌な予感が杞憂に終わることを願った。
午前10時になって、ようやく鉄心とメローディアが教室に現れた。もはや仲の良さを隠すつもりもないらしく、手を繋いでの登校だった。その光景に、ロレンゾは一瞬、頭の中が沸騰するような怒りを覚えたが、何とか堪える。そして暗い笑みを浮かべ、鉄心が自分の席に着席するのを見守った。
(さあ、机の中に物を入れろ……さあ)
鞄を開けて、筆箱とノート、次の授業の教科書を机の上に並べる鉄心。そしてロレンゾの狙い通り、残りの教科書を机の中に詰めようとした鉄心が……
「っ!?」
弾かれたように椅子から立ち上がり、そのままバックステップで自分の机との距離を取る。歓喜の瞬間を今か今かと待ちわびていたロレンゾ、イザベラ以下数名は困惑。
(何をやってるんだ? 早く机の中の物を引っ張り出せ!)
もちろん、そこには件の女子生徒の制服が入っている。筋書きとしては何のことはない。鉄心を制服泥棒に仕立て上げ、学校での立場を悪くする、あわよくば停学や退学にまで追い込もう、という皮算用だ。使い古された手ではあるが、それでも有効だからこそ廃れていないとも言える。
「どうしたの? 鉄心」
メローディアが様子のおかしな夫の傍につく。
「何か……入っていました。布のような手触りでしたが」
「まさか……罠? でも昨日の今日で」
小声で会話を交わす夫婦。勿論この罠というのは、ロレンゾたちの下らない企みではなく、四層が仕掛けた何かを警戒して言ったことだ。
「分かりません。ですが、可能性はあります。ゴシュナイトから辿られたか。或いは学園防衛を成した人間がこの場に残っているという噂から辿られたか」
どういう経路にせよ、ゲート促進事件があった場に平良の上位序列者が留まっている、と知られたならマークされるのは必然だろう。いくらオツムの出来がよろしくない、と評される四層の連中でも、その平良が何を守っているのか、くらいは想像がつくかも知れない。
「もしあれが罠だったら……美羽ちゃんのこともバレている可能性も考えられます。メロディ様、すぐに彼女に電話して、こっちに合流するように言って下さい」
「分かったわ」
メローディアは疑問も挟まず、すぐに鉄心の命じた内容を実行した。電話口の美羽も、メローディアの切羽詰まった声での「すぐにこっちに合流しなさい!」という短い命令に、やはり疑問より先に了解を伝え、すぐに通話は終わった。彼女らも緊急時の対応を随分と心得たものだ。
「鉄心、それでどうするの?」
「美羽ちゃんが来たら、匣を張りながら机に攻撃を仕掛けます。爆弾の類ではない、とは思うんですが」
話しながら、鉄心とメローディアが教室の外へ向かう。美羽と合流するためだが、事情が全く掴めないまま置いてけぼりを食らっていた一派は動揺。イザベラが慌てて動く。
「な、何だよ? 何か入ってんだろ!?」
止める間もなく、鉄心の机に歩み寄ったかと思うと、そのまま机の中に手を突っ込み、中身を引っ張り出した。
「っ!?」
慌てて自分とメローディアの前に匣を三重にして展開した鉄心。そして彼女の頭を抱え込むようにして守った。その強引ながら自分を大事にしてくれていることがハッキリ伝わる行動に、メローディアは状況も忘れトキめく。そして……
「……」
「……」
何も起きない。敵の攻撃の可能性はかなり小さくなった。いや、毒ガス系の線はまだ消えていない、と油断なくイザベラの掴む物に視線を送る鉄心。だが、
「せい……ふく?」
メローディアの声には明らかな困惑が滲んでいた。
「な!? それ女子の制服じゃないですか!?」
と。イザベラの取り巻きAが大声を張り上げた。
「ホントだ!? 平民の制服じゃん!!」
Bも続く。鉄心もメローディアも状況が飲み込めず、互いに間抜けな顔を見合わせる。未だ敵方の罠の可能性を捨てきってはおらず、或いは凶器でもくるまれているのでは、と広げられた制服をマジマジ観察する。が、変わった様子はない。
「そ、それって、薊が平民の誰かの制服を盗んだってこと!?」
イザベラが取り巻きたちに近寄りながら、彼女らより更に大きな声で喧伝する。
「あ、ああ、そういう」
ようやく少し事態が掴めてきたメローディア。どうやら、鉄心に恨みを持つ彼女らが、彼を衣類泥棒の変態に仕立て上げようとしているらしい。
「テッちゃん! メロディ様! 何があったんですか?」
丁度そこで美羽も到着。まず二人の無事を確認し、そのまま息せき切って説明を求めた。
「あ、薊が制服泥棒だって!! こんなこと、学校創設以来の大問題だぞ!!」
ロレンゾも大声を出す。他の腐敗貴族連中も、一瞬、虚をつかれていたが(計画を知らされていなかった連中だろう)、空気を読んでか、追撃に加わる。
「これだから平民なんかを貴族クラスに混ぜるのは反対だったんだ!」
「信じられない! 気持ち悪すぎる!!」
男女の別なく口々に。鉄心に侮蔑の視線を向け、罵っている。
「……」
「……」
二人はホッとしていた。下らないオチだったが、兎に角、敵方に鉄心や美羽の存在が露見したということではないらしい。ふう、と同時に息をついた。
「……いや、ホントに何が起こってるの??」
美羽は首を傾げすぎて、そろそろ血の巡りが悪くなりそうだった。
本当に下らない。メローディアとしては、その一言で片付くような事柄だと思われたが、ことのほか面倒な状況となった。何せ本当に制服を紛失したと訴える生徒が現れたのだ。てっきり派閥の誰かが調達した新品かと思っていたメローディアは、そこまでするかと憤慨した。知らない男に自分の衣類を盗まれるなどと、想像しただけで怖気が走る。無念、気持ち悪さ、恐ろしさ。そういった心情を鑑みれば、同じ女が、こういうことを出来るハズがないと、無意識に思い込んでいた。美羽に負けず劣らず、やはり彼女も聖属性なのだ。
(下衆)
メローディアは奥歯を噛み締める。
連中は、平民を同じ人間だと思っていないのだろう。ただ貴族に利用されるだけの装置。だからどれだけ傷つこうとも、いや、傷つくという事すら認識できていないのかも知れない。
鉄心に対してもそうだ。彼が異常なメンタルをしているから無傷なだけで、このような不名誉な冤罪、余人なら一生消えないトラウマとなっても何らおかしくない。
(そして……もうこれで大義名分を与えてしまった)
元から血を使った呪の復活のため、一度に大量の生け贄が必要だったところに、今回のことである。
メローディアは鉄心の凄惨な笑みを思い出す。十傑相手の修羅場から戻ってきたばかりで、あまりに幼稚な策謀とのギャップに、どこか時差ボケのような顔をしていた彼だが、状況を把握するや徐々に笑みを濃くしていった。あの状況下での会心の笑顔は、ただただメローディアの心胆を寒からしめた。
(どう、するべきかしら)
メローディアにとって腐敗貴族が完全に全て敵というワケでもないのだ。現にあの取り巻きBの母親は、社交界でも時折話していた相手だ。気さくな人で、下級貴族出身ということもあり、庶民感覚(普段はなるべく隠しているそうだが)が抜けないと笑っていた顔は今でも思い出せる。彼女と話している間は、他の男共と話さなくて良かったので、とても助かっていた。また当の彼女もメローディアがそういった意図で自分に話し掛けているのは察していたようで、結構長くお喋り(元来話し好きなのもあるのだろうが)に興じてくれた。そんな相手の……愛娘が惨殺されそうな状態の今。自分はどう動くべきだろうか、と。鉄心にこの話をしたとて、彼は手心は加えないだろう。そんな生易しい男ではない。それに今回のやり口は酷すぎるし、彼に仕返しの権利があるのも道理だと思っている。だが問題は、鉄心の仕返しというのが、直視も憚られるような代物であること。ミンチのようになった娘を、あの朗らかな女性に見せる場面を想像すれば、メローディアは今から胃が痛い。
はあ、と物憂げな溜め息をこぼし、
(どうか誰も、これ以上、彼を怒らせませんように)
そう願った。恐らく叶わないだろうとは思いながらも。




