第101話:水面下の企み
鉄心はオリビアに電話で大まかな事情を伝えた。何故こちらから裏切った上で、以前よりも強固な同盟が結べたかに関しては、自分がトリプルにまで到達し、敵に回せないとメノウたちが考えたから、という理由で押し通した。割と納得のいく理由付けだった為、オリビアも特には疑わなかったようだ。
電話を切り、美羽にも上手く誤魔化せたことを伝えると、複雑な表情ながら礼を言っていた。彼女としては、多少なり世話になった相手に隠し事をするのは罪悪感があるのかも知れない。
同様に静流にも秘しておく事とした。こっちは純粋に心配をかけたくないから、というのが主な理由だが。
そうして、何とか怒涛の一日を終えた。夕食を全員でとり、風呂に順に入り、三人同じベッドで眠った。美羽を安心させようと、彼女を真ん中にして、メローディアと鉄心が両脇から抱き着くように。またVIPだ、と笑うふくふくの笑顔が可愛くて、鉄心はその頬にキスをして……しばらくすると全員が夢の世界へと旅立って行ったのだった。
翌日の日曜日は体を休め、夜には予定通り、三人で二度目の交合を果たした。美羽はまだそんな気分ではないかと、鉄心は遠慮しかけたのだが、むしろ変に気を遣われたくないという要望を受け、そのようにした結果だった。
と言うより、実際は気を遣うどころか、二回目にしては明らかに激しい交わりだった。未だ胸の奥に残る不安からか、美羽が強く温もりを求め、それに触発された鉄心が彼女の身体を貪るように抱いた。メローディアは、そんな彼女を慮り、譲るような形でサポートに努めていた。
午前三時頃まで交わり続け、明くる月曜日の朝……
「遅刻ね。これは」
ということになった。三人が起きた時には一時限目のチャイムが鳴ろうかという時刻だった。顔面蒼白といった様子の美羽は、いつまで経っても小市民。やはりこんな子が討たねばならぬ人類の宿敵、だとは到底思えない二人。
「ど、どうしよう」
「飯にしよう」
「ええ!? そんな悠長な」
美羽は大慌てだが、鉄心とメローディアは全く動じていなかった。ラインズのおかげで公式には遅刻扱いとはならない上、そもそも二人にとっては学校の優先度それ自体が低い。一応、行っておくか、くらいのものである。
(でも私は、将来のために……)
美羽はそこまで考えて、ふと気付いた。自分は今までと同じく、サポートの探知班志望で良いのだろうか、と。そんな自覚も事実もないのだが、客観的に見れば、自分は魔族の親玉ということになる。その自分が、魔族のゲートを探知して、どのツラ下げて報告するのか。
「美羽?」
「美羽ちゃん?」
二人が妹分の様子に気付き、声をかけてくる。美羽は、今まで培ってきた当たり前が脆く揺らいでいるのを感じていた。
「……大丈夫です」
とは言うものの。鉄心とメローディアは顔を見合わせる。と、そこで互いに半裸なのに意識が向いた。
「取り敢えず……服、着ましょうか」
メローディアの提案に二人も苦笑しながら頷いた。
その頃。
ゴルフィール王立第六高校のサポートクラスの一つ、二年五組の教室。女子生徒が二人、とある生徒の机の前に立っていた。その室内には彼女たち以外の生徒はおらず、他の皆は体育の授業のため、グラウンドへ出ていた。
「ほ、本当にやるの?」
「だ、だって仕方ないよ。逆らえないもん」
少女たちの声には明らかな怯えがある。今からしようとしている事に対する心理的抵抗。そしてそれを命じた存在への恐怖。そういった感情が滲んでいた。
「や、やろう。じゃないと、お父さんの仕事がなくなっちゃう」
「う、うん。そうだよね。アーリンちゃんには悪いけど。ウチのクラスで一番可愛い子って指定だから」
その口振りから、どうやらこの二人も二年五組の生徒のようだ。仮病でも使ったのか、体育の授業はスキップしたらしい。そして現在そのアーリンちゃんという少女に、何かしら良からぬ事をしようと企てているらしかった。
二人は互いに一つ頷き、罪悪感を分かち合うようにして、その机の上、畳まれた制服に手を伸ばす。一人がブラウスを。一人がスカートを。それぞれ掴んだ。椅子に掛けられたブレザーはそのままにしておく。そして二人は盗んだそれらの衣類を素早くトートバッグに放り込むと、一目散に教室を飛び出した。罪の意識が教室から追いかけてくるかのような錯覚に、脇目も振らず。
やがて一階に着くと、エントランスをコソコソと抜け、校舎の裏側へ。するとそこに居たのは、
「やっと来たのか……おい、おせえぞ」
馬面の少女、イザベラ・キーン子爵令嬢。そしてその取り巻きのような中流貴族二名。以前、鉄心に痛い目に遭わされたグループだった。
「ご、ごめんなさい!」
「誰にも見つからないように、慎重に来たものですから」
サポートクラスの二人は平身低頭の様子だ。その姿に優越感を刺激されたのか、或いは彼女らの言い分にも一理あると思ったのか、イザベラは一つ鼻を鳴らし、
「まあいい」
と一言。そして彼女らが持つトートバッグに視線を向けた。それに気付いた平民の少女は、捧げるようにそれを渡した。片手で受け取るイザベラ。中身を確認し、ニヤリとほくそ笑む。
「あ、あの……これで私たちの父の仕事は……」
「ん? ああ。そうだな、保証してやるよ。ただし他言しやがったら……」
「わ、わかってます。わかってます。墓まで持って行きます」
少女たちは首が千切れんばかりに、縦に振りながら、固く誓う。その様子にイザベラは満足げな笑みを浮かべ、
「それで良い……もう行っていいぞ」
手でシッシッと払った。少女たちはそそくさと退散していく。安堵と罪悪感を胸に。
そして、その彼女らと入れ替わるように、裏庭の木陰から姿を現した少年が一人。金髪碧眼、端正な面立ちが目を惹く。ロレンゾ・クーパーだった。
「よくやってくれた」
ロレンゾはイザベラとその取り巻きに向かって、労いの言葉をかけた。その花咲くような笑顔に、取り巻きたちは目をハートにする。だがイザベラだけはシリアスな雰囲気を崩さず。
「兄の仇ですから」
絞り出すように、そう言った。
彼女の兄、シリウス・キーンは数日前、突如その毛髪の殆どが抜け落ちるという、原因不明の災難に見舞われた。相当ショックだったようで、それ以来、彼は部屋に籠りきりとなってしまった。仲の良い妹、イザベラですら、中に入れてもらえない状況だ。
医者は原因を特定できなかった。病気やウイルスの類ではない、という見立てのみ。ストレスが一番考えられる、という話だった。
(ストレス)
そんなもの、あの憎き薊鉄心に敗北したことを置いて、他にない。イザベラはそう考えている。彼女は当日は休んでいた(これも鉄心に打ち負かされたショックのせいである)から、詳しいところは知らないが、リグス教諭もまた同様の現象に見舞われたと聞く。
ギチッと彼女の奥歯が鳴る。あの異様なまでに他者を挑発することに長けた、鉄心の軽薄な笑みを思い出してしまったのだ。確かにあれだけコケにされた上で大敗を喫してしまえば、ストレスの最大瞬間風速は凄まじい。彼女自身も怒りで髪を掻き回したのは、一度や二度ではない。
「アイツのせいなんです。あのクソ野郎が……私のお兄ちゃんを」
奇しくも。推測は外れているのに、冤罪ではない、という不思議な事態が起こっていた。犯人は正しく鉄心だが、方法はもっと非道なのが実態だ。
「分かる、分かるよ。イザベラ。あの男は必ず排除しなくてはならない」
そしてロレンゾが強く同調する。彼にしても、メローディアが傷物にされる前に、害虫を駆除しなくてはならない。もはや一刻の猶予もない。というような事を考えている。実際はこの一時限目が始まる十時間前には、その愛しのメローディアは鉄心に組み敷かれ、体の隅々まで貪られているし、もっと言うと一昨日の段階で手遅れなのだが。
「だが……悔しい事に、力では敵わない」
そこの自己分析は出来ているようだ。他人の痛みには鈍感だが、自分のそれにはひどく敏感なのが始末に終えないとも評せるが。
「なら知恵を絞れば良いだけのことです。今こうしているように……」
ニヤニヤと下卑た笑いを浮かべるイザベラは、トートバッグを掲げて見せる。取り巻き二人とロレンゾも頷き、四人で教室へ戻っていった。
一時限目はリグスの代理教員の授業だったが、この男にもロレンゾたちの息がかかっている。と言うより、都合の良い者を見繕い、学園にねじ込んだのは彼らだった。鉄心たちの特別待遇より更に上をいく傍若無人な行いに、彼らのなりふり構っていられない余裕の無さが透けて見える。
ロレンゾたちが戻ると、教員の男は卑屈な笑みを浮かべた。
「ああ、君たち。済まないね」
そして聞こえよがしに、労うような言葉をかける。用事を頼んでいた、という体の演技。聡い者(レベッカなどが筆頭か)は、彼らが何か企んでいるんじゃないかと疑念を抱くが、当然、高位貴族のロレンゾたちに楯突けるワケもなく。
彼らの計画は誰にも阻まれることなく進捗していくのだった。




