第10話:貴族クラス
逆にゴワゴワとして歩きにくい教室内を歩き、指示された場所に座る。鉄心の机と椅子は平民クラスと同じ安物だったが、他の生徒たちは杢目の美しい天板と頑丈な脚で出来た高そうな机だ。とは言え、文字通り腰掛け程度の期間しか使わないのだから、高級なものを用意されても逆に勿体ない。
好ましくない視線もいくつか注がれているのだろうが、鉄心は特に気にも留めず、教科書をめくる。黒板の内容を見ながら、該当箇所を探すが中々見当たらない。教師も様子には気付いているようだったが、ひどく事務的で冷たい印象(貴族相手だと違うのかもしれないが)の彼は、無視して授業に戻る。クスクスと陰湿な笑いが、そこかしこで漏れる。
「えー、皆さんご存知の通り、魔族の皮膚にダメージを与える為には、通常の、我々の世界にある金属ではなく、魔界の物質で出来た武器、つまり魔導具が必要不可欠なワケですね。そんな魔導具の研究も日進月歩、いずれはその性質を帯びた武器が人工的に生成できると言われています」
そこから実際の取り組み、最新の研究内容の大まかな解説が続く。周囲を見回してみると、鉄心が持つ教科書ではなく、皆どこかの教授の著書らしきご立派な装丁の本を開いている。当然、鉄心は知らされていないし、持っていない。小声での会話と嘲笑が大きくなっていく。鉄心にも聞こえるように、わざとだろう。
後から知ったことだが、この貴族クラスは三学年合同と言いながら、まだ基礎知識が固まっていない(貴族の)一年生は別の教室で授業を受けている。上級生たちは基礎が終わって、一般の学生で言う所の大学の講義のようなものを受けている段階なのだった。元来アタッカーの座学など、まさに机上の空論と考える鉄心に理解できるハズもなかった。なのに、折を見て教師は生徒たちに質問を投げ、鉄心を当てた。誰も手を挙げないのも示し合わせてのことだろう。教師の顔をまじまじと観察するが、特に感情が動いている様子もない。恐らく彼の中に鉄心への敵意はないのだろうと思われる。ただクラス内で弱者を作る事は、他の生徒たちの結束を高めたり、学習意欲を煽ったりする。それに利用するため、スケープゴートとしたいのだろうと鉄心は推測する。貴族クラス内に一人だけ居る平民など打ってつけだ。恐らく、こういう憂き目に遭った平民は今までも多く居たのだろう。手慣れた印象だ。
(弱いハズだわな)
鉄心は呆れかえる。優秀な平民が折角入学してくれても、こうして締め出すのだろう。そして授業についていけなかった平民を無能と蔑み自尊心を保つ。そこに成長があるハズもない。
「……わかりません」
平坦な声で答える。
「おいおい、初歩の初歩だぞ」
「大丈夫かよ。来るトコ間違えてんじゃねえの?」
「ここ小学校じゃないんだけど~?」
教室中から野次が飛ぶ。ここまでがこのクラスのテンプレートだろう。聞く価値なしと判断した鉄心は、背中を掻くフリをして、ベルトに挟んだ二刀をゆっくり抜き取り、更に小型化して袖の中に隠した。刀に常駐させている氣を極限まで小さくすると、カッターナイフほどのサイズに出来るのだ。彼は氣の循環効率が化物じみており、逆に絞るのは苦手分野なのだが、流石にこれくらいは造作もない。
そうしてカバンからノートを取り出し、筋力トレーニングや練氣トレーニングのメニューを組み始めた。ゲート出現予報がズレなければおよそ一週間分やりくりする必要がある。任務中であっても鍛錬を怠ることはしない。父の教えであり、彼自身その必要性を日々感じている。強さとは何も才能だけで決まるものではない。自らの優れた才に胡坐をかき努力を蔑ろにした結果、才能自体を腐らせていった者を何人も見てきた。
「……くん。薊くん。薊くん!」
思考の海から引き上げられる。教師(そう言えば鉄心は名前も教えてもらえていない)が険しい顔で鉄心を睨んでいる。どうやらまた公開処刑の時間が巡って来ていたらしく、質問を浴びせたのだが、ガン無視されて大層ご立腹のようである。
「あーハイハイ。わかりません、わかりません」
ハエを追い払うように手の甲をヒラヒラと振って、再び内職に戻る。絨毯の上からでも靴音がしそうなほどの怒気で教師が鉄心に肉薄する。机をバンと叩くと同時、彼のワイシャツの袖口についていたのであろう髪の毛が、机の上に落ちるのを見た。
「立場が分かっていないようだな」
目が血走っている。冷静な性格に見えたし、鉄心に敵意も無いように感じたが、それはあくまで相手が生贄の子羊であればの話だったようだ。平民如きにプライドを傷つけられれば、途端に余裕を失う。ラインズと非常に似通った精神性だ。まあ類は友を呼ぶとはよく言ったもので、ああいう校長の下に、こういう部下が居て、彼らに教えられる生徒たちもそのようになる。嫌と言うほどリアルだ。
「答えなさい」
「わかんないって言ってんのが聞こえないんすか? めんどくせえな」
「……わからないなら、せめて」
教師が手に持っていた分厚い本を振り上げる。
「殊勝にしていろ!」
そして角部を鉄心に向けて振り下ろした。鉄心の左の袖の辺り、ブレスレットが輝きを増す。実際は腕の内側に暗器のように仕込んだ聖刀が力の源だが。
本の角が何か硬いものに弾かれ、教師は思い切り掌の横面を机の角にぶつけていた。手に持っていた書籍が無い。キョロキョロと周囲を見回す生徒たちの頭上から、何かが降ってくる。紙吹雪のようなそれこそ、消えた本だった。鉄心以外の面々は未だ何が起きたのか把握しきれていなかった。と、一人だけ、最後列の女子生徒、西洋人形のように美しい少女だけが、穴が開くほど鉄心を見つめていた。まさか全貌を見破られたという事はないだろうが、もしかすると鉄心の魔導具について疑念くらいは抱かれた可能性はある。
聖刀で匣を作り、弾いたと同時に匣の形状を変え、無数の錐状の刃とし、それを飛ばすことによって不可視の斬撃を加えた。聖刀・鎌鼬。直接戦闘にも暗殺にも活用できるので重宝している技である。そしてその鎌鼬は指向性を持たせると、込めた氣が尽きるまで飛んで行ってしまうので、放っておけば天井に穴を開けてしまう所だった。それを防いだのが、邪刀・檻。匣と似てはいるが、こちらは対象を閉じ込める為に空間に呪いを与えて作られる結界である。結界の内壁に触れる者(物)の氣に干渉し、脱出を阻む、文字通りの檻。それを天井に張り、飛んできた鎌鼬と相殺させたのだった。
なので右手に隠し持った邪刀にも氣が巡っていたのだが、メローディアもどうやら気付いていないようだ。目の前の教師にしても意表を突かれた間抜け面を晒すばかりなので、恐らくは大丈夫だろう。
「……」
まだ固まっている。教室内も静まり返っていた。シールダーにあんな破壊の力があるのか、と自問し、彼らがその答えを出す前に……チャイムの音が鳴る。
「ご、五限はここまで。六限は模擬戦をやるので着替えてグラウンドへ集合しておいて下さい」
それだけ言い残し、教師は逃げるように教室を後にした。みなが呆然と彼の背を見送る間に、鉄心は、机の上に残った先程の毛髪を回収する。その時の少し楽しそうな表情を見ている者は誰も居なかった。




