第1夜【復讐の物語】
兜男、ナナシの声は気だるげな津田健次郎です。
私が今向かっている場所は王都の中心街から少し端に寄った酒場。その隣、そのまた隣に続く薄暗い路地裏を進んでいくと見えてくる古びただ扉。
恐る恐る近づき、ゆっくりその手を伸ばした。
「…………んっ」
固く閉ざされた扉。
取っ手を掴み内側に引いてみるが開くことはない。
コンコンコン。
三回ノックして5秒、間を置く。
そして同じ事を繰り返し、次は声を出して事前に伝えられた合言葉をゆっくり唱える。
カチッ。
鍵が、開いた音が鳴った。
取っ手を掴み、恐る恐る内側に引くと開かずの扉は私の侵入を拒むことなくすんなりと受け入れてくれた。
「ーーーーーーーーー。」
金具の軋む音が暗闇の奥で反響する。
遅れて鈴の音が頭上で凛と鳴ったが、私の視線は真っ直ぐ前に向いていた。
暗闇の奥で灯るランプ。
鈴の音に反応したように赤く光った灯火は、その暗闇の先にいる女性の顔をゆっくりと照らした。
とても美しい女性が此方を見るなり優しく微笑む。静かに頭を下げてきたので、私も咄嗟に会釈を返した。
だがその丁寧な対応とは裏腹に、彼女の口から出た言葉は容赦のない、ばっさりとしたものだった。
「申し訳ありません、本日の営業は終了しました」
「え?」
「お引き取りを」
予期せぬ発言に私はうろたえる。
あの老人に指示された通りにここまで辿り着いたはずだが、何か手順に間違いがあったのか、彼女は下げた頭を上げることなく、繰り返し申し詫びの言葉を復唱する。
「……………裏ギルドの窓口は夜、日が登るまでの間ならずっと開いていると聞いていたんですけど」
「………では紹介状を拝見致します」
「へ?」
紹介状?
何の話?
「お引き取りを」
「ちょっと待ってください!」
私は夜間だということも忘れて大きな声で訴えた。窓口の台に両手を叩きつけ、感情の抑制が効かないため彼女に必死な見幕で迫った。
「お……………お願いします!話だけでも聞いてください!」
「お引き取りを」
彼女は変わらぬ表情で復唱し続ける。
「うるせぇな…………何の騒ぎだ」
私の背後から低く、掠れたような声が聞こえてきた。
ゾッと背筋が凍るような、そんな声が、だ。
振り返ると、扉の前には鎧姿の男が此方を見ていた。
身長は180センチ程のやや高めの長身で、鎧越しでもわかるほどに、線は細いが鍛え上げられた身体。
兜の奥から覗かせる眼光、佇まい、雰囲気、それら全てがどう見ても普通とはかけ離れたものだった。
騒ぎすぎたか、怪しい風体の男がこちらに近づいてくる。
「あ………ナナシさん。実はこの方、どこかでここの場所を聞きつけたらしく、紹介状も持たずに来ちゃったんですよ」
「…………ほう」
男は私に興味を示したかと思うと、そのまま品定めするかのように私の頭から爪先までじっくり観察している。
全身を舐め回すように見られているという状況に、普段ならば些か不満を感じてしまうのかもしれない。だが不思議と厭らしさは感じず、これといった不快感はない。
彼は私という存在を評価するためだけに観察している。邪な感情など一切ないのだろう。
「この場合、貴女にはこのままお帰り頂くことになります。情報流出を防ぐために記憶を一部消させて頂くことになるのですが、宜しいですね?」
「え、ちょ、ちょ、ちょっと待ってください!」
受付嬢の雰囲気が急にガラッと変わった。
この空気はは何かとても不味い気がする。私は咄嗟に身構え、逃げる準備をした。
「まぁ待て」
彼が低い声でそう言った。
それは私を止める言葉なのだと思ったが、後ろを振り返ると彼の視線は受付嬢の方を向いていた。
「お前さん、名前は?」
彼はすぐにこちらに顔を向けた。仮面の奥から覗かせる鋭く重たい眼光が、私の身体を硬直させた。
声が出ない。
これは恐怖というより緊張に近い。
あの威圧感には自然と全身が強張ってしまう。
「名前だ名前、自分の名も名乗れねぇ奴の依頼なんぞ受ける気はねぇぞ」
声が出せなかった私に気づいたのか、少し距離を取ってくれた。意外と気遣いの出来る人なのか、私は少し誤解をしていたのかもしれない。不思議と私の緊張も解け、やっと声が出た。
「私の名前は・・・・・コーデリア・フォルネシアです」
「…………っ!!」
予想外のビッグネームに受付嬢は思わず席から立ち上がった。
やはりこういう反応になるか、だから名乗りたくなかったのだ。
私の名を聞いた人間は大体がこういう反応をする。
別に不快に感じたことはないが、いちいちそういう反応をさせると、こちらも少し言いづらくなってしまう。
「ふぉふぉふぉ…………フォルネシア家!?」
「ははっ、こりゃまた随分な大物が来たもんだ。で、そんな気高い身分の御令嬢がこんなところになんの用だ?」
「もちろん、復讐の…………依頼です」
何のために、そんなことを聞いてくるのはやや皮肉も混じっているのだろう。
ここに来る人間の目的なんて知れたことだ。わざわざそれを聞いてくるのは必要なことだとわかっているが、もう少し配慮のある聞き方はできないものか。
さっきの気遣いには感心したのに、この人はよくわからない人だ。
「ははっ、そうかそうか、ようこそ復讐専門裏ギルドへ。…………もちろん金の方は期待していいんだよな?ご令嬢」
「ちょっとナナシさん!なに受ける気になってるんですか!」
受付嬢は怒鳴った。さっきの私の大声にも負けぬ声量で。
「この人紹介状持ってないんですよ!?持ってない人の依頼を通すなんて規則違反で……………」
「あ?」
仮面の奥で覗かせる鋭い眼光が、彼女の目を見つめた。受付嬢は小さく短い悲鳴をこぼし、顔色が一瞬で真っ青になった。
こちらにも伝わってくる圧力に潰されそうになる。それを至近距離で受けている彼女の身が心配になる。
「お前が黙ってりゃあ、いい話だろうが」
「は・・・・・はい」
彼女のその返答に満足したのか、男は私の方を向いた。一瞬ぎょっとしたが大丈夫だ、なんてことはない。
「その依頼………………俺が受けてやる。それでいいよな?ーーーーーご令嬢」
「…………………はい、よろしくお願いします」
これは私の、復讐の物語。