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悪魔憑きの悪役令嬢

作者: 痣丸スイ


「あわわわ……ヤバイですわ……!」


 白銀の髪に空色の瞳をした女性が、焦りの声を上げている。


 ルマンド王国の姫、アルフォート・シルベーヌ・ブルボンはピンチに陥っていた。

 宝石の装飾が施された窓の淵に手を当てて、外の景色を眺める。


 空には黒々とした煙が立ち昇り、至るところで火事が起こっている。

 地上を見れば、兵士たちが忙しなく動いており、もう城内に敵兵が潜り込んでいることがわかる。

 

 そんな非常事態の中、アルフォートは途方に暮れていた。


「いったいどうすればいいんですの……」


 外の景色を見るのをやめ、背後を振り返る。

 そこには、先祖代々から受け継がれる宝剣で自決したこの国の王であるアルフォートの父と、妃である母の死体が転がっていた。


 つい先刻のことである。

 城内まで敵国の尖兵に攻め込まれたという報告が城の最上階にあるこの玉座の間に入った。

 報を受けた父は何をとち狂ったのか、突然母の胸を宝剣で突き刺すと、アルフォートにまでその刃を振るった。


 間一髪、ギリギリで父の剣を躱したアルフォートは、振り向きざまにカウンターキックを父の顎にお見舞いした。

 綺麗な弧を描いたアルフォートの蹴りは、容易に父の意識を刈り取った。

 

 命の危機は去ったと一安心するアルフォート。

 しかし、この非常事態で箱入り娘である彼女には何をすればいいのかも分からない。

 結局、アルフォートは王である父を起こして判断を仰ごうとした。


 アルフォートに平手打ちされ、意識を取り戻した父はさらに正気を失っていた。

 言葉になっていない怒鳴り声をアルフォートに浴びせたかと思うと、自らの首に宝剣を添えて、その命を絶ってしまったのだ。


 残されたアルフォートは、どうしたらいいのかも分からずこうして困惑しながら窓の景色を眺めていた。


「いったいどうしてこんなことになったのかしら? 私達はただ平和に生きていたいだけなのに」


 誰もいない玉座の間に、アルフォートの呟きが消えていく。

 お付きの侍女達も早々にアルフォートを置いて逃げてしまった。

 私って人望ないのかしら……と、頬に手を当ててアルフォートはぼんやりと考える。


「(お父様は今でも戦っている兵士がいる通り、人望に溢れた人でしたわね。あまりそのへんのカリスマ性は遺伝してくれなかったのかしら?)」


 これまでの人生を思い返すと、アルフォートは父の言いつけに従ってばかりだった。

 そうしていれば全て上手くいくと父から教わったからだ。


 だが、その父は既に物言わぬ骸と化している。

 これからのことは自分で考えなくてはならない。


「一先ずは逃げることにしますわ。さようならお父様、お母様、今までありがとうございました」


 長考の末に思い至ったのは、目の前の父と母のように無残な姿にはなりたくないということだった。

 最後にこれまで育ててくれた礼として頭を下げ、アルフォートは足早に玉座の間を発つ。

 その際、父が握りしめていた宝剣を鞘に納めて、無理矢理奪い去っていく。



 扉を開くと、そこはまさに異世界だった。



 血と硝煙の香りが鼻につき、廊下には数々の死体が転がっている。 

 中には、見知った人たちの顔もあるようだ。


「あら、貴方は……」


 扉のすぐ側で、血塗れの姿で倒れている甲冑の男を見つけた。

 他の騎士たちとは明らかに装備の質が違う鎧と剣を持っており、首に刺さった短刀が致命傷となったことが見て分かった。

 アルフォートは記憶の糸をたぐって、見覚えのあるこの男を思い出そうとする。


 たしか、近衛騎士団の団長だった男だとアルフォートは思い至る。

 父がよく彼を英雄だと褒めていて、婿候補だとかなんとか言っていた。

 この国一番の剣の使い手だとかなんとか。

 

「私達を最期まで守ってくれたのですわね。ありがとう。ゆっくり休んでくださいまし」


 苦痛の表情で死んでいる騎士団長の瞳を掌で覆って閉じさせる。

 掌が血で汚れるが、頑張ってくれた人を弔うのにアルフォートは躊躇しなかった。


「(この方が亡くなっているということは、この国はもう本当に終わりですわね。守るべき王も勝手に自決していますし)」


 騎士団長がその事実を知る前に死ねたことだけは幸運だったのだろう。

 

 気を取り直して、アルフォートは白いドレスのスカートを翻らせながら城内を走る。

 近くの敵は全て騎士団長が倒しておいてくれたようで、幸い誰とも遭遇することはなかった。

 全ての敵を倒して、致命傷を負いながらも、騎士団長は最期まで玉座の間を守ってくれたのだ。

 アルフォートは心の中で騎士団長に感謝の言葉を口にした。


 しかし、逃げるために走り回っていれば、当然離れた所にいた敵に見つかる。


「おい、いたぞ! この国の姫だ!」

 

 城の外に逃げるため、階下へ降る階段にやってきたアルフォートだったが、そこには玉座の間へ向かおうとする敵兵達が待ち構えていた。


「逃げますわ!」


 やると決めたら判断が早いアルフォートは、敵兵の姿を視認した瞬間、脱兎の勢いで来た道を引き返す。

 血と死体で装飾が施された廊下を、ドレスに真っ赤な染みを作りながらひた走る。

 

「逃すな! 追え!」

「捕まえたら殺さない限り好きにしていいとのことだ! 早い者勝ちだぞ!」

「マジかよ。俺本気出すわ」


 敵兵は当然のようにアルフォートを追いかけてくる。


 その数、およそ12人。

 個人が相手取るには、あまりにも多すぎる人数差だ。

 騎士団長が相手にした部隊が全滅したと判断し、次の分隊を送り込んできたのだろう。

 少しは腕に覚えがあるアルフォートも、これだけの数の敵兵相手はさすがに勝ち目がないと確信する。


 走りながら首だけ動かして背後を振り返ると、敵兵達とは随分と距離が空いていることに気がつく。

 鎧を着ている分、ドレスで身軽なアルフォートと比べて、速度に制限が掛かるのだ。


 これ幸いと、アルフォートはさらに足を早めて、曲がり角を駆使して敵兵の前から姿を隠す。

 

「(とりあえずは難を逃れましたが……このまま最上階にいても埒が明きませんわね。なんとかして階下に行かなくては……)」


 城の脱出口は1階にしか備えておらず、そこまで向かうには階段を三回降りなくてはならない。

 御先祖が攻められることを考慮せず、無駄に四階建てにしてしまったせいで、子孫であるアルフォートは大ピンチに陥っていた。


 最悪窓から逃げるという手段もあるが、あまり高い所から飛び降りれば、足を負傷して、その後の逃走に差し支える。

 最低でも二階まで降りなくては負傷、または落下死するだろう。


 逃走手段をつらつらと考えながら、より人目のつかない場所へアルフォートは逃げ込む。

 そうして辿り着いたのは、普段あまり使われない用具入れの部屋だった。


「(薄暗くて不気味な雰囲気が漂っているから、正直あまり近づきたくはないのですが、今はそんなこと言ってる場合ではないですわね)」


 仕方なく、木製で出来た少しカビている扉を開けて、アルフォートは用具入れの個室に入り込む。

 それは用具入れといっても、普遍的な家の一部屋分くらいは広大な面積を誇っていた。



 個室の中は思った通り薄暗く、扉の外からの光だけが唯一の光源だった。

 その光源である扉も、アルフォートが部屋に入った痕跡を隠すため、すぐに閉める。


 個室は暗闇に包まれた。


 鼻をスンスンさせて匂いを嗅ぐと、埃とカビが混じったような、人を不快にさせる悪臭がアルフォートの鼻腔を満たした。

 アルフォートは美しく整った眉を歪めて、ポケットに常備しているハンカチで鼻を押さえる。

 

「あまり長居したくはない場所ですわね」


 アルフォートはそう思いつつも、一時でも落ち着ける場所で思い当たるのはここしかなかった。


 他の部屋はどれも装飾が施されて主張が激しく、また見つかりやすい場所に位置しているため、敵兵は真っ先に中を確認してアルフォートを探すだろう。

 その点、この用具入れは人目につかない端の方に位置しており、見つかるまでには時間がかかる筈である。


 そうした事情も相まって、アルフォートはこの場所に身を潜めることにしたのだった。

 暗闇の中を手探りで移動しながら、アルフォートはさらに隠れられる場所を探す。

 

「(逃げることは不可能。ならば、敵兵が私の発見を諦めるまで隠れ続けるまでのこと)」


 そう結論づけたアルフォートは、ひっそりと息を殺して物陰に隠れる。

 

『……い……まえ』


 何処からか、誰とも知れぬ声がアルフォートの耳に入ってくる。

 

「(もう敵兵がここまで来たんですの……? マズいですわね、もっと身を潜めなくては……)」


 アルフォートは、予想よりも遥かに早い敵兵の接近に焦りを感じる。

 どうかこの場所が見つかりませんように。

 心中で祈りながら、アルフォートはただじっと身を潜める。


『おい、お前!』


「!?」


 突然耳元でこちらを呼ぶ声が聞こえ、アルフォートはビクンと肩を跳ねさせる。

 敵兵に見つかったのかと思い、慌てて立ち上がって、腰に付けた宝剣を抜いて臨戦態勢に入る。


 しかし、辺りを見回してみても誰の姿もない。

 暗闇で満ちているだけだ。

 敵兵がいないことを確認すると、アルフォートは宝剣を収めて再び身を隠した。


 そもそも扉が閉まっているのだから、誰にも見つかる筈がない。

 では、いったい誰がアルフォートに声をかけてきたのだろうか。

 不可思議に思っていると、アルフォートを呼ぶ声が再び部屋に響いた。

 

『そこの銀髪のお前。ちょっとこっちに来いよ』


 初めは薄っすらと聞こえていた声が、だんだんとハッキリ聞こえるようになる。

 声の主はどうやら男のようだ。

 対話をする意思を示しており、敵兵ではなさそうである。

 

「貴方は誰ですの?」


『俺か? 俺様の名は──っと、まだ言わねえ方がいいか。こっちに来てくれたら教えてやるよ』


 名前を尋ねてみても、こっちに来いの一点張りで怪しいことこの上無い。

 箱入り娘のアルフォートも、さすがにここまで怪しい人物にホイホイ付いて行ったりはしない。


「申し訳ないですが、今は緊急事態ですので、名乗りもしない人に近づくことはできません」


『あー? チッ、仕方ねえな。教えてやるからビビって逃げたり、驚いたりすんなよ?』


 念を押すように確認を取ると、声の主は名乗りを上げた。


『俺様の名前はベリアルだ。よろしくな、人間』


 どこか傲慢さを感じさせる態度で、ベリアルは話しかけてくる。


「私はルマンド王国の姫、アルフォート・シルベーヌ・ブルボンですわ。人間、ではなく、きちんと名前で呼んでくださるかしら」


 アルフォートが名乗りをかえすと、ベリアルは困惑したような声音で尋ねてきた。


『アルフォート、お前、俺様のことを知らないのか?』


「もしや有名な方なのですか? 申し訳ありません。なにぶん、俗世には疎いもので、貴方のことは存じておりませんわ」


 そう言うと、ベリアルは黙りこんでしまった。

 何か悪いことを言ってしまったのかと、アルフォートは不安になる。


「あの……」

『おお、悪いな放置して。俺様の名前を知らないなら別にいい、むしろ好都合だ。だからとりあえずこっちに来い。な?』


「は、はあ……」


 不快にさせてしまったかもしれないという不安感から、アルフォートはベリアルの要求を素直に飲むことにした。

 耳を澄まして近くに敵兵の足音が聞こえないのを確認すると、アルフォートは腰を上げる。


『……違うそっちじゃない。……そっちでもない、逆だ逆。もっと右。あー行き過ぎだバカ! もう少し左! そう、そのまま真っ直ぐ進め』


「(口うるさいですわねこの方……)」


 敵兵に追われている身なのだから、少しは静かにしてほしい、と内心でアルフォートは愚痴る。

 暗闇の中をそーっと動き、アルフォートはベリアルに言われた通りに進む。

 

『よーし、そこで止まれ』


 ベリアルにそう言われ、アルフォートは足を止める。

 しかし、アルフォートの目の前にあるのはただの壁だ。どこにも声の主であるベリアルと思わしき人物の姿はない。

 

「壁しかありませんが?」


『焦るなよ。お前の腰にぶら下げてる宝剣。それで目の前の壁を切ってみろ』


 いったいどこから覗き見しているのか、ベリアルは宝剣を抜けと命じてきた。

 それに対し、アルフォートは宝剣に手を添えて、悩みの姿勢を見せる。

 

『おいどうした? 剣で壁を切るだけだ。簡単なことだろう』


「確かにそれ自体は簡単な事ですわね。ですが、壁を剣で切りつけなんかしたら、金属音が出て敵兵にバレてしまいますわ」


 戦場を生きる兵士たちは、金属の音に非常に敏感になっている。

 そうでなければ、混沌極める戦場では生きられない。周りが敵だらけでも、近づく金属音に気がつける者だけが生き残るのだ。

 今この城にいるのは、そんな歴戦の兵士達のみである。


『なんだお前、敵に追われてるのか?』


「ええ、国が実質的に滅びて、絶賛隠密中ですわ」

 

 それを聞くと、ベリアルは何か含みのある物言いをする。


『ふぅん……なるほどねぇ……どうりで封印が弱まるわけだ』

 

「封印?」


 普通の生活ではまず耳馴染みのない言葉に、アルフォートは聞き返す。


『いや、気にするな。敵兵に追われてるんだったな。なら俺様が助けてやる。だから早く俺様の元に来い』


 そして相も変わらず、ベリアルはこっちに来いの一点張り。

 しかし、ベリアルの助けてやるという一言は、今のアルフォートには魅力的な言葉過ぎた。


 言われるがままに、アルフォートは宝剣で壁を切りつける。

 


 すると、確かに目の前にあった硬い石の壁は霞のように消え去った。

 消失した壁の先には、青い炎で照らされた小さな部屋と、一冊の本が鎮座していた。


「なんですの、これ……」


 本は台座の上に鎖で雁字搦めに縛り付けられており、とても読めそうにない。

 その鎖は、まるで御伽噺に出てくる邪悪な破壊神を()()しているかのようだった。

 本の装丁は飾り気がなく、表紙から背表紙に至るまで、全てが漆黒で塗られていた。


 アルフォートは、本に近づいて鎖に触れてみる。

 太く、頑丈そうな鎖だ。アルフォートの細腕では、とても壊せそうにない。


『さあ、最後の頼みだアルフォート。今お前が触っているその鎖を、腰に下げた宝剣で断ち切ってくれ!』


「そんなこと言われましても……」


 切れる自信もないし、本当に切っていい物なのか。

 迷いが生まれ、アルフォートは言葉を濁す。


 そんな彼女の様子を見て、ベリアルは再び()()()()をかけた。


『大丈夫だ……鎖を切ってくれさえすれば、俺様がお前を助けてやる』


 姿はどこにも見えないのに、まるで耳元で囁かれたように至近距離でベリアルの声が聞こえる。

 その言葉はアルフォートの心の不安につけこんで、判断力を鈍らせた。


「分かりましたわ。これを切ればいいんですのね」


『ああ、助かるよ……』


 アルフォートは宝剣を頭上に振り上げ、勢いよく鎖に向かって叩きつけた。

 


 バッキィィン!



 そんな甲高い音を立てて、意外にも鎖はあっさりと断ち切れた。

 切った手応えがあまりにも無さすぎて、アルフォート自身が空ぶったかと勘違いしそうになるほどだ。


「切れましたけど……この後どうしますの?」


 何の反応も示さないベリアルにアルフォートが問いかけると、狂気的な笑い声が室内に響き渡る。


『ハハ、ハハハ、ハハハハ、アハハハハハ! ついに! ついに長きにわたる封印が解かれた!』


「べ、ベリアル? どうしたんですの……?」


 急な態度の豹変に、アルフォートは戸惑いを隠せない。

 ベリアルの笑い声は一層強まっていき、それに呼応するように漆黒の本が宙へ浮かび上がる。


『ハハハハハハ! ありがとうアルフォート! お前のおかげだ!』


 ベリアルの声が、目の前の本の中からハッキリと聞こえる。

 

『そういえば、お前敵に追われているんだったなぁ……俺が助けてやるよ』


「本当ですの?」


 ベリアルの纏う危うげな雰囲気に、警戒をしていたアルフォートだったが、そう言われて気が緩んでしまう。

 人と話すときに武器を持つのは失礼だと思い、宝剣を腰に付けた鞘に仕舞い込んでしまった。


『ああ、助けてやるよ……。ただし、お前の身体だけなぁ!』


 アルフォートが宝剣を収めた途端、宙に浮かんだ漆黒の本が妖しく光を発する。

 眩しさにアルフォートが目を細めると、本の中から腕が伸びてきて彼女の胸元を貫いた。


「え……?」


 何が起きたか分からず、碧眼の大きな目を見開くアルフォート。

 自分の胸元に刺さっている腕を、呆けた様子で眺めていた。

 

「あれ、これ、死……」


 状況を頭が理解し始めて、血の気が引いていく。

 呼吸がどんどん荒くなっていき、脳裏に父と母の死体がフラッシュバックする。

 胸を貫かれたのでは、もう助からない。

 自分も彼等と同じく死ぬのだろう。


 アルフォートはそう思い、ゆっくりと目を閉じてその生涯に幕を閉じ────


  

「──って、あれ? ぜんぜん痛くありませんわ?」


 目をパチクリとさせて、アルフォートはなかなか死なないことに疑問を覚える。

 すると、くつくつと笑いながらベリアルがその疑問に答えた。


『別に死にはしねえよ。ただ、俺様がお前の身体を乗っ取るだけだ』

 

「乗っ取る?」


 アルフォートが尋ね返すと、本の中から腕の先、残りの身体全てが飛び出してきた。

 

『ん、はあ〜。久方ぶりのシャバの空気は美味……くもないな。なんか埃っぽくねえ?』


 乱雑で野性味のある髪型をした黒髪に、同じく真っ黒の装い。

 黒で統一された姿形の中、唯一輝きをみせる真紅の瞳が薄暗い部屋の中で光を放っていた。


「あなたが……ベリアルですの?」


 胸をベリアルに貫かれながら、確認をとるように尋ねる。

 ベリアルは身長差もあって、見下すように上からアルフォートを眺めながら返事をした。


『そう。俺様こそ72柱の悪魔が一人、【悪】を司るベリアル様だ』


「悪魔ですって……!?」


 悪魔。

 それは古の伝説に語られる存在。

 人を堕落させ、大地を腐らし、世界を炎で覆ったとされる悪の化身。

 それが今、アルフォートの目の前に涼しげな顔で立っていた。

 

「私をどうするつもりですの……! 私は悪魔に魂を売り渡したりなんて絶対にしませんわ!」


 キッと睨んで、アルフォートは決意を示す。

 知らなかった事とはいえ、自分のせいで悪魔が世に解き放たれてしまった。

 その責任を彼女は感じている。


 もっとも、アルフォートがベリアルという悪魔の名前を知らないのは、父が必要ないものとして教えてこなかったせいでもあるのだが。

 

『どーするもこーするも、さっき言ったろ? お前の身体を乗っ取るって。悪魔は人間に憑かないと、この世界では長く存在できないんだ。だからお前には俺様の依代になってもらうぜ』


 ベリアルはそう言うや否や、腕をさらにアルフォートの身体に突っ込んでいく。

 

「(私の身体の中に、何かが入ってくる……!)」


 身体の内側から生じる感じたことのない異物感に、アルフォートは恐れを感じる。

 反対に、ベリアルは気分が良さそうに口元を歪めて笑っていた。


 見る見るうちに、ベリアルの身体はアルフォートの中に吸い込まれるように入っていった。


 薄暗い部屋の中には、アルフォートただ一人だけとなる。

 いや、それはもはやアルフォートと呼べるのか、定かではなかった。

 

「フ、ハハハハハ! 乗っ取ってやったぞ!」


 そこに、元のアルフォートの凛とした顔付きはすでに無く、傲慢さと悪意に染まった、悪魔ベリアルの顔が張り付いていた。

 

「さぁて……この世界をどう混沌で満たしてやるかな……」


 未だ宙に浮かんだままの本に背を向け、アルフォートの身体を乗っ取ったベリアルは、外へ出ようと最初の一歩を踏み出す。

 

「……………!? な、なんだこれは……! か、身体が、まったく動かん……!?」


 ベリアルは足を踏み出そうとしたが、身体が一歩たりとも動かない。

 それどころか、だんだんと表情すら自分の意思で操作できなくなっていく。

 口を動かすことすらままならなず、ベリアルはその場で時間が止まったかのように固まる。


『(いったいどうなっている!? ピクリとも身体を動かせない……!)』


 どうすることもできないベリアルは、動揺して平静さを失う。

 そして、そんな彼の意思とは無関係に、唇が動いた。


「あ、あ、あーーーー。あら、だんだんと身体の感覚が戻ってきましたわ?」


『(な、なにィィィ!?)』


 そう、アルフォートが体の支配権を取り戻しつつあるのである。

 口元だけでなく、鈍い動きながらも、だんだんとアルフォートの意思で身体も動かせるようになってきた。

 彼女はすでに肉体の所有権の8割ほどを、ベリアルから取り戻している。


『(マズいマズい! このガキ、俺様を自分の肉体に封印しようとしてやがる! 考えてみたらこいつは500年前に俺様を封じたソロモンの子孫なんだ。悪魔に対する抵抗力がずば抜けていやがる。クソッ、完全に油断していたッ!)』


 今度は自らが肉体の自由を奪われ、余裕をなくして追い詰められるベリアル。

 必死に肉体の主導権を奪い返そうとするが、逆に悪魔としての力すら封印されそうになり、焦りが加速する。

 

『(シャクだが背に腹は変えられねえ! 頼む、少しでいいから動いてくれ俺の身体ーーー!!)』


 好き勝手言っているが、アルフォートの身体である。


 ベリアルのその願いが神に通じたのか、右手にのみ集中して主導権を握った結果、ベリアルが少しの時間だけ動かせるようになった。

 残されたその僅かな時間を使って、ベリアルは宙に浮かんだままの漆黒の本に向かって手を伸ばした。


『(助けてくれ同胞達よ! 一緒にこの女の身体を乗っ取ろう!)』


 無知な女の子を騙したあげく肉体を乗っ取り、あっさりと奪い返された挙句、ピンチになった途端に仲間にすがるその姿は、とても過去に名を馳せた大悪魔とは思えない姿だった。

 というか、普通に情けなかった。


 それはさておき、ベリアルの伸ばした右手は確かに漆黒の本を掴むことに成功した。

 アルフォートがその事に気がついた時にはもう遅く、本の中から右手を通して数々の悪魔がアルフォートの身体に侵食してきた。


 悪魔達が抜け出て力を失ったのか、本は力なく地面に落ちる。


『よし! いいぞ同胞達よ! この身体は全員でシェアハウスするとしよう!』


 ベリアル自身ははもう乗っ取る気はなくなったのか、アルフォートに取り憑きつつも、意識だけ霊体化させて彼女の身体から抜け出る。

 幽霊のように半透明なベリアルがアルフォートの身体の周りで野次を飛ばす。


 本の中に封印されていたのはベリアルを合わせて全部で72体。

 その全てがアルフォートの身体を乗っ取ろうとし、再び彼女の自由を摘み取った。


 それだけではない。

 膨大な数の悪魔が肉体に入り込んだ影響で、アルフォートの身体に変化が生じ始めていた。


 手入れがされた整った爪は鋭くなり、人を簡単に殺せるように。

 歯はドラゴンのように尖り、それはもはや牙だった。

 頭部には悪魔のように捻れた黒いツノが生え、人という括りから外れようとしている。


『ハハハ! いいぞいいぞ!』


 ベリアルは気分を良くさせて、余裕を取り戻した態度で笑う。

 彼の脳内では、もはやアルフォートの身体は乗っ取ったものとして考えていた。

 

 実際、アルフォートの身体はピクリとも動かない。

 大勢の悪魔達の奔流に、とうとう呑まれてしまったのかもしれない。

 暫しの間、停滞した時間が部屋の中を流れる。


「──っあ」


 小さな声がアルフォートの唇から漏れる。

 それは、いったい誰の意思による言葉なのか。


『お、乗っ取り終わったか? いったい誰がこの身体の所有権を奪ったんだ?』


 ベリアルが確認を取るようにアルフォートの身体にに話しかけた。


 閉じられていた瞳が開かれる。

 そこには、凛と澄ました佇まいの中に幼さを残した、ルマンド王国の姫の顔があった。


「残念。主導権を制したのは私ですわ」


『な、は、え……?』


 半透明のベリアルにしっかりと目を合わせて、アルフォートは自分を主張した。


 ベリアルは開いた口が塞がらないという様子で、言葉が出ない。

 しかしそうなるのも仕方がない。

 本来、これは有り得ない事だからである。


 悪魔とは、たった一体だけで世界を滅ぼしうる力を持つ強大な存在。

 それが十代そこそこの小娘に72柱の悪魔が全て封じられるなど、誰が想像できようか。


『あり得ない……お前、何をしたんだ……!?』


 かつてベリアル達72柱の悪魔を本の中に封印したソロモンでさえも、ここまで無茶苦茶ではなかった。

 目の前の事実を信じられないベリアルは、呆然とするしかない。


 アルフォートは銀髪の髪を掻き上げ、胸を張ってベリアルの問いに答えた。


「なんか頑張ったらなんとかなりましたわ」

 

『ざけんなよお前!?』


 そんな理由で名高い大悪魔達が封印されてたまるか!

 ベリアルは声を大にしてそう叫びたかったが、機嫌を損ねたら自分も完全に封印されてしまいそうだったので、胸の内に仕舞い込んだ。


「さて、残った悪魔は貴方1人ですけど、どうしましょうか?」


『すいません。勘弁してください……』


 ベリアル、保身に走る。

 そこに大悪魔としての威厳は無かった。


「反省すればよろしいですわ」

 

『反省した。俺様すっげー反省した。もうアルフォートには関わらねえから許してくれ』


 殊勝な態度でベリアルは許しを乞う。

 が、内心ではアルフォートを小馬鹿にしていた。


『(ハッ、所詮はガキだな。甘ちゃんめ。隙を見て逃げてやるさ)』


 71柱の悪魔を完全に封じ込めた神聖力は恐ろしいが、所詮は俺様の敵ではない。

 そんな悪魔らしい傲慢な考えを腹に抱えていた。


「そうですの? なら─────」


「おい! こっちの部屋に姫がいるぞ!!」

 

 アルフォートが言葉を紡ぎ終える前に、第三者の声が彼女達の間に入ってくる。

 そう、すっかり忘れていたが、アルフォートは敵兵に追われているのだ。

 悪魔達を相手に奮闘している場合ではない。


「あわわわわ……!? み、見つかってしまいましたわ……!?」


『いや、お前何を慌ててんだ?』


 悪魔相手に1人で立ち向かったくせに、ただの人間相手に動揺しているアルフォート。

 ベリアルはそのあべこべ感が可笑しくて、つい笑みが溢れる。


『プッ、アハハハハハッ! なんなんだホントお前! おかしな奴だな!』


「笑ってる場合じゃなくてよ!?」


 そうこうしているうちに、敵兵は部屋の中に雪崩れ込んでくる。

 

『問題ねーって。アルフォート、お前は72柱の悪魔をその身に秘めているんだぞ?』


「それがどうかしましたの!?」


 周囲を敵兵で囲まれ、余裕のないアルフォートは語気が荒くなる。

 それを見て、敵兵達は訝しげにヒソヒソと声を漏らした。


「おい、あの姫1人で勝手にキレてるぞ……?」

「この状況じゃあ頭がおかしくなっても仕方ないだろ」

「身体さえ良ければ俺は狂ってようが何でもいいぜ」


 どうやらベリアルの言葉は彼等には聞こえていないらしく、傍目にはアルフォートが1人で怒っているように見えていた。

 

『分かんねーか? つまり────』


 敵兵の一人がアルフォートに近づいてくる。

 鎧に身を包んでいても分かる、太った身体を揺らしている男だ。


「あん、ツノなんか生えてたっけ? まあどうでもいいか。一番最初にまず俺が味見させてもらおうか」


 舌舐めずりをして、アルフォートの胸元に向かって汚い手を伸ばす。

 そんな男を前に、アルフォートは



『つまり、今のお前は世界で一番強いってことだ』


「なるほど。分かりやすいですわ」



 拳をグッと握って、衝動のままに男に向かって叩き込む。

 肉厚な男の腹に、深く抉るように入った拳を上空に向かって振り抜いた。


 男は一言悲鳴を発する暇もなく城の天井ぶち抜き、大気圏まで吹き飛ばされて、摩擦熱で燃え尽きた。

 

「「「え……?」」」


 風通しの良くなった部屋の中に、敵兵達のポカンとした呟きが消えていく。

 一瞬の時間の後、状況を理解した兵士たちは我先へと逃げ出した。


「助けてえ!!」

「無理無理無理!!」

「こんなの聞いてない! 姫さまを凌辱するだけの簡単なお仕事だって言ってたのに!」


 蜘蛛の子を散らすように逃げる姿を見て、ベリアルは気分良く笑う。


『ハッハー! 雑魚が逃げて行きやがるぜ! どうするよ!』

 

 アルフォートは考え込むような素振りを見せると、すぐに決断を下した。


「追いましょうか。敵の本陣の場所を吐かせて、そこを叩きますわ」


『いいねえ。そういう非情な決断に迷いのないとこ。嫌いじゃないぜ』


 決断をしたアルフォートは拳を振り抜いて、拳圧だけで目の前にある壁を破壊する。

 誤算だったのは、力が強すぎて壁だけでなく、最上階が丸ごと吹き飛んでしまったこと。

 逃げていた敵兵達も残らず一緒に吹き飛んだだろう。


「……やりすぎましたわ」


『分かっちゃあいたが、強すぎる……』


 72柱の悪魔を総合した力なのだから、強いのは理解していたベリアルだったが、実際目の当たりにするとドン引きである。

 

「まあ、下にもいっぱいいるでしょう。その方達に話を伺うことにしますわ」


 天井が丸ごと吹き飛び、お日様がアルフォートを照らす。

 彼女は、日当たりの良くなった城を悠々と歩いていく。

 

『(神聖力が高いだけの甘ちゃんの小娘かと思ったが、なかなか肝が座っている。敵とはいえ、人を殺しても眉一つ動かしやしねえ)』


 迷いのない瞳でズカズカと歩を進めるアルフォートを見て、ベリアルは彼女の評価を改める。


『(かといって、俺様みたいに性質が悪というわけでもない。決断をすれば迷いが無くなるタイプか。いい感じにキマってる女じゃねえか。悪くねえ)』

 

 端的に言って、アルフォートはベリアルに気に入られた。

 それが果たして良いことなのかは分からないが。

 悪魔に気に入られる人間は、破滅することの方が多い。

 

「上で何があったんだ!?」

「っ! 見ろ、あそこにアルフォート姫がいるぞ!」

「おい、人数を集めろ! 姫を拐ってとっととこんなヤバい所から撤収するぞ!」


 階段を下りると、大勢の敵兵が集まっていた。

 最上階が消滅した事で、下にいた兵士たちが全員集められたのだ。

 彼らはアルフォートを発見すると、即座に群れとなって襲ってきた。


「いいか! 怪我はさせていいが殺しはナシだ!」

「分かってるって!」

「腕の一本でも弾けば、言うこと聞くだろ」


「えいっ!ですわ」


「「「ギャアアアアアアアアア!!!」」」

 

『ひでえ……』


 軽く腕を払っただけで、兵士たちは紙屑のように空へ舞っていく。

 一方的過ぎるその光景は、悪魔であるベリアルですら同情の念を抱かずにはいられなかった。


「ヒッ、ヒィッ!? 死ねぇぇ!!」


 恐怖に駆られ、一人の兵士が命令を無視して殺す気でアルフォート目掛けて武器を振るった。

 背後からの強襲に、彼女は反応ができない。


 バキンッ。


「? 今何か頭に当たりましたか?」


 兵士の剣はアルフォートの頭部に見事に命中!

 そして剣は粉々に!

 

 72柱の悪魔憑きとなり、イかれた硬度を誇る今のアルフォートには、なんの痛痒も与えられなかった。

 もしも彼女に傷を付けたいのなら、最低限、大陸破壊レベルの攻撃でなければ痒みすら与えられないだろう。

 

「あ、あ、ガクッ……」


 頼みの綱であり、心の支えでもある剣が折れたことで、その兵士は恐怖の限界を迎えて気を失う。

 同じ光景を見ていた他の兵達も、これは勝てないと悟ったのか、武器を捨てて降伏をしてきた。


「殺さないでください」

「死にたくねえ! 死にたくねえよぉ!」

「お家に帰りたい……」


 いささか正気を失っていそうな者もいるが、こうしてアルフォートは城内を制圧する事に成功したのだった。




☆☆☆☆☆☆☆☆




「報告が遅いわね……!」


 チーコ帝国の女帝、チロル・ミルキー・ビスケットは苛立ちと共に爪を噛む。

 彼女がこんなにもイライラしているのは、敵国の姫を捕らえたという報告がなかなか入ってこないからである。

 金色の髪をガシガシと掻き毟って、赤い瞳で近くにいた部下を睨みつける。


「ちょっと! まだアルフォート姫は捕らえられないの? ホント使えないグズばかりなんだから」

 

 罵倒とともに近くにいた兵士の背中に蹴りを入れる。

 傍若無人な振る舞いをする彼女こそ、アルフォートが住むルマンド王国に戦争を仕掛けた張本人である。

 

「(はやくあの女の無残な姿を見たいものだわ。前から気に入らなかったのよね。気持ち悪い髪をしておきながら、私の愛する王子様に好かれているところが)」


 好きな人がアルフォートを気に入っているというだけで、チロルはルマンド王国を滅ぼそうとしている。 

 もっとも、チロルがそんな事をして、王子様が彼女に振り返ることなどある筈がないのだが。 

 

 戦況はチーコ帝国の一方的なものとなり、誰もが帝国の勝利を確信していた。

 そう、()()が戦場に現れるまでは。 

 

「報告です! アルフォート姫が戦場に現れました!」


 一人の兵士が姫のいる戦線基地のテントへ入ってくる。

 

「ハア? 捕まえたんじゃなくて、現れたですって?」


 報せを受けて、チロルは小馬鹿にするように鼻で笑った。

 

「ならさっさと捕まえて私の前に連れてきなさいよ。いちいち報告なんてしてないでさ」


 戦場にまで持ってきた煌びやかな椅子にどっしりと座って、チロルはしっし、と手を振る。

 その脳内では、いかにしてアルフォートを辱めてやろうかと様々な拷問を考えていた。


「それが、手がつけられないです!」


「何言ってんのよ? 相手はただの小娘でしょ。たとえ軍勢を引き連れていようと、こっちの方が兵の数が多いんだから、押しつぶせばいいじゃない」


 チロルは至極真っ当な発言をする。

 通常であればそれで問題はなかったが、今回ばかりは普通ではなかった。


「小娘なんてもんじゃありませんよ! あれは化け物です! どうか撤退の指示を!」

 

「ふざけんじゃないわよ! いいから早く連れて来いって言ってんの! さもないとあんたを打ち首にするわよ!?」


「っ! もういい、付き合ってられるか! 俺は逃げるぞ!」


 報告に来た兵士はそう言い残し、武器を放り捨て、去ってしまった。

 初めて命令を逆らわれたことに驚き、チロルは放心する。

 

「なんなのよ……?」


 明らかに様子がおかしかった。

 いったい戦場では何が起こっているのか。

 それを確かめるため、チロルと近衛兵達は外の様子を見に、陣地のテントから顔を覗かせる。

 

「「は?」」


 そこには、この世のものとは思えない光景が広がっていた。

 

 大地は裂け、雲は割れ、一呼吸の間に何百人もの人がゴミのように吹き飛んでいる。

 それはさながら、大量のポップコーンが跳ねている光景を想起させた。


 地獄のような光景の中心にいるのが、アルフォートだ。

 彼女が拳を振るうたび、拳圧が迸り戦場を駆け抜けていく。

 その通り道に佇む兵士にはご愁傷様という他ない。


「チロル様ぁぁぁ! 撤退を! どうかご決断をお願いします!!」


 近衛兵は必死な形相でチロルに懇願する。


 戦場で命を散らす覚悟をしている兵士とはいえ、数百人単位でアホみたいに吹き飛ばされて死ぬ覚悟はしていないのである。

 命は投げ捨てられるが、決して安くはないのだ。


 同じくその光景を視認したチロルであるが、彼女は断固として考えを改める気はないようだった。


「うっさいわね! そんなの駄目に決まってるでしょ! でも、仕方ないから生け捕りは諦めるわ。魔法なりなんなり使っていいから死体を持ってきなさい!」


「は、はいぃぃ!」


 

 一方、アルフォートは退屈そうに戦場に佇んでいた。

 

「撤退はまだしてくれないんですの? もう戦線は半壊してますけど……」


 もはやアルフォートに近づこうとする者はおらず、敵に動きが起こるのを待っている状態だ。

 遠巻きにこちらを眺める兵士たちの目には、怯えの色が浮かんでいた。


『全員ぶっ殺しちまえばいいだろ。あいつらは敵だぜ? 消しちまえばスッキリするぞ』


「悪魔の基準でモノを言わないで下さいまし。人を殺して罪悪感がないわけないでしょう」


『そうか? 人間も悪魔も精神の構造にそう変わりはないと思うぜ』


 ベリアルはそう言うが、アルフォートは殺人に対して忌避感を抱いていた。

 人を殺しても眉を動かさないのは、殺す覚悟もあったというだけ。できることなら殺したくはない。

 現に、この戦場での死者は未だゼロである。

 

 大軍が拳圧のみで吹き飛ばされるのは、見た目こそ派手だが、誰もが骨折程度のケガで抑えられていた。

 これはアルフォートが手加減をしているからこその結果であり、もしも何も顧みず力を振るっていれば、初撃で全ての決着がついていただろう。


『あん? どうやら動きがあったようだぜ』


 鎧を纏った兵士たちが後ろに下がり、奥からローブを着た者たちが前に出てくる。

 彼らに共通しているのが、皆杖を携えているということ。

 ベリアルは一目でその者たちが魔法詠唱者(マジックキャスター)だと気付いた。


『奴らが出てくるってことは、アルフォートを倒すのを諦めていないってことだ。殺すか?』


「いえ、ならば敵軍が撤退するまで拳圧をぶつけ続けるまでですわ」


『お優しいこった。ま、好きにしな。俺様的にはお前が消耗してくれるのは大歓迎だ。その最強の肉体、いずれ俺様のものにしてやる』


「貴方まだ諦めていなかったんですの?」


 他の悪魔同様、アルフォートの身体に封印され霊体で話しかけることしかできない癖に、諦めの悪いベリアル。

 アルフォートは隣で半透明で漂っているベリアルに呆れた眼差しを向ける。


「いい加減諦めて私の──────」


 アルフォートが言い切る前に、顔面に炎の塊をぶつけられる。

 それに続くように、雷、風、石の礫、様々な魔法が彼女に放たれた。


「やったか!?」


 魔法詠唱者(マジックキャスター)の一人が、確認をするように声を上げる。

 土煙が晴れると、そこには服が破れて半裸になったアルフォートの姿が!


「やったな!」

「よくやった!」

「あれ、これ全然魔法効いてなくない?」


 胸元を手で隠して、白い肌を朱色に染めたアルフォートは、キレた。


「死になさい!」


 拳を握りしめ、地面を殴る。

 大地が大きく揺れ、彼女の拳の先から数キロ先までの地面が裂けた。

 魔法詠唱者(マジックキャスター)の集団はその裂け目の中心におり、真っ逆さまに落下していった。

 運が良ければ生きているだろう。


『ヒャッハハハハっ! いーじゃねーかその服、似合ってるぜ!』


「よくありませんわよ! こんな格好で人前に立つなど、生き恥以外の何者でもありませんわ!」


 戦場だというのに舐め腐った発言をするアルフォート。

 全裸でも戦う心意気を見せて欲しいものである。


 涙目で蹲ってしまうアルフォートを見かねて、ここでベリアルが助け舟を出してやることに。

 

『仕方ねーな。俺様が治してやるよ』


「本当ですの!?」

 

『ああ、だから俺様の封印を弱めてくれ』


 それを聞くと、アルフォートは露骨に嫌そうな顔になる。

 しかし背に腹は変えられないと、少しだけ力を返してやることにした。


『おおう……マジで弱めてくれるのか……。それはそれでどうなんだお前……? ほれっ、治してやったぞ』


「わあ! 助かりまし……なんですのこれ」


『少し俺様の好みにアレンジした。治してやったんだから文句言うな』


 元は清楚な純白のドレスであったものが、なんということをしてくれたのでしょう。

 パンクでロックなデビルスタイルに早変わり。


 全身黒ずくめのドレス、首元にはトゲの生えたチョーカー、腕には黒いバングルまで付けられている。

 とてもお姫様の姿ではない。


「ベリアル、貴方の趣味は最悪ですわ」


『よせよ、褒めても何もでねーぞ』

 

「貶してるんですわこのアンポンタン!」


 照れ顔で笑うベリアル。

 悪魔の中では最悪という言葉が褒め言葉であるらしい。

 

『んで? この後はどうするんだ? 敵兵もビビった100メートル以内に近寄って来ねーけど』


「なんかもう面倒くさくなったので、頭を叩くことにしますわ。それでこの戦争も終わるでしょうし」


『場所は分かるのか?』


「たぶんこの兵達のずっと奥にあるテントにいると思うのですわ」


 遠くの方で小さく見える仮設テントを指差して、アルフォートは目標を定める。

 そして、存分に足のバネを使うと、一気に飛び上がってテントまでジャンプした。



 バゴォーン!!



「な、何よ!?」


 突然テントを突き破って、何かがチロルの目の前に落ちてきた。

 近衛兵達が落ちてきた何かを囲む。


「ケホッケホッ。土埃が酷いですわ」


 土埃の中からは、チロルが目の敵にしている女。

 ルマンド王国の姫、アルフォートが立っていた。


「殺しなさい!」


 チロルは彼女の姿を目撃した瞬間、素早く近衛兵に命令を下す。

 兵士たちもそれに応じ、統率の取れた動きでアルフォートに切り掛かった。


 バキン、ベキン、ボキン!


 そして見事に全員の剣が根元から折れた。


「貴方たちに提案がありますわ。ここで国のために忠義を果たして死ぬか、投降するか、好きな方を選んでください」


「「「「投降します」」」」」


 同時に、兵士たちの心も折れたようで、全員があっさりと投降してきた。

  

「なによそれ!? あんたたち全員死刑にするわよ! 死にたくなかったら早くアルフォートを殺しなさい!」


 チロルが喚いているが、もはや誰も彼女の言うことなど聞きはしない。

 誰も彼女に忠義を尽くすという者は現れない。


 元から、彼女には人望がなかったのだ。

 人を罵倒し、足蹴にする者など、誰が好きになるというのか。

 冷ややかな視線だけがチロルに向けられる。


「なによ、なんなのよ! あんた達なんて、皇帝権限で全員死刑なんだから! 誰か! この者達の首を刎ねなさい!」

 

 しかし誰も現れなかった。


 この期に及んで皇帝という威光に縋る彼女の姿を見て、誰も救おうという気にはならなかったのである。


「アルフォート姫。この戦争を起こした張本人はそこのチロルです。どうかお好きになさってください」


「あらそう。教えてくださってありがとうございますわ」


 密告までされる始末。

 ここにきてようやく自分の立場を理解したのか、チロルの顔が青ざめていく。


「ち、近寄るんじゃないわよ! 私を殺したら国の者達が黙ってないわよ!」


 アルフォートは無言で彼女に近づく。


 それに対し、チロルは後退りをして、アルフォートから少しでも距離を取ろうとする。

 戦場で猛威を振るっていたアルフォートが、今になって恐ろしくなったのだ。


「わ、悪かったわよ。戦争仕掛けたりなんかして。でもあんたも悪いのよ! 私の愛する王子様に色気を使うから!」


「………そんな理由で戦争を始めたのですか?」

 

 唖然とした顔でアルフォートは尋ねる。

 チロルはコクリと頷いて、さらにお前が悪いと主張してきた。


「ふざけんな!」

「この戦争で俺たちの仲間がいくら死んだと思ってるんだ!」

「やっちまえアルフォート姫!」


 近衛兵達も戦争の理由は知らされていなかったらしく、怒りに満ちた声を上げる。

 そんな彼らを手で制し、アルフォートはチロルに処罰を与えた。


「チロル皇帝陛下。貴方への処罰は国への強制帰国とします」


 厳格な声で、アルフォートはそう言い渡す。


「へ、それだけでいいの?」


 チロルも拍子抜けといった様子で、ポカンとしている。

 兵士たちはそれに納得がいっていない様子だが、黙ってことの成り行きを見守った。


「ええ、それだけでいいですわ」


「あら、そうなの。じゃあ私はもう帰るから、馬を貸してもらえる?」


「いえいえ、馬は必要ないですわよ」


「歩いて帰れと言うの!? それはいくらなんでも酷い罰だわ!」


 行った非道と比べると優しすぎる罰だというのに、チロルは抗議をしてくる。

 馬を借りようとするあたり、厚かましいことこの上ない。


「仮にも皇帝陛下を歩いて帰らせる訳には行きませんわ。当然帰国手段は私が用意いたします」


「あら、殊勝な心がけね」


「ところで、チーコ帝国はどちらの方角でしたかしら?」


「ここから向かって南の森を抜けた坂よ。飛行船でも用意してくれるの?」


 素直に方角を答えるチロル。

 それが、彼女の運命を決める引き金だった。


「は? あんた急に何抱きついてんのよ。気持ち悪い。さっさと離れな─────」


「お帰りはこちらからですわぁぁぁぁぁぁ!!」


 チロルの腰に抱きつくと、アルフォートは南に向かって全力で彼女を投げつけた。

 テントを突き破り、空へと消えていった彼女が、はたして無事に国まで辿り着けたのかは知るところではない。



「なるほど。ベリアルの言う通り、敵を消したらスッキリしましたわ」


 アルフォートは満足げな顔で、夕焼け空を眺めながら笑みを浮かべた。



☆☆☆☆☆☆☆☆





「本当に行ってしまわれるのですか、姫?」


 数ヶ月後、ルマンド王国を旅立とうとするアルフォートの姿があった。


「ええ、復興はあらかた終わりましたし、私がいなくてももう何とかなるでしょう」


「ですが、我々兵士としましては、姫が国にいてくれないと……」


「見なさいこの頭を。悪魔付きが国の長を務めていたら、面目が立たないでしょう。だから、これでいいのです」


 帽子目深にかぶって、隠していた悪魔のツノを見せつける。

 理由はわかるが、それでも納得がいかない様子を見せる兵たちだが、救国の英雄の意思を尊重して押し黙った。


 兵士たちに見守られながら、こうしてアルフォートは国を立つ。

 これからのルマンド王国を纏める立場になるのは、近衛騎士団の副団長だ。

 彼はなんとあの混乱極める城の中で生きていたらしい。

 団長の思いを受け継ぎ、頑張ります、と言っていた。


「アルフォート様! お元気で〜!」

「国を救ってくれて、本当にありがとうございました!」

「俺、この国でもう一度やり直します! アルフォート様のおかげです! 絶対に忘れませんから!」


 彼女を見送る者の中には、元チーコ帝国の者達もいた。

 あの戦争の後、残された兵達のほとんどは国に帰ったが、何人かは罪滅ぼしがしたいと言って、この国に残ったのだ。

 彼らは復興に尽力し、今ではすっかりこの国に馴染んでいた。


『すっかり人気者だな、アルフォート。本当に国を出てよかったのか?』


 ベリアルがそう尋ねてきた。

 彼は相変わらずアルフォートに封印されたままで、彼女の話し相手によくさせられている。

 しかし、今も虎視眈々と彼女の身体を乗っ取ろうと画策している……が、なかなか上手くいかない。


「ええ、悪魔付きが姫では格好がつかないというのは本当ですし」


『……理由はそれだけか?』


 ベリアルが聞き返すと、アルフォートは小悪魔のような笑みを浮かべる。


「ベリアルにはお見通しですわね。そう、本当は面倒くさい立場が嫌になって、自由に旅がしたかっただけですわ!」


 舌をペロッと出して、本音をぶちまける。


『おいおい、救国の英雄さまが、そんな事言ってていいのかよ』


「そんなの勝手に言われてるだけで、本当の私はこんなもんですわよ。悪魔が取り憑いているんですもの、少しくらい悪いことをしても仕方ないですわよね?」


『ククッ違いない。悪魔憑きの悪役令嬢ってわけだ』


 二人で顔を見合わせ、笑い合いながら旅を続ける。


 一見和気あいあいとしているように見えるアルフォートとベリアル。

 だが、腹の内ではお互いに異なる思いを抱いていた。


「(ベリアルはいつまで経っても私の身体を乗っ取ろうとするのをやめてくれませんわ。それを解決するためには、仲良くなる必要がありますわ! そう、この旅の中で、絶対に─────)」


『(アルフォートは強い。それこそ世界最強だ。こいつのことは嫌いじゃないが、それはそれとして肉体は欲しい。そうすれば、俺様が世界最強だ! そう、この旅の中で、絶対に─────)』




「友達になってみせますわ!」

『肉体を乗っ取ってみせる!』




 彼女らの長く果てしない旅は、まだ始まったばかりである。


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