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七月の出来事B面  作者: 池田 和美
8/10

七月の出来事B面・⑧



 その時、明実が操作している金属球から、やや甲高いブザー音がした。

「どうした?」

 アスカの言葉を受けて険のある顔になっていたヒカルが訊ねた。

「センサーに反応。登録されていない人間が接近中だ」

 明実の平板な声が否応なしに緊張感を高める。

 ヒカルは、下ろしていたサブマシンガンの鎌首を持ち上げた。反対側のダイヤは、バスケットの中へ手を入れてコクリ丸の頭を撫でた。そしてアキラといえば、なにもできずに、ただ拳を握っただけだ。

 休憩所の雰囲気が変わったことを察したのか、コクリ丸の唸る声が籠って聞こえてきた。

「どっちからだ」

 ヒカルは聞きつつも、視線を高等部の方へ向けていた。そちらの方から、見慣れない人物が歩いてやってくるのが目に入ったからだ。

 身長はクラスの男子とほぼ変わらない。だが、横幅はあって筋肉質に鍛え上げられているのがわかった。

 身に着けている物は白いタンクトップにウォッシュドジーンズ。靴はペッタンコのスニーカーだ。

 なぜか彼は右手に曲げた針金を持っていた。

「高等部の方からだ」

 明実が報告する頃には、休憩室へもう入って来ていた。

「やあ」

 オールバックにしている暗褐色の髪と同じ色をした口髭に目が行ってしまう。彼はその下で微笑んだ。

 にこやかに手を上げて言った。

「こんにちは」

「はい、こんにちは」

 挨拶をされて、つい返してしまうアキラ。

 見知らぬ厳つい筋肉の塊のような男がやってきて、あからさまに警戒する一同。

 まあ常識で考えても、女性五人で和気あいあいと話している(ように見える)ところへ、見知らぬ厳つい男が近づいてきたら、身構える方が普通だろう。

 その緊張をほぐそうとしているのか、笑顔で男は語りかけてきた。

「君たちは、ここの人かな?」

「?」

 どう答えていいか分からずに、学生三人は顔を見合わせた。

「えっと、そちらは? 教師ではないですよね」

 唯一立っているクロガラスが訊くと、男は困ったように眉を顰めた。

「はい。私は、この学校とは関係が無いですね。いや、友人がいるのは関係者と言っていいのかな? どう思います?」

「ちゃんと許可を取っているなら問題は無いんじゃないでしょうか」

 どうやら正直に答えてくれているようだ。そうでなければ、わざわざ自分に不利な情報を口にするとは思えない。

「うーん」

 男の難しい顔が続く。

「正式な許可も貰っていませんね」

「では、学校側からすると、侵入者ということになりますけれど」

「いやあ、困ったな」

 何も持っていない左手の小指だけで襟首を掻いてみせる。

「探し物が見つかったら、すぐに退散しますよ」

「探し物?」

「ええ。『施術』という言葉に心当たりは…」

 そこまで話して男は言葉を切った。休憩室に居た内の三人はポーカーフェイスを保っていたが、アキラとダイヤの顔には驚きが浮かんでいたからだ。

 軽い金属音がした。男が右手に持っていた針金を落とした音だ。

「ああ、君たちが探していた人たちか。いや、そこの君は人間のようにも見えるな。君は彼女たちの味方をするのかな?」

「随分と余裕じゃねえか」

 我慢しきれなくなったようにヒカルが立ち上がり、サブマシンガンの銃口を向けた。ピンとキャンディの柄が天井を向いていた。

 それがきっかけとなって、ダイヤも立ち上がった。出遅れたアキラも、いちおうファイティングポーズのようなものを取ってみる。

 クロガラスは男と距離を取ると見せかけて、自分が壁に寄りかけた大剣に近づいていた。

 唯一変わらないのはアスカだけだ。

 敵対する意志をはっきりと示しているというのに、男は薄笑いをしてみせた。

「いちおう言っておきましょう」

 第二間接まで体毛が生えた指で床のコンクリートを示した。

「おとなしくそこに直って命を差し出すなら、辺獄(リンボ)で済むように取り計らってあげますよ」

「せっかくのご招待だが、ご辞退申し上げる」

 ヒカルの激しい語気に、男は溜息をついた。

「せっかく救われる可能性を自ら捨てるとは、なんと愚かな。いや、だからこそ『施術』などという技術に身を任せるのか」

「こっちは、なるべく静かに過ごしたいだけなんだ。天使だか悪魔だか知らないが、とっとと、あの世(おうち)へ帰りな」

 威嚇するためか、大げさな素振りでチャージングハンドルを引いてみせる。初弾が送り込まれる機械音が雑木林に響いた。

「わかっていないようですね」

 ちょっと苛立った声に代わる。

「君たちが生きている、その事が罪なんですよ」

「そっちの都合なんて知るか!」

 ピッタリと眉間を狙った銃口は揺るぎもしていなかった。

「交渉は決裂ですか?」

 意外に冷静なままで男が確認した。いつもなら瞬間湯沸かし器のように激昂するヒカルが、まだ理性を保ったままこたえる。

「おまえは死ぬべきだ、はいそうですねってほど、あたしらの命も軽くねえんだ」

 男は大きなため息をついた。

「私は、あまり戦いが得意じゃないんですが…」

 困ったように前髪の辺りをポリポリと掻いた。

「交渉が決裂したのですから、次の段階へ移行しましょう」

 ヒカルがサブマシンガンを握る手に力を入れるのと同時に、反対側のダイヤもバスケットへ差し込んだ右腕を緊張させた。

 アキラの握った拳に、じっとりと汗が滲み、クロガラスは大剣の包みに手をかけた。

 アスカだけは、まだ変わらない。

 目の前で始まった寸劇を楽しむような表情をしたまま、手にしたクロスボウは下を向いたままだ。

 男は歩き出した。

 五人の間を悠然と通り過ぎ、平気に背中を晒す。そのまま草いきれで咽る程になっている丘へと出て行った。一定の距離ができてから、サブマシンガンを構えたままのヒカルが休憩室を出た。その次に、腰を落としたダイヤが続いた。

 クロガラスは休憩室の床へボロ布を捨てた。包まれていたのはやはり西洋の大剣である。両刃で鍔や柄にかけて彫刻が装飾として刻まれている。

 無闇に光を反射しないように、表面は青味がかった処理が施してあり、青銅製にも見えなくも無かった。

 普通ならば人間と同じ大きさの剣など、アンティークショップのディスプレイ程度にしか使えないであろう。しかし、その剣には実用されてきたためについたと思われる傷や凹みが所々にあった。

 その重そうな大剣を軽々と右手で持ったクロガラスが、ダイヤの後に続いた。歩きながらスーツの懐から銀色の銃を抜いて、装填を確認する。

「さらば平穏の日々」

 嘆いているのか嗤っているのか分からない声でアスカがそう告げると、渋々といった態度で立ち上がり、クロガラスの後ろについた。

 最後はへっぴり腰のアキラだ。

「こんなにいい天気ですから、あそこまで行ってみましょう」

 男は丘の頂上を指差した。先ほどまでの話しではないが、ピクニックに来たようだ。

 そのまま男を加えた六人は、獣道程度にしか草が押しのけられていない道を上り始めた。

 初夏の厳しい太陽光が肌を灼く。

「あっちぃ」

 アキラは顔の前に手をかざして風景を見た。

「ヤダ。陽焼けしちゃう」

 これが本物の女子高生であるダイヤが言うのならまだしも、クロガラスの口から出た。

「お肌のシミになるってか」

 サブマシンガンを男に向けたまま、ヒカルが軽口を叩いた。

「肌なら張り替えればいいじゃないか」

 なんの不都合があるのかという感じでアスカが言う。その言葉に、アキラはアスカが他人の生皮を剥いでいる場面を想像してしまった。

 ダイヤも同じことを思ったようで、とても苦い物を食べたような顔になっていた。

 程なく、この不思議な一行は、丘の頂上へと辿り着いた。ここだけ薄くなっている草地の中央で、男は回れ右をして五人と正対した。

 緩く半円形に男を包囲する『施術』関係者。一同の耳目を集めた男は、とてつもなく恍惚とした笑顔で両腕を広げ、天を仰いだ。

「光よ。翼よ」

 その途端、世界が暗くなったような気がした。

 先程まで痛みを感じる程の陽差しだったはずなのに、今は薄曇りのような暗さになっていた。

(晴れていたはず)とアキラが周囲を見回すと、空は相変わらずの快晴(ピーカン)だった。その下で初夏の陽差しが弱まっており、男の周囲だけにまるで舞台装置から浴びせられるライトのごとく光が集まっていた。

 男の頭上に線のように細い光の輪が現れ、そして背中から白い翼が生えた。

「本当に天使なんだ…」

「?」

 アキラが感心した声を漏らした。それを咎めることをせず、ヒカルが訝しむような声を喉から漏らした。

 銃口を向けている男は、たしかに天使という格好になったが、なんとも中途半端だったからだ。

 頭上の光の輪は糸のように細いし、背中の翼だって右側、しかも羽毛がほとんど毟られて無くなったような羽だった。服装だって、宗教画にあるようなあんな感じではなく、先程までと同じタンクトップ姿のままだ。

「なりそこないか?」

 ヒカルから訊ねるような声が出た途端に、ポンとまるでマンガのような軽快な破裂音がして、男…、天使の体から光る輪も、翼も煙となって消えてしまった。

「おや?」

 自分の体に起きた事に気が付いたのか、天使は自分の両掌を見た。

「まあ、翼が無くても大丈夫でしょう」

 笑顔を多少引き締めて、天使は五人を見た。

 そして語り始めた。それは謳うようだった。

「私を恐れるがいい。君たち『マスター』たち、そして『女のような者たち』」

 天使の自信たっぷりの言葉を聞いただけで、ヒカルの後ろでアキラが腰砕けになりそうになっていた。

「びびるな」

 ヒカルの一喝。

「私は空から君たちを襲うことができるのだ。信じない者には魂に直接命令するぞ。さあ、私に献上するものを、我が目の前に差し出すのだ」

 天使が右手で何かを掬い上げるように突き出した。そこに自分たちの心臓を幻視したアキラはブルリと体を震わせた。

「『善』が勝利し『悪』は駆逐され、邪悪な者は泣きわめくのだ」

 ニヤリと歪めた天使の顔の方が、よっぽど醜悪に見えた。

「なんだい、あたしらに勝てると思っているのかい?」

 ヒカルがサブマシンガンを肩に当て直しながら訊いた。

「五対一だ。いつかはコッチの刃が届くよ」

「ふむ。なるほど」

 天使が、ここは思案のしどころという態度で顎に手を当てて表情を曇らせた。

「五人がかりならば、私に勝てると思っておられるようですね。大した自信だ」

「はぁ?」

 まったく困ったような響きを感じさせない天使の言葉に、ヒカルが柳眉を上げる。

 まあ銃を使用しない町のケンカだって、五対一ならば一の方が圧倒的に不利のはずである。それなのに、この自信はどこから来るのだろう。

「主の僕、『善』である私が負けるわけがありません」

「ああ、そういうことね」

 信仰心で現実が見えなくなる類と理解したヒカルは、ダイヤへチラリと視線をやった。それを受けて彼女が一つうなずいた。

「じゃあ、その神さまとやらに、よろしく言っておいてくれよ!」

 言い終わるなりヒカルはトリガーを絞った。セレクターが二連射(バースト)に合わせてあったので、サブマシンガンから二発の銃弾が吐き出される。

 発射された弾丸は、天使の顔面手前で止まった。その銃弾を、まるで飛んできたハエのように見る天使。

 間違いなくイコノスタシスだ。

「オーイワ!」

「来て、コクリ丸!」

 ダイヤがバスケットを投げ捨てながら右手を抜いた。

 女子高生の細い指には二メートルを超える大太刀が握られていた。サイズからしてバスケットに入っているわけのない大きさだが、それは先に収まっていた物が変身した姿なのだからとしか言いようがない。心霊兵器『狐狗狸丸』。『施術』とは違う理屈で物理法則と外れた存在なのだ。

 ダイヤは、鞘のまま天使に撲ちかかった。

 それを、まるで新聞紙を丸めた筒の如く、軽く左腕で受ける天使。

「君は人間なので、殺すつもりは無いのですが」

 とても冷静な声で断ってから、踏み込んで右拳を振るった。

 周囲の空気を引きずって風を起こすほどの速度で、ダイヤの顔面を襲う。しかし、その攻撃をダイヤは体を回転させてギリギリで避けた。

 鞘をそのままに、体を回転させた勢いで大太刀を抜刀する。時計回りで、今度は真剣が天使の体を狙った。

 タイミングを合わせて、後ろからヒカルが一〇ミリAUTO弾を撃ち込む。それで再びイコノスタシスがキャンセルされて、刃先は天使の胸辺りを薙ぐように襲った。

 それを天使は後ろへ下がって避けた。

 今度はクロガラスとアスカの番だ。

 天使のやや後ろからクロスボウを発射、顔面付近のイコノスタシスに食い込んだのは、アスカお得意の尖らせた鉄筋であった。

 大上段から振り下ろされる両刃の剣を、軽いステップでいなす天使。下ろした勢いで斬り返すも、これまたヒョイという感じで避けられてしまった。

 ここまでかかった時間は、わずか数秒である。『施術』のよって人外の身体能力を持っている四人の攻撃も速いが、それをまともに喰らわない天使も凄かった。

「ふむふむ。こんな感じですか」

 再びヒカルとダイヤのコンビネーションによる攻撃を、またそよ風のように交わしながら、天使は涼しい声を出した。

「そろそろ、終わりにしますよ?」

 宣言ではなく語り掛けるような言葉で天使は言った。ヒカルの援護で袈裟切りに斬りかかったダイヤの右肩を、ラッシュアワーの駅で進路の邪魔だからと押しのけるような感じで、トンと押した。

 それだけで大きく体勢を崩されて、たたらを踏むダイヤ。

「なるべく苦痛は与えたくありませんが、もしそうなった場合は、ご勘弁を」

 まるで、予定されていた立食パーティが充分準備が出来ていなかった事を詫びるような立ち振る舞い。そんな印象をアキラに与えた直後、男の体が大きくなった。

 いや大きくなったのではなかった。普通では認識できない程の速度で、アキラとの距離を縮めた結果、巨大化したかのように錯覚したのだ。

 岩のように握られた拳が、一番後ろにいたはずのアキラへめり込んでいた。

「ぎゃ」

 腹を殴られ、まるで蛙を踏み潰したような「音」が、アキラの口から何かと一緒に出た。

 数十分前に食べた食事の成れの果てであった。

 続けて背中への衝撃。

 追撃ではなかった。アキラの小柄な体が、殴られた衝撃で飛ばされて、丘の上にポツポツと立っているコンクリートの塊へ激突したのだ。

 まるでノリが剥がれたポスターばりに、へなりとアキラは地面へと倒れた。

「アキラ、起きろ! なにやってやがる」

 銃口を天使に向けたまま移動したヒカルが、アキラの許へやって来た。殴られた腹を抱えたアキラは、その場でケロケロやっていた。

「なさけねえなあ、おい。まだ始まったばっかだぞ」

 チラリとアキラを確認したヒカルが、叱咤するために怒鳴り声をあげる。

「いてえよお」

 なんとか言葉を取り戻したアキラは、自分の吐瀉物をまき散らした地面から、ようやく体を起こした。まだ背筋を伸ばしきれていない体を、ヒカルは左手で支えてやった。

「しっかり立て。男だろ」

「もう女でいいよ」

 情けない声が返って来た。

「あ? なんだ? 男の方が偉いってか?」

「先に言いだしたの、おまえだろ」

 いつもの調子が戻って来たようだ。顔についた土を払い、アキラは表情を引き締めた。

「お? やる気になったか」

「最低でも一発返さないと、気が済まなくなった」

 その様子を見ていた天使が、腕組みをして微笑みかけてきた。

「やはり、ただ殴るだけでは片付かないようですね。もうちょっと頑張らないといけないですか」

「言ってろ」

 それを挑発と捉えたアキラが言い返した。

「で、準備はできましたか?」

 天使は視線をダイヤへ変更した。この隙に彼女はコクリ丸を、毛皮で造られたような鞘へ納刀していた。その鞘は緒で道着の帯へ巻き付けて提げて固定する。

 左手を鯉口に添えて、右手を長い柄にかける。抜き打ちの構えだ。

「ええ、じゅうぶんに」

 ジリッと足袋のままで地面を踏みしめる。それに対する天使は、何のリアクションもない、腕組みしたままの余裕なスタイルである。

 ヒカルはアキラから手を離すと、再び二発撃った。その攻撃を、腕を解きながら横へ避ける天使、ダイヤはそれでも構わず鞘からコクリ丸を抜き放った。

 銃弾がまだイコノスタシスをキャンセルしていないためか、微笑みを崩さない天使。コクリ丸の長い刀身が、見えない壁へ到達しようかという瞬間に、天使の顔前に別の銃弾が止まっていた。

「なに?」

 慌てて回避に入るが、もう遅い。コクリ丸の刀身が天使の鍛えられた腹筋へ、吸い込まれるように撃ち込まれた。

 今度は確実に致命傷と思った瞬間に、ギインという金属製の音と、火花が散っていた。

「!」

 なんと天使が巻いているベルトのバックルが、コクリ丸の刃を止めていた。

 偶然ではない。斬られると察した天使が、上体を捻ってそこで受けたのだ。

 驚いて一瞬だけ鈍くなったダイヤへ、天使が掴みかかろうと手を伸ばしたが、流石に身を引いてそれを回避する。

 ダイヤが下がっているというのに、ヒカルはまた二発の拳銃弾を叩きこんだ。その攻撃は当たり前のように止められてしまう。

 と、眼前で止まった弾丸を確認した天使は、後ろへ回し蹴りを放った。

 金属製のお盆を落としたような音がする。スニーカーが剣身の側面を弾いていた。

 天使の背後から、静かに回り込んでいたクロガラスが斬りかかっていた。ヒカルが撃ち込んでくれることを見越しての行動だった。

 剣を弾かれても、まったく残念そうな顔をせず、クロガラスは自分の方を向いた天使の顔面に向けて、左手に握っていた銀色の銃を撃った。

 その攻撃も当然イコノスタシスに防がれるが、天使は肩を竦めるようにして上体を低くした。

 バックステップの反動を利用して、大きく前へ踏み出したダイヤが、次の一撃を放っていた。

 その牛の首すら落とせそうな大太刀の一撃は、虚しく天使の頭上を通過した。

 半ば後ろを無視した天使が、クロガラスへパンチを繰り出す。それを咄嗟に大剣を盾にして受けるクロガラス。

 大人の女性。しかも拳銃と大剣を持っているから重量的にプラスになっているはずのクロガラスの体が、天使のパンチで浮かび上がった。

 草地が薄くなって赤土が見えている地面へ転ぶのも厭わず、クロガラスはさらに銃弾を叩きこんだ。

 首を狙った一撃を空振りさせられたダイヤが、その場で一周し、第二撃目に入った。

 今度は重心のあるヘソの高さを薙いだ。

 それを予見していたタイミングで、天使はジャンプした。しかも人間では考えられない程の高さである。

「ちっ」

 せっかくダイヤとクロガラスの挟撃という絶好のポジションへ持ち込めたのに、跳んで逃げられてしまった。ヒカルが忌々しそうに舌打ちをしながら、天使の動向を見極めようと、上空を振り仰いだ。

 一目見ただけで天使の着地地点を予想して走り出す。右手に大剣、左手に拳銃というスタイルのクロガラスも、ヒカルの動きを追うように、地面から起き上がって走り出した。

 遅れてアキラも追った。斬りかかるために二回転していたダイヤが、体勢を立て直すのが一番遅かった。

 天使が頂上の反対側へ着地する。それに対してヒカルが銃弾を撃ち込んだ。顔面、腹部、両肩の付け根。もしイコノスタシスが無ければ戦闘不能となっているはずだが、もちろん全て防がれた。

 しかし、その間にクロガラスが追いついた。

 射撃のために立ち止まったヒカルを抜いて、走った勢いのまま斬りかかる。もちろん、それに合わせてヒカルはトリガーを絞っていた。

 大上段からの一撃を、天使は右へかわした。そのまま大きな手でクロガラスへ掴みかかろうとする。

 その動きを途中で止め、上を見た。

「オレを踏み台にしたあ」

 ついアキラが声を上げていた。後ろから走り込んできたダイヤがジャンプ、さらに前を走っていたアキラの肩でもう一段ジャンプすると、まるで羽が生えたかのような高度から天使へ斬りかかったのだ。

 もちろんヒカルは銃撃を止めていなかった。

 再び天使が跳んだ。大太刀の切っ先は、虚しく地面を抉った。

 また同じようにヒカルが天使を追って走り出す。斬りかかって体勢を崩していた二人を抜いて、アキラも走った。

 一周回って、元の位置に戻って来る。最初に追いついたヒカルは、手の中でサブマシンガンを反転させ、ストックの方で殴りかかった。

 銃を持っているもう一人は、走るので精一杯で銃を構えていなかった。

 しかし、天使の眼前に弾丸が食い込み、イコノスタシスを無効化した。

 左肩に落ちてきたヒカルの攻撃を、天使はひょいという感じで避けた。一歩下がって、まるで丘からの景色を楽しむかのように南を向いた。

「なんと言って騙しているか、まあ大体予想がつきますが。彼女たちに協力するなんて、酔狂な人ですね、君も」

 そこにはいない誰かに話しかけた。

「どっち向いてんだ、こらあ」

 避けられてしまったヒカルは、もう一度サブマシンガンを振り上げた。

 すると天使は目の前を飛んで目障りなハエが居たかのように、顔の前を手で払った。

 閉じられた指が開かれると、新たな弾丸が地面へと落とされる。それはどう見ても拳銃弾の長さではなく、ライフル弾、しかも狩猟用の物に見えた。

「うるさいから黙っていて下さい」

 天使は遥か向こうを指差した。

「さて、これで少しは静かになりました」

 今度は横なぎで繰り出されたヒカルの攻撃を、見もしないでヒョイと避けた天使は、集まった四人を見おろした。

 サブマシンガンを再び射撃できるように構えるヒカル。顔は引き締まって戦闘意欲はまったく欠けていなかった。

 右手に大剣、左手に銀色の拳銃のクロガラス。一回地面を転がったせいか、長い亜麻色の髪の毛に、草の葉がついていた。

 納刀したコクリ丸へ手を添えるダイヤ。汚れの無い道着姿は、まったく乱れていなかった。

 そして手ぶらのアキラは、格好がつかないので再びファイティングポーズを取った。

「おや? 一人足りないですね」

 天使が首を捻った瞬間に、天使の足元から何かが現れた。

 地中から、土砂を振り落としながら現れた影が、天使に向けて持っていた物を発射した。

「うげ」

 悲鳴を上げたのはヒカルだ。新たに現れた「もの」には、目撃した者にそうさせる印象があった。

 天使の眼前に鉄筋が食い込んでいる。もちろん、それはイコノスタシスで止められている。発射したのは、一本の腕が握るクロスボウ。

 真後ろから、尖らせた鉄筋で殴り掛かったアスカの突進を、まるで見ていたかのように、ひょいと避ける天使。ついでに体が交差する瞬間に足払いをかけた。

 たたらを踏んだが、その場に転倒することなく、アスカは四人と合流した。

「ちぇ。これで決まると思ったのだけど」

「なんだよ、ありゃあ」

 天使ではなく、天使の目の前に立つ「もの」に銃口を向けたヒカルが訊ねた。

「時間が無かったから、あんな物しか作れなかったけど。あれはボクの『腕』だよ」

 確かにその「もの」には腕が一本生えていた。

 ただし人間にはまったく見えなかった。

 簡単に言うと、三角錐という姿をしていた。似ている物として、道路や駐車場などで使われている赤い三角コーン、あんな大きさの形である。

 表面に人間の目が一つ。人間の耳たぶも一つ。人間の腕も一つ。胴体は精肉店の店先に並んでいる商品と同じ色、肉色であった。

「ちょっとぉ。趣味悪いわよ」

 これはクロガラスである。唯一反応しなかったのは、大太刀を構えるダイヤだけだ。

 その「もの」が構えているクロスボウには、太い鉄筋が番えられていた。

「趣味が悪いは酷いなあ」

 どこまでも明るい笑顔でアスカ。

「せっかくの助っ人なのに」

「これを作ったのは君ですか」

 天使が静かな声を出した。しかし、その声に込められているのは悟りとは正反対の憤怒であることは間違いなかった。

「ただでさえ主の決めたもうた理に逆らっているというのに、なんと罪造りな」

「どうせ犯した罪なら、徹底的にやらないとね」

 それを罪と感じていない様子のアスカは飄々としていた。

「これは我慢の限界を超えています。もう泣いて乞うても許しません」

「まあ、もともと許してもらおうと思っていないけどね」

 天使は怖い顔でアスカを睨みつけた。

「悔い改めよ」

 天使の右手が一閃した。

 チョップ一発で、三角錐の肉塊は、幼児が盛り上げた砂場の山よりも脆く潰れて、地面に古布団のように広がった。

「へ?」

 次の瞬間には天使はアスカの前に居た。まるで瞬間移動のような速さだ。驚きの声を上げたその首に、天使の右腕が巻きつけられた。

 上から下へ、スクワットのような動きで、地面へ叩きつけるようにアスカの体を振り下ろす。海老反りに背中の方へ叩き折られた脊椎が、グシャリと破滅的な音を上げた。

 天使がすっくと立ち上がった。抱えていた腕を放すと、アスカはそのまま人形のように地面へ転がった。背骨を折られて手足がバラバラの方向へ向いていた。

 それを軽蔑した眼差しのままで見おろす天使。動きがその瞬間だけ止まった隙に、ダイヤが斬りかかった。

 左右からヒカルとクロガラスが銃弾を撃ち込む。

 鞘走りした大太刀の刀身が、凶悪な輝きを放つ。その剣筋は、あまりに早く、目標との間にある大気すら両断する。

「ぐふ」

 次に瞬間に、信じられないという顔で、ダイヤは地面へ顔をめり込ませていた。

 あの『生命の水』で強化された抜き打ちは、雲耀よりも早く打ち下ろされる。それを上回る速度で、天使が肉薄して彼女の頭を掴むと、地面を押し付けたのだ。

 一度持ち上げられて、ちょうどその場に顔を出していた石へ叩きつけられる。ゴチンという拳骨をくらったような大きな音がした。

 ビクッと一瞬だけ身体全体が痙攣すると、ダイヤも動かなくなった。

「え?」

 アキラが声を上げている間に、ヒカルが天使の方へ体ごと振り向き、トリガーを絞った。しかし体を低くした姿勢で、天使は次の目標へと移動していた。

 クロガラスが、両手で掴みかかって来た天使へ、右手の大剣を振るった。

 左コメカミ辺りを狙った一撃は、やはりイコノスタシスに防がれた。

 天使の指がクロガラスの細い首にかかる。その至近距離というより、密着した状態でクロガラスは左手の銃を撃った。

 顔前で止まった銃弾を見て、あっさりとクロガラスを放すと、横へ跳び退いた。

 天使が占めていた空間へ、拳を振り上げたアキラが踊りこんできた。

「うわあ」

 同士討ちになる直前に、クロガラスの足が前に出た。

「ぐえ」

 また情けない声を上げて、アキラは体を二つに折った。見事にクロガラスの足跡が、アキラの鳩尾にスタンプされていた。

「あら、ごめんなさい」

 全然気持ちのこもっていない謝罪を口にして、クロガラスは天使を追うために頭を振った。

 天使はヒカルに肉薄していた。ヒカルは後ろ向きに走りながら、手にしたサブマシンガンを連射する。しかし、そんな体勢がいけなかったのか、カチリと作動音はさせつつも弾が出なくなった。

「あ、ちくしょう」

 左手をチャージングハンドルへ伸ばすと、その手を天使に掴まれた。

「むん」

 天使は片手だけで、ヒカルの身体を大根抜きのように引っ張った。左手だけで持ち上げられ、天使の上空を通過し、そのまま反対側の地面へ叩きつけられる。

 ゴキゴキとヒカルの体から聞きたくも無い音がした。

「ぐ」

 それでも顔を歪めただけで、ヒカルは冷静に右手のサブマシンガンを放すと、腿に巻いたホルスターから銀色のリボルバーを抜いた。

 いまだ左手を掴んでいる天使に向けて、右手一本で巨大なリボルバーを構えた。

「くらいやがれ」

 超至近距離から象をも一発で仕留める銃弾を撃ち込む。しかし、それでもイコノスタシスを抜くことはできなかった。火炎放射器のような発砲炎ですら、そこに耐火ガラスがあるかのように横へ広がっただけだ。

「ぐ」

 逆にヒカルの方にダメージがあったようだ。銀色のリボルバーが小さな手からすっぽ抜けると、地面の上をクルクルと回りながら滑って行った。

 天使の上腕を構成する筋肉が盛り上がるのが見て取れた。間違いなくヒカルにとどめをさす気だ。

「はい!」

 そうさせまいとクロガラスが声を上げながら銃を撃った。眼前に止まった銃弾を確認すると、天使は手近な武器をクロガラスへ投げつけた。

「ぐえ」

「きゃあ」

 ヒカルとクロガラスの体は折り重なって、地面へと倒れた。

「なにしてんのよ」

 自身の上になったヒカルへ、クロガラスが悪態をつく。

「なにしてるって、決まってんだろ。戦ってんだ」

「腕潰されちゃって、この役立たず」

「まだ足も動くし、歯だってある」

 クロガラスから離れながらヒカルはニヤリと笑い、ペッと咥えていたキャンディの柄を吐き捨てた。

「あいつの喉笛を食いちぎってやるぜ」

「おおこわい」

 剣を杖のように使って立ち上がりながらクロガラスがわざとらしく体を震わせてみせる。

 二人がそんな事を話している間に、天使は崩れ落ちたアスカの体の所へ移動していた。

 そこから取り上げる物がある。アスカが使っていたクロスボウだ。

「私としては、そんな獣とまともに組みあうつもりはありませんね」

 重そうな見た目のクロスボウであったが、天使は片手で軽々とそれを二人に向けた。

「ヒカル!」

 アキラが警告の声を上げる。

 ヒカルとクロガラスは瞬時に視線を交わした。

「うおおおぉぉぉ! やってやんよおおおぉぉぉ」

 両腕が動かないまま、ヒカルが天使へ突進した。本当に喉笛に食らいつくような気迫であった。

「獣は獣らしく、おとなしく狩られなさい」

 天使がクロスボウのトリガーを絞った。発射される尖った鉄筋。それをヒカルは避けることもしなかった。

 ドスッという重い音がして、ヒカルの腹に鉄筋が突き立った。

「?」

 避けずに正面から攻撃を受けたヒカルの行動が理解できずに、天使が訝し気に顔を歪める。その直後、眼前のイコノスタシスに拳銃弾が食い込んだ。

 地面へ倒れるヒカルの脇から、クロガラスが銃を撃ちながら駆け込んだ。

 右手の大剣を渾身のフルスイング。しかしそれは天使の体に達する前に、クロスボウの銃床で防がれてしまう。同時に天使の左拳がクロガラスの顔面を捉えていた。

 骨が砕ける音と共に、クロガラスの体が、まるで車に撥ねられた人のように宙を舞った。

 そのまま天使の足元へ、受け身も取れずに落ちて転がる。

「ヒカル!」

 アキラはヒカルの許へ走り寄っていた。

 うつ伏せに倒れていたヒカルの体を起こしてやる。

「おい!」

「まだ死んじゃいねえよ」

 力の入らない様子の両腕、腹から生えるように突き刺さった鉄筋。そんな異常事態が起きていないかのように、ヒカルは笑顔を見せた。

「まだ、あいつの喉笛を食いちぎってないからな」

「ヒカル…」

 ボロボロの相棒に、アキラが泣きそうな顔になる。

「んな顔すんな。知ってんだろ、どんな怪我でも明日には治ってるさ」

「でも…」

「お別れはお済ですか?」

 上から声をかけられて振り仰ぐ。天使がそこに立っていた。

「私にも少しぐらいは慈悲の心はあります。あと三分間ぐらいは待ってあげましょう」

「やろおお」

 ギラリと睨み返すアキラ。それを下から見ていたヒカルが、からかうように言った。

「なんだ。ちゃんと男の顔もできんじゃねえか」

 アキラは立ち上がると、拳を天使に向けて構えた。

「?」

 その意図するところが分からずに、天使が不思議そうな顔をする。

「ロケットパンチ!」

 右拳が恐ろしい勢いで飛び出した。これがアキラの必殺技のロケットパンチである。三月には黒い襲撃者を殴り倒し、四月は『クリーチャー』を撃破。五月には脱出路を作るのに活躍した。

 しかし、その一撃は天使の手前で止められた。イコノスタシスだ。

「え?」

 この前とは違う展開に、アキラの顔が呆けた様になる。

「なるほど。武器の類を持っていないと思っていたら、こんな仕掛けを隠していたんですね」

 推進力を失って地面へ落ちたアキラの右下腕部を踏みつけ、天使が前に出た。

「あんな理から外れたモノを作るだけでなく、自らの体すらこんなにして。なんと罪深い」

 はっきりと怒るでなく、むしろ憐れんでいるような声で天使が告げた。

「やろおお」

 やけくそになったアキラが、左拳で殴りかかる。

 イコノスタシスに止められる。

 今度は蹴りを試してみる。

 イコノスタシスに止められる。

「なんでっ?」

 明実の分析ではアキラの攻撃だけはイコノスタシスを通るはずであった。

「バカ逃げろって!」

 ヒカルが悲鳴のような声を地面から上げた。それにも構わず、アキラは左拳を天使に向けて構えた。

「君に対して私にできるのは、導きという名の救いです」

 今度は天使の番だ。天使は、まだ持っていたクロスボウを振り回した。

 アキラの左頬へ銃床が食い込んだ。その勢いそのままに、まるでバレエダンサーのようにクルクルと回転するアキラ。目が回ったように、地面へへたり込んでしまった。

「なかなか頑丈ですね、やっかいな。でも流石に、これで突き刺したら死んでくれるでしょう?」

「ぐは」

 ボクサータイプのスニーカーで踏まれ、ヒカルの肺から空気が漏れた。そのまま、まるでそこらへんに生えている草をむしるような様子で、ヒカルの腹に刺さったままだった鉄筋を抜いた。

「ぐうう」

 その痛みに耐えかねて、ヒカルの食いしばった歯の間から声が漏れた。

「ちゃんと土は土へ、塵は塵へと還らなければ」

 赤い滴を垂らす鉄筋を、クロスボウへ装填する。重そうな弓弦も簡単そうに片手で引かれてトリガーシアにかけられた。

 クロスボウの先端がヒカルの頭へと向けられる。トリガーが絞られたその時、ドンと後ろから突き飛ばされて、天使がバランスを崩した。

「なに?」

 振り返ると、いつの間にかに立ち上がったアキラがいた。どうやら肩からぶつかってきたようだ。

「なぜ、キミは私に触れることが…」

「ロケットパァーンチ!」

 今度は左腕が発射された。その拳は、何にも遮られることなく天使の腹へ命中した。

「が、がはっ」

 天使の体が宙に浮いた。鳩尾にめり込んでいるのは、女子高生の物としか見えない細腕。それが、まるで筋肉の城のように鍛え上げられた天使の巨体を押し上げたのだ。

「ば、ばかな」

 アキラの左腕の推進力で、天使の体が旅立った。

 修羅場だった丘の頂上から、まるで見えないロープで引かれているように、空を飛んで行く。どこまでも後ろ向きに飛んで行く様子は冗談のようだった。

 肘から先の両腕を失ったアキラは、視界から天使が消えたことに安心するよりも、重体の相棒が気になって振り返った。



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