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七月の出来事B面  作者: 池田 和美
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七月の出来事B面・⑥



「あによそれ」

 放課後の教室で、由美子の口から訝し気な声が出た。

 期末テストも迫って、校内の空気にはピリピリしたものが混ざり始めていた。

 そんな一年一組の教室で、由美子は今日こそは図書委員会から逃すまいと、まだ席に残っていた孝之に近づいた。

 期末テストが終わると、図書委員会は夏休み中の図書室開放に向けて準備をしなければならない。あと学期末ごとに行っている蔵書整理もある。人手は多い方がいいので、今までみたいに孝之を逃がすわけにはいかないのだ。

 気合が入った調子で彼の席に向かうと、肩を怒らせている由美子とは対照的に、のんびりと席に座ったままで、孝之が一本の針金を弄んでいた。

 その針金は、鉤状になるよう直角に二回曲げられていた。何に使用するのかまったく分からずに、つい声が出たのだ。

「んー、これかあ」

 左手で頬杖をつき、右手でそれを振り回していた孝之は、面倒臭そうに由美子を見上げた。

「天使さんから作ってくれって頼まれた道具」

「道具?」

 こんな針金で何をするのだろうか。同じ形でも、小さければ鍵穴に差し込んでコチョコチョってして解錠してしまうというイメージが湧くが、全長が三〇センチ近くある。

「うん」

 頬杖をついたまま、心ここにあらずといった態の孝之。

「これをね、こう」

 机の中からストローを一本取り出すと、その中へ針金の一方を差し込んだ。その状態でストローを掴むと、自由になっている方の先端をグルグル回して見せる。

「こうやって、悪い奴らを見つけるんだって」

「あー、なんだっけ」

 由美子は、小学校の頃に占い好きの同級生がやっていたことを思い出した。

「えーと、だ、だ、ダウジングだ」

「ソレとは原理が違うみたいだけど」

 つまらなそうに孝之がこたえた。

「でも、天使が頼んだって」

 約束が違うとばかりに眉を顰めて腕組みをする由美子。

「顕現した後は、お互いを意識する事はできなくなるって言ってたじゃない」

「ああ、それはね」

 孝之はまた机から、今度は一冊のノートを取り出した。

「あによそれ」

「あえて言えば連絡帳かな」

 もとは普通の学習用のノートであったろうそれには、とても几帳面な字体で「交換日記」とタイトルが書いてあった。

 図書委員会などで見る孝之の字とは全然違う。かといって、そこから女の子を想像するのも無理な四角四面な文字であった。

 しかしタイトルには、赤いペンでハートマークがたくさん散らしてあった。それだけでは表紙が寂しいと思ったのか、とても写実的なタッチで赤いスイートピーのイラストまで添えてあるほどだ。

 なにも知らずに手に取ったら、どこかのカップルが続けているソレと勘違いできそうな見た目であった。

「俺が起きているうちに、なにかヒントになりそうな情報があったら、ココへ書いておけば天使の助けになるし、逆に天使から俺へ知らせておくべき情報があったら、ここに書いておいてくれる」

「考えたわね」

 少し感心した声を漏らした由美子は、机からノートを取り上げた。

「見ても大丈夫?」

「ん? まあ、ロクなこと書いてないけど」

 孝之の許可を得て、由美子はページを切った。最初に開いたのは、この道具を作って欲しいと依頼する内容が書かれた箇所であった。

 たしかに、天使が言うところの「悪」を探知するための道具と書かれている。大まかな寸法といい、孝之が作った物で間違いはなさそうだ。

 そこには使い方までマンガのような挿絵を入れて解説されていた。いま孝之がやっているように、ストローに差してグルグル回すと、ピピンと揺れて分かるとある。

「ふ~ん」

 何の気も無しにページをめくる。孝之から道具が完成した旨の報告が書かれたページの反対側には、これまた几帳面で活字のような書き込みが続いていた。

 いちおうプライベートな事だろうから読んではいけないのかな、などと考える前に文面が網膜に映り込んでいた。


 三軒隣のミーちゃんには、ミケ猫の彼女がいる模様。


「…」

 新橋で二軒梯子して千鳥足になったサラリーマン(中年の平社員、ローンが半分終わった我が家に、気だるげな昼下がり若いコーチが指導するテニスサークルに通っている二歳下の妻と、中学生と小学生二人の子供あり)が、道端で辻斬りのようにアイスバケツチャレンジを強引にやらされて酔いから醒めた様に、由美子の顔が無表情になった。

「むー」

 なんとも表現できない声が出た。

「本当にこンなンで、悪い奴なんて見つけられンの?」

 パタンと閉じた交換日記を返却する。

「できるんじゃない?」

 ストローに差した針金をグルグルと回しながら孝之は言った。とても投げやりな態度だった。針金の方は、どんなに回してもピピンとならない。まあ、どんな挙動がピピンなのか絵からは想像つかなかったが。

「あンなンでも、いちおう関わったンだから、少しは責任感持ちなさいよ」

 机に手を突いてズイッと前に出ると、孝之は机の上に探知機を置いた。

「責任感ねえ」

 座ったままで腕組みをして、近づいた由美子の顔から視線を外す。

「そうはいってもねえ」

「これだから、おまえは」

 猛り狂いそうになる由美子を宥めようと、孝之の表情は曖昧になった。

「まあまあ。でも、ほら天使も言ってたでしょ。俺の体を借りることになったのは、神さまのお導きだろうから、俺のまわりに悪がいるんじゃないかって」

「たしかに」

 細かい言葉は違ったような気がしたが、由美子は彼の意見を聞くことにした。

「つまり、下手をすると、このクラスにいるかもってことだ」

「ええー」

 驚き声を上げてしまった由美子は、教室に残っていたグループからの視線を受けて首を竦めた。

「いきなり大声出すなよ」

 耳に指を突っ込んでソレをやりすごした孝之が文句を言った。

「おまえが変な事言うからだろ」

 柳眉を寄せて睨みつけると、孝之も首を竦めてみせた。

「俺じゃない。天使が言ってたことだし」

「だからって、このクラスにいるとは限らないじゃない」

 大声にならないように気を付けながら言うと、やっと首を伸ばした孝之は、力の抜けた声を出した。

「まあ、ドコにいるか分からないから、コレが必要なんだろうけど」

 指先で探知機を弾いた。

「でも、もしかしたらって考えない?」

「だからって…」

 由美子はだいぶ人数が減った教室を、横目で見まわした。

 疑いたくは無いが、そう言われると目に入る全て人が怪しく見えてきた。窓際で談笑している男子二人組がいる。しかしその笑顔は作った物で、話しの内容も次の得物を誰にしようかという算段かもしれない。廊下側の席に座った一人の髪を、二人がかりで編んでいる女子グループ。あれだって実は雰囲気は和やかだが、大量に得物を仕入れることができる場所を相談しているのかもしれない。

「まあそんなに疑心暗鬼にならなくても」

 顔に出ていたのだろう、孝之が半分笑った声で気を楽にするように促してきた。

「だって」

「大丈夫。いざとなったら藤原さんの事は、俺が守ってやるから」

 これが爽やかなイケメンに言われたら、うっかり恋に堕ちるところだが、相手は冴えない様子の孝之である。

「これでも男だから、それなりに…、なんでガッカリした顔をするかなあ」

「別に」

 せっかく騎士(ナイト)役の申し出を台無しにしては気の毒と、由美子は目線をそらした。

「逆にさア」

 孝之がちょっと乗り出して、すこし低くした声で訊いた。

「誰だったら納得する?」

「ダレって…」

「『じつは私、不老不死なの』って言いそうな人」

「そりゃあ」

 二人の目が教室を彷徨った。しかし求めていた人物は、すでに教室にはいなかった。どうやらすでに部活へ向かったようだ。

「やっぱりコジロー?」

「そう思う?」

 コジローというのは、もちろん図書室常連組の佐々木恵美子の事である。あの人間離れした美貌が、逆に自然の結果だと言われる方が不自然なような気もする。もちろん整形手術など人工的な手が入ってはいない事は知っているのだが、不謹慎にもそういう考えも浮かんでしまう。

 彼女は由美子とは仲が良いので、孝之も結構話すようにはなっていた。

「コジローだと、プトレマイオス朝の頃から生きていますとか言われそうだもんなあ」

「毒蛇に噛まれずに?」

「そうそう」

 二人でお互いを指差し合ってしまう。なにせ話にしている恵美子は『学園のマドンナ』に選出される程の美人である。

「あんなに美人なんだから、なんか魔法使っていそうだし」

「やっぱ、おまえも付き合うンなら美人のほうがいいのか?」

「え、俺?」

 突然声色を変えて訊かれ、孝之の目が点になった。

「俺に彼女なんてできないだろ」

「そう最初から諦めないで」

 あっけらかんと悟りを開いたような孝之の態度に、まだ捨てた物じゃないと励ます由美子。

「別に美人じゃなくても、気が合うならいいんじゃない? 考えたことも無かったな」

「ホントかな」

 ジト目になって睨んでくる由美子から顔をそらし、孝之は慌てて話題を戻した。

「でも天使が言ってたよね。鉄砲を持っているんじゃないかって。コジローは剣道部だから違うかな」

「うん、まあ」

 クラスの中で一番仲が良い女子が、天使の認定する「悪」で無い事を祈る気持ちで頷いた。

「鉄砲と言えば…」

 先程まで窓際で会話していた女子を求めて、孝之は教室内を見回した。

「新命さんのこと?」

 由美子が彼の思考を読んで訊いた。

「うん」

 クラスメイトの新命ヒカルは、夏服になっても足にホルスターを巻いて登校していた。さすがに一般的でないアクセサリーに、由美子も忘れようにも忘れられない。

「彼女がそうの可能性も…」

 我、推理せり、といった感じで顎に指を当てる孝之。

「そんなあ」

 由美子も口では否定しておきながらも、一理あるかもと考えてしまっていた。何しろエキゾチックな横顔なのである。本人は複雑な家系で、少し外国の血が混じっていると言っていたが、その落ち着いた雰囲気は、高校生にしてすでに成人女性の貫禄であった。

 ただ、いつもクラスで見せる、ド突き漫才のような海城アキラとの会話では、年相応であったが。

 相方であるアキラとヒカルは、従姉妹の関係らしい。

「不老不死なら家族はいないんじゃない?」

「えー」

 孝之が眉を顰めた声を出した。すぐに由美子が言いたいことが分かったようだ。

「二人で、バラのエッセンスをガラスの小瓶で持っていて欲しい」

「萩尾望都か」

 コツンと由美子は孝之を小突いた。

「あいて。でも鉄砲持っているのはホントじゃん」

「まあ、そうだけど」

 弱気になって腕を組む由美子を安心させようと、笑顔を作り直した孝之は斜め後ろに振り返った。そちらの方向には、HRが終わってもまだ自席でノートを広げて何かやっていた大柄な少年が残っていた。

「ユキ」

「なんです?」

 ノートから顔を上げて、イントネーションがちょっと違う返事をしたのは、学校では少数派の『留学組』に属する松田有紀であった。

 紙面には『ペズンの反乱』を鎮圧するために出撃する仮定論理思考型人工知能搭載ロボットの精緻なイラストが描かれていた。

 印刷された物ではない。彼が自らペンを取った力作である。

 ちなみに『留学組』とは、他の道府県から進学してきた者を言う。他に付属中学から上がって来た『進学組』と、地元から受験してきた『受験組』に分かれる。

 有紀はメカ好きとしてクラスに知れ渡っていたし、また現在寝起きしている男子寮にあるサバイバルゲーム同好会の有志でもあることも知られていた。

 クラスの中でこれほど銃の解説に向いている人物はいないであろう。

「ユキはメカに強かったよね」

「まあ、普通の男の子やさかいね」

 孝之の確認に、謙遜を返す有紀。

「新命さんのリボルバーって、なに?」

「なにってM六〇やん。この前誘ってからは、ぎょうさんお金かけて楽しんでるようだし」

「誘った?」

 目が点になった由美子が聞き返すと、うんと頷いて返した。

「御門はんと海城はんと三人で誘うたで。結構楽しんどったで」

「へー」

 ヒカルはともかくアキラまで参加したと聞いて目を丸くする由美子。第一印象として、アクティブなヒカルがエアーソフトガンを持つのは想像つくが、アキラの方がそういった事に参加するイメージではなかったからだ。

 天然っぽい性格なところがあるもの、ごく普通の女の子が、そういった男の子が好きそうなゲームに参加するというのは、由美子の偏見もあるだろうが、意外であった。

(それとも…)

 由美子が思い直す。自分に置き換えてみて、わざわざそういった事に参加するというのは…。

「そうかなあ」

 頭の後ろで手を組みながら、孝之が体を反らした。

「なにがだよ」

「海城さんって、恋愛に関しては、あまり積極的じゃないように見えるけど」

「そう見えるけどもさ」

 由美子も年頃の女の子として、目をキラキラさせながら言い返した。

「一緒に楽しめる趣味から近づくっていうのも…」そこまで言ってからハッと気が付いた。

「人の頭ン中を覗くな」

「覗いてなんかないよ」

 探知機を机に出したまま、孝之は荷物の整理を始めた。

「藤原さんの顔に書いてあっただけ」

「うー」

 ペタンと自分の顔に左手を当てた由美子が唸り声を上げている内に、孝之の帰り支度は終わった。

「いつもミカと新命さんと三人でいるから、そういうことかと」

「ミカ?」

「御門のこと。いつも白衣を着てる」

「ああ、あのロクデナシね」

 由美子にとって司書室を無断に根城にしている『常連組』の男は、全てロクデナシなのであった。

「でもお…」

 三人で会話している様子を思い出して、由美子は口元に人差し指を当てた。

「海城さんと御門がねえ」

 二人が仲良く会話している様子を何度も見ているが、そういった気配はまったく感じられなかった。どちらかというと兄妹という雰囲気の方が近い。それこそ二人の方が従兄妹と言われた方がしっくりきそうだ。

「そこはソレ。海城はんと新命はんがそういった関係ちゅうこっちゃ?」

 後ろから荷物をバッグへ突っ込んだ有紀がわざわざやってきた。

「それか三人で…」

「やりますなあ、御門はん」

 下卑た笑いを浮かべながら席から立った孝之と、それに合わせた表情を作った有紀の二人へ、由美子は容赦なく鉄拳を見舞った。

「そういったこと禁止」

「あいてて」

 背の高い有紀には拳が届かなかったせいで、ボディブローになった。身を屈して痛がる彼の横で、コメカミに浅い角度で当たったため比較的ダメ-ジが低かった孝之が、面白そうに言い返した。

「まったく藤原さんは純なんだから。派手な娘なら、そんなこと経験済みなんじゃないの」

「だから! そういうの禁止! レディに対して何てこと話題にすンのよ!」

 もう一発と振り上げた拳から逃れようと、孝之が飛び退った。

「いやいや、今晩どお? 二人で相手してあげるよぉ」

 孝之が怪しげな声を出し、それに合わせた有紀が、わざとらしく指をわきわきと動かした。

「え」

 たまらず由美子が自分の体を庇うように抱きしめると、二人は一転して屈託のない笑顔に戻った。

「まあ、姐さんに手ぇ出したら、サトミはんに殺されますがな」

「なんでアイツの名前が出てくンだよ」

「おや、ウチはてっきり…」

「先にあたしがおまえを殺してやろうか」

 鬼も素足で逃げ出すような迫力で有紀を睨むと、彼は首を竦めてみせた。

「ま、というわけで真鹿児はん。これは貸しさかい」

「は?」

「ユキありがとうなあぁぁぁぁ」

 廊下からドップラー効果を引きながら消えていく孝之の声を聞いて、由美子は我に返った。

「あ、あのやろおお」

 こうして今日も由美子は孝之を取り逃がしたのだった。



 期末テストが迫り、アキラは憂鬱な日々を過ごしていた。

 クロガラスだ天使だと、戦う相手が現れたり変わったりしても、登校すれば修羅場一歩手前なのは同じである。

 特に明実がいらんことを言ってから、英語の授業にはさっぱり身が入らない。『構築』を施した者が三人寄れば、天使に探知されるかもという話し、明実の明晰な頭脳を知っているからこそ深刻にとらえてしまうのだ。

 いざそうなってしまったら生き残れるか自信が無いのが一つ。

 生き残ったとしても、クラスメイトの前で大立ち回りなんかしたら、今までと同じように暮らせないだろうと予測がつくことが一つ。

 一日の授業を終えて、やっと辿り着いた自室で溜息が出ようという物だ。

 制服を脱いでスウェットに着替える。これは男の子だった頃から使っている服だから、だいぶ色々なところが余っていた。

 小学校に上がった時から愛用している自分の机に着いて、もう一回溜息をついた。

 天使の襲撃に怯えるのに加えて、本業である学業の方の自信も、まったくなかった。

 将来の事を考え、そこから逆算するように進学した清隆学園高等部であるが、はっきり言ってアキラの頭ではついていくのがやっとのレベルであった。

 中間テストは、なんとか赤点を取らずに乗り切れたが、首の皮一つといった際どい物だった。ここから大逆転して、今度の期末テストに素晴らしい点が取れるとは思えない。

 せめて予習復習で補わなければと、通学用バッグから教科書とノートを抜き出した。

「いいよなあ、あいつらは」

 デスクライトを点けつつ、ボヤキが出た。

 あいつらとはもちろんヒカルと明実の事である。

 天使との戦いはともかく、ヒカルと明実は期末テストに憂鬱を感じている様子はない。大人たちから「明日のノーベル賞受賞者のその候補」と目されている明実は頭脳労働が得意であったし、またヒカルも実は大学を卒業したレベルの頭脳を持っており、高校一年生程度の問題は、少々復習さえしておけば、パズルゲームのような物なのである。

 それに大人の事情というヤツもある。

 将来、人類を背負って立つほどの天才が、一つぐらい英単語のスペルを書き間違えたからといって、なんの問題がある。だいたい明実は飛び級してウチに来ないかと、大学からお声がかかっている身なのだ。トンデモ発明ばかりに目が行きそうになるが、ちゃんと業績を上げており、発表する論文は英文で書かれているぐらいだ。(まあ助手である高橋さんの添削が入るが)

 いちおう頭脳労働担当という事で、ちゃんと試験を受けているが、いざとなれば出席日数さえ稼げば高等部を卒業できるであろう。

 またヒカルはヒカルで、女子高生という身分は仮の物である。本来は明実とアキラ、二人の護衛役なのだ。学校の成績が悪くても、退学させることなんかできやしないし、またテストの点数なぞ本業にはまったく関係が無い。ヒカルが試験を真面目に受けて、それなりの点数を取るのは、ヒカルのプライドの問題なだけである。

 そんな地頭も、大人の事情も持っていないアキラは、地道に勉強していい点数を取らなければならない。

 さらに付け加えれば一学期の成績如何により、自分専用のスマートフォンを持てることになっていた。それは今どきの学生らしく、アキラにとって中学時代からの願っていた望みであった。

 外見はともかく頭の中身は普通のアキラに、明実のようにスマートフォンを自作する術を持っているわけもなく、また本当は成人女性であるヒカルのように、自分で勝手に手続きをするわけにもいかないのだ。

「うし」

 気合を入れて教科書のページを切ると同時に誰かが部屋のドアをノックした。

「邪魔するぞ」

 アキラに許可を得ずにヒカルが入って来た。それに振り返りもせず、アキラは授業用と復習用のノート二冊と教科書を見比べ始めた。

「おー、頑張ってるな。えらいえらい」

「茶化すんなら出て行け」

 まるで歳の近い姉のような言い方に、カチンとくるものがあったアキラ。

「いいじゃんか、ちょっと場所貸せ」

 ヒカルは遠慮なしに床へと座り込んだ。

「なんだよ、まったく」

 自分の部屋だとプライベートがどうのとか言うくせに、逆にアキラの部屋には押しかけてくるヒカルの神経を疑って、アキラは首を巡らせた。

 すぐに机の上に戻す。

「な、なんて格好してんだよ」

「おかしいか?」

 ヒカルは自分の姿を見おろした。

 ヒカルはストライプのTシャツを着ていた。

 以上、それだけ。下にパンツは履いているが、ブラすらつけていない。代わりと言っては何だが、まるでチャンピオンベルトのように、左肩にベルトポーチに見えるホルスターを引っかけていた。いつも左腿に巻いている物を一旦バラして組み直した品だ。

 Tシャツはオーバーサイズだった。そのせいで短いワンピースのようでもある。しかし結局はTシャツなので、秘密の布地が見えたり見えなかったりした。

 また襟ぐりの方もゆるゆるであり、ホルスターの重みも手伝って、胸が零れ落ちそうな印象になっていた。その肌色が強烈な印象となってアキラの網膜に焼きついていた。

「ちゃんと服着ろよ!」

「あちーんだよ」

 アキラの苦情に、口元から覗くいつものキャンディの柄をピコピコさせながら、梅雨本番らしい返事をするヒカル。

「温度はそうでもないけど、湿度が高いんだよ」

 そう言って何も持っていない右手で首元を扇いでみせる。手首を返すごとに二の腕にある筋が動くのが観察できる。さらに言えば体の脂肪分にその振動が伝わって、色々な箇所が揺れる様子も目に入った。

「アキザネが入ってきたら、どうするんだよ」

 明実は幼馴染という気安さから、許可なくアキラに部屋へ入ってくることがある。

「そしたら、鉄拳制裁だ」

 ヒカルが断言した。

「親しき中にも礼儀ありって言うからな、ノックぐらいしろって」

「ノックされても、そんな格好だったら丸見えだろうが」

「そしたら、おまえの布団に入る。そしたら見えねえ」

 そんな事態になったら、明実が「そこまで二人の仲が発展しておったとは、知らんかった」と、わざと誤解する未来を幻視したアキラは、両手で持っていた英語の教科書に皺を作った。

「出て行くか、服を着る選択はねえの?」

「だから、あちーんだって。それにレディに出て行けとは、おまえも失礼だな」

「それは行くところが無い場合だろ。おまえはちゃんと部屋があるじゃねえか」

 アキラと明実の二人を護衛する代わりに、自身の延命に必要な『生命の水』の供給を受けるという約束で、ヒカルはココにいる。そのため海城家二階で使用していなかった部屋が片付けられ、ヒカルの部屋として利用されていた。遠くは無い、この部屋の隣である。

 アキラの指摘に、ヒカルはあっけらかんとこたえた。

「散らかってるから無理だ」

「散らかってる?」

「ああ」と首肯し「クリスベクターをばらして洗って、いま干してあるんだ」と部屋の現況をこたえた。

「まさか外に干すわけにゃいかんだろ」

「たしかに」

 外見上海城家はごく一般的な住宅である。そこの物干し台に短機関銃(サブマシンガン)の部品が天日干しされている絵を想像し、その異常さに気が付いたアキラは頷いた。

「だからって、オレの部屋に来ることないだろ」

 アキラが半分泣き声で言った。

「この格好でおりてくと、カナエが煩くって。だいたい何だよ、あたしを邪魔者扱いしやがって」

「勉強に集中できないんだよ」

 アキラが悲鳴のような声を上げると、ヒカルは悪戯気に目を輝かせた。ついでに言うと、白いキャンディの柄の揺れ方が変わった。

「ん? なんだ? あたしのナイスボディに集中が乱されるってか?」

 わざとらしく腕で体を隠すふりをしながら、実は寄せて上げて見せつけていたりする。

「だっちゅ~の」

「? なんだそれ?」

「え…」

 アキラに素で返されたヒカルは、ちょっとショックを受けた顔になった。

「昭和のギャグってやつ?」

 教科書に視線を戻しながらアキラが訊くと、ヒカルがちょっと裏返った声を上げた。

「いや平成になってたし! なってたし。たぶん…」

「はいはい、えろいえろい。すごいなー」

 とても平板な声であしらいながら、アキラは今日やった行文の例を復習用のノートに書きこみ始めた。

 それをちょっと不満そうな顔で睨んでいたヒカルは、肩のホルスターを床に散らかすと、立ち上がってアキラの肩越しに手元を覗き込んだ。

「なんだ英語か」

「なんだじゃないよ」

 半分以上無視する声でアキラが応対する。

「いままでの神宮司先生なら、どんな問題出してくるか予想がついたんだけども…、新しい先生じゃ、そうもいかねえだろ」

「そうか?」

 ヒカルはアキラの背中にのしかかってきながら明るく言った。

「クロガラスも先生ゴッコなんて初めてだろうから、どんなテスト問題を作っていいか分かんねえんじゃねえか?」

 髪の毛にペチペチとキャンディの柄が当たる。

「たぶん、神宮寺が代わりに作るか、クロガラスが作った物を神宮寺がチェックするって事になると思うぜ」

「となると…」

 アキラは机の引き出しへ突っ込んでいた紙束を引っ張り出した。大雑把に言えば、それは教科書のコピーである。そこに色々な線で注釈が書き込まれていた。

 これはアキラの手に入れた神宮司教諭が問題に使う傾向にある行文や単語、その対策などの貴重な情報である。

 中間テストのときは、コレで何とかなったアキラであった。

 こういった先生ごとの傾向と対策が、清隆学園の裏社会では飛び交うのが当たり前である。

 歴代の先輩方が積み上げたこういった情報は、連綿と受け継がれてきた。もちろん新しい教師が赴任して来れば、新たな攻略方を研究する生徒会主催の「勉強会」なる団体が立ち上げられたりする。おそらく英語教師松山マーガレットとして赴任してきたクロガラスに対しても作られたであろうが、いかせん赴任直後という情報不足が大きい。対策が考えられるのも、これからといったところだ。

 ちなみにアキラはコレを由美子経由で手に入れた。

 由美子が所属する図書委員会は、こういった文書も抱え込んでいるのだ。噂では秘密の書庫に、いまはもう退職された先生方の分まで積みあがっており、何年かに一度雪崩を発生させるとか。

「ええと、ここでthatが…?」

「仕方ねえな、教えてやるよ」

 ヒカルの腕が肩越しにのびてきて、紙面の一か所を示してくれた。

「この場合は、日本語でもそうだろ、ここの前を受けて…」

 さすがにダイヤに対して「海外生活の経験がある」と言っただけのことはある。ヒカルはアキラに分かりやすいように、行文の解説をしてくれた。しかもクロガラスなんかより分かりやすい。

「おまえ、先生になったら」

 アキラが感心した声を漏らすと、腕組みしたヒカルがつまらなそうにキャンディの柄を揺らした。

「あたしにゃできねえだろ」

「なんで諦めるかなあ」などと取りなしてみたものの、アキラの脳裏には赤いベレー帽を被る鬼軍曹といった格好をしたヒカルが、黒板の前でガナっている絵が浮かんでいた。

「おまえ、いま何考えた」

「いや、別に…」

「ま、いいけどよ。そら、世界のどこかで生きていくことは可能だろうさ。『生命の水』の問題さえなけりゃあな」

 ちょっと怒ったようなヒカルの声。『施術』を受けた者は、月一回程度『生命の水』の投与を受けないと体を維持できないとされている。アキラの感覚だと、食事や睡眠も普通の人間のように必要だし、生きるのに一手間増えたようなものだ。

 ただ現在、どんなムキムキの大男ですら出せないような怪力と、即入院が必要な程の重傷を負ってもすぐ治せるという恩恵はある。これに加えて肉体の老化がとても遅くなっているらしいが、これだけはアキラに実感はなかった。

「作り方を教えてもらえばいい」

 アキラが当たり前の提案をした。

「『生命の水』さえ作れれば、自由なんだろ。なんだったらアキザネに、オレからも言ってやるよ」

「いまは無理だろ」

 ちょっと悲しそうな顔になったヒカルが言い返した。

「あたしが抜けたら、どうやって天使と対抗するのさ」

「ま、まあそうだけどよ」

「それに…」グッと眉の距離を狭めてヒカルはアキラを睨みつけた。

「そんなに、あたしが邪魔者か?」

「は?」

「いなくなって欲しいのかって訊いてんだよ」

 声は明らかに苛立っていた。

「たしかにあたしが自分で『生命の水』を作れるようになりゃあ、ココにいる理由が無くなる。それで、おまえはいいのかよ」

「な! そういう意味じゃねえよ」

 一瞬だけ大声が出そうになったアキラは、意識してトーンを落とした。

「オレは、おまえがやりたい事もできずに、我慢してんじゃねえかと思って言ったんだ。追い出したいとか思ってねえよ」

「じゃあ、あたしはココにいてもいいのか?」

「いてくれよ。むしろいてくれ」

 アキラの言葉に、ヒカルがクスリと笑った。

「なんか、愛の告白だな、それ」

「え? は?」

 ヒカルの顔が赤くなっていた。

 それに気が付いたアキラも、同じように真っ赤になった。

 机に向かっていたアキラの背中に寄りかかるようにしていたヒカル。赤くなった顔の距離はとても近かった。

「…」

 二人が、青い炎にも見える光を宿す瞳で見つめ合った。

「あ…」

「おーいい」

 ドカドカという遠慮のない足音が聞こえてきた。

 天板を踏み抜くんじゃないかという乱暴さで階段を上がって来たその音は、二階の廊下を進んでくる。

「ヒカル…、いないか」

 隣のドアが開かれる気配の後に、それがこちらまで来た。

「アキラもヒカルもいるかあ」

 ノックもせずにガチャリとドアを開いたのは、明実であった。

 足音が聞こえてからドアが開ききるまでの十数秒に、二人はマッハで行動していた。アキラは椅子の上で姿勢を正し、ヒカルはアキラのベッドへ飛び込むと、タオルケットを自分の体に巻き付けた。

「おー、アキラいたの…、か?」

 不自然に明実の言葉が途切れたのは、もちろんベッドにヒカルを発見したからである。

 ドアのノブを握ったまま硬直した明実と、彼を見かえすアキラとヒカル。

 赤色と銀色のツートンカラーをした宇宙人が胸のタイマーを鳴らし始めるほど見つめ合っていた三人であったが、明実がその均衡を崩した。

「ゆうべはおたのしみだったようですね」

「なんじゃそりゃ」

 アキラが声を上げると同時に、タオルケットを巻きスカート風に身に着けたヒカルが立ち上がった。

「アキザネ。あたしは、おまえを殴らなきゃいけなくなった」

「は?」

 キョトンとしている明実と間合いを詰めるヒカル。その右拳がはっきりと握られた。

「そういうことだ。観念しろ」

「まてまて。せめて殴られる理由が知りたい」

「女の部屋にノックも無しに入って来るたあ、いい度胸じゃねえか」

「いや、女ではないであろう。ヒカルも知っているはずだ、アキラは生物学的には男だ。嘘だと思うなら口腔内細胞を採取して、染色体を…」

「そういうことを言ってんじゃねえよ」

 やっと左手で押さえておかなくてもタオルケットが落ちないように捩じり終えたヒカルは、その開いた手で明実の胸倉を掴んだ。

「もう一回言うぜ。女の部屋にノックも無しに入って来るたあ、いい度胸だ」

「悪かった、すまなかった」

 明実が珍しくも悲鳴のような声を上げた。まあそれもそうであろう。見た目は小柄な体格のヒカルであるが、本気で殴られたらヘビー級ボクサー並みのパンチ力なのだから。最悪、顎の骨が割れる。

 無言になったヒカルが、ギリギリと明実を片手で持ち上げる。一旦家の前で別れたはずの明実は、まだ白衣の下には制服であるワイシャツを身に着けており、そのボタンが弾けた。

「まてまて」

 アキラが慌てて仲裁に入った。こんな男とは言え、幼馴染のよしみというやつもある。

「アキザネも謝っているし、反省して、もうこれからやらないだろ」

「ち」

 忌々しそうに明実を解放するヒカル。まだ怒りが収まらない様子のヒカルを放っておいて、アキラは明実に言った。

「これに懲りて、アキザネもノックぐらいしろよな」

「ああ、すまなかった」

 絞められた首元へ手をやりながら謝罪を口にする明実。

「まさか、ここまで二人の仲が発展しておったとは、知らんかった」

「…」

 アキラは無言でヒカルを振り返ると、親指で不埒物を差した。

「ヒカル。構わないぞ」

「まてまてまてまて」



「で、なんの用があるんだよ」

 ベッドの上に座ったヒカルが、右拳をさすりながら訊いた。

「用があるから来たんだろ」

「まあ、そうなんだが」

 床に正座させられている明実が不満げな顔をする。

「二人の営みを邪魔したのは悪かったが、いいかげん足を崩してもいいだろうか」

「いとなみって…」

 まるで電気のスイッチを入れたように赤くなったヒカルが絶句する。仕方がないので、椅子に前後逆に座って背もたれに肘をついているアキラが口を開くことにした。

「そんな事を言ってると、またヒカルの内なる小宇宙(コスモ)が燃え上がるぞ」

「そ、それは勘弁」

 先程ヒカルのデコピンが炸裂した額を両手で庇う明実。

「…、あー」

「?」

 その姿勢で何か言いたそうだったので水を向けてみる。

「ヒカルのは、燃え上がる小宇宙というより、一子相伝の暗殺拳といった感じではなかったか」

「ま、まあな」

「どっちでもいいだろ」

 ポキポキと指を鳴らし始めたヒカルが言った。

「痛いのには変わりないんだから」

 ベッドから立ち上がろうとするヒカルを手で制して、明実が焦った声を上げた。

「反省しておる。反省しておるから、もう勘弁な」

 揃えた膝に拳を乗せて、しゅんと小さくなる明実がおかしくて、顔は険しいままだったがヒカルは腰を下ろして雰囲気をやわらげた。

「で? 用はなんだ?」

「これを」

 白衣の内側から携帯電話を取り出す。いつもの自作した「象が踏んでも壊れないスマートフォン」ではなく、他のグループと連絡するために用意した携帯電話(ガラケー)である。

 スマートフォンを見慣れた目には小さく見える液晶画面に、SNSでのやり取りが表示されていた。

「また余計な事喋ってないだろうな」

 疑う目で明実を睨みつけてから、ヒカルがベッドの上を這って距離を縮めると、携帯を受け取った。

 そこには明実の提案が載っていた。他の陣営に、一学期の終業式の日に天使を倒す決戦を仕掛けようという呼びかけであった。

 それに対してクロガラスから、基本的に賛成だが、そう簡単におびき出せるのか心配する旨の返信が入っていた。明実の返事は、アキラに告げていた三人寄ると探知されやすくなるという仮説であった。

 醍醐クマの代理人からは、なぜその日を選んだかの質問が上がっていた。明実の返事は、その日に天使を撃退することができれば、夏休み明けに清隆学園から教員が一人ぐらい居なくなっていても不自然ではないだろうというもの。つまり天使を倒した後に海外へ行こうと口にしていたクロガラスを思っての事だった。それと今からでも武器弾薬を調達する時間の猶予もあると付け足されていた。

 もう一つ登録されているアスカからの質問は無かった。短く「Sure」とだけ返信が入っていた。

「二人には最後になったが、別に問題はなかろう?」

 椅子をキコキコと足で漕いでベッドの横まで行ったアキラは、ヒカルに画面を見せてもらった。

「まあ、いつか決着はつけないとな」

 アキラが文面を理解したと見たヒカルは、明実に携帯を返却した。

「やっぱりやらないとダメか?」

 終業式までまだ時間はある。が、その前に期末テストが来ることへ思いが行ったアキラは、胃の痛い顔になった。

 そんな高校生として普通のストレスを感じているアキラを放っておいて、ヒカルはキャンディの柄を揺らした。

「まあ準備するにも試験休みがあるから動きやすいしな」

「準備って…。なにか足りない物でもあるのかよ」

「言い出したらキリがねえが、まあまずマガジンかな。クリスベクターにゃ弾があればあるほどいいだろ」

「ずっと撃ち込んでいたら、あのバリヤどうなるんだろ」

 アキラのふとした疑問に明実がこたえた。

「そらあキャンセルされ続けるから、無い物と同じになるであろう」

「まあ、実際は動き回るから、当て続けるのは難しいだろうがな」

 射撃に関してアキラに意見が言えるわけもない。

「要は、味方の誰かが斬りかかった時に、同じタイミングで弾が当たってりゃいいんだろ。まかせろって」

「オレは?」

 不安げな顔を隠さずにアキラは訊いた。

「おまえは布団でも被って丸くなってろよ」

「まあ、アキラはこちらの切り札であるからの」

 明実は正座したまま腕を組んでみせた。

「ヒントを得て作り始めた携帯式ロケットパンチは間に合いそうも無いし、アキラの体を改造してロケットパンチを連射式にしている暇も無さそうだ」

「オレを何にしようっていうんだ…」

 彼の向けてくる目が、幼馴染を見る物から、実験材料を見る物に変わったような気がして、アキラは自分の肩を抱いた。

「んまあ、そうなったら学校に行く事はできねえな」

 変な姿になったアキラを想像したのか、ヒカルがニヤつきながら口からキャンディを取り出した。

「まあ、戦いが終わったら戻すとして、一回やってみたらどうだろうか」

「他人事だと思って」

 アキラがプイッとそっぽを向くと、ヒカルはクスクス笑い出した。

「真面目な話しに戻すと、銃はあたしとクロガラス、剣はオーイワとケンジが担当するだろ。本当におまえは後ろで控えていて、オーイワかケンジが倒れた時に入ってくれりゃあいい」

「アキラにイコノスタシスが無効としたら、その時は銃が余るのではないか?」

 明実の計算に、ヒカルが不敵な笑いを浮かべる。

「クロガラスだって格闘戦はいけそうだし、あたしだって銃がなくてもそれなりなんだぜ」

「ふむ。では用意すべき物は? 当日は無理かもしれんが、準備ぐらいならオイラが手伝えるかもしれん」

「アキザネに用意してもらう物かあ」

 宙に視線を彷徨わせるヒカルに、ヒントになればとアキラが口を開いた。

「あの、なんとかっていう大砲は?」

「たいほう?」

 キョトンとするヒカルの代わりに明実が人差し指を立てた。

「マーガレット・スピンドルストンであるな」

「ああ~」

 先月、ヒカル自身が試射するはめになった、超特大のライフルを思い出して声を上げた。

 明実が大人たちに大きく認められることになった発明に爆縮機関という物がある。ほぼ理論上は永久機関というトンデモ発明なのだが、理論の再現性にいまいち乏しく、明実の論文発表からこちら、まだ地球上には完成された本体が二つしかない。

 その貴重な内の一つを搭載した史上最強のエアライフルが、マーガレット・スピンドルストンである。

「あんな長物、取り回しは利かないし、一回ごとのチャージが長いで、使い物になりゃせんだろ」

「そうか、ダメか」

 全長三メートルはあるかというSF兵器であるから、小柄なヒカルが易々と振り回す姿は、絵にはなった。

「なんだ?」

 その姿を思い出していたアキラの顔を、ヒカルが訝し気に睨みつけた。

「遊びでヤるんじゃねえぞ。本気と書いてマジって読むぐらいマジだぞ」

「わかってるよ」

「まあ、アキザネに用意してもらうとしたら、さっきも言ったがマガジンか? 最近の規制で、たくさん入るマガジンの流通が減っていてよ。あたしも探しちゃいるんだが…」

 ヒカルのボヤキのような注文を聞いていて、アキラはいつだかヒカルに連れて行かれた『いい店』を思い出していた。

「了解した。ではコチラでも動いてみるとしよう」

「アキラちゃ~ん。みんなにお茶が入りましたよぉ~」

 明実が頷くと同時に階下から声がかけられた。

 声の正体は明らかだ。どうやら明実がやって来たことを察した香苗が、おやつの準備をしてくれたようだ。

「あ、は~い」

 声が通らないといけないので、わざわざ椅子から立って扉を開けてから、大声で返事をしておく。

「では、お茶をご馳走になろうかの」

 当たり前のように明実が立ち上がる。アキラをかわして廊下に出ようとした時、思いついたように振り返った。

「そういえば、アキラ」

「?」

「右腕が痛んだりせんか?」

「しないけど?」

「そうか…、それならいいのだが…」

「なんかまだあんのか?」

 ベッドからヒカルが鋭い視線を送る。明実は打ち明けようかどうか少し迷う態度を見せた後に口を開いた。

「アキラの腕だがの。どうやら一本なくなっての」

「なくなった?」

 アキラの脳裏に研究所の暗い部屋が蘇った。

「あんなものが? マジか?」

「三回数え直したのだぞ」

 白衣の襟を直しながら明実。

「十進法や四則演算が昨日から変更になってない限り、数え間違いはない」

 あれだけの数である。一本ずつ数えたら大変であろう。

「もしかしたら、オマイが持って行ったのかと思ったりしたのだが…」

「いいや」

 頭を横に振るアキラを残念そうに見る明実。

「やはり、盗まれたのかのう」

「盗まれたって…」

 あれだけ警戒厳重な研究所から、寄りにも寄ってアキラの腕のコピーが盗まれたなんて、良くないニュースであることに間違いない。

「あんなトコから盗み出せるなんざ、あたしが知るだけでも二人…、いや三人ぐらいしかいねえぞ」

 もちろんヒカルも研究所の警備体制は知っている。専門的な知識をアキラより持っているだろうから、アキラなんかより知っていると言った方が正しいかもしれない。

「一番疑わしいのは…」

 歯切れが悪い明実の代わりに、ヒカルが断言する。

「クロガラスか、ケンジだろ。とくにケンジなんざハトだろうがネコだろうが手下にしちまうんだから、普通じゃあ考え付かない方法も使えるだろうしな」

「やはりそう思うか」

「でも、なんのために?」

 アキラの当然の疑問に、ヒカルが冷たい視線を返した。

「それこそ、おまえのパンチの秘密を知りたいんじゃねえか?」

「あ」

 思わず手を打つアキラ。

「イコノスタシスをキャンセルする秘密が分かれば、なにも徒党を組むこたあないからな。これで、あいつらがいつ裏切ってもおかしくない流れになってきやがった」

 とか言いつつ、ヒカルの表情は脂下がっていた。

「もしかして楽しいのか?」

「堂々とあいつらに銃口向けられるじゃねえか」

「もしアキラが腕に違和感があった場合、近くで何らかの実験が行われている可能性もある。異常があればすぐに言うのだぞ」

「言うのだぞってったって…」

 不安げな表情で固まったアキラを置いて、明実が先に廊下へと出て行った。

「それか、オマイの右腕が自己に目覚め、自由を得るために脱走したのかもな」

「ええ~!」

 さらに怖いことを言われてアキラの顔から血の気が無くなる。それをチラリと振り返った明実は、楽しそうな笑い声を上げながら、お茶を頂くために階段を下りて行った。

「行ったか?」

 ベッドから明実の気配を窺っていたヒカルが立ち上がると、体に巻いていたタオルケットを落とした。

 眩しい程の肌色が目に飛び込んできて、アキラは慌ててそっぽを向いた。

「まあ、腕が勝手に動き出したなんていうのは、質の悪いジョークだろうよ」

 床に散らかしていたホルスターを拾い上げ、ついでにアキラの肩を叩いてヒカルも出て行った。

 アキラは深い溜息をついた。なにせヒカルより明実とは長い付き合いなのである。

「二人とも、お茶、冷めちゃうわよぉ」

 階下から催促する母の声。いったん自室に寄ったヒカルが階段を下りて行く音がした。

 肩を落としたアキラは、そのままベッドに腰かける。そこにはヒカルが乱していったタオルケットが落ちていた。

 そっと手に取って鼻に近づけてみる。今までとは違う香りがした。




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