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七月の出来事B面  作者: 池田 和美
4/10

七月の出来事B面・④



「海城さまは炭酸飲料でよろしいですか?」

 力なく休憩室のベンチへ座り込んだアキラの前に、黒スーツが立った。

「はあ」

 二度目の天使による襲撃もなんとかしのいだ直後で、張り詰めた気が緩んでおり、アキラからは抜けた声しか出なかった。

「大岩は、紅茶ですか?」

 アキラの横に座って肩を落としていたダイヤへも確認する。

「あ、飲み物なら、あたしが行きます」

「う~ん」

 腰を浮かしかける彼女の横に立っていた明実が、顎に手を当てつつ口を挟んだ。

「そうもいかんじゃろ」

「?」

 なにを言っているんだという顔でダイヤが振り返った。

「この場をキミが離れると、バランスが崩れる」

「…確かにそのようで」

 休憩室の中を見回した黒スーツが、声色を変えずに言った。

「どういうことだ?」

 座っている者同士で顔を見合わせた後、幼馴染の気安さでアキラが訊くと、明実は人差し指を立てた。

「いまこの場から大岩輝が離れるという事は、戦える『クリーチャー』が一人減るという事だ」

 目線だけで対角線上にいる共闘者であるはずの二人を差した。

「向こうは二人。交渉が決裂した場合、争いになったら勝てなくなる」

「じゃあ…」

 何かを言いかけたアキラを手で制し、明実は言葉を続けた。

「かといってオイラや彼が抜けるとなると、今度は交渉力そのものが低下する。オマイはヒカルに交渉させるのか?」

 四人から少し離れた位置で柱に寄りかかって腕を組んでいるヒカルがこちらを見た。

(たしかに、ヒカルだと…)

 アキラは、ここでヒカルが銀色の銃を乱射する未来を幻視した気がした。

「あ?」

 肘の手提げから、新たに取り出したキャンディの包装を剥いて口へ放り込んでいたヒカルが、とても不機嫌な声を出した。

「おまえ、いま失礼な事を想像したろ」

「いやいやいや」

 全力で顔を横へ振る。

「ホントかあ?」

 片眉が額の上の方へ上がっていった。

「つまりだな」

 また二人で遊び始めるのを防ごうと、明実が声を張り上げた。

「戦力的にヒカルとダイヤにはココにいて欲しいし、頭脳労働担当として醍醐夫人の代理たる彼と、オイラは離れられないということだ」

「つまりオレに買い出しに行けと?」

「話が長かったか?」

 明実に聞き返されて、アキラからはため息が出た。

「わかったよ。アキザネに理詰めで来られたら勝てないのは昔からだからな」

 そこは幼稚園からの長い付き合いである。

 アキラは膝に手をついてベンチから立ち上がった。

「だが、金は無いぞ」

「…」

 なにか言いたそうだった明実が、白衣の内側からガマグチを取り出した。

「まだ使っているのか、コレ」

「あと十年は使うぞ」

 明実のガマグチは、高校生男子が使うにはちょっと恥ずかしいほど、ファンシーなデザインをしていた。それはアキラが幼稚園の時に、明実から貰った誕生日プレゼントのお返しで贈った品だ。

 その幼児が少ないお小遣いを入れておくようなガマグチを、遠慮なくアキラへ投げて寄越した。この電子化のご時世に現金派である明実の物であるからか、当たると痛い程小銭がパンパンに入っていた。

「しかし、いまだ天使の徘徊が心配されるのでは?」

 黒スーツが懸念を口にした。一人で買い物へ行ったところを襲われては、まず助からないだろう。

「しばらくは大丈夫みたい」

 クロガラスが懐から天使探知機を取り出した。カカシは相変わらず中で踊っているが、先程までとは違い、とてもゆっくりとした動きであった。

「そうでございますか」

 天使探知機の見方が分からない黒スーツが素直に引き下がった。

「で? ええと、大岩さんは紅茶だっけ? レモン? ミルク?」

 脳内にある学園の地図から、ここから一番近い自販機を検索しながらアキラは訊いた。

「えっとミルクで」

「そちらは?」

 遠慮がちに答えるダイヤから、不動の姿勢である黒スーツにも訊ねた。

「わたしは暖かい日本茶が好みですが、水でも構いません」

「お茶ね」

 遠慮するかと思いきや、向けられた意外性のないリクエストを心のメモ帳に書き込み、それから明実をチラ見してからヒカルに声をかけた。

「おまえは?」

「あたしも紅茶の気分だ」

 即答に頷いて答え、反対側のベンチに並んで座っている二人にも訊いた。

「先生たちは?」

「わたしたち?」

 並んで座り、おねえさんの服を捲って傷口を確認していた二人が顔を見合わせた。

「日本茶でいい?」

「ああ。こういう時は種類を絞った方が間違いなくて良いだろう」

「ということで、日本茶二本」

「了解っす」

 踵を返して一番近い自販機がある学生寮の方を向くと、明実が声をかけてきた。

「アキラ」

「なんだ?」

 やはりリクエストを訊かなかったのが気に入らないかと思い足を止めると、明実は白衣の内側から別の物を取り出した。

「手ぶらでは不便であろう。持って行け」

 それはきれいに折り畳まれた地球にやさしいエコバッグであった。



「で?」

 清隆学園高等部の夏服姿が、周囲の暗さで見えづらくなった頃あいを見計らって、ヒカルが口を開いた。

「あいつに聞かせたくない話でもあるのか?」

「なんのことだ?」

 どうやら自分に話しかけられたらしいと判断した明実がこたえた。

「あんなに理屈つけて買い出しに行かせるなんて、あたしにゃ『内緒話しようぜ』って言ってるように聞こえたぜ」

「いや、別にそこまで考えていなかったがな。そうだな、いい機会だ」

 明実が正直にこたえてから、ちょっとだけ首を捻った。

 ヒカルが焦れるだけの時間を開けて、やっと言葉を口にした。

「ヒカル。なぜアキラの攻撃だけ通じたと思う?」

「こうげき?」

 ヒカルは口の中でキャンディを転がした。

「ああ、あのツッパリか。どんな攻撃も通じないんじゃなかったのかい?」

 反対側に声を飛ばすと、不機嫌な返事があった。

「実際、わたしが言った通りの攻撃以外は、銃も剣も利かなかったでしょ」

「まあ、そうだが」

 ヒカルは自分の太腿と同じ大きさもある銀色の銃を抜いた。また乱射でもするのかと一同が身構えると、ローディングゲートを開いて、銃身の脇についているイジェクトレバーを使って排莢を始めた。

 その大威力は数ある拳銃の中から指折り数えられるほどであるが、機構的に古い方法を採用している銃であるから、空薬莢を抜くのに手間がかかるのだ。

「じゃあ、アレはなんだったんだってことさ」

 作業の手を休めずに、まるで独り言のように言った。

「攻撃じゃなかったから、とか?」

 明実の言葉に、一同が虚を突かれたように振り返った。

「あの時のアキラは手を突き出していただけだ。そこへ天使がぶつかったという方が正しいだろう。だから攻撃と見なされず、イコノスタシスを通過する事ができた。ではどうかの」

 全員からの視線にもまったく怯まずに明実は言った。

「それはおかしな話よ」

 クロガラスが否定した。

「この手の動きは攻撃だから防ぎ、今の動きは偶然だから防がないなんて、どうやって判断しているの?」

「それは…」明実がしゃっくりを我慢しているような顔を作ってから、喉の奥から声を絞り出した。

「いわゆる殺気とかか? 害意がある場合のみ弾くとか」

「それはおかしい」

 意外な方向から否定の声が上がった。ベンチに座るダイヤだ。

「鉄砲の方はわからないけど…」と前置きをしてから顔を曇らせる。

「少なくともあたしは、殺気どころか気迫も太刀に込めてはいけないと習っている。そして、それを実践しているつもり。だから、それはおかしい」

「どういう意味だ?」

 同じ日本語なのに意味が通じなかった明実が、解説してくれそうなヒカルへ不思議そうに訊いた。

 ヒカルが口を開く前に、ダイヤは自分の手の平へ視線を落とした。

「ただ、そこにある物を斬るだけ。相手が巻藁だろうが人間だろうが関係ない。喜びも怒りも持たない。ただ斬るのみに集中する」

「ああ。いわゆる『無の境地』ってやつね」

 ヒカルが大きくうなずくと、明実へ顔を向けた。

「あんたに分かりやすく言うと『余分な思考をカットして動作をルーティン化。それにより常人では成し得ない速度で作業をこなす』こんな感じか」

「なるほど」

 それでもまだ納得いっていないような顔の明実に、ダイヤはもうちょっとだけ言葉を繋いだ。

「相手を殺したいという気持ちすら邪魔になるの」

「つまりそれは殺気のことか」

 自説がどうやら否定されたようなので、明実は顔を曇らせた。

「いまだ知られていない彼らの防御にある隙、というのはどうでございましょう」

 助け舟のつもりか黒スーツが口を開いた。

「それは…」

 クロガラスが言い返そうとして、明実と顔を見合わせた。

「たしかに今は『顔面付近に銃を撃ち込んでから斬りかかる』という方法が唯一の隙だけど」

「本当にイコノスタシスは全方位なのか?」

 明実の問いにうなずくクロガラス。

「それは間違いないわ。背後から奇襲しても、銃だって剣だって効きはしない。止められるか逸らされるか、そのどちらかよ」

 問いを発した明実自身ですら、先程の戦闘でダイヤが見せた斬撃を受け流した場面を思い出していた。

「素手での攻撃は?」

「それもダメなはず。武器を失ってからあがいたベスも、結局は死んだから」

 どうやら経験済みのようだ。

「じゃあ、あれは何だったのかな? ガール?」

 破けたポンチョの裾を直しながら横に座る人物が訊いても、クロガラスは首を捻るばかりである。

「そんなのは簡単な答えだ」

 やっと弾の詰め替えを終えたヒカルが、クルクルと銀色の銃を回しながら言った。自分の言葉が一同の注目を集めているのに気が付くと、不敵に笑って言い切った。

「あいつがマヌケだからだろ」

「はぁ?」

 聞いていた女性陣全てから素っ頓狂な声が出た。

 それぞれが顔を見合わせるだけ間があったあと、明実が喉の奥だけでクツクツと笑った。

「まあ、たしかにアキラには抜けているところがあるがの」

 なんとなく気まずい雰囲気になったのを見て、黒スーツが真面目な声を出した。

「新命さま。あまりご友人の事を蔑むのはお控えになった方がよろしいのでは?」

「マヌケをマヌケって言って何が悪い」

 弾を込め直した銃をホルスターに収めつつ、なにを当たり前の事といった雰囲気でヒカルが言った。

「ま、まあ…」

 笑いをこらえているのか、クロガラスの声にビブラートがかかっていた。

「一考の価値があるとしておきましょう」

「だいたい、ソチラは何者だい?」

 いい加減に紹介しろというケンカ腰で、ヒカルが顎でクロガラスの横に座る人物を差した。

「彼が戻ってくる前に、自己紹介しちゃう? アスカ?」

 アキラの背中が消えた渡り廊下の先を見てから、クロガラスが訊いた。

「それも二度手間のような気もするけどね」

 アスカと呼ばれた新参者は、ポンチョの中でゴソゴソやり始めた。中から小さなシガレットケースのような物を取り出した。

 金属の削り出しのような光沢を持つそれは、どうやら名刺入れだったようで、蓋を開けて薄緑色をした名刺を取り出した。

「よいしょ」

 天使に刺された脇腹を気にしつつ立ち上がると、まるでクリスマスカードのような気安さで差し出してくる。

 礼儀正しく両手で受け取った醍醐クマの代理人が、返す手で懐から牛革製らしい名刺入れを取り出した。

「これはご丁寧に」

 薄緑色の物と入れ替えに差し出された真っ白な名刺を見て、ちょっとだけアスカは眉毛を揺らした。

「これ、キミのじゃないね」

「主人の物でございます」

「ま、受け取っておくよ」

 次は明実だ。彼も白衣の内側から木製らしいケースを取り出すと、その上部をオイルライターのケースと同じ方向に跳ね上げて開いた。手に入れた物と入れ替えに、自分の名刺を取り出した。

「どうぞ」

「これはこれは」

 まさか高校生から名刺を返されると思っていなかったのか、アスカがちょっと目を丸くして見せた。

「…」

 紙面を見て沈黙し、とても味気のない味噌汁を口にしたような顔を見せた。

「?」

 なにが書いてあるのだろうと周囲が気になった頃に、アスカは明実の名刺をしまいこんだ。

 作り笑顔を取り戻すと、ダイヤの前に移動して来る。

「これ…」

 おそらくこういった物を人生で初めて受け取ったダイヤが、曇らせた顔を紙面から上げた。

「『けんじ』と読むのであろうな」

 頭脳労働担当の明実が即答した。

 その小さな硬質紙には『鍵寺 明日香』と印字されていた。他には住所どころか電話番号すら書いていない。

「珍しい名前ですよね」

 素朴なダイヤの言葉に、ベンチに戻りながらアスカは肩をすくめた。

「本当は佐藤とか田中とか、目立たない名前が良かったのだけどね。それしか手に入らなかったのだ。ま、いまじゃ気に入っているけどね」

「手に入れる?」

 キョトンと聞き返したダイヤに、ニヤリと笑顔の質を変えただけでこたえるアスカ。

「まあ長く生きていると、色々とね」

 教師調の声でクロガラスが補足してくれた。

「でも、よくこれだけの『施術』関係者を集めたね、ガール」

 アスカがまるで恋人同士がやるような気軽さで、横のクロガラスの肩へ手を回した。

「やめて」

「あら、つれない」

 ペイッと簡単に払われて、ちょっとだけ残念そうに笑顔を薄めるアスカ。

「それだけ天使が脅威ということよ」

「そうかねえ」

 ひょいと気障に肩をすくめてみせるアスカ。

「ボクに言わせると、三十六計逃げるに如かずってことで、一か所に集まるのではなくて、バラバラになって逃げた方が賢明だと思うのだけど」

「また蒸し返す」

 クロガラスが眉を顰めた。

「話したでしょ、それも一つの手だって」

 あっさりとクロガラスが認めたことにより、今度は明実側の四人が顔を曇らせた。

 代表してヒカルが口を開こうとした時に、クロガラスがそれを手で制した。

「でも見失ったからって地上から彼らが帰るとは限らない。いつか追いつかれた時に、一人で戦いたい?」

「う~ん」

 どう見ても今晩の献立、それも全体ではなく漬物の種類だけ決まらない程度を悩んでいるような態度で腕を組むアスカ。その姿は事態の深刻さを理解していないようにも見えた。

「ボク一人で何とかやって来られたから、いまココにいるのだけれど?」

「あなたはそうでしょうけど」

 ちょっと声を荒げたクロガラスは、休憩室の向こう側からの視線に気が付くと、慌てて声を鎮めた。

「まあ、一人より二人。二人よりたくさんっていうのは分かるけどね」

 怒りを抑えたクロガラスに、まるでご機嫌を損ねた恋人に謝るような口調でアスカが理解を示した。

「とにかく天使には地上から消えてもらわないと、ボクたちの平和な生活は戻ってこないしね」

「そういえば訊いた事がなかったけど、アスカは天使を倒したことがあるの?」

「キミより長く生きているのだから、キミよりも殺したことがあるに決まっているだろ」

「えっと…」頭の中で今まで倒した天使の数でも数えているのか、ちょっとだけクロガラスが呆けた顔になった。

「わたしが十七歳で二体だから、同じくらい?」

「おいおい!」

 ヒカルが声を上げた。

「いくらなんでもサバ読みすぎだろ!」

「え? じゃあ何歳なんです?」

 ダイヤの疑問に、明実が苦笑を返した。

「醍醐クマが伴侶を失ったのが、およそ五十年前と言っていなかったか? つまり最低でも昭和生まれではあるな」

「あ」

 そういえばそうだとダイヤが口元に手を当てた。

 いまのクロガラスは清隆学園高等部の新任教師という立場で、外見だけ見れば二十代の欧米人風の女性という姿をしていた。

 自然に着こなしているレディススーツは、あれだけの大立ち回りがあった後にしては皺も無く、これからオフィスで残業に取り掛かっても不思議ではないくらいだ。

 特徴的な地面に引き摺りそうな程長い亜麻色の髪を、今は肩から前に持って来て、まるで長年飼い続けたペットのごとく撫でている。

 青い炎のような光を宿す碧眼はまるで宝石のようで、良く整った鼻梁と相まって世の中の半分は敵にしているような美しさである。

 事情の知らない男子高校生ならば美人教師の赴任と、能天気に喜んでしまうだろう。実際にクロガラスの正体を知らない一年一組のクラスメイトたちは、新しい副担任を歓迎していた。

 その横に座るアスカも、なかなかよい面差しを持っていた。

 女性的なクロガラスと対を為すように、マニッシュな雰囲気を纏っており、こうして並んでベンチに座っていると、どこの雑誌の撮影ですかと訊ねたくなるほどだ。

 破けたポンチョはフードこそ被るのは止めたが、脱ぐ気は無いらしい。脚は細さを強調するデニムに包まれていたが、ポンチョの下はどうやらブカブカのブラウスもしくはシャツを着ているようだ。

もしかしたら襟元が緩いために、ポンチョを脱ぐと肌が見えすぎてしまうから、脱ぐことができないのかもしれない。

 ジロジロとヒカルとダイヤに見られていたが、気にならないようで、逆に座ったままこちらへ身を乗り出してきた。

「で? 大丈夫なのかな? キミは?」

「え?」

 指差されたダイヤが虚を突かれた顔になった。

「キミさ。体調悪いのだろ?」

「へ? そんなことは無いですけど」

 反射的かつ馬鹿正直にダイヤが答えた。

「ああ」

 納得したようにアスカが仰け反った。

「そういうことね」

「そういうことなのよ」

 隣のクロガラスもうなずいている。

「?」

 話しが見えないダイヤが首を捻っていると、ガサガサとした音が渡り廊下を近づいてくる気配がやってきた。



 休憩室内に緊張が走った。なにせ先程まで戦っていたのだから、天使が逆襲しに来た可能性も残されているからだ。

「大丈夫、おつかいから帰って来たみたいよ」

 一人だけ余裕たっぷりのアスカが言い切った。

「ホント?」

 クロガラスの問いに頷いて答えた。

「それよりダメじゃないか。キミは英語教師として赴任したのだろ」と、からかうようにアスカが言うと

「彼女、この学園の生徒ではないもの」と、クロガラスが言い訳のような物を口にした。

「???」

「戻ったよー」

 休憩室に足を踏み入れながらアキラが一同に声をかけた。

「はい、日本茶」

 まず遠くに座っている二人に、よく冷えた日本茶のペットボトルを渡した。

「お、すまないね」

「いただくわ」

 二人とも素直に受け取った。それからアキラを手で制して、アスカは名刺入れを取り出した。

「キミには、まだ渡していなかったね」

「かぎでらあすかさん?」

「けんじだ」

 アキラの読み間違いも笑顔で訂正して手を差し出す。

「鍵寺明日香だ。よろしくな」

「こちらこそ」

 握手を求められて素直に返すアキラ。手を交えた瞬間、アスカが目を細めて笑顔を変質させた。

「これまた、面白い仕込みがしてある『クリーチャー』だね」

「え」

 まさか挨拶以外に目的があった握手と思っていなかったアキラは、慌てて手を引っ込めた。

「大丈夫だよ」

 悪戯を考え付いたような笑顔でアスカは言った。

「ボクたちは共闘関係だろ。後ろから味方を撃つことはしないよ」

 安心させるために言ったのだろうが、かえってアスカの底知れぬ部分が垣間見えた気がして、アキラは馴染みの顔の横まで飛び退った。

「警戒しすぎだ」

 苦笑のような物を浮かべる明実。

「いいや警戒しすぎても足りないくらいだ」

 これはヒカルである。

「は、はい。紅茶」

 ヒカルに注文された品を渡し、そして黒スーツにはサイドポケットへ別にしていた暖かい日本茶を取り出す。

「ぬるくなってしまったかもしれませんが」

「そんなことはございません。これで充分でございます」

 礼儀正しく高校生のアキラに頭を下げた。

「えっと、ヒカルと同じになったけど…、どうした?」

 ダイヤの横に座りながらペットボトルを取り出すと、彼女の様子がおかしかった。なにやら不満そうに頬を膨らませている。

「紅茶じゃなかったっけ?」

「それでいいんですけど、みんながあたしの分からない話をしていて」

「わからない話?」

「なんか、あたしの体調がどうとか」

「ああ、それね」

 納得いった顔でうなずいたアキラを睨みつけてきた。

「海城さんも分かっているんですか?」

「ま、まあ」

 座ったまま詰め寄られて仰け反るアキラ。

「あたしの何がおかしいんです?」

「まあ、I’M  DIARRHOEAなんて書いてあったら、普通は心配するわな」

 仰け反るアキラからエコバッグを回収しながら、明実が彼女の疑問にこたえた。

「?」

「そのトレーナーだよ」

 アキラが彼女の胸元を指差した。

「?」

 自分の胸元に書かれている英単語を見おろすダイヤ。

「これが?」

「あー、意味ぐらい調べて着ようね」

「なんて意味なんです?」

 素直に訊かれて、ちょっとだけ躊躇する間があった。

「『私はお腹を下してます』でいいかな」

 アキラが正直に教えると、ダイヤの顔が真っ赤に染まった。

「まあ、日本製のロゴTシャツなどではよくあることだの」

 エコバッグから取り出したサイフは懐の左側へ、ペットボトルを抜いたエコバッグは反対側へと仕舞う明実。ちなみにアキラが彼へ買って来た飲み物は、運命石の選択を求めることができそうな炭酸飲料であった。

 その独特で癖のある飲み物の蓋を躊躇なく開けながら、明実は笑いをこらえるような顔になった。

「英語のロゴが入っている服は気をつけんとな。『オレはテロリスト』とか『今晩いかが』とか、そんな意味のTシャツを着ていると、町で襲われても文句は言えんぞ」

「なんで、もっと早く教えてくれなかったんです」

 定規をしまったバッグで胸元を隠したダイヤが悲鳴のような声を上げた。

「いやファッションで着ている物をいちいち指摘するのはヤボという物では?」

 逆に聞き返されて言葉に詰まるダイヤ。それからキッと自分の連れを睨んだ。

「ゴンさんはわかっていたんですか?」

「かつて、わたしは在日米軍の翻訳部にいたこともありますので」

「教えて下さいよ!」

「それは…、ヤボという物では?」

 と、ダイヤの悲鳴のような声に、明実を意識したこたえをかえした。

 恐る恐る仁王立ちでキャンディを咥えている人物を振り返った。

「し、新命さんは?」

「あたしはほら…」ちょっとアキラへ目をやってからヒカルが答えた。

「海外生活の経験もあるから」

 どうやら知らなかったのはダイヤ本人だけであったようである。

「海城さんは、なんで知っているんですか」

 八つ当たりのような質問が飛んできた。

「えっと、まあ、そのくらいの英単語は書けるようになっておかないと…」

「つまらないわよねえ」

 クロガラスが自分の膝に頬杖をついた。

「教えがいがありゃしない。きっとココの生徒たちの方が、先生のはずのわたしより成績いいわよ」

「その時はフランス語で授業をしてやればよい」

 アスカが断言するが、それに微妙な笑顔を返すクロガラス。

「?」

「あ~、そりは無理じゃろ」

 その表情の意味が分からずにアスカが小首を傾げているのを見て、明実が助け舟を出した。

「何年か前にあった、鼻っ柱が強い英語教師が泣きながら尻尾巻いて退散した話は、有名だからの」

「大人相手に何をしでかしたのかな、キミたち」

「オイラたち自身ではなく、先輩方になるがの。その英語教師は最初の授業で『この授業では日本語を禁止します』とやったらしい」

「英語の授業を英語で授業するなんて、他のガッコでもやっているだろ?」

「それが…」

 明実の説明をアキラが引き継いだ。

「その先生があまりにも横柄な態度だったらしくて。それに反発した先輩たちは、日本語を使うことをやめたんだ」

「?」

 アキラの説明にキョトンとなる。

「英語と一緒に」

 オチを聞いて、アッとアスカは口に手を当てた。

「オイラが聞いたところによると、ドイツ語でもフランス語でもなく、北欧のどこかの言葉だったらしい」

「オレは中国語って聞いたけど」

「まあ噂じゃスワヒリ語から、クリンゴン語。果ては下位古代(グロンギ)語や上位古代(オンドゥル)語まで混じっていたとか」

 二人の説明を受けてクロガラスが肩を竦めてみせた。

「わたしが英語科に入った途端に、そういった事件があったので、そういう事は避けましょうって、いきなり説明されたわ」

「なんで高校生が、そんな言葉を知っているのかなぁ」

 当然の質問に、アキラが当然のようにこたえた。

「いちおう海外留学を目指している人たちのために、土曜日の講習会で取り扱っている言語でもあるし。フランス語やドイツ語は、国内の大学を受ける時に有利だからって選択する人もいるし…」

「まあクリンゴン語は強烈なトレッキーだったらしいがの」

 アキラと顔を見合わせた明実が話しをしめた。

「なんにせよ肉体言語が入っていなくてよかったよ」

 笑い飛ばすような明るさでアスカが言った。

「で、だ」

 パンパンと手を打って、今までの空気を変えながら、少しは真面目な声を取り戻したクロガラスが表情を変えた。

「話を戻しましょう」

「どこまで戻すのかの?」

 明実の質問に、これまた首を傾げるクロガラス。

「どこまで遡りましょうかね」

「遥か大昔、宇宙はビックバ…」

「おまえは喋るな」

 アキラがお約束のボケをかまそうとした途端、ヒカルに遮られた。横のダイヤがやっと笑ってくれた。

「ひでぇ」

「まずは紹介が必要かの?」

 明実がアスカに問うた。

「うん、まあざっとお願いするよ」

「名刺を渡したのでオイラはいいとして、彼女が新命ヒカル。こっちが海城アキラ」

「二人が『クリーチャー』なのは分かった」

「こちらは、別の『マスター』の使用人方々」

「私は主人にゴンと呼ばれております。みなさまにも同じように呼んでいただけると嬉しゅうございます。彼女は大岩輝。ウチのメイドでございます」

「よろしくお願いします」

「これで、いちおうお互い知らない顔ではないということかな?」

 明実が一同を見回して確認した。

「それでは、これから共闘するかどうか話し合おうと思うのだが?」

 明実の提案に、クロガラスとアスカが顔を見合わせてクスリと笑った。

「すでにしたのに?」

「たしかに」

 いたずらっ子のように笑ったアスカに訊ねられ、明実は顎へ手を当てた。

「いちおう連携は取れていたようだの」

「戦略目標どころか戦術目標も達成できていないけどね」

 クロガラスが残念そうに言った。

「それは天使を倒せなかったという意味かな?」

「そう捉えて結構よ」

「だいたい、ソッチが鈍くさいから、あんなチビに見つかるんだ」

 ヒカルが忌々し気に言った。

「あら。もしかしなくてもボクのことかな?」

 八つ当たりが飛んできたと目を丸くしたアスカは、にやりと笑った。

「どうしてボクが鈍くさいと?」

「事実、時間通りにココへ来れなかったろ」

 両腰に手を当てたヒカルが、威嚇するように距離を詰めた。

「来ていたよ」

 そんな態度のヒカルに肩透かしさせるような微笑みに表情を変えるアスカ。

「来てたぁ~?」

 眉を顰めた声を上げるヒカルを真っすぐ見て、アスカは手を伸ばした。

「?」

 なんの意味があるのだろうと見ていると、そこへ外から風切り音がした。

「わ」

 突然舞い上がった埃に、本能的に顔面を庇うヒカル。その小さなつむじ風はすぐに治まった。

「ハト?」

「わあ」

 ベンチからアキラとダイヤが声を上げる。外からアスカの腕を目掛けて飛び込んできたのは、東京ではドコでも見られるドバトであった。

「これが…、うひゃあ」

 疑問を口にしようとしたアキラの声が途中で悲鳴に変わった。アスカの腕にとまったハトが、器用にもその上で体勢を変えてこちらを向いたのだ。

 その胸の羽毛が左右に開くと中から宝石のような物が現れた。

 琥珀の原石のような輝きの中心に、青い炎のような光。

 そこに人間の眼球が埋め込まれているのだ。

「ほらね」

 自慢するような声でアスカは言った。

「ボクの『目』は、集合時間の三〇分前には、こうしてココに来ていたのだよ。これを遅刻というのは酷いじゃないか」

「目だけって…」

 少し怯んだヒカルは、逃げ腰になった自分の体を伸ばすと、胸を張った。

「それじゃあ会話の内容がわから…」

 ヒカルの言葉の途中で、別のつむじ風がやってきた。今度は瞼を閉じることなく、やってきた存在を見ることができた。

 アスカの腕に止まっている物と同じドバトが、新たに一羽やってきて、足元のコンクリートに着地した。

 そのドバトの胸が割れ、こんどは耳たぶが現れた。

「うへえ」

 苦い物を口にしたような声がアキラから漏れた。

「趣味悪」

 ダイヤが素直な感想を述べた。

「そうかなあ」

 悪びれるどころか自慢げにアスカは言った。

「これで、いまも周囲を警戒しているのだよ? 我々以外の誰かが近づいたらすぐに分かるようになっている。安心できるだろ」

「探知機があるだろ」

 歪めた顔でアキラが言うと、アスカは鼻先だけで笑った。

「敵が天使だけとは限らないよね。もしかしたら天使に協力する人間だっているかもしれないし」

「あ」

 天使との戦いの前に話していたことを思い出したアキラから声が漏れた。こちらが天使に対して普通の人間を使おうかと考えたのと同じように、天使の側も人間の団体を味方にしている可能性を失念していた。

 特に宗教関係ならば、それこそ歴史的に古い団体がゴマンとある。それらが天使に助力を求められたら、協力しないはずがない。

「まあ、あまりわたしの生徒をイジめないでちょうだい」

 意外にも横からクロガラスが助け舟を出した。

「アキラの場合は特別だ」

 明実も、なぜか柔らかい微笑みを浮かばせながら庇ってくれた。

「なにせマヌケだからな」

 これはヒカルである。

「しかし、自らのコピーが作れるとは分かっていたが、こんな応用法があるとはの」

 興味深そうに乗り出している明実が言うと、ヒカルがわざわざ振り返って睨みつけた。

「体の一部が着いていたから遅刻じゃないって、屁理屈にも程がある」

「あら。じゃあキミは肉体の何パーセントが到着していたら遅刻じゃないのかな? ガール」

 ハトたちを森へかえしながらアスカが訊いてきた。

「そりゃ、本人が来てないと無効だろ」

「ココにいる、この肉体が、ボクの本体だと誰が言ったのだい?」

「え?」

 アスカは自分の胸元に手を当てると、またいやらしい嗤いを顔に浮かべた。

「あのハトやネコと同じく、この肉体だって本体とは限らないじゃないか。本当のボクは遠くにいて、この肉体を通して会話に参加しているのかもしれないのだよ」

「うそ…」

 ダイヤが息を呑む。たしかに今目の前にいるアスカが本体だとは、本人以外は分からないのかもしれない。それを外部から証明するのは困難だ。

「まあ」

 目を丸くした声を上げるクロガラス。

「その体が本体じゃないとしたら、それでわたしの肩に手を回そうとかしたわけ?」

「あらら」

 意外な反撃にしどろもどろになるアスカ。

「そんな冷たい事言わないでくれよ、ガール」

「ガールって」眉を顰めてこちら側へ視線を飛ばしたクロガラスが文句を言った。

「向こうのお嬢さま方と違って、それなりに人生経験を積んできたのだから、せめてレディ扱いしていただきたいわね」

「すまなかったよ、レイディ」

「ふむ。その体が遠隔操作として、どうやってタイムラグなしに各種動作を行っているのか、とても興味があるな」

 二人の会話に明実が入ってきた。興味深い対象が現れたせいか前に出る。意識しているのか、アキラが座るベンチを庇うような位置である。

「それもそうね」

 瞬きを早くしたクロガラスが、ニヤリと笑った。

「ということは、あなた本人ね?」

「それはどうだろうか」

 二人の視線から逃れるようにそっぽを向くアスカ。

「で? 彼女の正体は何者なのか?」

 明実の矛先がクロガラスに向いた。

「アスカの正体? 見ての通り、わたしたちと同じ…」

「同じではないであろう」

 言葉を遮られたクロガラスが不快な顔になる。

「同じよ」

 それでも断言するクロガラス。

「わたしたちと同じ『施術』が使える『マスター』よ。いまの日本で確認されている三人目…、いえ一人目と言った方がより適切ね。それもより完璧な『マスター』。言わば『マスター』の中の『マスター』」

「オイラには違うように見えるがの」

「ちがう?」

 なにを言い出すんだこの子はといった態度で問い返すクロガラス。それを平然と受け止めた明実は、腕組みを解いて指を一本立てた。

「彼女は『マスター』ではなく『クリーチャー』であろう」

「え」

 クロガラスが驚きの表情で振り返った。

「なんで分かったのかは、まあ置いておくとして」

 余裕のある微笑みでこちらに向き直ったアスカは、とても曖昧な表情で、腕を組み直す明実をベンチから見上げた。

「正解だよ。ボクは『クリーチャー』の方だ」

「じゃあ、あなたの『マスター』は?」

 ベンチの上で距離を取りながらクロガラスが問いただした。

「食べちゃった」

 舌を出しつつアスカは簡単にこたえた。

「たべた?」

 その単語の意味が分からないという風に、反対側のベンチからダイヤが聞き返した。

「うん」

 あくまでも快活にアスカはうなずいた。

「ボクをこんな身体にした彼は、ボクの血肉となって永遠に一つとなったのだよ」

 自分の体を抱きしめるように腕を回してみせた。

 バサッと音を立てて、スカートが乱れることも厭わずに、クロガラスがベンチから立ち上がった。引けた腰でアスカから距離を取ろうとする。

「あ、あなたねえ」

「あれ? なにかおかしな事を言ったのかなあ?」

 とても不思議そうな顔をするアスカ。

「人間を喰った?」

 アキラが明実の背中に訊くように声を出した。

「あら? 人間ほどのごちそうはないのよ」

「たしかに」

 悪戯気に言ったアスカの台詞にうなずく明実。

「比較的大型の哺乳類のわりに個体の能力は低く、転じて他の動物よりは狩りやすい獲物だ。肉質も均質で、日本ならば肥満体がそこそこ存在するので、選択すれば脂肪分も豊富にとれる。さらに美人揃いの『クリーチャー』ならば、狩りの際に外見で獲物の油断を誘うこともできよう」

「さらに言うなら、自らの構成に近いアミノ酸を、味覚は美味として捉える。世間じゃ野菜好きよりも肉好きが多いのがその証明だよ」

 全然態度を変える様子の無い明実に、アスカはウインクを飛ばした。

「まさか、わたしたちまで食べようなんて…」

 ピクピクと右手を震わせながらクロガラスが訊ねた。

「さあ、それはどうだろう」

 自分の事なのに、まるで何億光年先の自由惑星の事を訊ねられたような調子でアスカは頭の後ろで手を組んだ。

 チラリと怯んだ様子のままのクロガラスを見ると、少しだけつまらなそうな顔をしてみせて、それから笑顔を取り戻した。

「キミだって、ボクの食事は知っているだろ? それに自分に『儀式』を施したってことは…」

「それとこれとは話しが別よ。自分の『マスター』を、なんて…」

 先程までの打ち解けた様子をどこに置いて来たのか、クロガラスが厳しい声で告げた。

「ほほう」

 明実が尊大に聞こえる相槌をうった。

「アカの他人が何人死んでも、自分は痛くも痒くもないと」

「それはあなたにも言えるでしょ」

 クロガラスは明実も睨んだ。一瞬だけアキラへ視線をやると、語気激しく罵るように言った。

「あんなオモチャを作って。あなただって『儀式』で人を…」

「なにを誤解しているのか分からないが」

 明実はクロガラスの言葉を、それを上回る大声で遮った。

「オイラは『儀式』で死亡者を出しておらんぞ」

「え」

 二人同時に声を上げる。『施術』には詳しいはずの二人が顔を見合わせていた。

「最近では万能細胞なる科学の結晶があっての。それで事足りたがの」

 胸を張って言い切った後ろで、アキラが小声で「万能細胞はありまーす」と呟いていたが、誰もつっこまなかった。

「それか?」

 顔を歪めたアスカが、クロガラスへ視線を送った。

「可能性はあるわね」

 こちらは思案顔になったクロガラスだ。

「それというのは…、ああ、そういうことか」

 明実が納得して首を縦に振った。

「で? どうするのだい? ガーあああ…、レイディ」

 さっきまでの底知れぬ笑顔に戻ったアスカが、クロガラスに訊いた。

「この同盟からボクだけ除け者かな?」

「それは…」

 躊躇したのは一秒だけであった。

「それは無いわ。天使を倒す間だけは共闘しましょう」

 アスカはそれに肩を竦めるだけでこたえた。

「余計なお互いの詮索は無しだ」

 明実の肩越しにヒカルが声を上げた。それに対して二人とも首を縦に振った。

「連絡先は交換するとしても、普段はドコで寝ているかまでは関係ないからね」

「わたしは天使を倒せればいいもの」

「その後に、また争うのは嫌だなあ」

 グッと握り拳を作ったクロガラスに、アスカがお弁当のオカズに嫌いな物が入っていましたという感じで言った。

「そうなったら、この国から離れるのもいいかもしれないねえ」

「別に、天使に探知されない程度に分散して過ごすなら、追っ手はかけないわ」

「そう願いたいね」

「オイラたちは、この土地からしばらく離れられないのだが?」

 明実の言うとおりである。向こうは気軽に外国へ逃避行などと話しているが、こちらはまだ学生の身分だ。海外留学という手もあるが、おいそれとは決められない。

「わたしたちがいなくなれば、だいぶ安全でしょ。きっと」

「『きっと』って」

 クロガラスの言葉を最後まで聞いていたヒカルが目くじらを立てる。

「無責任じゃないか」

「だって、どれだけの反応があったら天使を送り込む事にするなんて、そんな向こうの基準知らないもの」

「うー」

 ヒカルは唸りながらクロガラスを睨みつけた。

「あら怖い」

 双方のベンチを見比べて、自分の立ち位置を調整しながらクロガラスはおどけてみせた。

「まあ、天使を倒すという目的は一緒なのだから、よろしく頼むよ」

 アスカが握手を求めるように、明実へ右手を差し出した。それを見おろした明実は、腕組みを解かずに背中を向けた。

「しばらくは、この学園に顔を出してくれたまえ」

「それはなぜだい?」

「二度も襲われたという事は、天使がこの学園に、敵である我々が関係しているということを、もう確定しているとみて間違いない。ここならば多少派手な戦闘をしても目立たないし、第三者を巻き込むこともあるまい」

「ふーん」

 明実に拒否された右手の指をわきわき動かしていたアスカが目を細めた。

「家族には迷惑はかけたくないと」

「それのドコが悪いのだ?」

 自分の肩越しに振り返り、アスカを睨みつける明実。

「オイラたちはまだ人間だ。キミたちと違ってね」

「そうかね」

 肩を竦めたアスカは何でもない事のようにこたえた。

「すぐにコチラ側に来ることになると思うけどね」

「というわけで」もう背後の二人がいない者という態度で、明実は醍醐クマの代理人たる黒スーツの前に立った。

「二人との話し合いはこんな感じになりましたが、問題はあったかの?」

「いえ」

 黒スーツは丁寧に頭を下げた。

「当方といたしましても、これ以上の収穫は望めない物と判断いたします。ただ、一点のみ懸念がございます」

 立てられた人差し指を不思議そうに眺める明実。

「お互いの私生活を覗き見するようなことはしないという約束がいただきたいのですが」

 声を張り上げて明実越しにアスカへ告げる。ベンチから立ち上がって帰り支度という雰囲気だったアスカが、不思議そうに振り返った。

「そうでございませんと、お屋敷周辺のハトを全て捕獲せねばならなくなります」

「そっちも覗き見をしなければね」

「ほう。こちらも、とは?」

「最近じゃドローンとかいう便利な物があるのだろ? そういうハイテクを使われるとねえ。ほら、ボクたちは古い人間だから」

 お手上げとばかりに手のひらを上に向けるアスカ。

「わたしを含めないで」

「あら、冷たい」

 まるで外国ドラマで見られるように、そのまま肩を竦めて同意を得ようと反対側を見るアスカ。しかし先程までの会話が頭に残るアキラには、それがお洒落な仕草にはもう見えなかった。



 先に危険な二人が姿を消し、次に醍醐クマの関係者が草原の向こうへと消えた。

 いつの間にかに雨は止んでいたが、相変わらずの雲行きである。

 そんな空を眺めながら、三人は渡り廊下を高等部へと引き返していた。

「さて、どうするかな」

 三軒だけ連絡先が登録された携帯電話を、白衣の内ポケットにしまった明実は、同じ手で自作のスマートフォンを取り出した。

 軽く振るようにして現在時刻を表示させる。

「こんな中途半端な時間か」

「アキザネは、一回ウチへ帰った方がいいぞ」

 アキラは、思案顔をしている明実に言った。

「オバサン心配してたし」

「むむ」

 眉を顰める明実。ここのところ醍醐クマから授かった新技術とやらが彼の研究者魂を刺激しているのか、明実は研究所に連泊しているのである。(いちおう昼間は高等部に顔は出している)これで研究所にシャワーなどがなければ、幼馴染だって近づきたくなくなるだろう。幸い明実の研究室にはそういった設備が完備されていたが。

「では、今日の所は帰宅するとするか」

「根を詰めるのはいいが、ほどほどにな」

 これはヒカルである。その年長者みたいな言い回しに気がほぐれたが、ちょっと考えて思い出した。外見はアキラと同じ女子高生なのだが、ヒカルはすでに成人女性なのだ。

 どうやらそれが表情にでていたようだ。

「おまえ…」あっと思った時には黒い銃身がコメカミに突きつけられていた。

「いま失礼な事を考えただろ」

「と、とんでもない」

 胸の前で両手を上げて、抵抗の意思が無いことを示した。ヒカルの形の良い唇に咥えられたキャンディの柄が、つまらなそうにピコピコ動いていた。

「だいたい失礼な事ってなんだよ。オレには思いつかないが」

「ホントかなあ」

 ヒカルから猜疑心の塊のような声が出た。

「ホント、ホント」

「まあアキラのことだ。こいつも年寄りだったっけ程度は考えておるだろうな」

「アキザネ!」

 明実の余計な一言に反応したことが、かえって答えになっていた。

「あたしも、こんなワンパターンは嫌いなんだが…」

 ピクピクと顔のアチコチを引きつらせてヒカルが言った。ギリギリとキャンディに立てられた歯が鳴る音がするような気がする。

「いいかげん、こいつのドタマに風穴開けても、ゆるされる頃合いだと思うんだが」

「まあまて」

 珍しく明実が仲裁に入った。

「アキラはこれから先必要になる」

「ひつよう?」

 変な言い回しに、二人の「女の子のようなもの」が目を丸くした。

「わからないのか」

 ちょっと残念そうに明実は肩を落とした。

「今のところイコノスタシスを小細工なしにキャンセルできたのは、アキラだけだ。この先、まだ『天使のご本尊』とやらが出てくる可能性がある現段階では、戦力として非常に心強い」

「そんなモン信じているのかよ」

 馬鹿らしいとばかりに肩を竦めたヒカルは、ガンスピンを決めると黒色の銃をホルスターへ収めた。

「クロガラスが言っていることを何から何まで信じてちゃまずいぜ。気が付いたらあいつの策略に嵌っていることになりかねねえ」

「そこまで疑ってかかることもなかろう」

 明実は自分のコメカミを指差した。

「いちおう、こちらも考えておるからの」

 ヒカルはわざわざ立ち止まって、明実の顔を睨みつけた。

「? ゴミでもついておるかの?」

「いや、なんでもない」

 言いたいことを飲み込んだ顔のヒカルに、明実は笑顔を見せた。

「少なくとも天使に関する事で、センセは不誠実な情報は出していないぞよ」

「ぞよって…」

 呆れた顔になるヒカルに、人差し指を立てて見せる。

「普通の人間は金縛りにあうと言っておった。少なくともオイラはそれを体験したからの」

「ああ、アレか」

 黒スーツ姿と揃って棒立ちになった瞬間を思い出してアキラは声を上げた。

「一瞬だけ『こいつ何やってるんだろう』って思ったぜ」

「眼球を動かすのがやっとであった」

 体の強張りを思い出したのか、右手で左手首をほぐすような仕草をしながら明実が感想をのべる。

「まあ科学的に分析すると、強烈な暗示を秘めた瞬間的にかけられる催眠術のような物であろうな」

「そこは『神の奇跡だ』ということにしないのか」

 もともとキリスト教徒のはずの明実をからかうようにアキラは訊ねた。

「思考停止と科学的分析は対極に位置するからのう。現在の精神医学でも、あんな瞬時に物事を禁ずる暗示はかけられないはず。それこそ『奇跡』にすがらんとな」

「けっきょく『奇跡』なんだろ?」

「だから最初から『奇跡』と感じて分析を怠ってはいかんという話しだ。分析の結果が『奇跡』になったのならば、これはまた別の話しだ」

「???」

 なんだか頭の中がこんがらがったアキラは、腕を組んで立ち止まってしまった。それを遠慮なく置いてきぼりにする二人。

「どちらにしろ、これからもっと手ごわい奴が出てくるというのには変わりないか」

 ヒカルが両手を打ち合わせてからコキコキと指を鳴らし始めた。不敵な笑みを浮かべるヒカルを見て、その背中へ追いついたアキラが口を開いた。

「逆に、アレ以上の強い奴は出てこないって言われたよりはいいんじゃね?」

「まあ、その点だけは評価してやるか」

 ヒカルは背後を一回だけチラリと振り返った。視線はアキラを通り越してずっと向こうへ飛ばされた。

「とりあえず、戦力は増強せんとな」

 明実は腕組みをして、身長差から二人を見おろした。それに下から視線をかえしたヒカルは、再び不敵な笑いを取り戻した。

「あたしにゃアレがある」

「あれ?」

 思いつかなかったアキラが訊ねると、忌々しそうに睨まれてしまった。

「この前手に入れた新しいオモチャだ。おまえもついてきたろうが」

「オモチャって…」

 五月に連れて行かれた『いい店』を思い出して、アキラは言葉を失った。

「なんだあ? なにかおかしなこと言ったか?」

「いやいやいや」

 慌てて頭を振る。

「あのイコノスタシスとやらに銃が利かねえのは分かった。だが撃ち込んでいれば他の誰かが攻撃できるって分かったんだ。必要なのは威力じゃねえ。弾数(たまかず)だ」

「だからって…」

 アキラがまだ何か言いたそうにしているのに対し、ヒカルはまた不敵な笑みを見せつけた。

「おまえにゃおまえで、アレがあるだろ」

「あれ?」

 咄嗟に思いつかなかったアキラは、また腕組みをして小首を傾げた。その尻へ遠慮なくヒカルの回し蹴りが命中した。

「いてえ」

「おまえの必殺技だ。わかってんのか? アレだったら接近戦でなくても天使に有効ってことになるだろうが」

「あー」

 久しぶりに聞く単語にアキラは手を打った。

「あー、必殺技(アレ)ね。使えるのかなあ。ここ最近使ってないから忘れてた」

「錆びついてんじゃねえだろうな?」

「…錆びるのか?」

 疑問は反対側の明実に向けられた。

「体内で発生する活性酸素が細胞を傷つけるという話しは知っておるか?」

「なんか化粧品だかなんだかのCMでなら」

「あれも広義の意味では錆びているということだからのう。だからヒカルの心配ももっともなのだ」

「ええ。じゃあ、もしかしたら使えないかもしれないってこと?」

「いま試しに使ってみろよ。あの木なんか丁度いいんじゃないか?」

 驚いて仰け反っているアキラをヒカルが唆すように言い、渡り廊下脇に生えていたブナの木を指差した。

「まてまて」

 幼馴染同士で声を揃えて否定してしまう。

「アレって大変なんだぜ」これは必殺技が使える本人。

「袖がちぎれたりしたら、かあさんに怒られちまう」

「アレって大変なんだぞ」これは開発した本人。

「元に戻す『微構築』に、どれだけ手間がかかると思っているのだ」

「ま、使えるならいいんだけどよ」

 あっさり諦めたヒカルは、今度は前方に見えてきた学生寮を指差した。

「そういえば用事を思い出した」

「?」

「あそこへ寄っていいか?」

「なんだったら先に行っておくがの」

「バカか?」

 何の気に無しに言った明実を睨みつける。

「護衛のあたしがいない時に襲われたら、おまえらだけで生き残れるのかよ」

「それもそうだの」

 三人して渡り廊下を進み、左手に並ぶ木造三階建てを見上げた。青い外壁が男子寮、赤い外壁が女子寮である。清隆学園では他道府県から入学を希望する生徒も受け入れているのだ。そのための施設である。

 ヒカルは迷うことなく青い外壁の方へ足を向けた。

「? 浮気かの?」

「蹴るぞ」

 明実の質問に怖い視線を返すヒカル。しかしそれで黙るような明実ではなかった。

「別にいいのだぞ。若いのだから恋に花にと生きて…」

「そんなんじゃねえよ」

 まるで実年齢が逆になったような会話を交わしつつ、重いガラス扉を開けて、黒い玉砂利が塗りこめられた玄関へと入る。右手に小さな受付、左手は木製の下駄箱だ。

「誰に用事かの?」

 明実が訊きながら受付にある小さなガラスを指先でノックした。中を覗かれないようにかけられたカーテンが揺れるとすぐに治まった。それから脇の扉が開いて中年の女性が出てきた。彼女がここ清隆学園高等部男子寮『銅志寮』の寮監さんである。

「あらあら」

 人好きする笑顔で三人を出迎えてくれた。

「今日はどうしたの? 御門くん。それと海城さんに、新命さん」

「えーと」

 それに対する答えを持っていない明実が、困ったようにヒカルを振り返った。そのまま自然とヒカルに目が集まった。

「あいついるか?」

「あいつ?」

 ヒカルの言葉にキョトンとする寮監のおばさん。預かっている寮生は一人二人という数ではない「あいつ」だけでは一年から三年までいる寮生の誰かまでは分からないではないか。

 しかし、ちょっと眉を顰めていた寮監のおばさんは、すぐに笑顔を取り戻した。

「ああ松田くんね。部屋にいると思うわ。まあ玄関先も何だからロビーで待っていて」

 そのまま玄関ホール奥にある扉を開いて、その部屋を覗き込んだ。

「あ、星野くんいいところに居た。松田くんにお客さんなのよ、呼んできてくれる?」

「ふあーい」

 三人が玄関先に用意されているスリッパへ履き替えている間に、寮監のおばさんからお願いという形の命令をされた寮生が、上の階へ上がっていった。

「じゃ、ちょっと待っていてね」

 三人をロビーに招き入れた寮監のおばさんは、自室へと戻っていった。

「なにか飲むかの?」

 明実がロビーに据え置かれた自動販売機の前に立った。

「さっき飲んだばかりじゃねえか」

 言い返しつつヒカルが休憩室で飲んだペットボトルを、備え付けの洗面台で漱いでからゴミ箱へつっこんだ。

 それを見てアキラも手にしていたペットボトルを捨てることにした。

「お待たせした」

 明実が何か言おうとした瞬間に、ロビーに二人の人物が現れた。一人はおつかいを頼まれた寮生で、もう一人は明実と張り合えるぐらい身長の高い少年だった。しかも明実とは違い、肩幅もしっかりあって、どこかスポーツマンの雰囲気を纏っていた。

 彼は松田(まつだ)有紀(ありよし)といって、アキラたちと同級生、しかもクラスメイトである。四月にあった学校行事で明実と同じ班だったせいか、彼とは仲良くなったようだ。

「すまんの有紀(ユキ)ちゃん。突然押しかけて」

 明実が言い訳のような物を口にする。

「ヒカルが急に用事があると言い出しての」

「用事?」

 ちょっとだけ考えるそぶりをしてみせた有紀は、まばたき一回でいつも見せる曖昧な微笑みを取り戻した。

「ああ、カール先輩のアレね。準備できとうよ」

 その場で有紀が回れ右をした。その背中について行くと、ロビーの隣にある狭い部屋へと入っていった。

「うへえ」

 この「自習室」とネームプレートが貼られた部屋には、アキラも入ったことがあった。

 その時は床へ雑然と荷物が散らかされている部屋という印象しか無かった。が、今日は様子が違った。

 部屋の真ん中に置かれていた学習机は端へ寄せられ、四畳半もないほどの部屋に空間を提供していた。

 その部屋の壁全部にくっつくように、鉄製らしい格子が立てられていた。

「これ全部?」

 格子に飾られている物を指差してアキラが訊ねると、有紀はニコリとした。

「全部やあらへん。すこーしは発火モデルも混じっているさかい」

「はへー」

 そこら辺のワンコインショップからダース単位で買って来たような安物のフックで、壁の格子に飾られているのは、大小様々な銃であった。

 もちろん本物ではない。古今東西の色んなメーカーから発売された遊戯銃(エアーソフトガン)である。

 男子寮にはエアーソフトガンを使ってサバイバルゲームを楽しむ有志団体があるのだ。これらはかつての寮生だった先輩方が置いて行ったコレクションである。今じゃ販売していない物から最新の物まで、大はアサルトライフルから小はポケットガンまで、種類は豊富に取り揃えられていた。

 先輩方曰く「この銃を貸し出すなり有効活用して、世の中にサバゲを布教活動するのだ」だそうだ。

「この前と大分違うじゃねえか」

 整理整頓された室内を見回してヒカルが妙な褒め方をした。前回この部屋に入った時は、これらは飾るどころか床へ無造作に置かれたカバンへ入れっぱなしになっていた。

「寮監のおばさんに怒られてしまいましてな」

 ポリポリと有紀は後頭部を掻いた。

「え? エアガン禁止になったのか?」

 アキラが驚きの声を上げると、彼は首を横に振った。

「遊びに真剣になるんはいいやけど、散らかっているのは許しまへんで。ってな具合で…」

「そっちかよ」

 でも寮生たちの趣味を「危ないから」とか言って一方的に否定するよりは好意が持てる態度ではある。伊達に長い間寮監の仕事を続けているわけではなさそうだ。

 有紀は学習机の脇に置かれた硬質のケースを取り上げ、机の上で開いて見せた。

「ご注文の品、できてますで」

「ふむ」

 大きさ的には普通サイズのノートパソコン程度の大きさのケースである。だが厚みの方はだいぶあった。

 中は衝撃吸収のためのポリウレタンが敷き詰められており、そこを荷物の形にきれいにくり抜いてあった。

 収められているのは一挺の小型回転式拳銃であった。

「これって、アノ?」

 ケースの中を覗きこんだアキラは、ヒカルを振り返った。ヒカルは丁度、新しいキャンディの包みを開いているところだった。

「ちゃんとイチムラ先輩にバルブ弄ってもろうて、二種類の弾に対応できるようにしてもろうたで。ほんでベアリング弾の時の威力も倍増。せやけどフロンの使用量は半端ないさかい、一回のチャージで一〇発撃てるかどうかだけど」

「それでいい」

 有紀の説明に満足そうに頷くヒカル。

 ケースの中で銃が照明を反射してキラリと光っている。

 先月に、中等部旧校舎の裏で行われたサバイバルゲームに、三人は参加した。その時に(本物は持っているのに)エアーソフトガンを持っていないヒカルに対して、有紀がここのコレクションから貸し出したのが、この銃である。

 外見はS&W社のM三六のステンレスバージョンのM六〇に似せて造られている。標準タイプではなくヘビーバレルタイプと呼ばれるイジェクターロッドを銃身下のウエイトが覆っているタイプである。

 かつて寮生だった人物が置いて行ったこの銃は、外見こそ平凡な小型拳銃であったが、中身が違った。

 普通のエアーソフトガンならばBB弾の保持にゴムのパッキンを使用するところを、金属でできた髭のようなクリップを使用し、本体内部に納められたガスボンベには桁違いの圧力がかけられていた。

 そのせいで、通常のサバイバルゲームで使用するBB弾とは別に、同じ直径のボールベアリングを発射できるようになっていた。

 さすがに実銃には劣るが、その威力は遠くに置かれた空き缶を一発で貫通する程になっている。

 もちろんそのままゲームに使用するのは危険なので、その時は安全な領域まで威力を下げて使用した。

 どうやら有紀の説明を聞いていると、そこのところを簡単に戻せるように再改造したようである。

 ゲーム前に行った試し撃ちを見ていたアキラも、この銃の正体は知っていた。

「また、こんな危ないオモチャ。なんに使うつもりだよ」

 それに対してニヤリとするヒカル。

「最近物騒だから、乙女の護衛用にと思って」

 有紀がいるからか、少しは猫を被った声である。

「護身用…」

 両腿に巻いたホルスターの中身を知っているアキラは絶句するほかなかった。

 そんなアキラに、ヒカルはつと近づいてきて耳打ちをした。

「さっきの話しじゃねえが、大事な弾は本番に一発でも多く取っておきたいだろ。これなら相手が人間でも、殺すことはねえだろうしな」

 わざと歪められた笑顔の向こう見える壁に、紙が一枚貼ってあった。

「ゲームをする時はゴーグルを必ずしましょう」

 アキラは何か言い返そうとしたが、結局口を空振りさせただけだった。

「で? いくらかかった?」

 アキラへ特上のウインクを送ったヒカルは、有紀に振り返って訊ねた。

「専用のヒップホルスターとあわせて、こちらが明細になる」

 ケースの蓋内側にはメッシュ製のポケットが設けられていた。そこには小型拳銃と同じ大きさをしたホルスターが入れられており、それと一緒に黄ばんだ紙が入れられていた。

 その、なにやら英文も混じった紙を有紀はヒカルに差し出した。

 二つ折りにされていたソレをペラリとめくって覗き込む。

「意外に安く済んだな」

「え…。そらどうも…」

 有紀が見せた驚きの表情に、アキラはヒカルの手元を覗き込もうとした。

「のぞくんじゃねえよ」

 ヒカルが素早くその紙片を、制服のベストの内側へと仕舞いこんでしまう。

 そして、まるで痴漢に近寄られたかのように、自分の胸を抱きしめた。

「なっ」

 つい赤面してしまったアキラは、ヒカルから離れるとそっぽを向いた。

「のぞいてねえし」

「あやしいもんだ」

 長財布を手提げから取り出し、覗き込むように鼻先で開いて、ヒカルは中身を数え始めた。

 最初は財布に収めたまま数えていた札を、今度は抜き出してもう一度数える。そこまでしてやっと安心したのか、その結構な厚みを有紀へ向かって差し出した。

「番号不揃いで九〇〇ドル。確認してくれ」

「ちょっとまった! なんだよ九〇〇ドルって!」

 その内容に驚いたアキラが声を上げる。

「どうしたアキラ」

 不思議そうに明実が口を挟んだ。

「世界一頼りになる紙幣だぞ? 知らんのか?」

「ドルがアメリカのお金だってぐらいは知ってるよ!」

 悲鳴のような声を上げるアキラ。

「でも、なんで高校生がエアガン買う程度で、そんな大層な事に! それも九〇〇ドルって…、えーと」

「まあ、ここのところだいたい一一〇円ぐらいだな」

「じゃあ百倍だとしたって…、百、千…。そんな値段!」

 指を折って桁の計算をしたアキラは、なにを大声上げているんだろうという顔のヒカルに詰め寄った。

「もうちょっと相場という物を考えろ。ぼったくりじゃねえのか?」

「ああ」

 なんだ心配してくれていたのかと、ようやく納得した顔になるヒカル。

「ほら、明細。これだけちゃんとした請求なんだから、正当な報酬だろ」

 もう一度胸元から紙を取り出したヒカルは、今度は内容が見えるようにして開いてくれた。

「…」

 日本語と英文が併記されているが、それは和訳のためでなく、それぞれ別項のようだ。そこには、何やらアキラの知らない専門用語が並んでいた。

「ちゃんとあるか数えてみてくれ」

「まさか一括とはねえ」

 その札束と言える厚みを受け取った有紀は、微妙な顔をしてみせた。

「そっちは、なんでドルでなんて請求したんだよ」

 国内通貨が安定しないので、すぐにドル紙幣に交換しなければならないという国では非ず、日本円だって国際通貨としての地位はそれなりにあるはずだ。だいたい国内で使用するにも円で手にしていた方がなにかと便利であろう。

「半分は冗談のつもりやったんやけど」

 一枚ずつ確実に数えていた有紀は、声だけで答えてくれた。

「もう半分は、舶来物(インポート)のエアガンを買いやすうなるし」

「輸入品?」

「知らへんのかいな? 最近じゃエアガンも海外メーカーの勢いがえらいて、国産メーカーも押され気味なんや」

「本物の銃器メーカーが噛んでくることもあるしの」

 これは明実である。

「違いはガスチャンバーなのか、薬室なのか程度になってきとったりするもんね。たしかにあるやね」

 二回数えた有紀は、そこから一枚を抜き出し、ヒカルへと差し出した。

「なんだこれは?」

「ニコニコ現金一括払いなら、値引きがあるのんは当たり前やん。こら分割を予想してつけとった利息の分」

「別にいいのに。無理な仕事を頼んだのはこっちだし、これからも色々頼み事もできるだろうし」

「まあまあ」お互いに遠慮する間に明実が入った。

「『分割手数料はコチラがお持ちします』って言うではないか」

 有紀の指の間から抜いた紙幣をヒカルに握らせた。

「なんか違うような…」

 後ろでアキラが頭を抱えているのを無視して、明実はヒカルへウインクを飛ばした。

「ヒカルみたいな美人には、護身にいくらでも金が必要だろうからの」

「まあ…」ヒカルは返された一枚を財布へ収めながら、明実へ歪んだ笑顔を向けて言った。

「必要経費はしかるべき人間に請求するがな」

「お手柔らかに頼むよ」




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