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七月の出来事B面  作者: 池田 和美
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七月の出来事B面・②



「三三ページ…」

 週末が明けての月曜放課後。清隆学園高等部B棟三階にある空き教室で、一人の女子生徒が機嫌悪そうに腕組みをしていた。

「?」

 その横で、人待ち顔をして窓の外に広がる風景を眺めていた、もう一人の女子生徒が、その独り言を耳にして振り返った。

「なんの話だよ」

「物語が始まってから、ワードで文章を作成したら三三ページぐらい、この美少女で主人公のあたしが待たされるって、ありえないだろ」

「何をおっしゃっているのです? ヒカルさん?」

 突然訳の分からない事を言い出した相棒に訊ねる。腰が明らかに引けていた。

「業務連絡みたいなもんだ」

 ヒカルと呼ばれた女子生徒は、機嫌悪そうに鼻をフンと鳴らすと、そっぽを向いてしまう。主人公という部分はまだしも美少女と言った点に、聞いていた者も文句をつけるつもりはなかった。

 ヒカルは少々小柄な体格だが、どこまでも黒い髪に、海の底のような黒い瞳を持っていた。ちょっとハスッパな仕草や、自信ありげに腕を組んでいる姿とあわせて、これほど黒色が似合う人物もいないだろう。

 腕を組んでいる上に、移行期間のためまだ許されている長袖の冬季制服を身に着けているため、体のラインは分かりにくかったが、それなりのモノを持っているようだ。

 不機嫌そうに結ばれた唇には、白い棒状の物が咥えられている。煙草ではない、世界的に有名な柄付きキャンディである。

 他の女子生徒よりは長めに履いているプリーツスカートからは、眩しいぐらいの太腿が…、残念ながら良く見えなかった。

 その左右の足には、ごついナイロン地をした物が巻かれているからだ。窓から入る陽光でキラッと光る物がそこに入れられていた。

「お願いだから、オレにも分かる話をしてくれ」

「業務連絡だって言ってんだろ。こういう時に、さらっと流せないと、もてる男になれねぇぞ、アキラ」

「もてる男って言ったって…」

 アキラと呼ばれた方は、悲しそうに自分の体を見おろした。こちらも平均的な身長より、ちょっと足りない背丈である。シルエットだって道ゆく男が振り返る程でもない。かといって、余分な脂肪が付いているわけでも無く、ごく平均的な体を包んでいるのは高等部で制定されている女子用の夏季制服である。

 髪は、短くしていたのを、伸ばし始めましたという程度。顔の方はというと、これは本人に自覚は無いのだが、こちらも十人に訊くと十人が『美少女』と答える整った顔立ちをしていた。

 黒目がちな瞳に意志の強そうな目元。小振りの鼻はチョンと誰かにつついてもらうことを待っているかのように愛らしく、唇は程よく湿っていて蠱惑的な魅力を持っていた。

 この、どこを切っても美少女に見える海城(かいじょう)アキラが、昨年度まで学ランを着て中学校に通っていた海城(かいじょう)(あきら)という少年だったなんて、事情を知らない人間が聞いたら冗談だと思うだろう。

 その事情とやらも、よく巷で聞く「思春期になり心の性と体の性が」などとは、大きくかけ離れていた。なにせ横断歩道を渡ろうとしたら大型トラックに撥ねられ、飛ばされた先にあった建物の看板に跳ね返り、道へ落ちたところをさらに五台のトラックに轢かれるという大事故に遭遇し、それで死ぬ代わりに体が女の子になってしまったという「ちょっとナニ言ってるのか分からない」と聞き返されても、おかしくない物だったからだ。

 これというのも、この部屋にいるもう一人の人物。アキラの幼馴染のせいである。

 椅子も机も無い教室の真ん中で仁王立ちになっているのは、男子用の制服の上から白衣に袖を通した少年だった。とても身長が高く、それに比例して太さがないシルエットをしている。

 彼がアキラの幼馴染である御門(みかど)明実(あきざね)である。

 高校生にして数々のパテントを物にし、大人たちからは「明日のノーベル賞受賞者のその候補」と目されている天才である。

 ただ神は彼に超人級の頭脳を与えたもうたが、それ以外の常識や思いやりという心の方はだいぶケチった様であった。

 なにせ昔から超人級の発明をするのはいいが、それを幼馴染であるアキラで試すのだ。それが人類に貢献する素晴らしい物ばかりであったなら、アキラの彼に対する評価は一段違った物になっていたであろう。

 いつだか発明した『電子レンジ』では、危うく頭から上が無くなるところであった。もちろん彼が「発明」したのだから、ご家庭にあるようなタダの電子レンジではない。電子銃が無限の射程(レンジ)で目標を自動狙撃、その対象の人生をチ~ンと終わらせるという代物だったのだ。

(あの時は町内中を逃げ回ったものだなあ)

 地球が丸くて助かったアキラは、そんな小学校時代の記憶を、ふと思い出した。

 そして挙句の果てにこの身体である。嫌な思い出に苦々しさすら覚えたアキラは、明実に近づいた。

 肩幅に開いた足でしっかりと立ち、こちらも偉そうに腕組みをして目を閉じている。天才的頭脳の持ち主の彼が沈思黙考している姿に、常人ならば声をかけることは躊躇(ためら)われたであろう。だが残念ながらアキラは幼稚園の頃からの付き合いである。こういう時の明実も良く知っていた。

「おい。寝るな」

「ふが?」

 鼻提灯が出る一歩手前で目を開いた明実は、身長差からアキラを見おろした。その瞳は日本人ではありえない程淡い。髪の色だって色鉛筆で書いたような色彩をしているのには、訳があった。

 彼の母親は、欧州はスロバキア出身であった。日本人の父親と、その母親の間に産まれた彼は、いわゆる混血児(ハーフ)というやつなのだ。彼曰く『道産子とスロバキアの混血でチャキチャキの江戸っ子』ということらしい。深く考えてはいけない、一事が万事こういう少年なのである。

 今日はその瞳が、少し血走っているような気がした。

 美少女を前に性的興奮を…、という事ではない。何事にも論理が優先する彼に限って、情欲に思考が支配されるということはありえなかった。

 これというのもアキラの体を女の子にした技術、『施術』とやらに新しい展開があったからだ。まるで肉塊という状態で、ほぼ即死だったはずのアキラの体を『創造物(クリーチャー)』とやらに『再構築』して助けたのが、明実の『施術』という技術である。が、助けてもらってなんだが、アキラは男の子だったはずの体を女の子にされて、非常に不便を感じていた。明美曰く「色々と足りない物」があったらしい。それから研究を重ねること三ヶ月、アキラが怪我をしたりしても、あっという間に治すまでになっていた。このまま『施術』の研究が進展すれば、アキラが男に戻れる可能性は高まるはずである。

(そのために徹夜続きで研究してくれて、さすがオレの幼馴染)とは、単純に喜ぶことはできなかった。

 彼がその研究に夢中になっているのは、幼馴染である自分のためなどではなく、純粋に科学的好奇心が本意なのが丸わかりだからだ。

「来たのか?」

 明実がアキラに問うた。

「いや、まだだけども…」

 アキラは眉を顰めて彼を睨みつける。

「でも、そんなだと、いざという時に逃げることもできないぞ」

「やっぱり、あたしら二人で会った方がよかったかねえ」

 アキラの横にヒカルも並んだ。

 こうして並んで立つと、二人ともほぼ同じ身長である。見上げる面差しはそれぞれ魅力のある物で、知らない者が見れば「両手に花」で羨ましいと思ったかもしれない。

 だが落ち着いて観察すると、二人とも大きな瞳の奥に、青い炎が踊っているような光を宿していた。

 アキラと同じように、ヒカルも「女の子のようなもの」であるからだ。

 ヒカルも『施術』のよって『構築』された体を持っている。だがヒカルの『施術者(マスター)』は、もうこの世にはいない。これからここで会う予定の「クロガラス」と呼ばれる別の『マスター』が差し向けた刺客に倒れたからだ。

 その刺客…、トレーネが次の目標としたのは、よりにもよって明実であった。

 どうやらクロガラスは、この『施術』という技術を独り占めにして、他の研究者が後に続かないようにしていたようだ。不老不死は世界に一人もいれば充分という考えなのだろう。

 クロガラスの刺客であり『クリーチャー』でもあるトレーネとは、四月に対峙した。

 トレーネを、自らの『マスター』の仇と追っていたヒカルとは、それで知り合うことができた。

 幼馴染と自分を守るために、アキラはトレーネの挑戦を受け、ヒカルも加勢してくれた。そして二人がかりで、なんとか倒すことが出来たのだ。

 襲撃を返り討ちにした今は、明実がアキラの体を男に戻せれば一件落着のはずである。アキラは明実の研究が進むのを待つしかない。ヒカルはヒカルで、自らの体を維持するために『施術』が使える明実のそばに残らなければならなかった。

 そんな三人の騒がしくとも楽しい日々。

 事件から二ヶ月後の今日。清隆学園に付属する研究所に、自分の研究室を持っている明実は、授業をサボってそこに籠っていた。

 アキラとヒカルの二人は、いつもの月曜日の朝活を迎えたところ、三人が所属する一年一組の担任が、新しく赴任してきた教師を紹介したのだ。

 紹介されたのは明実と同じくらいに混血していると思われる、背の高い美人であった。黒いパンツルックのレディススーツに濃い目のピンク色をしたシャツをあわせた、いかにも新任教師といったファッションをそつなく着こなしていた。そして何より特徴的なのは、先が床に届きそうな程に長く伸ばした亜麻色をした髪であった。

 切れ長で宝石みたいな碧眼といい、よく通った鼻梁といい、アキラが男の子だった頃ならば、美人教師の赴任を手放しで喜んだかもしれない。

 だが、その妖艶なという形容詞が似合う面差しは、アキラとヒカルが倒したトレーネとよく似ている物だったのである。

「まだ相手が、その…」

 必要なデータ以外は定期的かつ恣意的に脳内から消去していると(うそぶ)く明実が言い淀んだところで、ヒカルが言葉を挟んだ。

「クロガラス」

「そう、そのクロガラスと決まったわけでもあるまい?」

「これを見てもか?」

 アキラはスカートのポケットからシワクチャになった紙片を取り出した。元は手帳の一ページだったと思わせる、罫線が引かれた紙である。それを手早く千切ったのか、一方だけがギザギザになっており、綺麗に二つ折りになっていた名残で、真ん中に筋が残っている。

 そこに几帳面な字で短い文章が万年筆で書かれていた。

「放課後、隣の空き教室に来て。…Black Crow」

 文面だけでは紙面に余裕があるせいかどうか、キスマークまで添えてあった。

 この紙を朝活終了間際に、その新任教師がアキラの机の上に滑らせるように置いて行ったのである。艶っぽいウインクとともに。

 その後、文面を読んだヒカルが、握力が為せる限界に挑戦するかのような勢いで握りしめたので、こんな状態となり今に至っていた。

「新しい『クリーチャー』の可能性は…、ないか」

 自分で言っておいて、すぐに否定する明実。軽く右拳を顎に当てると、思案気に視線を床に落とした。

「二ヶ月の間に新しい『クリーチャー』を『構築』することは、たしかに可能だ」

 独り言を始めた明実は、そこで視線をアキラに移した。

「が、それが必ず荒事に適した個体になるとは限らない」

「役立たずで、ごめんな」

 アキラが機嫌を悪くした声を返しても、明実の独り言は止まらなかった。確かにこの身体になってからというもの、自分が役に立ったという記憶は、少なくともアキラには無かった。目まぐるしく変化する周囲に右往左往するばかりである。

「また複数の『クリーチャー』を抱えていたという考えにも無理がある。他の『マスター』を殺してしまう程、この技術が広まるのを嫌がる人物だ。おそらく他人を信じることは、あまりしないタイプであろう。もし『クリーチャー』同士で結託し、自分に対して反乱を企てたらどうしようかと考えるはずだ」

「じゃあ、アレが新しい『クリーチャー』である可能性は?」

 ヒカルの質問に、やっと相手と会話している事に気が付いた明実は、難しそうな表情を作った。

「低く、そしてクロガラス本人である可能性は高い」

「同じ顔なのは?」

 当然の質問をアキラがすると、ヒカルから目だけ移してこたえてくれる。

「トレーネと遺伝子配列が近しいか、それかまったく別の原因であろう」

「遺伝子配列…。親戚って事か?」

「親子かもしれないし、兄弟かもしれない」

 そこまで説明されて、やっとアキラはわざと明実が遠回りの説明をしていたことに気が付いた。

「例えば兄弟だとして、だ」

 じっと身長差から下より睨みつけるような視線で、ヒカルは明実に問うた。

「やはり復讐のためにやってきたという線が一番濃いか?」

「いや」

 軽く顎を動かすように頭を横に振った明実は、冷酷な声質のままで言った。

「たとえ親兄弟でも、相手を信じないタイプだろうから、その線は薄い。考えられるのは四月の事件と同じで、我々を抹殺して技術の独占か、もしくはまったく逆であろうな」

「ぎゃく?」

 アキラがキョトンと見つめ直すと明実が苦笑のような物を浮かべた。

「それも、すぐにわかるであろう」

 顎に手を当てたままのポーズで、明実は廊下の方を振り向いた。放課後の人気のしない廊下を誰かがやってくる気配がある。

 高校の放課後らしく遠くから聞こえる部活動の騒音。それに紛れることなくヒールのある靴で廊下を歩いて来るカツカツという硬質な音が聞こえてきた。

 生徒ならばゴム底の上履きのはずだろうし、他の教師ならば立っていて楽なスリッパやサンダルのはずだ。こんな校内で、そんなお洒落アイテムを履いている事で、相手が推察できた。

「あたしに任せな」

 ヒカルは右の太腿から巨大な回転式拳銃(リボルバー)を抜いた。銀色に光るそれを、女子高生に見える細腕で握りしめているのは、滑稽ですらあった。しかしアキラは知っていた。その銀色の銃は見た目通りの大威力を秘めている本物だという事を。ライフル弾を改造して作るその弾丸は、一発で暴走した象を止めることができる代物で、大の男ですら右手で一発、左手で一発、合計二発撃ったら腕が痺れて撃てなくなるという冗談がある銃だ。

 ヒカルはそんな銃を、四月には片手で軽々と連射してみせた。

 火薬を減らしているわけでは無い(減薬という)。『クリーチャー』は押しなべて常人では考えられないような膂力を持っているのだ。もちろん同じ『クリーチャー』である今のアキラも、人並外れた怪力を発揮する事ができた。

 慎重に狙っているのだろうか。飾り文字が掘られた銃身を廊下に向けたヒカルは、両手でその巨大な銃を構えた。

 緊張しているのか、咥えたキャンディの柄が天井の方を向いて動かない。そして少しずつ銃口が、扉に向かって移動しているのが見て取れた。

 象の突進を一撃で止める銃である。安普請である高校の壁など難なく貫通して、その向こうにいる相手の肉体にめりこみ、その肉体を破壊することなど簡単であろう。

 もちろん直接撃ち込まれたら、撃たれた人間は血だまりだけを残して、きれいさっぱりこの世から消え去ることになる。

「やめておけ」

 明実が不快そうに口を開いた。

「もし人違いだったら大変だし、そうでなくとも大変になる」

「先手必勝とも言うだろ!」

 ヒカルが血走って来た目を明実へやる。続いた緊張のせいか、それとも沸き上がって来た復讐心のせいか、プルプルと銃口が震え出していた。

「やめておけ」

 珍しく明実が強い口調で繰り返した。

 二人が問答をしている内に、廊下の人物はこの教室の前に辿り着いたらしい。扉を軽くノックする音がした。

 グッと力が入るヒカルの腕に、アキラが手を置いた。

「落ち着けって」

「おまえまで」

 アキラに振り返って驚きの表情を隠さないヒカル。

「トレーネ一匹倒すだけで、どれだけ苦労したか忘れたのか?」

「まあ、そうだが」

 反対の手で頬を掻きながら、アキラは困ったように言った。

「とりあえず校内じゃマズイだろ?」

「まずくない。一発で仕留めてやる」

 そんな物騒なやりとりが室内で行われているのが分からないせいか、再びノックの音がした。

「どうぞ!」

 明実がお腹から出した声で呼び入れる。彼も緊張はしているようだ。

「お邪魔だったかしら?」

 ガラッと扉を開いて入って来たのは、紛れもなく今朝の学活で紹介された新任の女教師であった。

 首だけひょいと入れて、自分に向けられた銃口に気が付いた。

「あ、先生にそんな物を向けちゃいけません」

 明るい調子で窘めるように言いながら室内へと入って来る。

「安心しろ、クロガラス」

 アキラの手を振り切りながら、完全に血走らせた目でヒカルは言った。

「すぐに教師どころか、人間にも見えない何かに変えてやるぜ」

 その物騒な物言いに、クロガラスと呼ばれたことを訂正しないどころか、自分の腰へ両手を当てて恵まれた物を見せつけるように胸を張ってみせる。

 男の明実ほどでは無いが、けっこう長身で、そこから見おろされる視線は不快であった。

「撃てるの?」

「穴だらけにしてやる」

「本当に?」

 上から目線の態度に、ガリッという音がした。おそらくヒカルがキャンディに歯を立てた音であろう。その手に握られた銀色の銃は、今やブレにブレまくって、教室の長さも離れていないのに、銃弾がどこへ飛んで行くか分からないほどだ。

「もう、その大砲を撃つ握力なんて、無いんでしょ?」

「え?」

 クロガラスの言葉に、アキラが心配そうにヒカルを振り返った。

「だったら、その大砲をおろしてくれない? 大事な彼氏に当たっちゃうかもよ」

「ちっ」

 大きく舌打ちしたヒカルは、やっと銀色の銃をおろした。その様子を見て、益々勝ち誇ったような態度となるクロガラス。

「やっぱり、もう無理みたいね」

 安心した態度でクロガラスは空き教室へと入ってきた。

「ど、どういうことだよ」

 アキラが心配してヒカルの顔を覗きこむ。その顔には後悔が浮かび上がっていた。

「気が付かなかったのか?」

 明実が意外そうにアキラへ訊いた。

「気がつくって…」

「ヒカルは徐々に体力を落としてきている」

「な、なんでだよ」

「簡単な事だ」

 明実は二人を半分振り返った姿勢のまま、人差し指を立てて教えてくれた。

「オイラの『生命の水』と、ヒカルの『マスター』が造っていた『生命の水』とは、おそらく成分が少しだけ違うんだ。そのわずかな差によって、ヒカルは『クリーチャー』としての力を失い始めている。ずっとそばにいるから、もう分かっているものばかりと…」

「こいつがそんなに察しが良い方かよ」

 ヒカルが寂しそうに微笑んだ。

「『生命の水』って…」アキラは、明実から定期的に二人へ打たれる注射を思い出した。その時に体内へ注入される液体は、自らが青く輝いているという、とても怪しげな薬であった。

 しかし『クリーチャー』である二人には、寝食と同じくらい重要な物であった。二人の「女の子のような」体を維持するのには必要な液体で、これを切らすと死んでしまうと教えられていた。いわば『施術』によって不老不死を得るための要の薬と言ってよかった。

 その『生命の水』は調合者によって差があるらしい。最近、クロガラスの件とは別に知り合った『クリーチャー』の『再構築』を依頼された明実は、慎重に実験を繰り返して体質が合うか調べていた。それはアキラも知っていた。

「そんな…」

 言われてみれば、最近のヒカルがまともに銃を撃った記憶がなかった。怒り狂って乱射したことはあったが、あれも単純に狙いが定まらなかっただけなのかもしれない。

 他にも二、三気になる事があった。

「それでも、おまえ一人ぐらいは、ぶち殺すぐらいできる」

 両手で持った銃を、今度はヘソの高さで固定する。重心の近くで構えるのは射撃の第一歩だが、春に片手でそれを華麗に撃っていた姿を知っている者からすれば、そんな構え方も無様に見えた。

「まあ、勝負してあげてもいいけど?」

 両手を広げてみせるクロガラス。

「話を聞いた後でも間に合うんじゃない?」

「そうだな」

 二人の間に明実が体を入れた。

「じゃあ、まず…」

 悪戯気に微笑んだクロガラスは、背中を向けた。

「ドアを閉めなきゃね。あまり人に聞かれてもいい話じゃないし」

 余裕たっぷりの仕草で、入って来た扉を閉める。

「ええと、マーガレット? それともクロガラス? どちらで呼べばいいのかいな?」

 その制服の上から白衣を着ているというファッションと同じぐらいに、怪しげな日本語で明実は訊ねた。クロガラスは松山マーガレットという名前で赴任してきたのだ。

「こら」

 笑いながら眉を顰めるという芸当を見せながらクロガラスは振り返った。

「松山先生と呼びなさい」

「…。じゃあ松山先生(センセ)つうことで」

 一瞬だけ間は、さしもの明実も呆れたのかもしれない。

「おそらく知ってはいるとは思うが、いちおうこちらも自己紹介しておくかいの。オイラが世紀の大天才、『道産子とスロバキアの混血でチャキチャキの江戸っ子』の御門明実である」

「ふ~ん」

 ちょっと屈んで下から品定めするような視線を送って来る。

「トレーネはジョニー・デップって言っていたけど、全然じゃない。むしろ若い頃のマシュー・モディーンの方が似ているわね」

「それはどうも」

 どうやら褒められたと取ってよさそうだ。ちょっとだけ肩を竦めた明実は、半分振り返って後ろにいる二人に手を向けた。

「こっちがオイラの実験動(モルモッ)…、幼馴染の海城アキラ。そんでエシェック改め新命(しんめい)ヒカル」

「よろしくね。ボーイズ&ガール」

 ニッコリと妖艶な微笑みを浮かべるクロガラス。その何を考えているか分からない笑みに、アキラはペコリと頭を下げてこたえた。

 それで脳の回線が繋がったわけではないが「おい、いまなんて言いかけた」と、明実に牙を剥いた。

「幻聴であろう」

 明実はどこ吹く風という顔をする。

「で? オイラたちを呼び出して、何の用があるのかな」

「単純な話しよ」

 その微笑みのままクロガラスは腕組みをした。

「休戦の提案と、それと一時的な共闘の提案よ」

「へええ」

 まだ銃を構えたままのヒカルが声を上げる。咥えたキャンディの柄がピコピコと盛んに上下していた。

「それは虫のいい話だ。さんざんコチラを襲っておいてくれて、いまさらかよ」

「まあ、まて」

 明実は手を突き出して、まだ言い足りなそうなヒカルを遮った。

「まずはセンセの提案、その理由を聞いてから判断するでもいいじゃろ」

「賢明な判断ね」

 クロガラスは、もう一度笑顔を作り直した。

「トレーネは、とてつもなく強かった」

 しみじみと述懐するように、明実は遠い目をしてみせた。ちなみに彼自身はトレーネと対峙したことはない。

「そんなトレーネを支配下に置いていたセンセが共闘を提案するなぞ、どんな強大な敵が出てくるのか。我々だけで対応できるとも思えない」

 チラリと一瞬だけ明実はヒカルの銃を見た。

「センセの提案に乗るかどうかはさて置き、詳しい話だけでも聞いておかんとな」

 再びの明実からの視線を受け、ヒカルは舌打ちをしながら銃を右腿のホルスターに戻した。もちろんそんな巨大な拳銃をしまうのであるから、制服のスカートは大きく捲り上げなければならない。

(今日は緑色か…)

「あ?」

 とても凶暴な顔になったヒカルが、反対側のホルスターから黒い自動拳銃(オートマチック)を抜き放った。

 グイグイとアキラの頬へ、横から銃口を押し付ける。

銀色の銃(イノセンス)は無理でも、まだコッチの黒色の銃(ギルティ)は扱えるんだぜ」

「なんで、オレが撃たれなきゃならん」

 小さくバンザイして、抵抗の意思が無いことを示しながら、アキラはヒカルに訊いた。

「人のパンツ見ておいて開き直るたぁ、いい度胸だ」

「おまえが見せたんだろうが」

 こんな下らないやり取りは何度目だろうかと思いながらも、アキラはヒカルに反論した。でないと本当に一〇ミリAUTO弾で、顔の下半分を失くしてしまうからだ。冗談抜きでキレた時のヒカルは撃つのだ。

「ほほう」

 ギリギリと咥えていたキャンディに歯を立てる。それを、我が身を削る音に感じたアキラは、もう少しだけ両手の高さを上げた。

「じゃあ、青木屋の武蔵野日誌でいいか?」

「そんなモンで、あたしが懐柔されるとでも、思ってるのかい?」

「いや、ほら」

 両手で「小さく前へならえ」をするようにして、向こうで並んでいる普段と変わらぬ顔と呆れた顔とを示す。

「待ってくれているようだし」

「ち」

 再びヒカルはスカートを捲り上げると、抜き放っていた黒色の銃をホルスターに収めた。

 そのまま、なにを思ったのか、同じ高さにあるアキラのスカートの裾を摘まむと、ヒョイと中身を確認する。

「なんだ縞模様か」

「な、なにしやがりゅ」

 慌ててスカートを両手で押さえたアキラが飛び退った。真っ赤になった顔でヒカルを睨むと、ヒカルはヘヘンと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「いつも、あたしのを見ているお返しだ」

「見てねーって」

「だいたい縞模様なら、いっそのこと紅白のお目出度い奴にすりゃあ、いいのに」

「ば、ばかにゃことを言うにゃ」



「そろそろいいかしら?」

 二人がじゃれ合っているのに飽きたとばかりに、クロガラスが口を挟んだ。

「まあ、いいんでないかの」

 まるで中年に差し掛かった保護者が、自分の娘たちが可愛くじゃれ合うのを微笑ましく見ていましたという態度の明実。

「ええと、どこまで話したっけ…。ああ、休戦までだったわね。それには、なぜわたしたちが殺し合わなくちゃいけないかを話した方が早いわね」

「『施術』という技術の独占、ではないのか?」

 その言い回しに疑問を抱いたのか、明実が訝し気な表情を浮かべた。

「では、なぜ独占しなければならないか。わかる?」

 まるで授業のようにクロガラスが訊ねる。ここは高校の教室であり、問題を出したのが教師で、答えを考えているのが生徒であるから、あながち間違っている状況とも言えなかった。

「『生命の水』を生産するのに必要な物資には限りがある。よって独占した方が、より長生きできるから、ではないか?」

「残念ながら、ブー」

 まるで幼児のように唇を鳴らしてから、見た目の年齢に似合った微笑みを浮かべる。

「さすがにン十億人全ての救済は無理だとしても、先進国の国民が健康の不安を覚えない程度には供給が可能なはずよ。わたしの試算ではね」

「おや。あんなに希少な成分なのに?」

 言葉は驚いている風だったが、発音はとても平坦であった。

「需要と供給よ。わたしが若い頃は、ガソリンなんて原油から他の物を精製した残りカスとして捨てられていたんだから。いまじゃ、その値段が国家の経済を左右する程の関心事でしょ」

 長い時を生きているらしいクロガラスの若い時って、いつの時代だろうと思いながらも、アキラは黙って二人の会話を聞いていた。

「それもやがて電気自動車に駆逐されるかもしれんか…。たしかに皆が必要と感じたら、量産される可能性も無きにしも非ずだな」

 明実は感心したように腕を組み直した。

「では、なぜセンセは他の『マスター』を殺害してまわっているのだ?」

「あまりに多くなると、見つかるからよ」

 さらっとこたえたので、アキラは相手が何と言ったか理解できなかった。

「見つかる?」

 そこはいつも冷静な明実が聞き逃していなかった。

「誰に見つかるというのだ? マスコミ? いや量産が可能ならマスコミ、ひいては大衆に知られてもまずいという事にはならないか。とすると?」

 機械的に首を横に倒して、顔を曇らせる明実。

「そうね、なんと言ったらいいのか…」

 説明に困った顔になったクロガラスは、言い淀んだ顔を引きずったまま、その単語を口にした。

「あなたたちには馬鹿らしく聞こえるかしら? 神に見つかるのよ」

「かみ?」

 聞いた単語を平仮名で思い浮かべてしまったアキラが、マヌケな声で聞き返した。

「そ、神さま。わかるでしょ。不老不死なんて現実の物になったら、葬式で生計を立ててる坊主どもが困るのよ。だから天国だか地獄だかから、神の使いがやってきて『施術』を使う者を滅ぼすの」

「はあ?」

 アキラの口から素っ頓狂な声が出た。

「かみのつかい? 天使ってこと?」

 その名前を冠した正体不明の輩が、人類を滅ぼすために襲ってくるというアニメを思い出しながら、アキラはクロガラスに訊いた。

「そうまさしく天使と言っていいはずよ。『施術』は生命の約束を壊す物だから、秩序を取り戻すために、天使が派遣されてくるの」

「生命の約束?」

 聞き慣れない単語に、アキラの顔が歪んだ。

「約束事でしょ? どんな生命も、生まれてきて伴侶を見つけ、そして子を成す。親となった生命は、子を育て上げ送り出し、やがて老いて死んでいく。これの繰り返し。あ~…」なにか言おうと口を開きかけたアキラを手で制して「輪廻転生(うまれかわり)とかまでは、ノーコメントで」

 先回りされたアキラは、口を空振りさせた。

「その、自分が決めた約束事に従わないのが気に入らないのか、殺しに来るってわけ。まあ、わたしが一人で細々とやっている分には、見逃してくれているのか、それともただ単純に見つけられないかのどちらかだけど。それがこれだけ増えるとねえ」

「中途半端だからいけねえんじゃないのか」

 面白くなさそうにヒカルが腕を組む。

「いっそのこと皆でやっちまえばいい」

「本当にそう思っているの?」

 陰のある微笑みを浮かべてクロガラスが聞き返した。

「相手は神なのよ。人がみんな『クリーチャー』となったら、地上を滅ぼすんじゃないかしら」

「そんな…」

 アキラの口から意をせず声が出たが、すぐに喉が詰まるような感触がして、言葉が続かなくなった。

「まあ、世界三大宗教には『この世の終わり』がつきものだからな」

 何でもない事のように明実が言った。

「で、だ」

 ペッとキャンディの柄だけを床に吐き捨てながら、ヒカルは改めてクロガラスを睨みつけた。

「自分だけは生き残ろうと、他の『マスター』を殺していたわけか」

「わかるでしょ」

 ニンマリと満面の笑みを浮かべて、クロガラスはその視線を受け止めた。

「神の代理をしていたなんて言うつもりはないわ。あなただって、生きていたいでしょ? そういうことよ」

「で? なぜココにきて方針転換を…、ああ、なるほど」

 明実は自分で質問を言いかけて、その途中で答えに至ったらしい。一人で納得してうなずいていたりする。

「?」

 話しが分からないアキラが、不安げな顔でヒカルを見た。するとクロガラスからやっと視線を外して、ヒカルはアキラに教えてくれた。

「もう手遅れって事だ」

「は?」

 余計に話しがわからなかった。

「ああ、もう。なんでこんなに鈍感(ドン)なのかねえ」

 ヒカルが地団駄を踏んでいると、その様子がおかしかったのか、明実は笑みを浮かべながらヒカルに言った。

「こういうやつだ。だが、こういう奴だから横に居てくれると、うまくいく。ただし前だと邪魔だし、後ろだと何をしでかすか分からずに、うまくいかないが」

「ああ、そうかもしんねえなあ」

 バリバリとガサツに頭を掻いたヒカルは、まだキョトンとしているアキラへ、指鉄砲を向けた。

「もう、その天使とやらが地上にやってきたってことさ。やってくる前なら、あたしらを殺してカメみたいに引っ込んでればいいんだろ。それなのに休戦だの共闘だの言い出しているってことは、そうは行かなくなったってことだ」

「ああ~」

 ポンと手を打ってから、慌てて顔色を悪くする。

「え、じゃあオレたち…」

「こいつと休戦をしなくても、天使とやらに襲われるってことだ」

「え~」

 アキラが仰け反って驚いているのを放っておいて、ヒカルは再びクロガラスの方を向いた。

「こいつの言ってることが本当だったらな」

「先生って呼びなさいって言っているでしょ。なんですかコイツって」

 あくまでも、おどけた姿勢を崩すつもりはないらしい。クロガラスは笑顔のままで怒った振りをした。

「まず質問が二つあるな」

 明実がVサインのように二本の指を立てた。

「質問なら答えましょう」

 それに対して、どこまでも余裕のある態度のクロガラス。

「まず一つ。センセは、どうやって天使がやってくることを知ったのか」

「簡単な事よ」

 ひょいと肩をすくめてクロガラスはこたえた。

「前に襲われたことがあるもの。場所は東京(ココ)じゃなくて倫敦(ロンドン)。一八八八年の夏から秋にかけてのことだったわ。わたし以外にも『施術』を使える人間がいて、誰もが紳士淑女だった。その人間たちは秘密結社を作っていて『施術』を覚えたてだったわたしも、そこで色々と学ぶことができた。おかげでわたしはわたしの『施術』を完成させることが出来た」

「ちょっとまて」

 眉を顰めた明実が手でクロガラスを制した。

「それって…」

「そう、ソレ」

 悪戯が成功した子供のような微笑みでクロガラスは人差し指を振った。

「みんな裏路地で切り裂かれて死んだわ。全部、天使の仕業よ」

「嘘っぽく聞こえるな」

 一刀両断するヒカル。その横で、また話しが分からない顔をしているアキラに、半分だけ振り返った。

「あとで、ピコピコで調べておけよ。今日の宿題だ」

「ピコピコって…」呆れてアキラが言った。

「昭和かよ」

「昭和だが?」

 開き直って睨み返してくるヒカル。

「それでのう」

 二人がまたじゃれ合いを始める前に、明実は声を張って聞き返した。

「オイラの質問は、そういう意味じゃなかったんだが」

「あら、失礼したわね。どういう意味だったの?」

「なぜ今になって、天使が地上に降りてきたことを、センセは知ることになったのか。と言いかえた方が的確かの? 春にはオイラたちを殺すつもりだった。しかし、ここ最近で方針転換したということは、そのきっかけがあったと思うのだが」

「ああ」

 ちょっと睨みつけるような小難しい顔になっていたクロガラスは、明実の質問を最後まで聞き終えると、明るい笑顔を取り戻した。

「それは簡単よ」

 何気ない様子でジャケットの内側へ手を入れるクロガラス。それに反応してスカートの下に吊るしたホルスターへ手をかけるヒカル。

「おっと、撃たないでよ」

 反対の手を小さく挙げて害意の無いことを示しながら、ゆっくりと内ポケットからある物を取り出した。

「? これって?」

 アキラが、優雅さを感じさせるクロガラスの細い指に摘まみだされた物を見て、表情を曇らせた。

「なんだっけ、名前」

「スキー場のミヤゲであろう」

 自分の興味が無い物に対しては、記憶回路をケチる明実らしい説明であった。

「スノードームだろ」

 ピントが来ていない言葉を交わした二人を軽蔑するような目で見るヒカル。

 それはヒカルの言うとおりに、小さなスノードームに見えた。女性の手の平に納まりそうな小さな物で、親指の先程しかない丸太小屋の模型が、雪に埋もれていた。

 その小さな屋根の上で、ピエロを模ったと思われるヤジロベエが、廊下の方を指して踊っていた。

「これは『天使発見器』よ」

「え~」

 あまりの胡散臭さに、アキラは声を上げてしまった。

「天使が地上にいなければ、ピエロは踊らないわ。いまは北を示しているでしょ。だから天使は、ここから見て北にいるはず」

「これはどうやって作ったのかの?」

「作ったのは、わたしではないわ」

 ちょいと右肩だけを竦めたクロガラスが悪びれずに言った。

「仲間が殺されて、ほうほうの体で逃げ出したわたしは、英仏海峡(ドーバー)を渡って瑞西(スイス)まで逃げた。そこで出会った『マスター』から頂いた物よ」

「ふむ。いただいた、ねぇ」

 その語尾が微妙に揺らいだのを聞き逃さなかった明実が、感慨深そうに自分の顎を撫でた。

 その疑うような視線に、またクロガラスは、イタズラッ子のような微笑みを浮かべた。

「で? もう一つの質問は?」

「その前に、天使が実在するという証拠はあるかいの?」

 明実が眉を顰めて訊いた。

「あるわ」

 ちょっと小首を傾げて、天井の方を見たクロガラスは、すぐに自分の考えをまとめたのだろう。視線を明実に戻して言った。

「追いかけてきた天使を、ベルン州はマイリンゲンで倒すことができたの。その時に()いだ天使の生首があるわ。それでどう?」

「なまくび…」

 アキラが絶句して、横のヒカルと視線を交わした。

 ヒカルは肩を竦めただけだ。

「なに? 野蛮な女とでも思った?」

「いや。おまえなら、やりかねねえな」

 クロガラスの質問に、ヒカルがこたえた。

「なによ。日本人だって、ついこの前まで『打ち首獄門』とかやってたくせに」

「さすがに明治から廃止されていたはずだが」

 明実が指摘すると、小さく舌を出したクロガラスは言い返した。

「ワタシ英語の教師ネ。オウ! 日本語ムズカシイネ」

「なぜ片言…」

「なあ」

 呆れて絶句した二人とは別に、アキラがのんびりとした声を出した。

「?」

「そのカカシ。なんだか踊りが激しくなっているような気がしないか?」

 アキラが指差した天使探知機では、ヤジロベエが先程より激しく動いていた。

「まさか?」

 全員の視線が集まった途端に、扉を破壊する勢いで、何かが室内に飛び込んできた。



「あんたら、いい加減にしろよ」

 月曜日の放課後。清隆学園高等部C棟二階にある図書室で、藤原由美子は押し殺した声を、唇の間から吐き出していた。

 ドーンと押し出しが強いように、腕を組んだ仁王立ちという姿である。

「あれ? 姐さん、なにか問題でも?」

 利用者側ではなく、カウンターの内側に陣取っていた人物が、クルリと座っていた事務椅子を回しながら振り返った。

 そこには彼女の天敵が座っていた。

「サトミィ~」

 地獄から聞こえてくる怨嗟のような、腹から出た声で相手の名前を呼ぶ由美子。

「雑談禁止! あんたら、笑い声がデカすぎなンだよ」

 押し殺した声のまま、サトミを中心に集まっている男女数人のグループに詰め寄る。彼らが自称図書室の『常連組』である。デブがいたりヒョロガリがいたりの有象無象の者共は、由美子の乱入に仰け反ったり、距離を置こうと動きを見せていた。しかしサトミだけは平然とそこに座っていた。

「司書室まで聞こえンじゃない」

 肩越しに自分が出て来るまで閉まっていた司書室との境の扉を親指で差す。普通の場所ならまだいいのだろうが、ココは図書室である。そんな大声で話したら、他の利用者に迷惑であることは間違いない。

「いや、そんな大きな話はしてないって」

 立てた手をわざとらしく横に振るサトミ。その横に座っていた銀縁眼鏡をかけた少年が「大きいことを言うようですが、清隆学園で図書委員長と言えば、藤原さんだけでございます」などと、昔の噺家みたいなことを言っていた。

 その彼に、問答無用とばかりにボディブローが叩きこんでおく。

 図書室の平穏を乱す者には容赦なく鉄拳制裁。その態度から、彼女はここでは『拳の魔王』と呼ばれていた。

「あ?」

 斜め下へ拳を振り抜いた体勢から、怖い顔を回して由美子はサトミを睨みつけた。

「だれが何だって?」

 どうやらサトミが口にしていた解説が耳に入ったようだ。

「まま、落ち着いて姐さん」

 いつもの無責任な微笑みのままで、サトミは由美子へ語り掛けた。

「なんか、いつもより機嫌悪いねえ。あ、そろそろだからか」

「何がだよ?」

「姐さんの…」

 それ以上サトミには喋らせずに、拳で黙らせた。

「きゃあああ。さすがサトミくん。王子の体調までちゃんと把握しているのね。ちなみに第一子は女の子の方がいいらしいわよ」

 常連組で数少ない女子の一人が声を上げる。そのまま夢見る瞳で宙を見上げ、両手を組みあわせた姿は、芝居がかりすぎて、もはや故意なのか天然なのか分からないレベルだった。

 そんな態度を普通の少女がやっていても、誰も振り返りもしなかっただろう。が、そこにいるのは存在感が強烈すぎて網膜に焼きつくほどの人物だった。そのためカウンター内の全ての耳目を集めていた。

 瓜実形の顎のラインに、引き締まった唇。精力的な魅力を持つ瞳に、筋の通った鼻。いまは後ろに流しているだけの黒髪は素直で、まるでベールのようでもあった。

 肌の質感は、触れてもいないのに弾力を感じさせ、なおかつ余分な脂肪はどこにも存在していなかった。

 椅子に着いている今は、その恵まれたスタイルを確認する事は難しかったが、そこらへんにある雑誌のモデルどころか、国際的なファッションショーに今からでも出場できる程である。

 そんな一目見れば印象に残る程の美貌を持った少女。彼女は佐々木(ささき)恵美子(えみこ)といって、由美子とはクラスメイトであった。ちなみに学園(裏)投票ではぶっちぎりの一位で『学園のマドンナ』に選出されている。

 彼女が口にした「王子」という単語は、由美子の呼び名である。由来は正確には伝わっていないが、女子の間にあるという噂の、由美子の隠れファンクラブが名付けた物のようだ。

「コイツがストーカー体質なだけだろ」

「またまた~、照れちゃってぇ~」

 椅子の車輪を回転させて近づいて来た恵美子が、由美子の脇をツンツンとつついた。どこで誤解が発生したのか分からないが、恵美子は由美子とサトミがカップル未満の関係で、恋人同士になるまで後少しと考えている節があった。

「あンなあ」

 乱暴な口調で由美子は言い返した。表情がゲッソリと疲れた物に変わっていた。

「コジローも、こんなのと一緒にいると、変態が伝染(うつ)るわよ」

「え?」

 由美子からコジローと呼ばれた恵美子は、あからさまにギョッとした顔でサトミを振り返った。ちなみにその呼び名は、彼女の苗字と、彼女が剣道部のエースである事と、その二つから連想された剣豪に由来する。

「サトミくんの変態って、伝染病なの?」

「はい?」

 こんどはサトミが目を点にした。

「オレのどこが変態なんだ? こんなに清廉潔白眉目秀麗なのに」

「どちらかというと貴様は爆発炎上火気厳禁であろう」

 恵美子の反対側で、黙って目をつぶって座っていた少年が、いま電源が入りましたといった感じで口を開いた。

空楽(うつら)~」

 サトミが困ったような笑顔を彼に向けた。

「で、藤原さんは、なんでそんなにご機嫌斜めであるのだ?」

 サトミを、もう興味が無いとほったらかしにして、空楽と呼ばれた筋肉質の少年が訊ねた。その佇まいは同年代の者たちが若さゆえに見せる浮ついた物ではなく、とてもどっしりとした安定感のある物だった。

 サトミと彼、不破(ふわ)空楽(うつら)そして先程殴られていた銀縁眼鏡の少年、権藤(ごんどう)正美(まさよし)の三人には、誰が呼んだかしらないが『正義の三戦士(サンバカトリオ)』という些か不名誉な呼び名がついていたりした。

「ううう」

 突然、滂沱の涙を流し始めた正美を、一同はギョッとして見た。それほどまでに由美子のパンチが痛かったのであろうか。

「やっと僕もB面シリーズへ正式にエントリーできたよぅ」

「なんの話をしておる?」

 眠たげな表情のまま空楽が訊ねると、間を取り持つようにサトミが無責任な笑顔を差し込んだ。

「まあまあ。正美も色々あったという事で」

「いろいろか?」

 怪訝な表情のままの空楽。

「いろいろ」

 うなずくサトミ。

「バカな事言ってンと、力づくで図書室から追い出すからね」

 由美子が腕組みをしてカウンター内部を睥睨すると、一同は本能で台風襲来を察知した東京尖鼠(トウキョウトガリネズミ)のように首をすくめてみせた。

「おおせのままに」

 代表して、まるで教祖に使える執事のような慇懃無礼さを見せるサトミに、残り香のようにパンチをめり込ませてから、由美子は司書室へと戻った。

「あいてて」

「やはり藤原さんは手加減なしだな」

「いや、手加減されてのうやったら、上半身が失われております」

「くわばらくわばら」

「あれ? カソリックから宗旨替え?」

「仕方ないよ。あれが王子の愛情表現なんだから」

 扉を閉める直前に聞こえてきたアレコレを無視する事にする。四月から顔なじみになった常連組との付き合い方にも、すっかり慣れた由美子であった。ここで陰口を聞きつけて戻ると、さらに一騒動が持ち上がり、結局のところ図書室に静寂とは真反対の物をもたらすことになるのだ。

 閉めたドアにもたれかかりハアと溜息をついた由美子は、気を取り直して真正面に並んでいる閉架の書棚を睨みつけた。

 図書委員会の仕事は、図書室の運営も大事な仕事だが、清隆学園高等部においてはそれだけではない。過去に生徒会で作成された文章の管理も業務に含まれていた。

 それらは大時代的に和紙へ墨痕鮮やかに大書された『生徒憲章』なる物から、細かく各委員会同士が権力争いしないよう業務範囲を定めた文書、さらには他校と交わしたまるで外交文書のような物まで様々であった。

 そして新一年生が加わって各団体が落ち着きをみせた六月。活動を本格的に始めた各委員会からの文書管理の依頼は、軽く三桁に届こうかというところまできていた。

 図書委員会にて副委員長職についた由美子は、そういった依頼も捌かなければならない。本当は委員長がやるべき事案もあったが、なにせ二年生男子の現委員長ときたら、やる気を一片も見せずに仕事は全部ほったらかしであった。その穴埋めは、まだ一年生である由美子が背負うことになってしまっていた。

 司書室の手前側に並べられた事務机、そこに置かれた備品のノートパソコンを軽く弾いて満天の星空を模したスクリーンセーバーから画面を復帰させる。

 データ化された文章は、高等部専用のサーバーを経由して依頼のあった各委員会へ送付すればいいが、そうなっていないものも多い。さらに過去に行った裏取引の証拠だったりすると、これはデータ化するわけもいかず、一年中陽が差さないようにカーテンを閉め切った閉架書庫の奥にある文書棚へと収められているはずだ。

 そしてまた逆もしかり。毎日のように各委員会からデータ化された文章が送付され、怪しげな封筒が、本当にコイツ学園の生徒かと思わせる風体の輩から図書委員会役員宛に届けられる。また重要な調印に立ち会いを求められることだってある。

 そうやってストックされていった重要書類が、その文書棚には収められているのだ。いちおう先代までの図書委員会の役員たちが整理整頓を心掛けてくれたおかげで探した文章が見つからないということは無いが、母数が大きいので大変な作業には違いなかった。

「ええと」

 最低でも今日中に見つけておかなければならない書類を、自ら作成した表で確認した由美子は、メモも取らずに閉架へと踏み入れた。

 閉架自体は司書室の奥に鉄製の棚を並べた、開架書庫と何ら変わらない特徴のない物であるが、その棚に並べられている物の方が、遥かに価値があった。色々な理由で絶版となった本から、生徒が気軽に手にするには無理のある高額な希少本はもちろんのこと、卒業したOBたちが残して行った学内で発行された同人誌の類まであった。さらには噂にすぎないが、入手先が不明の魔術書めいたものまで混じっているという。そのためなのか、本気かどうか分からないが、廊下側の壁に何者かを封印するためとされる魔法陣まで描かれていた。

 神田に持ち込んだだけでも一財産築けそうな奇書の間を抜け、閉架の奥の奥へと辿り着く。ドン詰まりに、これまた鉄製の書類棚が並べてあった。脇には、どこから持ってきたのか分からない、底が抜けそうになっているソファや、背の低い委員のための脚立まで置いてある。

 この鍵がかけられる棚の中には、高等部の歴史が詰まっていた。

 今まで各委員会が繰り広げた権力闘争の名残、その証拠。当時の学生たちの悲喜こもごも。学生運動が活発だったころに大人たちと交わした約束事だって収められていた。

 しかし、今の由美子には感慨のかの字も押し寄せてこない。あるのは業務に対する義務感だけだ。

 とりあえず生徒会長に依頼されていた書類を見つけるために、生徒会関係と銘打たれた引き出しを選択した。ポケットからたくさん鍵がつけられた年代物のキーホルダーを取り出すと、解錠し手をかけた。

「キャハ?」

 その狭い引き出しの中から由美子を見上げる目があった。

「はああああ」

 驚きよりも先に溜息が出た。

 深さがそれほどでもない棚に、赤ん坊のような存在が入り込んでいた。愛くるしい笑顔に、サラサラの金髪。そして背中には小さな羽まで。

 これが今の由美子を悩ましている存在である。

 土曜日の放課後に、天使が孝之の部屋で召喚した眷属のキューピットという存在である。

 天使は六万余りの彼らを呼び出すと言っていたが、部屋に現れたのは目の前にいるこのキューピットを含めて三体だけであった。

「あれ? まだ顕現が成就してないせいで、力がうまく使えないのかな?」

 などと呑気な事を天使は言っていたが、体育館であるまいし、六万ものキューピットが召喚されなくて本当によかった。自分がいつかは普通に死を迎える身だということは分かっているが、その選択に大量のキューピットに押しつぶされての圧死は入っていない。

 翌日の日曜日から、地上の捜査とやらを始めたらしいが、こうして由美子の周囲に現れるばかりで、進展しているとは到底思えない。これではビックリ箱をそこら中に仕掛けられた若手芸人の気分である。よくてイースターエッグだ。

 もちろん、そんな事を四六時中仕掛けられて喜ぶ感性を由美子は持ち合わせていなかった。故のサトミから指摘される程の不機嫌であった。

「ええと、あんたはジョンだっけ?」

 由美子の問いかけに「キャハハ」と無邪気な笑い声を上げるキューピット。

「三柱いるので、右からメイ、ロジャー、ジョンと呼びましょう」などと、召喚した天使がいかにもいい加減に呼び名をつけた。三柱が同じ顔で、同じ布を巻き付け、同じ体格であったが、それぞれが一応特徴を持っていた。

 メイと名付けられたキューピットは、音楽室の肖像画みたいな髪をしていた。肩からは赤い剣をさげて少しは勇ましそうな姿であった。

 二柱に挟まれていたサラサラヘヤーが特徴だったのがロジャーで、由美子の目から見て一番馴染みのあるショートカットのような髪型をしていた。

 今目の前にいる最後のジョンはアフロヘヤーであった。その姿は某コミックバンドのカミナリさまコントのようであった。

「こんなトコに、ええと『マスター』だっけ? 入るわけないでしょ」

「キャハ?」

 由美子の言葉が分かっているのか、少し小首を傾げて見せる。見た目というのは恐ろしい物で、そんなマヌケな捜査をしているジョンですら愛らしく見えてくる。

「もっと他に人がたくさん居るトコの方が…」

 そこまで口にして由美子は慌てて言葉を切った。

 翼があるだけに彼らは空を飛ぶ。まるで鳥のようにとは言わないが、糸の切れた風船のごとく重力のくびきから離れることができる。現にいまもそうやって由美子の顔の高さまで上がり、途中で言葉を切った由美子の顔を不思議そうに覗き込んでいた。

 こんな存在が校内を行き来していたら、大騒ぎになるに違いない。クラスメイトで制服の上から白衣を羽織っている変な奴に至っては、コレを見つけてどうするか断言出来る。捕まえて解剖しようとするだろう。

「もっと姿を消したりして、穏やかに探すことはできないの?」

「キャハ?」

 その一言を聞いてジョンは、空中ででんぐり返りをうって見せた。

 クルンと回って自分の体を見おろす。それから確認するように由美子を見た。

「キャハハ」

 そのまま自信たっぷりに図書室の方へ飛んで行こうとするので、あわててその可愛いつま先を捕まえた。

「なにも変わってないから!」

「キャハ」

 おや、おかしいなと言わんばかりに振り返って見せる。もう一度自分の体を見おろしているので、上から高圧的に告げることにした。

「一般生徒に見られるのは禁止ね。普通の生活をしている、あたしたちの邪魔をしないっていうのがラモ…、ラモエル? あれ? 違うな。ラモ…。ラモなんとかとの約束なんだからね」

 自分の召喚主の名前を正確に思い出せなくとも、由美子が言っている意味は理解したようだ。うんうんとうなずくと、またジョンは空中ででんぐり返りをうってみせた。今度は成功したようで、由美子の視界から彼の存在が見えなくなった。ただ確かにそこにいる証拠に、わずかに翼が羽ばたくパサパサという音と「キャハ」という声だけがした。

 これなら黙っている間は、感づかれることも無いだろう。

「じゃあ、それでいいから。他の人に見つからないように、捜査? してらっしゃい」

「キャハ」

 静かな(はずの)図書室に隣接する人気のない閉架書庫である。ずっと向こうまで羽ばたきの音が聞こえていたが、それもやがて感じなくなった。

「さてと」

 由美子は予定していた書類探しのために、書棚に向き直った。



「あ、いけない。教室に忘れ物しちゃったよ」

「なんだ正美。まさか教科書を持ち帰って予習復習をするのではないだろうな」

「そうだけど? 空楽はやらないの?」

「もちろん、やらん」

「そんな胸を張る事じゃあ…」

「なんだ正美。己をしっかりと持て。さすれば道に迷う事なぞ無いぞ」

「まるで空楽が正道をいっているようだけど、授業の予習復習は大事だからね」

「勉強など、教科書を隅から隅までしっかり読んで、授業をしっかりと聞いていれば問題ない」

「その授業だって空楽は居眠りして…、あれ?」

「どうした正美? そんな肩を回したりして。ただでさえお前は老成しておるのだから、そんな事をしていると、昼下がりに部下であるOLに散々からかわれ、家じゃあ娘に嫌われてスミッコで一人晩酌をする、疲れ果てた中間管理職の五十代男性のようだぞ」

「せめて大人びているとか言い換えてくれよ。なんか、本当に肩が重くて」

「む、見える。見えるぞ正美。貴様の肩に赤ん坊のような存在がのしかかっているのが」

「やめてよ。水子の霊なんて心当たりないんだから」

「む。…まあ、貴様ならそうだな。そんな物がとりつくとしたら…」

「なんか、オレの悪口言っていたでしょ」

「わ。急に現れた」

「バカを申すでない。貴様の悪口なぞ、これから言うところだ」

「ええ~。この純情可憐な乙女を捕まえて、悪口は酷いなあ」

「だから貴様は爆発炎上火気厳禁と申しておるだろう」

「長くなりそうだね。まあ、二人で待っていて。パッと行って取って来るから」

「…」

「で? 正美の肩にとりついている、あの金なら一枚、銀なら五枚みたいな存在は何?」

「さあ」



 ドカンと何かが爆発した勢いで教室の扉が廊下側から開かれた。

 空き教室で密談していたアキラ、ヒカル、明実、そしてクロガラスは、突然の出来事に反応が遅れた。

 そこには、まるで教会のフレスコ画に出てくるような存在が、宙に浮いていた。

「キャハ?」

 赤ん坊のような体に、巻き毛たっぷりの金髪。そして緩く体を覆う白い布。そして特徴的な事に、背中にはとても小さな羽が生えていた。

 その姿は誰が見ても…。

「天使…」

 呆気にとられていたアキラが漏らした単語を耳にした途端、室内にいた二人が動いた。

 ヒカルは左のホルスターから黒い自動拳銃を抜き、クロガラスもジャケットの懐から小さな銀色の自動拳銃を抜いた。

 二人とも一動作で照準をその闖入者へ合わせると、容赦なく引き金を絞った。

「そんな…」

 その行為がもたらした結果を目にして、アキラは愕然とした声を漏らした。

 二人が二発ずつ、合計四発放った銃弾は、その小さな天使には届いていなかった。眉間の正面に九ミリ弾が一発。そして可愛いオヘソが見え隠れする腹部の正面には一発の九ミリ弾と一〇ミリ弾が二発。人の肉体にめり込めば致命的な破壊をもたらす弾丸たちが、まるで上から釣り糸で吊っているかのように、宙で静止していた。いや、ライフリングで与えられた回転エネルギーのままに、そこでドリルのように回っていた。

「バリヤか?」

 明実が呻き声のような物を上げる。銃弾の回転は見るからに減速し、そして耐えきれなくなったとばかりに高度を落とした。

「キャハ?」

 不思議そうに、運動エネルギーを失って床へ落ちていく銃弾を見送る小さな天使。その隙にクロガラスが動いていた。

 室内の空気を肩で切り、間合いを詰めたと思った瞬間に、腰の辺りから抜いた物を振っていた。

 それは護身用の特殊警棒と呼ばれる武器で、振ることによって折り畳まれていた部分が遠心力で展開するようになっていた。

 キンと元に戻らないようにロックがかかる音がすると同時に、大上段からの一撃。

 ドスっと往来ではまず聞かない重々しい音がして、小さな天使の額にジェラルミン製の警棒が食い込んだ。

「ギャハ?」

 さすがに声を濁らせた小さな天使が、殴られた反動で鞠のように床へはねた。

 同じ高さに戻ってくる前に、クロガラスは左手にキープしていた自動拳銃を、小さな天使の顔面に向けて連射した。

「キャハハハ」

 その銃弾が、また全て宙に留まったことを嘲るように声を上げる小さな天使。しかしクロガラスの回し蹴りが横面を捉え、廊下へと蹴り飛ばされた。

 右手に警棒、左手に自動拳銃という勇ましい姿のままで、廊下へ走り出すクロガラス。慌てて黒い拳銃を上に向けた姿勢で、ヒカルがその背中を追った。

 アキラと明実が数テンポ遅れてその後に続く。

 廊下には誰もいなかった。

 放課後なので生徒や教師の姿があってもよさそうだが、誰もいなかった。もちろん蹴り飛ばされた小さな天使もだ。

 慌てて反対側も確認し、それが事実だと分かると、今度は閉まっていた廊下の窓をわざわざ開いて、上空と地上まで確認した。

 やはり、もう小さな天使の姿は無かった。まるで煙のように消えたとしか思えない。それでも慎重に周囲の気配を探りながら、クロガラスがまず懐へ自動拳銃を戻す。それを見てヒカルも黒い拳銃をスカートの下のホルスターへ戻した。

「なんだ。おまえは大げさに言ったが、簡単にやっつけることができたじゃないか」

「そう思う?」

 ヒカルの問い詰めるような声に、悪戯気な微笑みを返しながらクロガラスが聞き返した。

 右手に残された警棒のロックを解除して、三段に伸びていた本体を格納しようとする。しかし余程強く殴ったのか、見るからに反っていて、もう戻すことは出来そうになかった。

「倒しはできていなかったろう」

 明実が腕組みをしてみせる。

「怪しげなバリヤを張って、銃弾を食い止めていたではないか」

「バリヤって…。小学生か?」

「じゃあ、あれはなんだ?」

「わたしは聖障壁(イコノスタシス)って呼んでいるわ」

 まだ襲ってこないか警戒しているのだろう。廊下の隅々へ目を走らせながらクロガラスがこたえた。

「なるほど。確かに見えない障壁といった感じではあったな」

「ふん。バリヤだかイコノスタシスだか知らねえが、倒しちまえば関係ないだろ」

 ヒカルの強気な発言が出るころに、やっとクロガラスは警戒態勢を解いた。

「あれはキューピットと言って、わたしたちを捜す手伝いをする天使の使い魔みたいな物よ。ご本尊は別にいる。それにキューピットは、地上には居ても三時間といった存在だし」

「地上に三時間?」

 アキラが訊ねるように訊くと、曲がった警棒を振り回しながらクロガラスは空き教室へ足を向けた。釣られる様に三人も、もとの空き教室へ戻った。

「ええ。同じ個体かどうかは分からないけど、ご本尊を倒さない限り、いくらでも湧いて出てくるわ」

 ひょいと肩を竦め色気のあるウインクを寄越してくる。その色っぽさに、本来なら男子高校生だったはずのアキラは、頬が暖かくなるのを感じた。

「変な事をするのは止めてもらおうか」

 つまらなそうにヒカルが二人の間に体を入れた。

「あら。かわいい」

 ニッコリと笑ったクロガラスは、空き教室の真ん中で両腕を広げながら振り返った。

「で? 共闘する気にはなった?」

 キューピットに襲い掛かったのと同時に床へ落とした天使探知機を、曲がった警棒と取り換えるように拾い上げ、内部のピエロを覗き込むようにして確認する。

 相変わらずピエロはどこかを指し示しているが、先程までの強い反応ではないようだ。

「あれが、おまえの仕込みじゃねえっていう確証は?」

 まだ疑う声で訊くヒカル。

「あー、そうくるか」

 天使探知機をしまい込んだクロガラスは、懐から再び銀色の自動拳銃を抜いた。さっと緊張するヒカルの前で、反対側の内ポケットから取り出した替えの弾倉(マガジン)と交換を始める。

 こうして落ち着いて見れば、そうとう弄ってある銃と分かる。切り詰めてあるが、かろうじて原型を残しているスライド上部の照準まわりから、S&WのM三九系統の自動拳銃が素になったのだろうと推察が付く程度だ。総ステンレス製での重量を軽減するためか、フルートがスライドへ大きく入り、初弾を送るためのチェッカリングが斜めの平行した溝ではなく、いわゆる魚鱗(スケイル)(タイプ)という凝ったものに掘り直されていた。フレームの下部、トリガーガードの前にはオプションがつけられるように溝が切ってあった。

 銃把(グリップ)は、なんと透明であった。それも強化プラスチックというより、強化ガラスでできているような透明度である。おかげで丸見えのフレームに、これまた残弾確認がしやすいように大きく切り開かれたスケルトンマガジンが収まっているのが、機能的な美しさを醸し出していた。

 マガジンサイズはM三九のままのようで、M五九に採用されたダブルカラムではないようだ。

 クロガラスは、自分の銃に視線が集まっていることに気が付くと、クルリと回してみ(ガンスピンさ)せてから懐へ納めた。

「そうね…」

 話しの続きとばかりに、ちょっと眉を顰めてクロガラスは、面倒くさそうに言った。

「ないわね」

「ほらな」

 クロガラスが銃を手にしたことにより、スカートの上からホルスターをまさぐっていたヒカルが、非難する声を上げた。

「やっぱり、こいつは信用ならねえ」

「まあ、まて」

 明実が二人の間に体を入れた。

「最低限の信用が無いんじゃ、天使の首を見せたって、共闘はしてくれないんでしょ」

「そうだが、まあ待て」

 話しは終わりと切り上げる雰囲気のクロガラスを止める明実。クロガラスは行ってしまおうと、体を三人とは反対側の扉へと向けていた。

「ヒカルはああ言っているが、オイラは次の質問で返ってくる答えで決めたいと思う」

「質問?」

 もう興味が無くなったとばかりの態度に、明実は正体不明の微笑みを向けた。

「二つ質問するとオイラは言って、センセは答えるといったはずだが?」

 再び差し上げられた二本の指に、クロガラスはちょっと寄り目になって考えた。

「確かにそうだったわね」

 足を止めたクロガラスは、腕を組むと明実に向き直った。

「どんな質問? 答えられる事は、もうあまり無いと思うけど」

「残った質問は簡単だ。なぜ、その姿なのだ?」

「は?」

 クロガラスは鳩が豆鉄砲を食ったような顔になった。

「その姿形だ」

 明実はクロガラスを指差して強調した。

「まるで春に襲って来たトレーネそのままではないか。『施術』によって外見などいくらでも変えられるだろうに。なぜ、その姿なんだ?」

「あら、いけない?」

 開き直ったような口調でクロガラスはその場でまた一回転して見せた。長い髪の毛が遅れて宙に舞う。正面に戻って来たところでモデルのようなポーズを決めた。

「自分が美しいと思う姿じゃ」

「美しい? ではトレーネも?」

「そう。長く一緒にいることになるコですもの。自分が見ていたい姿にするのは、あたりまえじゃない? あなたもそうだったんでしょ?」

 クロガラスは目線だけでアキラを指差した。

「アレを『再構築』する時に、特に指定はしておらんが…」

 う~んと天井を振り仰いだ明実は、分析結果を告げるような口調で言った。

「『再構築』の『儀式』中に、オイラの無意識が選択したのかもしれんな」

「それで成功したんだから、いいじゃない」

 微笑みを強くしたクロガラスは、ヒカルを振り返った。

「エシェックも、その姿になったら調子が良くなるんじゃない?」

「お! それは名案…」と言いかけた明実を、殺人光線が出せそうな程の冷たい目で見たヒカルは、鬼も素足で逃げ出すような声を出した。

「そんなことしたら、酷い目に遭わせるぞ」

「ひょ?」

 その迫力に、明実から素っ頓狂な声が出た。論理がいつも優先されている研究者という彼にも、恐怖の感情があったらしい。

「とりあえず二二口径で、股間を潰す」

 ギラリと先程までクロガラスに向けていた物と同じ凶悪な目つきをしてみせる。

「あとアイスピックで…」

「わかったわかった」

 芝居がかった仕草ながら、明実は震えあがった。

(アイスピックでどうするんだろう…)

「おまえは余計な事を考えなくったっていいんだ」

 ボーッとヒカルが言った意味を考えていたアキラにまで矛先が向いて来た。

「いや、余計な事なんて、考えてないぞ」

 慌てて取り繕うが、ヒカルにはお見通しだったようだ。

「おまえはハンダゴテだな」

「まあアキラはいま『女の子のようなもの』だからな」と口を挟んできた明実を、再び睨む。そんな視線にも、もう耐性がついたのか、明実はニヤリと悪人面を作って反射してみせた。

「そうカリカリするな、ヒカルよ」

「するに決まってんだろ。こいつと休戦なんて、ナニ考えてんだ」

「まあまあ」

 明実はヒカルを鎮めようと両手を振った。

「あたしたちだけで…、いや、あたしだけでも、あんなクソ天使なんか潰して、おまえたちを守ってやるよ」

「そうはいうけどもな」

 明実はわざとらしい思案顔を作ると、横目でクロガラスとヒカルを見比べるような態度を取った。

「オイラは、充分ヒカルが強いことを知っておる。苦戦するかもしれんが、天使も倒せるかもしれん。しかしのう。目の前に、同じ敵を持つ者がいる。しかも敵の情報も持っているとなれば、一時の感情を横に置いてもよいではないだろうか」

「おま!」

 カァッと頭に血が上っていく様子が分かった。

 また銃を抜くんじゃないだろうかとアキラは慌ててヒカルの腕を取った。明実はまだ人間のままだから、撃たれたらただでは済まないのだ。

「待てよ」

「待てねえ」

 おそらく腿に巻いたホルスターから銃を乱射したいのであろう、腕の筋肉がピクピクと動いていた。

「おまえも言ってやれ。トレーネを倒すだけで、どれだけ大変だったか。おまえなんか腕を切られてただろ」

「そうだけどもさ」

 アキラは困った顔のまま、そのトレーネに切られた事がある方の手で、頬を掻きながら告げた。

「ヒカルだけが戦わなくてもいいんだぜ」

「おまえまで!」

 火を噴きそうな勢いでヒカルに正面から声を荒げられてしまった。

 それを予想していたアキラは、ムッとした表情を作ると、つまらなそうに言った。

「なんだよ、オレも戦うって言おうとしたのに。オレがそんなに頼りないかよ」

 その言葉を聞いて、ヒカルは目を丸くした。

「戦力は一人でも多い方がいいだろ」

 ここは畳みかけたほうがよかろうと、アキラがさらに言葉を繋げると、ヒカルは怒った顔のままそっぽを向いた。

「足手まといは少ない方がいいんだぜ」

 そう告げた声は、だいぶ落ち着きを取り戻していた。

「ということで、センセとの休戦に、賛成してくれぬか?」

 明実の確認に、鋭い視線を返すヒカル。

「賛成はしねえ。だが休戦する事は認めてやる」

「ああ、あれね」

 クロガラスが茶目っ気たっぷりの声を上げた。

「弾は前からしか飛んでこないとは限らない、ってヤツね」

「おかしな真似しやがったら、前からだって撃つぜ」

 ヒカルは、せめてもの仕返しとばかり、指鉄砲をクロガラスに向けた。



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