7話 亮介は回想する
私の名前は野中亮介。菜摘の夫だ。
あまり偉そうなことは言わないようにしている、40代半ばのいわゆる中年だ。
神奈川の片田舎で、妻と共に賃貸生活を送っている。
金曜日の夜。
夕飯の準備をしながら、うちの奥さんが
「明日の午前中ぐらいに、向こう(異世界)にちょっと行ってくるね」と言いだした。
普通に話しているけど、それって可笑しいよな。
”隣の佐藤さん家に行ってくる“と同じノリで……
私は一ヶ月程前に、庭に建つ小屋で起こった異変を思い出していた。
あれにはほんとビックリしたな。
最初にその異変に気がついたのは私だ。
その日、私は小屋に置いてある道具類の整理をしていた。
作業中、何かのはずみで棚の上から物が下に落ちた。
私は、落ちた物を拾いあげようと、身体を支えるために壁に手をついた……はずだった。
その瞬間、スカッと手がすり抜けてしまい、身体のバランスを崩した私はそのまま倒れこんでしまった。
もう少し正確に言うと、壁の中に半身入ってしまった状態だった。
私は普段から、物事に動じないほうだと自負していたが、この時ばかりはさすがに驚いた。
かなりの間抜け面を晒していたに違いない。
顔はぽっかり空いた壁の向こう側に出ていた。
周囲を見回すと、見える範囲のその先まで空間が続いているように見えた。
私は一旦小屋の方に身体を戻し、しばらくの間、小屋と壁の向こう側を、時間を置いて出たり入ったりして検証した。
どうやら壁に出来た空間は、直ぐに消えるような代物ではなさそうだと結論付けた。
危険も無さそうだと判断した私は、適当な戸板を壁に立てかけ、後日もう少し先に行くことにしてその日は終了した。
妻の菜摘にはあえて黙っていた。
彼女の性格上、言えば必ず会社を休んで、あの先の空間を探検しに行くと言い出すに違いない。
やめておこう。それが一番だ。即断した。
もちろん、後日打ち明けて、驚いた妻の可愛い顔を私が楽しみたいためでもある。
二日目。出勤する妻を見送ってから、私は小屋の先の調査を更に続けた。
用意したロープを腰に巻き、ロープの端は小屋の頑丈そうな柱に巻いた。
念のため、護身用に木の棒と御守り代りに趣味で作ったナイフも携帯した。
小屋に繋がった先は外国ではない異世界だった事がすぐに分かった。
私は自分の頬をつねってみたが、どうやら白昼夢でもないらしい。
全くありえない話だが、たまたま隣の国に繋がってしまった!といわれた方がよっぽど現実味があるのではないだろうか?それにしても異世界かよ!
こほん……私はまた、間抜け面を晒してしまったようだ……。
最終的な出口は森の中の大木だった。
大木の出口から出て後ろを振り向けば、いくつもの巨木群が立ち並ぶ景色が広がっていた。あまりに巨大でどこまで続いているか先は見えない。幹の太さは家が一軒丸々入るぐらいか、それ以上。
西洋のお伽話に出てくる世界樹、ユグドラシルを彷彿させる立派な巨木群だった。
小屋から続く空間と繋がった大木は、毎回霞がかった中に出現する仕組みのようだった。
これなら、よそ者に出口の存在を知られることもないだろう。
それから三、四日かけて私は毎日少しずつ、行動範囲を広げながら探索を続けて行った。
一週間ぐらいの調査だったが、ある程度安心できると判断して、私は週末妻に打ち明けることにした。
菜摘の驚きぶりは私の思った通りだった。あまりの可愛いさにハグしてしまったさ。ふふん。
土曜日に簡単な準備をして、菜摘と連れだって探索に出かけてみた。
その時に、クイーツ村のサマンサさんとは知り合いになったな。
そんなことを思い出しながら、菜摘が言った明日の予定について聞く。
「何しに行くんだ?」
「裏庭に今年野草がたくさん生えたじゃない」
「ああ、あれか! 確かに今年は一杯出たね」
裏庭にわんさか生えている野草の光景を思い浮かべる。
「あれがどうかした?」
菜摘は菜箸を左右に振りながら、野草が売れると聞いた話を説明しだした。
翌日。
二人で朝食を軽く済ませた後、食器類の後片付けをしている妻へ向かって、
「なっちゃん。僕も一緒に行こうか?」
と声をかけた。
予定では、この後野草を収穫してそのまま向こうへ出掛けるとのことだった。
いくら大人といえど、女性が一人で見知らぬ土地、旅慣れていない素人さんが異国に行くようなものだからね。危ないからね。何かあったら困るし。
なっちゃんは、
「大丈夫よ あの村はのどかなとこだし」
と心配いらないと言って断った。
本人がそういうなら、今回はまあいいか。
私は、全部売れたらいいねと菜摘を送り出した。