故郷十
相対して、分かる。―――強い。
ぴたりと向けられた剣先からは異様な重圧を感じる。
だらりと脱力しきった左腕は、一見隙だらけに見えるが、どこから拳が飛んでくるのか分からない。
そして何より、少し半身になって構えた彼の体のどこにも、撃ち込む隙が無いように思える。
ピリッとした緊張があたりを包む。
先ほどよりも多くの兵士たちが集まって見物しているような気がした。
その多くは、興味深そうな視線だったが、中には、好意的ではない視線もある。
これほど多くの視線にさらされて、緊張で固くなるかと思いきや、すうっ、と頭の中が冴えていくのが分かった。
周囲の視線、音など、全く気にならない。それもそうだ。でなければ剣闘士などできなかっただろう。
僕はこれ以上の好奇の視線にさらされ、命がけの闘いをしてきたんだ。そう思うと、不思議と落ち着いた。
対面に立つマシューが少し驚いたように目を見開く。
そこに、誰もが待ち望んだ声がかかる。
「始めえ!!」
そして、闘いの火蓋は切って落とされる。
マシューは警戒しているのか、それとも油断しているのか、アイクの時とは異なり、真っ先に突きかかってくることはしなかった。
こちらの様子をうかがうように、ゆっくりと僕の右手側に動き始めた。
そろそろ、そろそろ、とした足運びは、いつでも斬りかかれるようにとまるで隙が無く、音も、気配すらも消してしまうような滑らかな動きだった。
僕も、剣の届く間合いに踏み込もうと、じりじりと前に進む。
そして、マシューの剣の間合いに入った瞬間、僕は、相手の剣を持つ腕めがけて斬りかかる。
かん!
という乾いた音とともに僕の初撃は弾かれてしまった。
そして、その時を狙っていたかのように、勢いよく引き戻された剣先が、うなりをあげて僕の鼻先めがけて飛び込んできた。
先ほど、アイクとマシューの闘いを見て、マシューの突きがとても速い、と思っていたが、いざ対面してみると、なぜだか分からないが、僕には余裕があった。
普通であれば、遠くから見ていて素早く見える攻撃は、対面して間近で見てみると、もはや目で捉えきることができないほどの速さだったりする。
それでも僕に余裕があるのはどうしてだろう?
答えはすぐに分かった。
この程度の、と言ってしまえば申し訳ないだろうが、雷光のニコライが放つ、神速の突きに比べれば、まるでゆっくりだった。
それでも、速いのは間違いない、だが、ニコライと正面切って闘った僕には、その動き出しも見え見えだったし、直線的な突きの軌道から、どこを狙っているのかも分かってしまった。
だからだろう、突きが放たれる前に、ここに来る!と分かって、避ける準備ができていた。
そして、ぐん!と僕も、思い切り踏み込む。
その突きを掻い潜るように、さらには、身長差から、離れている間合いを潰すために。
そのまま、下方、剣を地面から掬い上げるように、彼の胴体めがけて抜き放つ。
当たった!!
そう思った瞬間、目の前にあったはずの体が消えていた。
なに!?
そう思ったのも束の間、右肩に、ぐん!と重みがかかり、気付けば、僕の右肩を軸に、マシューは空中で一回転しながら、飛び跳ねて避けていた。
すとん、と僕の背後に、背中合わせで着地したマシューから、ぞわり、と肌が粟立つ感覚を覚え、その感覚に従い、必死で盾を左の顔面を守るように構えながら振り向く。
そこに、先ほどアイクが放って見せたような後ろ向きからの回し蹴りが飛んできた。
ガツン!
盾と、足がぶつかる重い音が響く。
「く!」
予期していた。そしてその通りの攻撃が来た。盾で、守ることができた。その上、体を衝撃に備えて硬直させていた。それにもかかわらず、思いのほか強い衝撃に、思わず言葉が漏れてしまった。
しかし、無理な体勢から繰り出した攻撃だったようで、相手も、すぐに追撃はなかった。
くるりと体を戻し、再び僕と相対する。
そして今度は、マシューが攻撃を放ってきた。
先ほど躱して見せた突きを性懲りもなく放ってくる。
やはり、と言うか、いささか直線的で、何より正直すぎるような気がする。
僕は、その突きを、アイクと同じように余裕をもってひょいひょいと躱して見せる。
「くっ!」
今度は相手の口から、言葉が漏れる。
その表情に余裕はなく、どうして攻撃が当たらないのか?と苛立っているようにも見える。
そして当たらない攻撃に業を煮やしたのか、突きと同時に、思い切りよく跳躍してきた。
気が付けば、僕の眼前には相手の膝があった。
―――まずい!
こんな相手とは戦ったことが無い。剣と盾を持って、相手と切り結んだ経験は数え切れないほどある。槍を構えた相手と戦った経験もある。弓ですらある。それでも、こんな風に、己の四肢を武器として、剣と同時に放ってくる相手とは闘ったことなどない。
だからだろう、次の攻撃に対する予測ができずに、反応が遅れてしまう。
それでも何とか、盾を構えて防ぐことができたのは、今までこの十年間、闘いの中にその身を落としてきたからだろうか?
がん!再び、膝が盾を叩く硬質な音が響く。
そしてその攻撃が防がれることなど予期していたのだろう、マシューは、流れるような流麗な動きで、片足立ちのまま、剣を持った右腕を折りたたみ、肘による打撃を繰り出してきた。
その攻撃をもらったらまずい!
直感だった。
だからこそ、必死で盾をくるりと手の内で回し、上から落ちてきた肘の打ち下ろしに合わせて防いで見せる。
まさか防がれるとは思っていなかったのだろう、僕の目の前には、がら空きの胴体がある。
しかし、何分距離が近いために、蹴りも、剣による突きも、斬撃も放つことができない。
にも拘らず、するりと、僕の体がまるでその技を知っていたかのように、自然と肘による打撃を放っていた。
ずん!
狙い過たず、マシューの胴に吸い込まれ、そして、「うっ!」という、うめき声をあげて、マシューは膝から崩れ落ちた。
「止めえ!!」
その声が轟いたのとほとんど同時に、首元にぴたりと剣先を付ける。
「うおおおおおお!!!!!」
「ずげえぞ!!あいつ!!!」
「まさか・・・・!隊長に勝っちまうなんて!!!!」
「いったい何者なんだ!!??」
「まだ成人して間もない子供だろうに・・・!」
歓声が轟く。先ほどにもまして爆発的な歓声が上がり、驚くことに、そこにはもう僕を侮る視線は一切なかった。そして何より、彼らの隊長を倒して見せたというのに、好意的な視線で満ち溢れていた。
僕は思わずぽかんとしてしまった。
「驚いたか?」
後ろから声をかけられ、振り返ると、こちらも清々しく笑っているアベルが立っていた。
「この迷宮の街は、強さこそすべてだ。だから強い人間には、街の誰もが敬意を払う。そして、この街で昔、三十年に一人の天才と言われた息子のアイクとともに旅をした仲間だと言うこともあって、妬ましい気持ちもあったんだろうな。試すようなことをしてすまなかった。許してくれ」
頭を下げられておろおろしてしまう僕に、マシューも声をかけてきた。
「アベル様が謝ることではないです。シリウス、いや、シリウス殿。数々の非礼お許しください」
静かに傅かれて、むしろ余計に慌ててしまう。
「いや・・・、そんな、大丈夫だから・・・、頭をあげてよ・・・」
「父さんもマシューもその辺でいいだろう?」
近づいてきていたアイクの一言で、二人はようやく頭をあげてくれる。ほっとして、アイクのほうを見ると、少し自慢げだ。
隣に立っているフレイアも興奮した様子で、瞳をキラキラと輝かせている。
「すごい!!シリウスって、実は見かけによらず強いんだね!!」
―――え・・・?僕っていったいどんな風に見えるのだろう・・・・?
確かにまだ成長しきっていない子供ではあるが、それでも、少し心外だった。
何とも複雑な笑顔を浮かべる僕にアイクが慰めるように肩に手を置く。
こうして僕らは、今日は迷宮の中に入ることはなく、ただ外から中の様子をうかがっただけでその場を後にした。
そのことにフレイアが随分と不満げで、何度か駄々をこねていたが、アベルが、「また今度アイクとシリウス君を誘っていけばいいだろう?」と言い、渋々納得させた形だ。
もちろんその時に、フレイアに、アイクと僕は絶対に三人で迷宮探索をする、と言うことを約束させられていた。
「でも、迷宮って勝手に入っていいの?何か許可がいるんじゃないの?」
先ほどの物々しい備えを見て、僕は思わず聞いてしまった。
「いや、単に入場税を入り口で払えば誰でも入れる。むしろ推奨しているくらいさ。それに、領主であるこの私がいいと言っているのだから、誰が反対するんだ?」
アベルに笑い含みで言われ、確かに、と納得してしまった。
「入場税っていくらなの?」
「大銅貨三枚だな」
大銅貨三枚と言われてもいまいちピンと来なかった。ぽかんとする僕を見て、アイクが説明してくれる。
「この北大陸は、南の大陸からやってきた通貨をもとに、全く同じ通貨を使用しているんだ。だからどこの国に行っても、お金の価値は変わらない。昔は国によってばらばらだったようだが、そうすると面倒なことがあってな」
何が面倒だったのだろう?気にはなったが、話が逸れそうだったので聞き返さないことにした。
「それで、今では国によってばらつきなく、統一貨幣になっているんだ。もちろん、辺境の村に行くと、貨幣を使わずに、物々交換しているような所もあるがな」
それは知っている。旅の中で初めて知ったことだ。
「通貨は銅貨、大銅貨、銀貨、大銀貨、金貨、そして大金貨に分けられる。銅貨が十枚で大銅貨一枚、銀貨、金貨も同じで、大銅貨が十枚で銀貨一枚と同じ価値になる。もちろん大銀貨十枚で金貨一枚だ」
なんだか難しすぎて混乱してきてしまった。
じゃあ、金貨は銀貨何枚分なのだろう?ぽかんとしたまま指を追って数えているうちに、全くわからなくなってしまった。
そんな僕を、くすくす、と笑いながらフレイアが見ていたので、なんだか気恥ずかしくなって数えるのをやめた。
「そして銅貨一枚をアスと呼び、銀貨一枚をディウス、金貨一枚をティウスと呼んでいる。勿論単純に銅貨、銀貨、金貨、と呼び習わすことのほうが多いが、南の大陸ではそう言った呼ばれ方をしているそうだ」
「じゃあ、大銀貨一枚はなんて言うの?」
「十ディウスだ」
なんだかイメージしづらかったので、僕は背嚢から乾燥したパンを取り出し聞いてみる。
「じゃあ、これはいくらなの?」
「これか?国によってももちろん違うが、帝国では二アス、銅貨二枚だった。この国では銅貨一枚で買える」
「じゃあ、大銅貨三枚って結構なお金になるの?」
頭の中で、大銅貨三枚でパンが何個買えるか考えてみたが、分からなかったので、再び指を追って数えてみたが、途中で分からなくなってしまった。
「大銅貨三枚でパンは十五個買えるな」
それってかなりの金額なのではないか?手に持っている大ぶりなパンをしげしげと見つめるが、かなりの大きさで、一日分の量がある。
「もちろん、そのパンは、一般的に一番安いパンだ。ただ小麦粉を練って焼き固めただけの日持ちする物でしかない。朝食べたパンがあるだろう?」
あの柔らかい白いパンのことだろうか?確かに今まで食べたことが無いほどおいしかった。あれは高いと言われても納得するだろう。
「あれなんかは、もし店で買おうとすれば、帝国では銅貨六枚、この国では銅貨三枚の価値はあるだろう」
そんなに高い物だったとは・・・。結構な量を食べてしまったが大丈夫なのだろうか?
思わず不安そうな表情を浮かべる僕にアイクが笑いかける。
「そんな心配そうな顔をするな。いくら食べても大丈夫さ。話を戻すが、宿に泊まるためにも金が要るが、大体、ウルの街で泊まった宿で、大銅貨三枚と言うところだ。もちろん朝夕の食事つきだったがね」
「と言うことは、一日の大体の生活にかかるお金が入場するだけで掛かるってことなの?」
「そうだな」
―――それって・・・。
「高い、と思うか?」
微妙そうな僕の表情を見てアベルが問いかけてきた。僕は何とも言えなかったが、それでも、素直にうなずく。
そんな僕を見て、楽しそうに笑いだしたアベルは、すぐに悪戯っぽい顔で僕に告げる。
「でもな。迷宮に入って、魔物と闘い、倒した魔物の魔石だったり、もしくは素材だったり、そう言った物は、全部その倒した人間の物になる。中には高い金額で買い取る物もあるから、それこそ一獲千金を夢見て、傭兵が何人も迷宮に挑戦するんだよ」
命がけで闘って、生活できる物なのだろうか?
「よほど実力のない者以外は、きちんと生活はできている。武器や、その他消耗品にかかる金もばかにならないから、余裕を持って生活できる人間は、それこそ力のあるベテランの傭兵に限られてくるがな」
「ふーん・・・。そうなんだ・・・。ところでさ、アイク」
僕は気になったことを聞いてみることにした。




