故郷七
「眠っちゃったね・・・」
私の膝に頭を乗せてすやすやと眠る、シリウス、という兄さんの仲間の方は、涙にぬれた顔をしているが、何ともあどけない表情で安心しきったように眠りについている。
「疲れたのだろう・・・。ここまで無理させてしまったからな・・・」
アイク兄さんが、申し訳なさそうに呟く。
「無理もない・・・。まだ幼いのに、そんなに辛いことばかり経験してしまったのだからな・・・」
父さんが珍しく気づかわし気にのぞき込んでくる。
「気が抜けちゃったのかもね」
カレン義姉さんが囁くように笑いかけてきた。
皆彼のことをひどく心配している。
涙で口元に張り付いた髪をなでながら、掻きあげてあげると、また一粒、その瞑られた瞳から涙が零れ落ちた。
初めて見た時は寡黙な方だと思った。
ひどく疲れ切った顔をしていて、落ち着いていたから、私よりも年上だと思っていた。けれども、今、私の膝の上で安堵したように眠りにつく彼の顔は、年相応のひどく幼いもので、それがまた一層悲しみを誘う。
物心ついたときから奴隷として生きてきた青年・・・。
剣闘士として幼いころから闘いの中に身を置き今まで生き延びてきた。
唯一の家族である兄を己の手で殺し、それでもなお、生き延びて、こうしてアイク兄さんと旅をしてきた青年。
その心中を察することなど誰ができるだろう?
彼の境遇を理解できる者などどこにもいないだろう・・・。
私が感じているこの気持ちは、ただの一方的な同情心だろう。哀れみだろう。
もしかしたら迷惑に思われるかもしれない。
それでも、私はもっと、知りたいと思った。
この、弱くて、そしてどこまでも強い青年のことを、もっと、もっと知りたいと思った。
「それで?彼はこの後、どうするのだ?」
父さんがさも当然といったようにアイク兄さんに尋ねる。
「どうするのか・・・か・・・」
その、少し迷ったような相槌に思わず、どきりとしてしまう。
「この街に住むのか?それともどこか別の街に行ってしまうのか?」
彼はアイク兄さんの仲間だと言う。その上、故郷はもうすでに無くなってしまい、唯一の肉親も亡くなってしまっている。だとすれば、このままこの街に居続けてくれるのではないだろうか?
そう思うのは、私の安易な考えなのだろうか?
問われたアイク兄さんは、ゆっくりと考えている。
「分からない・・・。シリウスが何をしたいのか・・・。何を目的とするのか・・・。しっかりと話したこともないし、聞いたこともなかったな・・・」
真摯な表情でシリウスを見つめるアイク兄さんの表情は、わずかに申し訳なさが垣間見える。
「そうか・・・。だが、もしよければ、この街に住んでもらいたいな」
父さんの言葉になぜだか私は強くうなずいていた。
「話を聞く限りでは相当強いのだろう?だとすれば、是非ともこの街に居続けてほしいところだ・・・」
この迷宮の街ガルガロスでは力が全てだ。領主はもちろん、街の人々ですら、幼いころから戦闘訓練を受ける者が少なくない。
それはひとえに“迷宮のせい”なのだが、それでも力を持った強い人間は歓迎される。
「ああ・・・。強い。だが、もしかしたら旅をするかもしれない・・・。それが、亡くなった兄と交わした最後の約束、だそうだからな・・・」
沈鬱な表情で語るアイク兄さんの言葉に思わず父さんも何も言えずに言葉に詰まったようだ。
「まあ・・・。そうか・・・。無理強いはできないからな・・・・。ところでアイク、お前はこれからどうするのだ・・・・?」
何の気なしに問いかけた父さんの言葉に、アイク兄さんが、俯きながら返す。
「どうしようかな・・・・。まだ、話していないこと、話さなければならないことがある。そして、俺がどうするか、どうしたいか、ずうっと考えてきたけれど、まだ心の整理ができていないんだ・・・・」
「え!?」
思わずと言ったように私とカレン義姉さんが見返してしまった。
父さんは言葉もないようで、驚きに目を見開き、まじまじと兄さんを見つめている。
「もしかしたら・・・・。俺も旅に出るかもしれない・・・・」
その答えは、更けていく夜の帳の中で、一番の影となって皆の心の中にのしかかっていく。
***
朝起きたら、見慣れない天井にぽかんとしてしまう。今まで、見上げれば霧に煙る曇天を見上げていたのに、一体何が起こったのだろう・・・?と寝ぼけた頭でぼんやりと考える。
しばらくぼんやりと考えていたが、横たえた体に感じるふわふわした感触にそのまま、ついうとうとと、しばらく微睡んでしまう。
―――起きたくないなあ・・・・。
身体が起き上がることを拒んでいる様で、自然と瞼が落ちる。
くるりと寝返りを打って、横向きに寝そべると、閉じた瞼の裏に赤々と燃えるような太陽の光が差し込んできて、思わず、額にしわを寄せながらゆっくりと目を開ける。
そこには、やはり見慣れない石壁と、大きめの窓がある。
―――どこだろう・・・・?
ぼんやりと朝日に照らされた室内を何とはなしに眺めていて、ようやく思い出した。
思い出した瞬間、頭もどんどん覚めてきて、思わずガバリ、と跳ね起きた。
「ようやく起きたわね?」
ふいに入り口から声をかけられびくりと振り向くと、そこにはフレイアがいた。
「朝食ができたから起こしに来たんだけれど、随分気持ちよさそうに眠っているから、起こすのが申し訳なくって・・・・」
にこにこと笑いながら話しかけてくる彼女に、僕は思わず、かあっ、と頬が熱くなるのを感じた。
―――寝顔を見られていたのか・・・。
人の気配を全く感じないほど寝入ってしまったのだとか、そんなことに考えが行く前に、昨日初めて会った人の家で、安堵の気持ちか、旅の疲れか、前後不覚で眠りこけてしまったことがなぜだかとても恥ずかしかった。
ましてや、僕は昨夜のことをおぼろげにしか覚えていない。
―――ええと、確か、リックの最期を話していたら泣いちゃって・・・・、そのまま・・・?
顔を赤らめたままぼうっとしている僕にフレイアが何かを感じ取ったのか、説明してくれた。
「よっぽど疲れていたのね?昨夜は泣き止んだ後、糸が切れるように突然眠っちゃったから・・・。アイク兄さんがこの客室に運んでくれたのよ?」
―――やっぱりか・・・。
突然、昨夜あんなにも泣いてしまったことがひどく子供っぽいことに思えてきてしまった。
しかし、そんな僕の様子にお構いなく、フレイアは、「起きたなら早く来ないと朝食食べ逃すわよ?」と笑いかけてくる。
僕は促されるまま、体を起こし、フレイアの後を追って、昨日と同じ居室に向かった。
そこにはすでに皆がそろっていて、「おはよう!」と口々に声をかけてきてくれた。
誰も昨夜の僕の無作法を咎める者はいない。
そのことがうれしい反面、どうしても少し気恥しい。
卓の上にはふんわりと柔らかい白いパンに、生野菜と果物の盛り合わせ、そして薄切りの肉と、黄色く白っぽい何か分からない塊が置いてあった。
その塊は、そこそこ大きく、僕の拳ほどの大きさがあった。
「これは何?」
それを指さして、聞いてみると、エダが小刀で薄く切り分けながら説明してくれた。
「これはチーズと言う物ですよ。動物の乳を固めて熟成させたものなんですよ、ご存じないですか?」
熟成、と言う物がどういった物か分からなかったが、とりあえず初めて見る食べ物だ。
「初めて見ます・・・」
僕の目の前に置かれた皿の上にもチーズと肉が盛り付けられ、さらに皆はそこに野菜を取っていく。
僕も、野菜をとりわけ、見よう見まねでふわふわと柔らかいパンと一緒に食べる。
―――おいしい!
野菜はしゃきしゃきと歯ごたえがあり新鮮。瑞々しく、味がしっかりしている。
薄切りの肉は、アイクが作ってくれる干し肉のように香辛料の味付けが効いていて、何より柔らかい。
パンはふわふわで、食べやすく、スープに浸す必要もない。
何より驚いたのがチーズだ!
恐る恐る口に入れると、濃厚な味わいと、色味からは想像もできない意外としっかりした塩辛い味付けにびっくりする。
鼻から抜ける香りが素晴らしく芳醇だった。
そしてこの肉と、パンにとても合う!
いくらでも食べられる、とでもいうように急いで食べていると、皆がくすくすと笑っているのに気が付き、思わず見上げると、皆、僕を見て楽しそうに笑っている。
そこでようやく気が付いた。
器用にフォークやナイフを使って食べている中で、僕だけ手づかみで豪快に食べていたのだ。
恥ずかしさにうつむきながら、手に持っていたパンと肉とチーズを置くと、アイクが口を開く。
「俺も駄目だ!こんなちまちまと食べていたんじゃ食べた気がしない!」
言うや否や、手にしていたフォークとナイフを置いて、僕がやったように手づかみで食事を食べ始めた。
そして、なんとそれに習うように、他の皆も、「今日ばかりはいいだろう!」「そうね!こういうのもたまにはいいかもしれないわね!」と口々にフォークとナイフを置き手づかみで食べ始めた。
嬉しかった。とても。僕が気を使わないように、同じようにふるまってくれているのだ。しかし、嬉しい反面情けなかった。皆に気を使わせてしまった僕自身が。そして、何も知らずに育ってきてしまった僕自身が・・・・。
できればこの世界のこと、そして、いろいろなことを、学びたい、と言う意欲が、この時、はっきりと僕の中で大きくなっていく。




