故郷四
「着いたぞ」
アベルの言葉に、僕は、想定外すぎてむしろ驚いてしまった。
見上げるほど高い城のような堅牢な建物。
ピカピカに磨き上げられた純白の外観。
周囲を守るようにぐるりと四方を固められた立派な外壁。
羽虫一匹、鼠一匹の侵入も許さない気密性の高い造り。
そして何より、物々しい装備に身を固めたたくさんの護衛の兵士。
そういったものを想像していた僕にはとても驚きだった。
目の前にあるのは、小さな屋敷だった。
普通の平民の家から比べると、確かに大きい。
庭も広く、広々とした空間がある。
それでも、今まで遠目に見てきた貴族の館、領主の館、と言う物と比較すると、一段も、二段も、いや、三段以上落ちると思う。
二階建ての屋敷は、周囲の家々と比べて、一回り、二回り程度の大きさしかない。広々とした庭も、きれいに刈り込まれた芝生と、踏み固められた土しかなく、色とりどりの花々や、その権勢を示すような立派な樹木は全くない。
何より、周囲をぐるりと囲む外壁は、木でできた塀でしかなく、確かに分厚い物であったが、それでも多数の外敵に襲撃を受ければひとたまりもないだろう。
大人の背丈以上の高さの塀は、ただ、周囲から中の建物を隠す意図しかないように見える。
そして館をぐるりと警護する兵士は一人もおらず、庭を掃き清めていた年嵩の男性が一人、こちらに気づくと駆け寄ってきた。
「ご領主様!!お戻りになられましたか!!今街から数人の男たちが駆けてきて、アイク様が戻られたと、そのような戯言を言って去って行かれましたが・・・・」
けしからんと怒りをあらわに、口を尖らせアベルに報告する男は、ふとアベルの後ろに立つアイクの姿を見て、ぴたりと動きを止めた。
見つめることしばし、わなわなと震え出し、しまいには手に抱えていた箒を投げ出して、ゆっくりと近づいていく。
「おお・・・!?これは・・・・、まさか夢でありますか・・・・?もし私の眼が狂っていなければ・・・・アイク様・・・・ではありませんか・・・?」
ゆっくりとアイクに歩み寄った彼は、両手を差し伸べ、アイクの手を握りしめる。
それがまるで現実であることを確かめるように、震える両手で強く胸元に抱きしめ、祈るように握りしめる。
「ただいまマルト」
「おお・・・!!こんなにもご立派に成長されて・・・・!!お帰りなさいませ!!アイク様!!・・・そして、我が息子を戦場より帰還させていただき、誠にありがとうございました!!」
目に涙を浮かべ、泣き出してしまったマルトを何とか宥め、僕らはアベルに勧められるままに門をくぐる。
そこには建物の入り口に二人の女性が立っていた。
一人は、僕とそれほど年齢が変わらないのではないかと思う女性だった。
少し吊り上がった大きな目元、形のいい眉毛と、そしてほっそりとした顎先、何より、大きな口元が、どこかアイクに似ている。
すらりと伸びた手足、そして引き締まった体つきが、彼女がただの女性ではなく、鍛え上げられていることが窺える。
動きやすそうな服装に、肩口までの明るい茶髪を、後ろで一本にまとめ、顔に髪がかからないようにしている。
それがなお、活発で勝気な印象を与える。
隣に立つ女性はそれよりもなお女性らしさに満ちた女性だった。
背丈はそれほど大きくなく、体つきも女性らしい柔らかさがあったが、何より、少し垂れさがった目元と、すらりと伸びた鼻筋、ふっくらと膨らんだ口元と、少しふくよかな頬が、何より優し気な雰囲気を漂わせている。
背中まで伸びたつややかな黒髪を垂らし、ゆっくりと僕らを、いや、アイクを見て目尻に涙を溜めながら微笑む彼女にアイクが驚きで硬直する。
「カレン・・・・。そうではないか、と思っていたが、どうしてここに・・・?」
「アイク様・・・!私、アイク様をずうっと信じておりました。アイク様は絶対に生きている。必ずまたお帰りになる。そう思っていましたので、つい数年前から勝手ではありますが、父と、そしてアベル様の了承を得て、ガルガロス家に厄介になっておりました」
胸に手を当てたままそう告げると、もはやいてもたってもいられなくなったのだろう、ぱっと飛び出すとアイクに思い切り抱き着いた。
そしてそのまま、胸に顔をうずめたまま声をあげて泣き出してしまった。
「カレン・・・!ありがとう・・・!お前に会いたかった・・・!ただいま!!」
その言葉にはどれだけの思いが込められていたのか、僕には分からない。
それでも、アイクは、カレン、と言う女性を胸に抱き、ゆっくりと泣き出した。
声も出さずに泣き出す二人を温かいまなざしで見つめたまま、周囲に佇む僕らもひっそりと涙ぐむ。
そこに更に、もう一人の女性がゆっくりと近づいてきた。
「兄さん・・・!お帰りなさい・・・!」
「フレイア・・・。ありがとう!ただいま!」
しばらくすると、アイクを囲んで泣き続ける彼女らが落ち着いてきたので、アイクは僕を紹介する。
「カレン、フレイア、紹介する。こいつはシリウス。俺の仲間だ」
カレンと呼ばれた女性が手を差し伸べてくる。
「シリウス様、私カレンと申します。アイク様とは幼いころからの幼馴染で、恋人です」
僕は差し出された手を握り返そうとしたが、驚きでぴたりと止まる。
「え!?そうなの!?」
思わずアイクのほうを見やれば、少し気恥しそうに頬を掻いている。
「まあ・・・・、その・・・・、なんだ・・・」
もにょもにょと口元を動かすアイクに、カレンはびっくりしたように振り仰ぐ。
「え!?違うの?アイ君!?私たちって恋人同士じゃなかったの!?」
話し方ががらりと変わってしまった。
―――それに、アイ君って・・・・!
噴き出しそうになりながらもこらえていると、普段であればすぐににらんでくるはずのアイクがたじたじとなっている。
「いや、ちゃんと言葉にしたことはないと言うか・・・・。いや、俺も好きだったけれども・・・・」
どんどんと声が小さくなっていく。最後のほうは何を言っているのか全く分からなかった。
「そんな・・・!?アイ君・・・!?」
瞳を潤ませ、近づくカレンの様子に、なんだか気の毒に思えてきて僕は、いや、僕らはじいっとアイクを見つめる。
「なんだよ父さん、マルト、その眼は」
「いや、アイク、彼女がいったいどんな思いでこの十年間お前を待っていたと思うんだ」
「そうですよ、アイク様、もしかしてカレン様のことをお好きではないのですか?」
ふいと逸らされた目が僕とぶつかる。
「シリウスまでそんな目で・・・」
「アイク、僕にはよくわからないけれど、ちょっと気の毒だよ」
おろおろするアイクの肩に、ぽんと手が置かれた。
「フレイア、お前は、俺の味方か・・・?」
満面の笑みでフレイアが答える。
「兄さん。カレンさんのこと幸せにしてあげてね」
どうやらアイクを助けてくれる人はいなかったようだ。
それでようやく覚悟を決めたようで、カレンを抱きしめる。
「分かった!!もう分かった!!カレン!!これから俺と一緒に生きてくれ!!」
抱きしめられたカレンは潤んだ瞳でアイクを見上げ、熱に浮かされたように、「はい!!」と力強くうなずく。
「私、アイ君の奥さんとして、これから一生懸命頑張ります!!」
しかし、その後の一言で、アイクの顔が見開かれる。
「ええ!?」
思わずと言ったようにアイクの口から漏れ出た間の抜けた驚きの言葉に、逆に僕が驚いてしまう。
―――え?そういうことじゃないの?
僕は思わず、アイクを見返してしまったが、僕らの周りにいた人たちはまるでそれが無かったかのように拍手を送る。
「いやーー!アイク、ようやくお前も身を固めたか・・・」
「ほっほ・・・。まさかご帰還されたその日にカレン様を奥様として娶るとは・・・。若いですなあ・・・」
しみじみとつぶやくアベルと、マルトにアイクは「いや、父さん、マルト、これは・・・・」と慌てたように訂正しようとするが、アイクが何かを言う前に、二人は屋敷に向かって歩いて行ってしまった。
「マルトよ!今日は本当にめでたいな!ところでエダはどうした?」
「本当におめでたい事でございますなあご領主様。我が妻は今、夕食の準備をいたしております。最近特に夜の冷え込みが厳しいですので、今晩はシチューにすると言っておりました」
「そうか!!それは楽しみだなあ」
笑いあいながら屋敷に入って行ってしまった二人の後を追おうかどうか迷っていると、すっと白く、そして綺麗な手が差し伸べられた。
「私はフレイア。よろしく。アイクの、妹です」
「あ、うん、ええっと、よろしく・・・・お願いします」
思わず反射的に握り返して、そのまま僕は固まってしまう。
「普通でいいわよ」
「ええっと、うん、分かった」
正直ほっとした。貴族が使うきれいな言葉など、僕には全くわからなかったからだ。
いや、それよりも、これでいいのか?と思い、アイクを見つめる僕にフレイアは囁くように教えてくれた。
「ああ。兄さんとカレンさんはあのままでいいわよ。どうにも昔からあんな風で、周りで見ていた人たちがやきもきしていたくらいだから」
よく見るとカレンはひどく幸せそうにアイクに抱き着いている。
絶対に離さないと決めたかのようにきつく抱きしめられたアイクは、まるでどうにかしてくれ、と懇願するかのように僕とフレイアのほうを見る。
―――何か言わなきゃ・・・。
思わずそんなことを思ってしまった僕の腕をぐいと掴まれた。
フレイアだ。すでにその体は屋敷のほうを向いており、思いのほか強い力でぐいぐいと引っ張られる。
「え?あの・・・、ちょっと・・・」
「いいから!いいから!」
言われるがまま、引かれるがまま僕はそのまま屋敷に連れていかれる。
戦場で信頼していた味方に裏切られた兵士のような、得も言われぬ表情を浮かべたアイクをその場に残したまま・・・。




