故郷二
まるでその光景を誇るように、アベルがくるりと僕らに体を向けた。
「なあ、本当に母さんは怒ってないかな?」
しかし、その顔に威厳などなく。ただただ不安そうな表情を浮かべるのみである。
アイクは呆れたようにため息をつく。
「はあ・・・。大丈夫だから!何も問題ない!!」
「お前はそう言うが、わざわざあそこまで行って、墓前に何も報告することなく、あまつさえ忘れてしまったのだぞ!!今からでも戻ったほうが・・・・」
「父さん!!もう山を下りたのだし、母さんも、今更戻ったところで何も思わんだろう!」
「今更戻ったところで!?ああ・・・、やっぱり母さん怒るかな・・・・?」
急に怯えたようにたじたじとし始めたアベルに思わず僕は聞いてしまった。
「もしかして・・・、怖い人だったの?」
その言葉を聞いた瞬間、アベルがくわっ、と目を見開き、ものすごい剣幕でまくしたててくる。
「はあ!?怖くないし!!めちゃくちゃ優しかったし!!なんならすごい愛し合っていたし!!?怖いなんて・・・・、そんなわけないじゃん!!?」
僕は思わず、後ずさってしまう。それでも、アイクは微動だにしない。
「父さん、言葉遣いが悪いぞ」
「は!?しまった、私としたことが・・・。おほん!すまないシリウス君。少し取り乱してしまったようだ・・・」
アイクに指摘され、途端に普段の落ち着きを取り戻したアベルにそれでもなお、僕は少しびくびくと怯えてしまう。
「まあ、ちょっと、父さんはたまに怒られていたよな?」
「う・・・・む・・・。まあ、誰しも得手不得手はある。それでも、母さんは声を荒げて怒るような人ではなかったぞ!!断じてな!!」
ずい、と身を乗り出して主張してくるが、その真剣な表情が何せ怖い。それでも、何も事情が分からない僕が口を挟む話ではなかったと少し後悔する。
「そうだよね・・・。ごめんなさい・・・」
僕は思わず頭を下げる。するとアベルは少し慌てたようで、頭を下げた僕を手で制すると、重々しく口を開く。
「いや、なに、少し・・・、私も取り乱してしまった・・・。すまん」
そして、話題を変えるように明るい口調に戻すと、僕に問いかけてきた。
「時にシリウス君はどう思う?」
「何が・・・?」
突然すぎて何を言われたのか全く分からなかった。僕はきょとんとして聞き返す。
「いや、あそこまで行っておきながら、墓前に顔も出さずに帰ってしまう私に対して、母さんは怒るだろうか?」
―――いや、分からないよ。
それが正直な僕の感想だった。何せ、非常に申し訳ないが、アイクの母親に僕は会ったことが無い。その上、話も聞いたことが無い。何と答えればいいのか迷っていると、その僕の複雑な表情をなんととらえたのか、再びアベルは頭を抱えだしてしまった。
「ほら!!ほうら!!初対面の方ですらそんな複雑な表情をするのに・・・・。ああ、これは亡くなった母さんに、あの世でこっぴどく怒られてしまう・・・・」
―――やっぱり怖いんじゃ・・・。
思わず出かかった言葉を飲み込んで、何かを言わなければと必死に言葉を探したが、なにもかける言葉が見つからない。
しどろもどろする僕の横でアイクが、ぽんとアベルの肩に手を置いた。
「もういい加減にしてくれ。すでに手遅れなのだから、いいだろう?早く帰りたい」
その表情はひどく面倒くさそうだった。
そう言われ、アベルはようやく立ち上がると、「うむ・・・・」と一言だけつぶやき、ようやく歩き始めた。
その足取りは今まで以上に重く、よろよろとしていたが、それでも何とか先に進む。
先を進むアベルには、もう何を聞いてもまともな答えなど返ってこないだろう、先ほどからぶつぶつと何かをつぶやいているばかりで、僕らのほうを見向きもしない。
だから、僕は、横を歩くアイクに尋ねた。
「ねえ、アイク、この見渡す限り一面の黄金色の草はいったい何なの?」
「うん?ああ、これか・・・。これは麦だな」
「麦・・・?」
小首をかしげた僕に、アイクは説明する。
「ああ、これは麦と言ってな、この麦からパンができるんだ」
「ええ!?こんなものからあのパンができるの!?」
僕は思わず背嚢から片手の手のひらに収まるサイズの、乾燥してカチカチに固めたパンを取り出し、見比べる。
「だって!!これ見てよ、アイク!!こんな大きさのパンが、どうやったらあの細長い草から取れるの!!??あ!!まさか・・・・地面に埋まっているの・・・・?」
恐る恐るのぞき込んだ草下には、ひょろりと頼りない茎が出ているだけで、その下にパンがあるようには思われない。
「いや、そうではない・・・」
アイクが必死で笑いを抑えながら否定する。
「でも、じゃあ、どこからこのパンが出てくるの?」
「いいか、あの草の一番上の部分。揺れている穂があるだろう?」
「ほ・・・?」
「上を見てみろ、細長い先端の部分に小さな粒がいくつも実っているだろう?」
よくよく見てみれば、言われた通り小さな粒がいくつもぶつぶつと付いている。そしてその先に、まるで虫のように、細い線のような、毛のような物が何本も飛び出ている。
「うん」
「あの小さな粒々を一つ一つ取り出して、潰して粉にするんだ。そうして水と混ぜて練った物がパンになるんだ」
「取り出して・・・・。粉にする・・・・」
それはとても気の遠くなりそうな作業に思えた。
単純にあの小さな粒がいくつあったら僕が今手に持っているパンが一つ出来上がるんだろう?果てしない作業の末に、このパンがあるのかと思うと、今まで味気なく食べていたパンがとても貴重なものに思えてきた。
「ところでさ」
僕はできるだけ声を低めて、アベルに聞こえないようにする。
「どうした?」
「アイクのお母さんは、怖い人だったの?」
問われたアイクはきょとんとした顔をしたが、すぐに笑いだした。
「いいや?とても優しい人だったよ。いつもにこにこと笑っている人で、怒っているところなんて一度も見たことが無い」
「じゃあ、なんで・・・?」
「母さんが亡くなったのは俺が成人する少し前のことだったが、一度だけ、父さんが夜遅くまで友人と酒を飲み明かして、大声で騒ぎながら帰ってきた時の話だ・・・」
アイクも声を潜める。思わず僕はごくりとつばを飲み込んだ。
「にこにこ笑ったままの母さんに井戸端に連れていかれて、盥一杯に入った水の中に頭を思いきり突っ込まれて・・・、何度も・・・、何度も・・・」
背筋を冷たい物が走り抜け、身震いしてしまう。
「父さんのほうが力も強く、母さんはとても病弱で、体の弱い人だったのに、不思議だったなあ・・・」
懐かしい思い出だったのか、ぼんやりと宙を見つめ話すアイクは、どこか嬉しそうだった。
ぽつぽつと人がまばらに見えてきた。
皆、先頭を歩くアベルに挨拶をし、頭を下げている。
それに向かってアベルが鷹揚に手をあげ、応じている。
ようやく気付いたが、もしかしたらアベルはこの街でも身分の高い、偉い人なのではないか?と思うと、少し堅苦しい話し方もうなずける。
どんどんと街の中心に向かって歩いていく。
それに伴って、よく人と行き会うようになってきた。
そうして挨拶を交わし合っているうちに、街を守っていた衛士たちが近づいてきた。
「アベル様!その後ろにいる者たちはいったいどういった方々でありますか?」
驚いた。衛士の物腰がひどく丁寧なものであったからだ。
街の人々も遠巻きにそのやり取りを眺めているのがひしひしと伝わる。
「ああ。息子がようやく帰ってきた」
自慢げに語るアベルにひどく戸惑った様子の衛士たちが口を開く。
「はあ・・・」
後ろのほうからひそひそと話し声が聞こえてきた。
「アトラス様か・・・?」
「いや、アトラス様は今、王都におられるだろう?」
「ああ、それにアトラス様があんな浮浪者のような格好で伴の者も連れずに帰るわけがない・・・」
「それにどちらもアトラス様ではないだろう・・・?」
「ああ、そうだな・・・」
「では、一体どのような理由があってアベル様があのような嘘を・・・?」
ひそひそと語られる話に何とはなしに耳を傾ける。
どうやらアイクだと気付かれていないようだ。思わず隣に立つアイクの顔をちらりと窺ったが、全く気にしていないようだった。
「あの・・・。アベル様。疑う様で大変申し訳ありませんが・・・」
衛士の一人が言いづらそうに口を開く。
「どうした?申してみよ」
請われるままに一番年かさの衛士が口を開いた。
「僭越ながらアベル様。後ろの方々がご子息様だとおっしゃられましたが、我々にはとんと思い当たりません。できましたら教えていただいても宜しいでしょうか?」
「何?」
一瞬で厳めしい顔つきに変わったアベルに、居並ぶ衛士たちは首をすくめる。
しかし、何かを思ったのだろう、すぐに怒りを引っ込めると、感慨深げにつぶやく。
「そうか・・・。十数年と言う時の流れは残酷だな・・・」
その言葉に、年かさの衛士数人が、はっ、と息をのみ、改めてアイクの顔を、まじまじと見つめる。それこそ失礼にあたるのではないかと思うほどに熱心に。
「まさか・・・」
「そのまさかだ・・・。アイクが、帰ってきた」
集まって来ていた人々の間に激震が走った。
その言葉は一瞬で人々の間を駆け抜けていき、誰もがぽかんとした表情で、アベルを見つめている。
そして、その真剣な表情に当てられ、アイクの顔を見つめる。
誰もが皆一様に黙り込んだまま、アベルとアイクの顔を交互に見つめていたが、その沈黙が僕にはひどく苦しく思えた。
―――まさかアイクはすでに忘れられているのか・・・?




