逃亡ー迷いの森九
僕が落ち着くのを待って、アイクが涙でぬれた頬をぬぐいながら、指さした。
そこには、小さな、そしてとてもきれいに磨き上げられた黒っぽい石が置かれている。
「あれ・・・・なに・・・・?」
「俺の母の墓だな・・・・」
「はか・・・?」
「人が死んで亡くなると、その人を燃やすんだ。その人の魂が天に昇って行けるようにと祈りながらな・・・。そして、残った骨を埋葬する文化がある。そして、その骨を埋葬した場所に目印としてああいった石の置物を置くんだ。そうすれば、俺たちが忘れない限り、亡くなった者は俺たちの記憶の中で生き続けられる」
「そうなんだ・・・」
初めて聞いた。それはそうだ。僕ら奴隷など、死んでしまえばそのままどこかに捨てられるか、もしくはそのまま魔獣や魔物の餌になるだけだ。
それでもなんだかその慣習はどこか心を温かくする。
「ここは・・・。俺の母のお気に入りの場所だった。よく、ここに来て家族みんなで食事をしていたのをまだ覚えている・・・」
ゆっくりと歯かに近づいていったアイクは懐かしそうにその石の表面を指で優しくなでる。
近づいてみて分かったが、石の表面には何か文字が掘られている。
「これは・・・、なんて書いてあるの?」
「これか?ここには俺の母の名前が掘られている」
アイクの背中はひどく寂しげだった。
「なあ、シリウス。ここに、リオンと、そしてリックの墓を、亡くなってしまった奴隷たちすべてを刻んだ墓を、作らないか?」
「え!?だって・・・、ここは・・・アイクのお母さんのお気に入りの場所で・・・」
驚いてしまった。そんなことを言われるとは思ってもみなかったからだ。
浮かんだ言葉を必死に重ねると、なんだか言い訳しているようにしどろもどろになっている自分に気付く。
「そうだな・・・。ここは母が最期に死んだらあそこに埋めてほしいといった特別な場所だが・・・・。リオンは、海を見たがっていたから、ここがいいんじゃないか?」
「え・・・?」
―――覚えていて・・・・くれたんだ・・・。
言葉にはならなかった。思わず固まる僕に振り返ったアイクは優しい笑顔で答える。
「なんだ?忘れていたとでも思ったか?忘れるはずがないだろう?多分、奴隷たち全員が、リオンに、お前の兄さんに、救われていたぞ?お前は誇っていい。だからこそ、あいつが一番見たがった海が、誰にも邪魔されずに見えるこの場所がいいと思うんだが?」
「うん・・・!うん!」
とてもありがたかった。覚えていてくれたことも、そして、アイクにとってとても特別なこの場所に、兄を、そしてリックを忘れないように生きた証を刻んでくれることも。
「埋める物なんて、何もないんだけどな・・・。それでもあいつらが、生きた証を残してやりたくてな・・・」
そう言うと、近くに落ちていた手ごろな大きさの黒い石を拾い上げ、ゆっくりと布で磨く。
そして、丁寧に時間をかけて、ゆっくりと、何か文字を掘り出した。
「なんて書いているの?」
「これか?ここにはな、【命を賭けて仲間を救った、リック、リオン、そして、名も知らぬ多くの剣闘士が眠る】と書いた。どうだろうか?」
「ありがとう・・・」
それ以外の言葉は見つからなかった。
ただ、ただ、感謝の念があふれてくる。
「まあ、リオンは海が好きだったけれども、リックは海好きじゃないかもな・・・。山育ちだったはずだから、ここが山、と言うことで勘弁してもらおう」
冗談めかして言うアイクが、ゆっくりと言葉を刻んだ石を墓の近くに置いた。
そしてその下の地面を掘ると、昔から愛用していて、刃先がぼろぼろになった今でも捨てることなく大事に持っていた短刀を恭しく埋める。
「それ・・・大事な物なんじゃないの?」
「ああ。これか・・・。これはリックに昔もらったんだ。重宝していたんだが、もう使えなくなってな。それでも捨てるに捨てれなくて困っていたんだが・・・。何も遺品が無いなんて格好がつかなくてな。いい機会だから、ここに埋葬しようと思ってな」
「それなら僕も・・・。これ・・・」
そう言って、僕は背嚢をごそごそと探し、目当ての物を取り出した。
それは、盾の欠片だった。
「これは・・・・?」
「うん・・・。兄さんと最後に戦ったときに使っていた盾の、欠片だよ。あの後で、リックが渡してくれたんだ・・・。これを見ると、とっても辛くて、いつも捨てよう、捨てよう、と思っていたんだけれども、どうしても捨てられなくて・・・。僕もいい機会だから、ここに埋めたいんだけれども・・・。いい?」
アイクは何も言わずに受け取ると、そのまま地面に短刀と一緒に埋めた。
そしてその上に先ほど言葉を刻んだ石を置き、土を元に戻す。
そして、ゆっくりと祈りを捧げるように両手を組み、瞳を閉じて真摯に何かを願い始めた。
僕もそれに習ってゆっくりと祈りをささげる。
―――兄さん。この景色を、海を一緒に見ることができなかったのは・・・。とても残念です。ただし、あの時、兄さんが願ったように、ようやく僕は自由になることができました。いつも、見守ってくれてありがとう。危ない時に僕を助けてくれてありがとう。これから僕は、兄さんが見ることが叶わなかった、世界を見て回ります。これからも、胴か僕と、そして僕の行く先を導いてください。大好きです。ただ、ただ、感謝の気持ちを伝えます。今までありがとう。
はらりと涙が零れ落ちた。それでも僕は目を開けることなく、真摯に祈りを続ける。
―――リック、叶うならば、一緒に自由になって、世界を旅したかった。これは僕の我儘だから、気にしなくてもいいんだけれでも、それでも言わせてください。生きててほしかった・・・。例え、この身が自由になれず、今もまだ奴隷だったとしても・・・!・・・リックから学んだことはとても多く、生涯忘れることはありません。感謝してもしきれません。だから、あの世と言う物がもしあるのならば、奥さんと娘さんと永遠に幸せに暮らしてください。どうか安らかに・・・。
ゆっくりと日と身を開けた。
僕の隣にしゃがみ込んだアイクも、ゆっくりと日と身を開け、潤んだ両目で石を眺めている。




