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英雄伝説ー奴隷シリウスの冒険ー  作者: 高橋はるか
傭兵時代
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逃亡ー迷いの森四

夜が明け、出立の準備ができた。

まだ朝が明けきる前の、日も昇りきっていない時間に起きだし、ぐずるシリウスを起こして、迷いの森の入り口までやってきた。

尾行者の目と耳を気にしてシリウスには話していないが、これだけ朝早くからここに来たことには意味がある。

後ろに振り返る街も朝靄に包まれ、目の前の深い森は濃い霧に包まれ、そこに地平線の端から一筋の光が差し込んできている。

何とも幻想的な光景だが、今、この場に立ってみると、その威容に思わず緊張してしまっている。

隣に立つシリウスをちらりと見たが、その表情は、感心したように見上げるばかりで緊張感の欠片もない。

今彼は何を思っているのだろう?ふとそんなとりとめのない疑問が浮かんだが、一瞬で目の前に集中すると、「さあ、行くぞ」号令一声、森の中に足を踏み入れた。

瞬間、風が吹き付けてくる。

びゅうびゅう、と体を押し戻すかのように、強い風が俺とシリウスの体めがけて吹き付けてきている。

ばたばたと口元の布がはためく。

少し湿り気を帯びた布がぴたりと肌に張り付く感触は慣れないためにひどく不快な物であったが、これはあの老婆に準備してもらった布と【気付けの水薬】を水で薄めた薬品をしみこませてあり、この【迷いの森】を抜けるためには必需品なのだ。

必死で向かってくる風に逆らいながら、体を前にのめりこむように倒し一歩一歩確実に進んでいく。

視線をあげると、瞳めがけて吹き付けてくる風のせいで目が乾燥して、痛くなってくる。だからと言って足元ばかり見ていると張り出した枝に顔をひっかかれてしまう。そのため視線を少し落としながら、斜め下を意識し、ゆっくりと周囲を警戒しながら進んでいく。

シリウスには事前に何も説明せずに【気付けの水薬】を含んだこの布を渡したが、何も言わずに受け取り、俺がやったように口元を覆うように布をあてがっている。

どうしてこうしているかと言うと、この森に漂う霧には、幻覚を見せる作用がある。

それは森の奥に進めば進むほど、その作用が強くなってくる。

しまいには、右も左もわからない森の中で、死ぬまでぐるぐると彷徨い続け、ついには死んでしまった者もいると聞く。

一番厄介なのはこの霧なのは間違いない。

だからこそ、通気性は高いが、魔力的な不純物を取り込まないように特殊な魔法陣が織り込まれたこの布を使う。

そして、念のために、【気付けの水薬】を水で薄めて布に浸しておく。

気付けの水薬は、気絶や、幻覚などの症状を改善する魔法薬だ。その効用は薬の濃度にもよるが、非常に高く、どんなに強力な幻覚もこの水薬を飲むことができればすぐに治る、と聞いたことがある。

ただし、毒や病には効かない。

普通の布しか準備できなければ、この水薬を浸し、幻覚を防ぐ。もしくは今回のように特殊な布を使うかのどちらかだが、久方ぶりだったため不安で両方使ってしまっている。

もちろん、あの老婆がいまいち信用できなかったのもあるが・・・。

今日何も問題が無ければ、明日にはこの布一枚で過ごし、水薬は何かあったときのために持っておこうと思ったが、今のところ何もないため大丈夫だろう。

半刻(一時間)ほども歩いただろうか、不意に風向きが変わった。

今の今までこちらの侵入を拒むかの如く強い風が吹き付けていたのにもかかわらず、急に少し風の勢いが弱まり、横から殴りつけるような風に変わった。

そこで、俺は後ろを必死についてきていたシリウスを手で制し、ここで立ち止まる。

呼吸がし辛い上にあの突風だったからだろう、少し息を切らしながら追いついてきたシリウスに、「休憩?」と尋ねられたので、頭を横に振った。

「え?じゃあなんで止まったの?」

「今日の午前ははひとまずここで終了だ」

「・・・・・・え・・・・・?」

ぽかんとした顔をして聞き返されてしまった。伝わらなかったのだろうか?もう一度告げてみる。

「今日はひとまずここで終了だ」

「ええ!?なんで!?どうして!?まだ歩いて半刻?くらいしかたってないよ!?さすがに少し疲れたし、休みたいなと思っていたけれど・・・・終了はないんじゃない!?まだ日が昇ってきたところだし、何より、風向きも変わって進みやすくなったよ?」

確かにシリウスの言うことは普通であれば間違っていない。だが、それが正解かと言われればこの特殊な状況、環境下では正解ではない。むしろ不正解だ。

だからこそきっぱりと告げる。

「いや。ここで終了だ」

そしてどっかりと腰を下ろし、ゆっくりとくつろぐ。

「随分解せない顔をしているな」

見上げるシリウスの表情はひどく不満げだった。

「そりゃそうだよ。だって意味が分からないもん!!」

唇を尖らせながら責め立てるシリウスに幼い日の自分の面影を見た。

だからだろう。思わず笑ってしまった。そして俺が笑ったことが、さらにシリウスの不満を増大したらしい。ひどく不機嫌な顔つきになってしまった。

「悪い、悪い。昔の俺そっくりだなあ、と思ってな。まあ、そうだな、ここで終了する理由は、ゆっくり考えたらいい。それこそ時間はいくらでもあるからな」

「そんなの分からないよ!!」

「ならヒントをやろう。日が沈む前、もう一度進む。日が沈みきるまでのおよそ半刻ほどだけどな。それとな、シリウス。風向きをよく感じろ」

「何それ?よくわからないよ・・・」

宥められてようやくシリウスも腰を落としたが、必死で考えているのか、むすっと眉間にしわを寄せている。

―――分かってほしいなあ・・・。

思わずヒントを言ってしまい、恐らく尾行者には聞かれてしまっているだろうし、少し頭の切れる者だったら早々にこの森の不可思議な謎を理解してしまっているかもしれない。

少し、躊躇ってしまったが、シリウスの成長のためにはいい機会であったのも事実だ。それに、と考える。

―――それに、どうせ生きて返さないんだから、どれだけこの森の秘事が暴かれようとも今はどうでもいいことだ・・・。

再び正面から吹き付けてきた風に少し汗ばんだ額を撫でられ心地よさに思わず瞳を閉じながら、うつらうつらとしてしまう。

夢を見た。若く、それでいて溌剌としていたまだ青年だったころの夢だ。

それは、今日と同じく迷いの森を歩いている時の懐かしい思い出だった。

―――どうして、半刻歩いただけで立ち止まって長々休憩するの?

しびれを切らして、思わず年長者に食って掛かってしまった。

―――アイク、お前はまだ若く、この森の本当の恐ろしさを知らなんだ。風を感じろ。今、風はどちらから吹いてきている?

―――そんなの後ろから背中を押す追い風だよ!だからこそ今のうちに行こうよ!!距離を稼がなきゃ!!

―――本当にそうか?本当に今お前が感じている風は、正しい風なのか?

―――追い風・・・。あれ?横風になった・・・?

―――本当に横風か?

―――いや、向かい風になった・・・?どうなっているの・・・?

―――この森はな、太陽が昇るときと沈むとき、ちょうど夜が終わり朝に変わる境目、そして夕方と夜が交わる境目に半刻だけ、森の中心にあるとされている【精霊の泉】と呼ばれる泉から、森の境界に向けて強い風が吹き付けると言われている。もちろん、【精霊の泉】なんて見た者はいないし、見ようとして中心を目指し生きて帰った者はいない。だからこそ、中心に近づく者はいないが、一つだけ、気を付けなければいけない物がある。

―――それは・・・何・・・?

―――それは方角だ。この森では、同じような風景が続くうえにこの厄介な霧のせいで、特に方角を見失ってしまうことが多い。だからこそ、この朝と夕方のおよそ一刻の間だけ、森の中心から吹き込む風を頼りに歩くのだ。森の中心を目指して進めば向かい風だ。そして森の中心から少し進路を変えて横風を受けながら進み、追い風を受けて森を抜ける。覚えておけ、これがこの森の正しい抜け方だ。

―――なるほど・・・・。


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